なるがままにされよう

アラフォーおっさんが好き放題書く雑記ブログ

ギックリの前兆を察知したので鍼初体験してきました

なるがです。

 

先日、人生初の鍼をしました。身体にいっぱい刺されるあのやつです。

鍼とは・・

身体の特定の点を刺激するために専用の鍼を生体に刺入または接触する治療法

とあります。

僕は過去にギックリ腰を2回やってますが、1度目は急激な動きでガツンと。

2度目は腰の違和感を放置した後で。なんか腰に違和感があるな〜と思いながら、特に何もせずそのまま寝たら、翌朝起き上がる事が出来なかったという…恐ろしや。

 

ギックリ腰とはマジで恐ろしいヤツです。

目の前にある物が取りたくても取れないのです。大げさではなく、マジです!(しつこい)

当然動けないので寝たきりになり、ギックリ腰の大変さを思い知りました。

 

 今回もその嫌な違和感が発動したため、爆発前に何とかせねば!という思いで鍼治療に辿り着いたのです。

 

鍼ってなにするん? 

ネットで検索するとたくさん出てきます。気になる鍼灸(しんきゅう)院を片っ端から調べます。驚いたのが、うまくいけば『一発で治る可能性もある』事らしいのです。そんな馬鹿な!そして、完治とまではいかずとも、『かなり症状が緩和する』、とあります。

うーむ、可能性もあると言う事だから、これはやってみる価値あるかもしれない。

気になった鍼灸院を予約していざ出陣です!

 

 ・・・ついに来ました。意を決して中へ入ります。(大げさ)

 

壁にはこんな感じで施術しますよ〜と、ぷすぷすと何十本も刺さった写真が掲示されてます。

こ、こわい…。

来たことをちょっと後悔しつつ、あきらめます。

 

 

施術開始。問診、触診等行い、ベッドにうつぶせになります。今回は腰なのでシャツをまくり患部を出します。うつぶせの為、先生が何をしているか全く分かりません。恐怖。カチャカチャと道具を取り出している音しか分かりません。

唐突に、

「いきますね」と言われます。意識は緊張のあまり腰にしかいきません。

と思ったら

プツッ、トントン、キュン!

クリクリ、キュンキュンギュン!!おふっ!

何やら訳の分からない擬音が出てますが、なんとなくお分かりかと思います。

 

プツッ・・・鍼が皮膚を貫通した音

トントン・・・鍼管(しんかん:鍼を刺すときの筒状の道具)をたたく音?

キュン!・・・鍼が筋肉に到達して身体が反応した音

クリクリ・・・鍼を筋深部まで潜り込ませている音

キュンキュンギュン!・・・神経到達??の瞬間

おふっ!・・・ギュイン!とクる感覚で思わず出る声

 

患部にもよると思いますが、僕は15~20本くらい刺されました。先生の手つきが早いのであっという間でした。こっている部位程、おふっ!となるそうです。確かに。

 

この感覚は『響き』とか『得気:とっき』と呼ばれ、これがないと効果は得られないそうです。

硬くなった筋肉に鍼がしっかり刺さっている状態なので、失敗しているわけではありません。僕は初めてだったので「奥まで行き過ぎじゃぼけ~!」と心の中で叫んでおりました。

鍼は表面にぷすぷす刺して軽く刺激するものだと思ってたら大違いでした。(笑)奥までズッポリやられます。

筋肉は骨に何層にも重なり合ってへばりついており、その束ごとに役割が完結しているそうです。ですのでその狙った筋肉の束めがけて刺さないと効果がないらしいです。

深い部分の筋肉に到達させるために7~8cmも刺入することもあるそうです。

こ、コワすぎんだろ・・。

 

ここから鍼が刺さったまま約15分ほど放置プレイされます。

腰のあたりがジワーッと熱くなってきました。そりゃそうだ、身体にとって異物がぶっ刺さってるんだから。

鍼が刺さると筋肉は一瞬収縮したのち、緩みます。放置プレイする事でゆっくり筋肉が柔らかくなり、血流も良くなり、結果ジワーッと温かくなってくるんだそうです。

 

 ん~このまったりとした放置時間もいいですね~。部屋もぽかぽかで快適だし。刺さっている痛さは全くありません。

 

時間経過後、先生が「抜きます」と言ってスポスポ抜いていきます。何本か深い刺入部分であろう鍼を抜くときに『うっ!』となります。

抜いたあと起き上がり、ゆっくり身体を前後左右に動かしてみて様子見をします。

「どうですか?」

「ん~あんまり変化ないような・・・。」

「じゃあもう一回打ちますね」

「え?もう一回?」

今度は患部にピンポイントで打ちますと言われ、今度は横向けに寝ます。

硬くなった筋肉に次々と鍼を打ち込んでいきます。

「ギャー!!!」とは言ってませんが、これはきつい!おもわず

「これきついです。ちょっと無理っぽいです!」と言ったほどです。

硬くなっている凝った筋肉ほど痛いそうです。これがないと効果がないのだから我慢我慢だ。

・・・ふう、ようやく放置タイムだ。我慢したぶん脱力感がすごいわ。

 

10分ほどで先生が戻ってきて抜きます。『うっ!』となります。抜いてまたしばらく放置タイムです。

腰のまわりが熱く、鍼がまだ刺さっているような感覚です。しかしズキズキした痛みなどは皆無です。

 

起き上がり、身体を前後左右にゆっくり動かします。

「お?嫌な痛みが少なくなってる?」鍼を刺したことによる麻痺?なのかな?と思いつつも、身体はさっきより確実に楽になっています。

 

「2~3日すればもっと効果が分かるようになってきます」と先生は言ってました。

 

そして施術から2日目。かなりいい!歩いた時ビキビキくる痛みが取れてる。

鍼か~、こりゃやって大正解だったな!これが正直な感想です。でもキュンキュンくる痛み?感覚はガマンしなくてはいけません。本当はもう行きたくないです。

 

でも症状が軽くなったからと言って安心してはいけません。一家の大黒柱として、倒れるわけにはいかないのです。腰の爆発を食い止められて良かった~。

 

鍼にはいろんな効能があるみたいで多岐にわたっています。今回初めて鍼を受けましたが、僕のまわりはだれも受けた事無いと言っていました。もっとメジャーな治療法になってもいいのでは?とも感じます。

病院などにはない、東洋医学の神秘に少しだけ触れたような気がしました。

 

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

人が行動を起こすのはポジティブ思考ではなく、ネガティブ思考だ

なるがです。

 

最近めっきり寒くなって、布団からなかなか出られない季節になりました。この心地良いまどろみの中でずっとこうしていたい…。

とは言っても休日ではないので頑張って起きるのですが、小学生の娘は毎朝こんな感じでまどろみっぱなしなのです。学校はどうするん!?てな具合に。

 

当然朝から妻はカリカリ、火の粉がなぜか僕にまで飛び火。起こしに行っても

「分かった分かった!起きるから!」の一点張り。しかも何故か逆ギレ。生意気盛りの年頃です。「そこに居たら余計起きられへんし!」と意味の分からない事まで言ってまだ寝ようとする。

結局無理やり起こして何とか集団登校ギリに間に合わせるのですが、毎日こんな調子では先が思いやられます…。なんとかならんもんですかね。

 

出来れば無理やりたたき起こしたり、大声を出したりしたくはありません。妻にとっても子供にとってもストレスだろうし、お互いにそう思っているはずです。

自分で起きてくれる事が望みですので、どうしたら起きれるようになるのか模索中です。

 

まず、起きられない原因を考えてみます。

  • 夜更かしによる睡眠不足
  • 目覚ましアラームをかけていない
  • 学校に行きたくない
  • ま、いっか。という諦め?

 遠足や楽しいことならスパッと起きるのに、普段の起床が出来ません。

となると、前の晩からの意識付けが重要なのかな?

 

 起きるために何をしておくか

  • 枕に話しかける(これはマジで効く)←大丈夫?
  • 目覚ましアラームセット
  • 楽しいことを用意しとく
  • 寝る前のストレッチなどで熟睡を促す
  • 寝坊は良くないことだ、と諭すw

 

そして、朝しっかり起きれる事で

  • 『早起きは三文の徳』
  • 『心にゆとりがもてる』
  • 『いい頃合いに頭が働き出す』

などなどいい事づくしな事を教える。

 

朝活とやらも推奨されていますし、朝が持つパワーはやはり凄いのです。確かに早起きは気持ちいいですもんね。

 

しかーし、娘に諭すように言ったところで馬の耳に念仏。小学生にとって三文ばかりのはした金などどうでもよい事なのでありました。

かく言う僕自身も、余程の気合いがなければ朝活等を習慣化することはとても難しいと感じます。せいぜい三日坊主が関の山です(笑)

 

 朝活などポジティブな思考は一見すると『なるほど!』と前向きな気持ちになります。

実際に成功者はポジティブ思考な人が多いですし、バイタリティがあって、何事にも熱い。そしてやはり行動力が突き抜けています。その行動力を僕にも分けてもらいたいですほんと。

 

でもほとんどの人は『朝は出来るだけギリギリまで寝ていたい』のでは?(僕がそうです)

朝こそがすべて!と、さも最強かの如く書いてあったりするので一応やってみるのですが、全然続かなくてむしろストレスでしかなくなりました。

性格にも関係しているのかもしれませんね。(言い訳)

 

 

一方、ネガティブな思考とはどうなんだろ?

 朝起きれない事で自分に不利に働く事=ネガティブ と捉えてみます。

  • 怒られる
  • ご飯を食べる時間がない
  • 走らなければならない
  • 遅刻する
  • みんなからの白い目

ん~、こっちの方が起きる動機になりやすいと思いませんか。

僕でしたら『心にゆとりを持てる』から起きようとは思わないですし、『始業時間にあわせて最高の状態で迎える』ために起きようなどサラとも思いません。(威張って言うことでもないが)

 

 

つまり、人を突き動かすのは負の感情でしかない。嫌な事態を回避したいと思う感情によって行動しているのだと言えます。

遅刻して上司にどやされる、仲間に迷惑をかける、などの事態を回避したい為に渋々起きるのです。

そしてこの瞬間の『起きよう』というその選択が、ネガティブからポジティブに変換されます。

ネガティブを嫌だと思わなければそれは変換されずドツボにはまるだけです。面倒だ、バックレようの思考です。

 

 

これはいろんな場面で見て取れます。例えば自分が嫌だなぁと思うことは?

家だと

  • トイレのドア開けっ放し
  • 部屋の散らかり
  • 車の汚れ
  • 今月も赤字

などなど….。

もし、トイレのドアが無かったら、まる見えになりますから嫌だなぁと思いますよね。

まさか『解放感が最高!』『もっと見て欲しい』とはならないはずです。最中に目が合おうものならとんでもなく気まずいです。特に大きい時は。

まる見えが嫌だから『閉めて安心したい』というポジティブな行動を取ります。取らなければただの変態です。

 

人が行動を起こすのは快楽が最も強い動機ですが、その根っこには負の感情が隠れているのです。

 

 僕は電車通勤なのですが、絶対座りたいので何としてもその定刻の電車に間に合わせます。

これも、『座れなかったら嫌だ』という負の感情が先行しています。しかし、ここで諦めてしまうと座れません。やはり変換作業が必要なのです。

 

 で、結局娘がどうしたら起きれる様になるのか?

答え=分かりません(なんじゃそりゃ)

結局は 自分の中で変換作業をやっていくしかないのでしょう。これからも声掛けは続けますが、甘やかす事なく今は長い目で見守って行く事にします。

 

駄文失礼致しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

友達がいない事について考えてみた

なるがです。

 

田舎から出て来て早20数年経ちますが、現在まで友達という存在がいません。

というのも、仕事を通じて仲良くなる事はあれど、どこかへ遊びに行ったり、悩みを打ち明けたりと言った、親しい付き合いがないのです。

 

まだ独身の頃はそうでもなかったのですが、いつからなんだろう、気付いたら周りには誰も居なくなってて、それからは友達の作り方を忘れてしまったように思います…。

 

結婚して家庭を持ってはいますが、近所づきあいも積極的になれず(挨拶はします)、妻からの、「たまには友達と遊んで来たら?」の声にも耳を貸さず(居ないから)。

 

一度ママ友の集まりにそれぞれの旦那込みで参加した(連れていかれた)事があるのですが、もう帰りたくて仕方なかったです。すでに出来上がっている所に新規で入ったのも僕には苦痛でした。

よくご近所同士でワイワイしてるのを見かけますが、みんなスゲーな!と感心します。

僕はどうもそういうのは苦手なんですよね…。どうやったらそんな関係になれるんだろう?といつも思ってしまいます。

 

といいつつも全く友達が居ない訳ではなく、年月が経つにつれどんどん少なくなっているからそう思うだけであって、友達の作り方を忘れたなんてのは言い訳に過ぎないと自分でも良く分かっておるのです。

でも普通この歳なら増えているはずなんだけどな・・。

そこで、なんでこうなったのかを考えてみました。

 

まず、僕のダメな部分は、

連絡しない

という事です。

 

そりゃ友達なぞ出来るわけないわな。

 

また会おうな!と言って

会わない

また絶対いくから!と言って

行かない

メールするから!と言って

しない

 

何故⁈

なんでなんですかね。

何か面倒になってしまうんですよね〜。

ま、いっか。

そんで、こんなんじゃダメだよな〜と思いながら、しない。

 

こうして軽く見直してみても相当だらしないな、おい。

 

 

過去に街中で偶然後輩に出くわした事があって、その時、「なんで連絡してくれないんすか!やっぱ相変わらずですね!」と皮肉られた事があります。6年ぶりでしたから…。

現在も、知人がお店オープンしたというのに、未だに顔すら出してない…いろいろと理由を付けては後回し後回しにしている…という。

 

なので友達がいないのは当たり前ちゃー当たり前なのです。自業自得です。

 

でもそんな簡単な事すらもしないなんて、僕自身少しおかしいのではないか?と思ったりもします。 

基本的にひとりで居ても全然平気なので、全く苦ではないところがまた痛い。

いやいや、自分の事しか考えてなさすぎでしょ。

 

 ブログ4か月目入ったけど

何故こんなどうでもいい記事を書いているのかというと、このブログでもそれが遺憾なく発揮されているのです。

 

7月3日にブログを立ち上げて、丸4か月目!毎日更新は無理ですが、投げ出さずに良く続いてるなと。

ほとんど、否、ほぼ独り言ですが。

これを書きながらも、すでに独り言と化していくのが目に見えるようです笑

 

4か月の時点での状態

  • 記事数36
  • 読者3人(2人?)
  • 一日のアクセス平均1.5(今日は8!過去最高ヤッター)
  • アクセス総計187
  • 特記事項なし

 

いつも他のブロガーの皆さんを見てたらすごいな~って思います。

 

でも自分から読者登録したり、コメント残したり、何もアクション起こしてないので、当然の結果といえばそうなんだと思います。

それ以前に記事自体が面白くないのもありますが(笑)

 

でも来ていただいて、読んでくれた(はず)方もいる事は本当にありがたいことです。

何もお返ししておりませんが・・・。

 

今の自分と全く同じですね。

 

自分から行動を起こさないと何も得られない。

友達に限らず、欲しいものは待ってても来ない。

行動を起こす事で欲しいものはやって来る。

 

まったく説得力のない僕が言うのもアレなんですが。

 

とりあえず今度知人のお店にお土産持って行ってみるべ~…と言いつつ行かない。

様にならないようにしたいと思います!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伯父からの最後の贈り物

5日前、伯父が亡くなった。

 

教えてくれたのが2日後だったので通夜には間に合わないが、葬式には参列出来る。

しかし遠く離れているので、両親からは無理して来なくてもいいと言う。だけど何かモヤモヤする。

正直、交通費も馬鹿にならないし、家族での予定も入っている…。うーむ、どうしたものか。

 

こんな時は心の声に従うのが一番だと、自分で納得させるように聴いてみる。

 

…よし、行こう!

 

しかし、子供たちが楽しみにしていたUSJに行く予定を蹴ってまで行かなあかんのか?

それに大人になってからは殆ど会っていない。

 

だが子供の頃から良く気に掛けてくれて世話になった方だ。

僕にとっては究極の選択にも思えた。

 

恐る恐る(笑)妻に聞いてみる…。

「悪いけどやっぱり行く事にしたんやけど…」

すると、

 「ええよ。自分が行きたいと思ったのならそうしたらいいし、別に悪い事なんかないで」

 

なんとも意外な返答に拍子抜けしそうだった。

てっきりブーイングの嵐かと思いきや、子供らもスンナリ受け入れてくれた。

 

このひと言は本当に有り難かった。

まさに背中を押されるとはこう言う事なんだな。

これで心置きなく向かう事が出来る。

きっとこの借りは返すからと約束する。

 

ここで新たな情報が入った。

お寺さんの都合で1日延期となったのだ。

つまり、通夜から参列する事が出来る。なんという幸運。

これはきっと伯父が『待ってるぞ』と言ってるんだと思った。

 

伯父は83歳で亡くなったのだが、自分もこの歳になると死というものに関わる事が多くなってくる。これからもっと増えてくる事は決まっている事なのだ。

死は人間である以上避けて通れない道なのだが、せめて歳の順番に死を迎えられたら、と思わずにいられない。

 

なので両親より先に逝ってはならない。というのが僕の持論でもある。

 

そうは言っても、いつ死ぬかなど分かる訳がないのだが、こうして順番に送り出していくことがきっと自然な流れなんだろうな。

みんなでお別れをして、さよならする。ただこれだけの事なのに、もう二度と会えないと思うといろんな感情が湧き上がってくる。

ここに眠っているだけなのに、動かないのが信じられない。

 

みんな「ありがとう、ありがとう」と言って泣いている。

こうして泣いてくれる事は伯父もきっと嬉しいだろうな。

僕がいつか死んだときもこうして見送られたいものだ。

 

僕が生まれた時、僕は泣いて、まわりは笑っていた。

僕が死んだ時、まわりは泣いて、僕は笑っていた。そんな一生を送りたいと思う。

 

 

 

行くかどうか迷っていたけど、行って良かったと心底思う。

最後に顔を見てお別れ出来たことで、この場面が一生心の中に残るからだ。

 

そして、通夜から葬儀までの流れ、久しく会っていない親戚との交流もできた。今後やって来る親の死との向き合い方、兄弟姉妹との連携など、離れていれば分からない事だらけの事も改めて考えさせられた。

 

いろいろ考えながら帰途に就いた。そういえば妻と子供ら3人でのUSJは楽しめたんだろうか。ずっと楽しみにしてたから、やっぱり悪い事したな~という気持ちが拭えない。

 

しかし家に帰ってから聞いてみると、行ったのは行ったのだが、台風で雨風がひどすぎて結局入らずに帰ってきたと言う。

チケットも使わず仕舞い。ということで今度ちゃんと4人で行けることになった。

伯父の所に行かなかったらたぶん後悔しか無かったと思う。

 

心の声を聴いて、パッと浮かんだ事はたぶん信用に値するものだと強く思う。

今はそれが正解か判らずとも、最終的には正解に導いてくれる。そんな風に思う。

ヒラメキは信用していい。

 

最後になかなか粋な計らいしてくれたな、伯父さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2001年8月 九州一周ツーリング記 第六回

なるがです。

 

この旅もついに5日目を迎え、最終日となります。この5日目朝の時点ではまだ熊本にもたどり着けていません。これから長崎へ向けて走るのですが、このままだと時間オーバーの可能性が。少し焦りが出てきました。

長崎観光もそこそこに、一刻も早く帰途に就かねば・・という思いしか無かったように思います。

こんな時はやはり計画の大事さを痛感させられます。行き当たりばったりの結果が招いたこの事態は自業自得とも言えます。気が付いた時にはもうアップアップになっていました。

それでも目的だけは何としても達成させようと思います。

 

 

 

8月29日 最終日

現在午前4:00を回ったところ。

野宿しているここ宮原SAでは、超浅い眠りを繰り返してなかなか寝付けないでいる。

深い眠りに入ろうとすると、車の音で意識が戻されるといった具合だ。

これはたまらん。

 

 

結局明るくなるとともに車の量も増えてきて、起きざるを得ない状況になった。5:30頃だったか。とてもじゃないが寝ていられる環境ではない。

トイレへ行き顔を洗い、歯を磨く。シャキッとするはずなのに全くしない。頭がぼーっとしてなかなか起きてくれないのだ。睡眠不足は大・大・大問題だ。

 

コーヒーを飲みながら今日一日の流れをイメージしてみる。

答え…時間なさすぎやろ!

今日は長崎の原爆資料館平和公園に行き、せっかくなので長崎観光もと思っていたが、どうやらその時間は取れそうもない。

とにかく時短!という事で、長崎へのショートカットとしてフェリーを使用することにした。有明フェリー長州港多比良港というラインがあったのでそれに乗ることに決定。

宮原SAを出発、少し走って菊水ICで降りる。

 

8:30 多比良港行きの船がやってきた。

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フェリー料金¥840なり。やっぱフェリーはいいね。

 

雲仙瑞穂町のローソンで朝飯。Hさんが好んで飲んでいた『まろ茶』を買った。

国道251号~57号長崎バイパスで市内へと向かう。

 

 

長崎原爆資料館

1945年8月9日午前11時2分、長崎の空に噴き上がる巨大なきのこ雲。

なにが起きたのか、その時人々はどうなってしまったのかをここでは知ることができます。

nagasakipeace.jp

 

平和祈念像の前で。

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高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を意味し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っているそうです。

 

一瞬のうちに大勢の命を奪ってしまった原子爆弾の脅威は計り知れない。戦争とはこういう事も正当化してしまう恐ろしさがある。

戦争によるむごたらしい場面も目をそらさず、僕たちは直視しなければいけないと思う。

 

帰途に就く

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帰途に就く前のワンショット。13:15頃。今から、ここから大阪まで走るのだ!ひ~!

地図を見て現在地と大阪までの距離を見ると吐き気がする。

今日中には帰らなければ明日の仕事に間に合わない。

この時点で九州ツーリングは終わったも同然。

完璧に仕事モードに入ってしまっている。

 

景色を楽しむ余裕もなく、ひたすら大阪へ向けて走るのみ!

唯一、関門海峡大橋を通った時だけは楽しかった。

スピードを出すととんでもなく疲れるので100km/hが限界。休み休み行くので時間もかかる。他の人達なら苦にならない距離なんだろうけど、のんびり派にはまるで、ひたすら耐えるマラソンのようにも感じられた。

 

日付も変わり30日午前2:39。無事大阪に到着。しんどーい!!時間かかり過ぎだろ!一体何をしてたらこんな時間になるんだろうか。全く分からない。

しかもあと5時間ほどで仕事へ向かわねばならないという・・・オエッ!吐きそう。

最後はバタバタの状態で余韻に浸る間もなく、波乱万丈だった5日間の九州一周ツーリングは幕を閉じた。

 

あとがき

Hさんとの出会いが今回のツーリングの大きな収穫でした。旅は邂逅(思いがけなく会うこと・めぐりあい)と何かで読みましたが、まさにそんな旅だったように思います。

そして念願だった知覧特攻平和会館に行けたこと、長崎原爆資料館平和公園に行けたこと。目的を達成できて本当に満足のいく旅だったと思います。

九州の自然とスケールの大きさも体感できましたし、まだまだ見たい、知りたい事はたくさんあります。

 

・・それをこじらせて翌2002年、同じ時期に再度九州一周を敢行します。期間は9日間!

(また書くんかい)

自分の為に書いてるからいいのだ~忘れたくないからこうして残るように書いておる訳です。これが消えたら元も子もないんだけど。

 

九州一周ツーリング記 

おわり

九州一周ツーリング記 2 に続く笑

 

 

2001年8月 九州一周ツーリング記 第五回

なるがです。

 

九州一周ツーリングも早4日目。ここからが本当のソロツーリングになるのですが、これまでの内容が濃すぎて、これからどう動けばいいか迷う部分もありました。

しかし、この九州ツーリング、本当の目的は『知覧』という町に行く事でした。

 

知覧町は2007年に他2つの町と合併して南九州市となっています。(知らなかった)

そこに『知覧特攻平和会館』という建物があります。

ここには太平洋戦争で戦死した1,036名の特攻隊員の遺影、遺書・手紙などの遺品が展示されています。

何の雑誌だったか忘れましたが、この『知覧特攻平和会館』の記事が載っており、それを読んでかなり衝撃を受けました。

僕は太平洋戦史に興味があったので、この『特攻隊』というものも当然知っていました。しかし、そこに書かれていたものは、今まで自分が理解していたのとは全く異なるものでした。

特攻と言えば爆弾を抱えた飛行機で艦船に身もろとも突っ込むという、映画とかでいえば格好いい死に方、ある意味美しい死に方と思っていましたが、事実は違いました。

そしてそこに展示されている遺書・手紙の存在もその時初めて知りました。

僕は自分の目で実際に見たいと思うと同時に、どうしてもそこへ行きたくなり、いつか必ず行くと決心していました。

 

そして今、ついにその場所が目と鼻の先まで来ている。県道23号線谷山知覧線に乗り、『知覧特攻平和会館』へ向かいます。

 

 

 

知覧特攻平和会館

ついに念願だった知覧にやって来た。何故か気持ちがシャキッと引き締まる。これから行く場所がそうさせているんだろう。

町並みは結構整備されており、とてもきれいだ。『知覧武家屋敷』など観光スポットもいろいろあるようで、観光客らしき人たちが結構多い。いろいろ見れば良いのだが今回はやめておく。

しばらくして道路の両サイドの並木沿いにずらりと並んだ石柱が現れる。あぁ、ココだ。バイクを止めて入口へと向かう。観光バスも5台ほど止まっており、人が多いのに驚いた。

何かすごく緊張する。とてつもなく神聖な場所に入るかの如く、恐る恐る入る。

 

どう回ったかあまり覚えていないのだが、とにかく本物の遺書・手紙、遺品の数々に強く心を打たれた。ひとつひとつゆっくりと読んでいく。これが二十歳そこそこの若者が書いた文なのか?これから死にゆくという事を思うと、どれもが目頭が熱くなってくる。涙を流している人も結構見受けられた。語り部のおじいさんの話もとても興味深かった。

あと、驚いたのは外国人観光客も多かったことだ。世界から見てもこの『特攻』というものがいかに興味を持たれているかが理解出来た。

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もう一周まわりたいと思ったが、時間も押しているので出る事にする。帰りに本を一冊購入。その後外にある『三角兵舎』を見学。隊員がここで寝食し、出撃を待っていたそうだ。

館を出てしばらく余韻に浸る。ここへ来て本当の特攻というものを知れたことはかなりの収穫となった。

売店を見つけたのでソフトクリームを舐めながらベンチに腰掛け、いろいろ思いを巡らす。

決して楽しいものではないが、確実に心に何かを得て出てくる事になるだろう。

それだけここにはインパクトがあった。

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3時間ほどここで過ごしたがまだまだ見足りない。

 

バイクを走らせながら思う。この場所から彼らは飛び立って、そして二度と帰ってこなかったんだな・・・当時の彼らの心中は如何ほどのものであったのだろうか。胸が痛い。

 

 

今日のねぐら

ここで時間を使い過ぎたのでルート変更しなくてはならなくなった。指宿から開聞岳と回る予定だったが断念せざるを得ない・・。最低でも熊本入りしとかなくては。

とりあえずひたすら北上する。途中から九州自動車道を使用。しかし高速道路はしんどい。下道のんびり派なのだが、ルート計算すると時間がなさすぎるのでやむを得ない。

 

22:00。もう限界!熊本には届かなかったが、八代市の宮原SAで泊ることにする。

しかしSAでの野宿はダメだ。何がダメかというと、とにかくうるさすぎるのだ。車やトラックがバンバン出入りしているので全く寝付けない。失敗だ~・・。車の中なら気にならないんだろうけど。

 

明日は長崎へ向かう。原爆資料館と、平和公園が目的だ。目的地のチョイスがおかしいと思うだろうが気にしない。

疲れているはずなのに全く寝付けず、時間だけが過ぎていく。SAでは二度と寝るもんかと誓ったのだった…。

 

 

 

 

 

 

怒りという感情について

なるがです。

 

僕は滅多に怒る事がありません。今までに相手とのトラブルなどは起こしたことが無いです。とは言え僕も人間ですから、『怒り』という感情は持ち合わせてもいます。ただ、『怒り』が発動するまでに治まってしまうので、滅多に使うことがないのです。

 

基本呑気なので、右から左へ受け流す事が多いのと、事なかれ主義、ビビりの為、争い事が特に苦手です。当然殴り合いのケンカなどしたことありませんし、もしそんな事態になろうものならすぐさま謝ると思います。

 

しかし問題は、『そんな事態』の内容にもよります。自分の大切なもの、今の自分で言うなら、家族が危険にさらされる、などの事態になれば話は別です。自分の中でここから先を越えてはいけないライン、いわゆるレッドラインを越えてくる相手とは戦わなくてはいけません。しかし、戦い=暴力と解釈してしまうのはよくありません。相手を負かす事が目的ではないのです。

この場合なら僕は、何があっても家族を守る、そして絶対に死なない。そのための最善策を取る事、それが戦うという事だと思っています。怒りに囚われると確実に冷静さを失います。本来の目的すら見失って、死んでしまったりしては元も子もありません。

 

怒れるひとたち

最近やたらとキレる人たちのニュースを見ます。最近では東名高速での事故。実際に起きたのは6月ですが、捜査の進展や証言など精査した上での報道となりました。

結論から言えば本当に最悪な結末を迎えてしまったという事です。目の前で両親を亡くし、ただ二人取り残されてしまったまだ幼い姉妹が不憫でなりません。

パーキングエリアで事件の前兆となる出来事があり、被疑者がこれに対して逆上し、その後被害者の車の後を追いかけ、執拗に煽りまくったというのですから執着心が異常すぎます。

 

怒りが何故起こるのか?どんな時に怒りの感情が湧くのか?

  • 自分の思い通りにならない時
  • 自分が負けていると思う時
  • 相手に負けたくないと思う時
  • ルール違反、マナーの悪さを見たりされた時
  • などなど・・

一番顕著なのが『自分の思い通りにならない時』だと思います。僕自身でもそうだと思うからです。

他人からの忠告や意見というものは得てして認めたくはないものです。それが正論であればあるほど受け入れ難く感じるものです。その時の感情は、自分が正しいのだ!このままでは言い負かされてしまう!と感じるのではないでしょうか。

そこでどう捉えるかが分かれ目となります。心を落ち着けて受け入れる、もしくはそれが出来なくて反抗的態度を取る、という事になります。

そしてその反抗的態度を取ることによって、負けたくないと思うようになります。

ここまで感情の段階が来てしまったら、すでに怒りに支配されてしまっています。逆に相手を負かす事、復讐する事しか考えられずイライラが止められません。

最近はこの段階を踏むことなく、すぐ怒りに支配されてしまう人が多いように感じます。キレやすいとはそういう事なんだと思います。

 

怒りの矛先は弱い人間に

一番やっかいなのは、そういうキレやすい人たちの最も都合よいターゲットが、おとなしそうな、言い返したりしなさそうな人を選んでいるという事です。される方はたまったもんではありません。僕自身も言い返したりしない方ですので、ターゲットにされやすいです。

これが形になったものが、いじめであったり、パワハラであったり、虐待となるわけです。そしていつしか怒りはストレスの発散、自分の思うようになる事による快楽へと姿を変え、なくてはならないものになります。もう中毒です。

そういう輩は怒りなんかで動いているのではなく、自分が気持ち良ければいい、ただのオナニー中毒者です。

自分が世界の中心と思っているくだらない自己中心性しか持ち合わせていません。

 

しかしながら、そんな輩とも共存していかねばならない世の中、やはり自分の身は自分で守るしかないというのが宿命なんだと思います。もしかしたら明日自分が当事者になるかもしれないのです。それだけこの世にはそんな事がありふれているという事です。

 

学校・会社・家庭などにおいては、一人ではなく周りを巻き込むしかありません。利用できるあらゆる手段を駆使してオナニーを止めさせなければなりません。とある学校では、周りの人間がオナニーの手伝いをしていた動画も出てましたが。やはり協力者が必要不可欠です。

 

しかし怒りに怒りを用いて対処しても火に油を注ぐだけです。相手を認めた上でしかるべき人に出来ない状況を作ってもらう事が必要だと思うのです。

何故そうしたのか、冷静に相手の言い分を理解してあげておいて、「次やったら終わりな」とクギを刺し、思いとどまる様に仕向けるのです。エロ本より本物がいいと気付かせるのです。(分かりにくい)

 

怒りはスルーする

それとは反対に、外に出てみても怒れる人間はごまんといます。人が集まるところなどはウジャウジャいるんではないでしょうか。駅の通勤ラッシュ時など、朝からしかめっ面して何をそんなに怒ってるの?と言いたいくらいです。

ほとんどの人は普通ですが、やはり中には割り込み、通行ルール無視、混雑の中を強引に肩をぶつけて走って行く者など、自分さえよければいいのが丸出しです。

 

ほとんどの人はそういう輩に怒りを覚えている事と思いますが、賢いのはそれに反応しない事です。正義感から言い寄る人もたまにいますが、そんなのに関わるだけ時間の無駄と思うべきです。ムカついてもみんなグッとこらえているのです。それがベストだと知っているからです。知らん顔ではないのです。

でも体調崩したりした人がいればみんなで助けますよね。そこが違いです。アホなことに時間は使わない事です。

 

そしてやたら多い自動車運転におけるトラブル。まんま上記に挙げた事に当てはまります。例えば、

  • 思い通りにいかない(煽り運転
  • 負けているのではないか(煽り返してやろう)
  • 負けたくない(嫌な思いをさせてやる)
  • ルール違反、マナー(今そんなの関係ねぇ)

 

どっちもどっちです。しかし関係のない他人を巻き込むなど、絶対にあってはならない事が起こり得るという側面も持ち合わせています。相手の挑発に乗ってしまえばもう後戻り出来ないのです。

怒り発動の前に冷静になって、イカンイカンと自分を制御すべきです。自分の家族や大切な人だけでなく、知らない家族までをも巻き込む事になるのです。

 

怒りはスルーする。右から左へ受け流す事が大事です。決して負けた訳ではありません。『馬鹿な可哀そうなヤツだ』と鼻で笑っていればいいのです。

 

配送トラックなどのテール部分に『速度順守!お先にどうぞ!』とステッカーが貼ってありますが、これこそがお互いに持つべき心なんだと思います。

 

怒りは何も生まないです。できればこれからも使いたくない能力だと思っています。

疲れますしね。