なるがままにされよう

アラフォーおっさんが好き放題書く雑記ブログ

マッチ売りの少女 (おっさんのブログだからといって春だと思わないように)

なるがです。

 

今日は休みなので、5歳の息子の世話は僕の担当です。いつのまにかこの形になっていたのは妻の強制…もとい、普段子供と触れ合えない事を思ってのコミュニケーション作りとして、妻が『僕の為』に提案してくれたからです。

 

保育園の送迎に始まり、夕食後は闘いゴッコをし、一緒に風呂に入り、歯磨きの仕上げをやり、寝室へ連れて行き絵本を読んで寝かしつけ。と、ここまでが僕の担当業務なのであります。

「メンドクセー!」と喉まで出かけている言葉を抑えながら、あきらめて世話をさせて頂きます。

 

しかしですね、やっぱり一緒に過ごす事は大事です。体力が有り余っている5歳児との闘いゴッコでパンチの痛さに驚き、風呂に入れて頭や身体を洗いながらこんなに大きくなったんだと驚き、会話の内容がすでに男同士なのに驚き、クソ生意気な言葉や態度も含め、子供の成長とは実に早いものだと実感します。

そして遊び疲れたら眠くなり…5歳児らしくて可愛いではないですか。それでも「今日絵本読んでな」と最後までリクエストが入ります。そのまま寝落ちしてくれると思いましたが甘かった様です。

持ってきた絵本は、『マッチ売りの少女』

アンデルセンかーい!なかなか渋い選択だな!息子よ。

『マッチ売りの少女』は当然知っていますが、改めて読むとこんなに悲しい話だったのかと、読み聞かせながらとても新鮮に感じられました。

ザックリとあらすじを言いますと、

 

『大晦日の夜、寒さに凍えたマッチ売りの少女は、売れ残りのマッチを擦ってみました。小さなともしびの中に現れた、暖かいストーブや、美味しそうなごちそうや、クリスマスツリー。でもみんなすぐに消えてしまいます。最後に、一番可愛がってくれた懐かしいおばあさんを見つけた少女は、その姿が消えないように、全部のマッチを擦ってしまいました。少女はおばあさんの所へ行きたいと願い、おばあさんは少女をやさしく包み込み、高く、高く、高いところへと連れて行ってくれました。暖かいおばあさんに包まれ、もう凍えることも、怖い父親に怯えて暮らすこともありません。

寒い次の朝、少女は路地のかたすみでうずくまって亡くなっていました。けれども口には微笑みを浮かべ、とても幸せそうでした。小さな亡き骸のそばにはたくさんのマッチの束が燃え尽きていました。きっと、この子は暖まろうとしたんだね、と人びとは言いました。けれども少女が最後に見た光は、どんなに美しく、どんなに幸せなものだったか、そしておばあさんと幸せな新年を迎えられた事を、きっと誰も知る事はないのでしょう。』

(ぜんぜんザックリじゃないし、むしろ文字数稼ぎ)

 

と、この様な胸を締め付けられる感覚さえ覚える悲しい結末なのです。

しかし街の人々も冷たい!鬼か!。雪の中で裸足で立っている小さな女の子に、誰も助けの手を差し伸べる者は居なかったのか⁈そもそもこんな寒空の中、マッチなどワケの分からんものを売りに行かせる父親も父親だ!それでも父親か!売るならカイロにしろ!

 

と、単なる童話にマジギレしておりました。

 

しかし見方を変えればこれは単なる童話ではない。現実の社会で実際に起こっている事ではないかと考えるのです。いたいけな子供への虐待によって小さな命が消えてゆく。誰にも手を差し伸べて貰えず、亡くなった小さな命。その子たちもあたたかいものが欲しくてたまらなかったんだと思います。

クリスマスイブに虐待で亡くなった4歳の男の子がいましたが、きっとサンタクロースが連れて行ったんでしょう。もう怯えて暮らさなくていいよと。

たくさんプレゼントを貰って幸せであって欲しいと切に願います。

そしてその子たちが最後に見た光が、どんなに美しいものだったかを、私達は知る事はないのでしょう。

 

息子に読み聞かせながら、ふとそんな事を考えておりました。

マッチ売りの少女、悲しいけれど、とても美しい物語と共に、現代に通ずるものも少しあるのではないかなと、思うのであります。

 

ってオイ!聞いてないし!すでに寝とるがな!息子よ…。

 

 

 

 

 

 

夏休みの思い出は

なるがです。

 

夏の一大イベントである『夏休み』。児童と学生だけにしか与えられないこの長期休暇も、気付けばあっという間に終わってしまいました。楽しい夏休みを過ごせたのでしょうか。しかし、タダで休みを与える訳ではない、それ相応の対価は払ってもらうぞ。ということで、毎年頭を悩ませるのが『夏休みの宿題』です。

小学5年生の娘は残り一週間で慌ててラストスパートをかけておりました。どこの家庭でも見かける、夏の風物詩みたいなものでしょうか。うちだけではないはずです。

これはまさしく僕の血と言えるでしょう。ギリギリまでやらない。いや、ギリギリになってからやる。否、やらざるを得なくなってやる、と言う方が正しいか。

しかし、娘が僕と違う所は残り2日を残してやり切っていたという事です。

「ほれ見てみ、言わんこっちゃない。」と、言う気まんまんで居たのですが、娘は、「終わったし?何か?」と涼しい顔で言ってのけたのです。

「あ、そ、そうなん?…。」普通こんなはずではない。

 

僕が小学生の頃はもっといろいろあった気がする。通常の科目に加え、朝顔の生育記録、絵日記、読書感想文、自由研究などなど多岐に渡ってました。ほとんど記憶に残っていないのですが。

あと、宿題とは違いますが、ラジオ体操の出席カード。最近やってる所を久しく見ていないですね。これも提出義務がありました。

夏休みと言えど、半強制的だったラジオ体操。でも出たら出たで、とても清々しい気持ちになって帰って来てたのを思い出します。

体操終わりに判を押して貰うのですが、あの『出』のハンコ、当時は凄く崇高なものに思えてました。年季の入った細い木の棒と朱肉の醸し出す神秘的なマーク、圧倒的存在感を放っていました。そして独特な雰囲気のカードと相まって…何言ってるかさっぱり分かりませんね。

そして最終日にはささやかですが、お菓子と文房具の入った詰め合わせが貰えました。消しゴム一個とエンピツでもめちゃくちゃ嬉しかったなぁ。

 

まぁそれは置いといて、今まで一番困難な夏休みの宿題が中学2年の時にありました。それは何と『作詞作曲』。プロか!

秋に行われる学級の唄コンクールなるものがあり、その為の宿題なのですが、これにはしこたま手を焼きました。当たり前だ。自分で考えたメロディを譜面に起こすなどの高等テクが厨二のガキにあるわけがない。先生も酷な事をするものです。

真面目な僕はそれでもやってみるのですが、当然チンプンカンプンな訳です。

まず作詞だ!と思い詞を考えるのですが、自分で書く詞の何と恥ずかしい事!その時代の中2の語彙力の最高峰が「波動拳」だった事を思えば想像が付くと思われる。

いや、それより先にメロディを作ってそれに歌詞を乗せよう!…メ…メロディが浮かばねー…。

産みの苦しみとはこんなに半端ねーのか!と今ならそう思うでしょう。が、その頃は自分のそんな状態すら理解出来ていないのです。完全に頭真っ白とはまさにこの事。

書き出しから躓き、完全に行き詰まった8月31日の夜10時過ぎ。

僕は最終手段に出ます。

 

作詞:おかん

作曲:すぎやまこういち

 

おかんは嫌々ながらも仕方なく(楽しそうに)書いてくれ、僕はそれに音を乗っけていきます。メロディはその頃大好きだったドラゴンクエストこの道わが旅」…。

ウッ…恥ずかしすぎる!

なんなんだこの良いメロディとクサイ詞のコラボは!とてもじゃないが自分で歌えない。とにかく主旋律のオタマジャクシだけをピアニカで拾って適当に五線譜に乗せていきます。しかも4分音符オンリー。こうなればメロディもクソもない。

途中からはヤケになる事で逆にサクサク進み、何とか完成にこぎつけました。4分音符がずらりと並ぶ何とも恐ろしい楽譜が出来上がりましたが、完成したと言う満足感がそれを上回っていました…。

 

夏休みの最終日にこんな事しててはダメですね!

これは社会人の今でも変わってないかもしれません。ギリギリになって慌てる。わかっちゃいるけどやめられない、のですね〜。基本呑気ですから。

 

ちなみに、例の学級の唄コンクールでは12クラス中第2位。中3の時は第3位。と僕のクラスはとても優秀でした。中3コンクール時僕は指揮者をしておりまして、ピアノと合唱隊40人ほどをまとめながら指揮をとっておりました。大変でした。

というのは嘘で、ただ棒を振るだけの完全なハッタリ指揮者でした。指揮棒を振りながら、「自分は今一体何をしているんだろう」と指揮者にあるまじき事を考えていました(内緒)。ズブの素人が何故指名されたのかあり得ない未だにわからん出来事です。その時提出した楽譜ももちろんパクりでした。

当然中2の時提出した「ドラクエみたいなもの」は不採用。

たぶん先生は見ずに、いや、1秒だけ目を通してゴミ箱へポイした事でしょう。おかんが頑張って?書き上げた詞は即座にゴミと化したと思料。

結局ピアノを習ってたり音楽の知識がある生徒の作品が日の目を見るのは明らかで、まさに出来レースと言えるものでした。一体何がしてーんだよ!と当時は思ったものです。

 

だいぶ話がめちゃくちゃになりました。

 

夏休み明けの子供達はいろいろと感情の起伏が多かったり、不登校になりやすい時期でもあります。親はしっかりと観察する事が必要です。幸いうちの娘はその傾向は無いようですが、昔と現代の子供たちの環境は驚くほど変わってます。

僕を含めて、親の古臭い価値観は役に立たないと認識し、しばらくは注意して動向を見守っていかなければならない時期です。しかしサポートの仕方を間違えることが大変多いと聞きます。「学校に行きたくない」と言っているのに、親が「頑張れ!頑張れ!」と言ってたり…も良くないそうです。

難しいですけど自分たちの子がいつなるとも限りません。そんな時僕はどうしてやれるだろう。今しっかりコミュニケーションを取る事しか出来ない、分からないです。

出来る事は作詞ぐらいですな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸せな結婚生活を

なるがです。

 

今回はデス・マス調をやめて、ダ・デアル調で書き進めてみたいと思います。この書き方も結構好きなので、たまにぶち込んでみても新鮮でいいですね。

では、

 幸せな結婚とは何か

 

妻への感謝

結婚してはや12年、かわいい子供達としっかり者の妻がいて、元気で何不自由なく生活出来ている事に感謝。

僕は相変わらず仕事漬けで平日はほとんど家に居ない。家族揃ってご飯が食べられるのは休みの日ぐらいだ。

家の事を全部やってくれて、子供達にご飯を食べさせ、風呂に入れ、寝かしつけ、掃除洗濯、明日の準備と、自分の時間などほぼ無いに等しいにもかかわらず、妻は本当に良くやってくれている。

しかもフルタイムで働きながらだ。

僕には到底出来そうもない。相当な仕事量とストレスを抱えているのだろう。

故に妻には全く頭が上がらないのである。改めて感謝。

 

結婚は人生の墓場?

結婚とは人生の墓場だと良く言われているが、果たしてそうだろうか?

自分の奥さんに向けての皮肉として捉えられているようだが、嫁さんは少しくらいキツイ方がいい。僕はしっかりした嫁さんを見つけたと思っている。

そして本当の墓場とは、子供も巣立って行き、晩年に一人になった時である。

 

結婚して12年も経てば夫の価値などほぼないに等しい。たった12年で?と思いになるだろうが、今まで何もしてこなかった夫は特に気をつけるべきだ。

呑気に過ごしている間に妻は相当な力を蓄えてきているのである。気づいた頃にはすでに制御不能となっている事も珍しくない。

家庭を疎かにしてはいけない。それにいち早く気づいた賢い男達はイクメンとなり、良いパパ、良い夫となるべく血の滲むような努力をしているのである。

熟年離婚が世間で取り沙汰されるようになって、夫たちの意識も変わり始めたのではないだろうか。

 

晩年になって独りぼっちになる事は出来れば避けたい所だが、こればかりは妻に決定権があるのでどうしようもない。

ではこれから先どうするか?考えてみよう。

 

妻に逆らってはいけない

女というものは得てしてすぐにキレる。中には優しい女性もいるが、宝くじで1等を当てるくらいの確率だと認識しておく事だ。そして、何故そんなにキレるのかよく分からないのである。

間違っても逆ギレなどしてはいけない。してしまったが最後、数倍どころか何百倍にもなって跳ね返って来るだろう。引き波の大きさと妻への逆ギレは比例している。そして確実にご飯は作ってくれなくなると思った方がいい。

そんな事を言いながらも妻はしっかりご飯を作って待っててくれる。自慢ではないが妻のご飯は中々美味しい。帰りが遅くなっても待っててくれる。

テレビを見ながら大好きな晩酌をして、やっと自分の時間を作っているのだ。

 

間違っても「ご飯は?」などと聞かない事だ。冷蔵庫から晩御飯を取り出し、チンして温める。もちろん自分で。やっと一息入れている邪魔をしてはいけない。

そして味の感想は「美味しい」しか言ってはいけない。たまに僕が作るときもあるが、その時は結構意見を言ってくれる。味が濃い、この組み合わせは無い、などと正直に話してくれる。

たまにしか作らない僕にとっては大変貴重な意見として今後に活かせる。

 

僕の休みは妻の休日

休日というものは身体を休める日なのは周知の事実である。しかし妻たちはその休日すら無い様なものである。いつもと変わらない一日なのだ。考えても分かるだろう、食事、掃除、洗濯とやる事は同じなのである。

それらの経験値が少なすぎる僕に、妻はしっかりと教えてくれる。

子供の送迎から掃除、洗濯、買い物の仕方まで事細かに指示してくれる。その甲斐あって普段出来ない洗濯槽の掃除や冷蔵庫内の掃除なども出来るようになった。

そして粗方片付いたら子供を連れてすみやかに家を離れる事だ。未だに自主的に行動出来ないので妻の提案に頼りっぱなしだ。それでも最近はイズミヤに連れ出したり出来る様にはなった。

普段触れ合えない子供達も喜ぶし、妻もゆっくり出来るしいいことづくめだ。

 

もちろん妻も含めて車で遠出だってする。その際は妻を助手席などには座らせない。直射日光に当たる暑い助手席などより涼しい後席でスマホでもゆっくりいじってくれれば良い。

一昔前は妻が助手席に座り、ナビ代わりとして楽しく、時にはケンカもしながらドライブしたものだ。しかし今はナビゲーションシステムなるものが付いている。会話は出来ないので少し物足りないが、不機嫌にならず目的地までしっかり連れて行ってくれる。

 

イズミヤでの楽しい買い物を終え、僕も満足して帰宅する。

ご飯のレパートリーも今日また一つ増えた。

 

妻の教え

そうしていつの間にかふと気付くのだ。

自分一人になっても生きていけるのではないかと。

これは先の先を見越した妻の教えなのだ。修行とも言っていい。いつ一人になってもいい様に、僕を鍛えてくれているのだ。仕事しか能のない僕にとっては大変有り難い事である。こんな事とても自分一人では出来ない。

親父は母に全部やって貰ってたからこの先が本当に心配だ。

 

そう思うと今のこの経験は必要不可欠なのである。あぁ有り難や。一人で野垂れ死ぬ所を見るに見かねて妻はそっと教育してくれているのだ。

 

世の男性諸君はこれらをしっかり受け止め、妻の教えを乞うべきだ。それが後々役に立つのだと思えばなんて事はない。

どうか幸せな結婚生活を送られん事を。

そして他のやり方があるのなら是非僕に教えて欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

某拘置所に行ってきたから感想を書いておく その2

なるがです。

 

 この夏、僕は某拘置所にぶちこまれました。

 

 

嘘です。

前回の続きです。

 

実際に収容者と同じものを食べるという、なかなか無い経験、いや、これから先も無くていい貴重な経験でした。

主食も麦飯で、米飯は出てきません。白米が3割ほどブレンドされていると聞いていましたが、本当に入っているのかと思うくらい食べた感じは10割麦です(笑)

米飯をゆっくりと咀嚼して行く先に訪れる奥深い甘みなどは微塵も感じられませんでした。

 

そうしているうちにお昼休憩も終わり、そろそろ収容者の食器類が下がってくる頃です。さて、いよいよここからが本番です。

 

前述した通り収容者とは顔を合わせる事がありません。2枚のシャッターを使い、片方どちらかが閉まっている状態にする事により、顔を合わす事なく作業が出来るのです。

シャッターの向こう側では食べ終えた食器を積んだ台車がじゃんじゃん運ばれて来ているようです。

施設の天井には赤色灯が設置されており、点灯している間は収容者が作業中という意味で誰も入れません。消灯すると作業終了、入っていいよ〜のサインです。

ロックが解除され、6名の洗い場の方たちが待ってましたとばかりになだれ込んで行きます。僕も置いて行かれないよう後に続きます。

 

 洗い場は戦場だ

なんと言っても数の多さ!次から次へと台車が運ばれてきます。まずは食器類や残飯、ゴミなどの仕分けです。まだあるんかい‼︎と言ってしまうほどの量です。700名超の食器は初めての体験でした。

しかし食べ残しの多い事!食べ方も汚い!殆どは完食に近いですが、700名近くの残飯はエゲツない量になります。チリも積もれば残飯の山です。

洗い場の平均年齢は見た感じ60歳代くらいのおっちゃん&おばちゃんです。この人たち、めちゃめちゃ働きます!しかもキレッキレの動き。脱帽ですわ。それとは対照的に、研修生と思しき若手も一人いましたが、まるで覇気が無くブスッとして目が死んでます。『何でこんな事しないといけないんだ?』と思っているように見えました。

 

僕は追われる仕事は慣れているのでテンション上がりまくりです。忙しければ忙しい程動きにキレが出て楽しくさえ感じます。

嫌だと思いながらやるとそれに囚われてしまいます。開き直って目の前の仕事に集中すべし。と、その若手に言ってやりたい。

 

しかしすごい量です。休む間もなく洗浄機はフル稼働。湯気がもんもんと立ち込め、まるでサウナ状態。まさにカオス。汗もダラダラ。この人たち半端ないって…!

もっと半端ないと思ったのは、連携がしっかり取れており、各自の動きに全く無駄が無いのです。やるべき事を把握して、人の仕事を見て、考えながら仕事をしているという事です。

洗い場は一見すればただ洗うだけの単純作業と思いがちですが、実際効率良くフル稼働させる為には頭を使わないと到底出来ません。故に大変奥が深い作業なのです。これは勉強になりました。一つ一つの作業には、後のことを考えた意味が付加されているのです。

 

ようやく先が見えてきました。この頃僕はすでにヘトヘトです。体力なくなってきてるなぁとおっさんを自覚しました…。でもまだまだ元気!

約一時間半の集中した作業を終えて、やっと休憩に入ります。その頃隣の厨房では夕食の盛り付けが始まっております。

なるほど、一日の流れが見えてきました。

 

という事はだな、この後収容者が夕食を取りに来てその間に僕らは休憩、食べ終わる頃にまた戻って片付けに入る。このルーチンを一日朝昼晩3回繰り返すという事になる。

…あの蒸し風呂を3回もこなすだと?

体力が持ちませ~ん(笑)

若手の目が死んでたのも頷ける(笑)いやはや、おっちゃんおばちゃんは毎日こんなハードな作業をこなしてるのか。スゲーわ。参りました。

5日間働きましたがもうお腹いっぱいです。飯の量は少ないですが。

 

拘置所での体験を振り返って

こういう特殊な現場を見る事が出来たのは大変良い経験となりました。前回の記事で、作り手のモチベーションはどこにある…等、失礼な事も書きましたが、皆さん一生懸命働いておられます。この現場が特殊な為であり仕方のない事なんだと思います。

まぁ、こんな事マジメに考えてたらまずここでは務まらないでしょう。奉仕の精神の領域を超えてます。

逆に収容者の存在がオープンになっていたら、働く人は精神的にまいってしまうかもしれません。顔を見ないからこそ出来る事でもあり、ある意味何も考えず粛々とこなす事が最も重要なのでしょう。

 

全国に拘置所は8施設、拘置支所は111施設あります。それに加え留置所、刑務所などをあわせるととんでもない数の収容者がいることになります。世界を見れば日本など全然少ない方だと思いますが、だからと言って良い訳がありません。

大事な税金で運営されていますが、本当に困っている人達の為にこそ使うべきだと思うし、施設はもっと厳しくあってもいいのでは?と思います。絶対に行きたくない場所であるべきだと思うのです。

いろいろ事情はあるのでしょうが、真っ当に生きていればまず世話になる事は無いはずです。目先の欲に絡んで罪を犯し、ここに入ってしまうのは自業自得というものです。

自由も無く、景色も見れず、不味い飯(そういう意味ではない)を食わされ、冷暖房も無い狭くむさ苦しい部屋で過ごすなぞ、人生の無駄遣いとしか思えません。一時の誘惑や欲望、自分を省みなかった代償はとんでもなく大きくなると知るべきです。

今回僕は身近にこの現場を感じ、少し働いただけですが絶対世話になりたくないと思わせる場所でした。

 

偉そうに言ってますが僕も今まで悪いことはいっぱいして来ました。けれど、人間としてやってはいけない事は分かります。それによって短い人生を棒に振る事は無いのです。辛い事の方が多い人生ですが、自由がない辛さほど堪えるものは無いでしょう。

それでも毎日収容者はやってきます。忙しくしてるうちは喜べない状態にあるという事なのです。

悪い事はするもんじゃありません。

お天道様とモサドが見ていますよ。

 

いろいろと考えさせられる、大変貴重な経験をさせてもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

某拘置所に行ってきたから感想を書いておく

なるがです。

この夏、僕は某拘置所にぶち込まれました。

 

嘘です。

拘置所で提供している食事を片付ける「洗い場」にバイトで入ってきたのです。

なんでそうなったかは置いとくとして、

洗い場ではどんな仕事をするのだろう?そして、収容されている人はどんな食事をしているのだろう?どんな一日が送られているのだろう?そこで働く人たちの一日はどんなだろう?という事を書いてみます。

あまり内部情報を詳しく書くとモサドから警告が来るかもしれないので適当に書くとします。

 

その某拘置所の収容者数は約700名との事。一時期1000名を超えていたというから驚きです。

すなわち、悪い人がめちゃくちゃ多いという事ですね。

建物も当然警備が固く、ぐるりとフェンスでとり囲まれています。施設内へは暗証番号を入力して中に入ります。暗証番号は、※※※※※※※です。

収容者の居る建物の窓はすりガラスになっており、外から中を伺う事は出来ません。収容者も然り。外の景色を眺める事は出来ません。

しかし本当に700人近くいるのかと思うくらい人の気配が感じられません。異様な雰囲気です。

 

彼らは未決囚と言って、刑が確定していない人たちです。逃げたり証拠隠滅しないように拘束するための施設なので、刑務所とは違います。

極端に言えば、現状ではまだ「普通の人」な状態な訳です。

とはいえ、ここに来ること自体がもうすでに普通ではないんですけど。

犯罪をして捕まったら、留置場〜拘置所〜刑務所という流れになります。

そしてなんと、死刑囚がここ拘置所に収容されているのです。刑が執行されていないから、という理由だそうですが、なんか違和感ありありです。そして死刑場もあり、この建物内で執行される事になります。うーむ、何かここだけ世界が違いすぎます。

 

いざ厨房へ

施設の方に案内され、その方の静脈認証にてロック解除していただき、さらに内部へと入ります。

厨房施設はとても広く、大きな釜やオーブン、調理機器がずらりと揃っています。ちょうど大釜で調理しているところでした。オールのような大きなしゃもじでグリグリと混ぜております。一方では盛り付けが行われており、流れ作業でじゃんじゃんと手際よく大量の数を捌いておられます。

 

食事の提供は弁当箱によるもので、この日は麦飯とおかずが盛られていました。日によってはパンの日もあり、な、なんと生地を発酵させ、オーブンで焼くという事もやっているそうです。焼きたてパン!信じられない…。しかしこれは外注で仕入れるよりも安いそうで、手間はかかるが原価を抑えるためにやっているとの事でした。

メニューも毎日日替わりで朝昼晩3食きっちり、専属の管理栄養士がカロリー計算したものです。僕の毎日の食事より健康的ではないか!そしてこの日はアイスクリームまでついてる!なぬ⁈

もっと質素で粗末なものが出ていると思ったら大間違い、毎日違うものが食べれるなんて恵まれすぎなんじゃないの?くどいが僕の食事よりかなり健康的である。

 

拘置所飯とは

しばらくして僕は洗い場にぶち込ま・・配属されました。

が、ちょうど朝の洗浄作業が終わったところできれいに片付いておりました。隣の厨房では昼食の積み込み作業が行われております。

ここでは収容者と顔を合わす事が絶対にありません。台車に食事のセットを積み込み、所定の時間が来たら刑務官と収容者が取りに来ます。その配膳時はシャッターで完全に隔離されるので、こちらの区画内にはアリ1匹入る事が出来なくなります。いや、アリは入れるんですが。当然収容者とのやりとりなどはありません。僕が抱いていたイメージでは、順番に流れてくる収容者のお皿におかずやらを乗っけていくんだと思っていました。

「ニーチャンこれ大盛りで入れてくれや。」

「あかん、量は決まってんねん。」

「ええやん、いれてくれや。」

「ていうか自分なにしてん?殺しか?」

 

などのやりとりを勝手に想像しておりました(笑)

相手の顔が見えない分安心と言えば安心ですが、作る側はいったいどんな気持ちで作っているんだろう?やりがいなどは求めるもんじゃないのがここなのかもしれませんが、

感想も聞けず、食べている表情も分からない。作り手のモチベーションはどこにあるのだろう?こんな事言ったら失礼にあたるだろうか。

管理栄養士がメニューを組み立ててはいますが、法務省からは「おいしく作ってくれるな」とも言われているとか。そりゃそうですよね。あそこの拘置所飯はうまいぞ、なんて知れたらそれ目的に入る輩が出てきそうですもんね。

 

収容者がそろそろ昼食を取りにやってきます。その間に休憩をとります。

収容者の食事時間はだいたい、朝食7:30~8:00、昼食11:30~12:00、夕食15:30~16:00となっています。

飯食いすぎだろ。ていうかサイクル早すぎひん?

しかし、休憩中に拘置所飯を食べて納得しました。量がやっぱり少ないのです。カロリー計算されたメニューだけあって、最低限の栄養管理にとどめられているのでした。

しかも味薄い…お世辞にも美味しいとは言えない…。こんな事言ったら作っている人に失礼なんですが、大釜に全部ぶち込んでかき混ぜるだけの食事…。しかもほとんどの食材が均一化のため(大きい小さいが原因で暴動が起きる事もあるそうです)細かく刻まれています。うまい訳がないですよね。しかしここではそれでいいのです。そもそもシャバの飯と比較すること自体ナンセンスというものです。

メニューの字面はたいそう立派ですが、実際は※※※※※※でした。(KSMZGR)

しかし毎食メニューが変わるので飽きる事はないのでしょう。また、アレルギー対応、減塩、特別食など、きめ細やかな対応をしているのに驚きました。いや本当にこの待遇の良さは何なんだ?と思わざるを得ません。

今回はここまで。

(肝心の洗い場について何も書いてない・・次回へ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

災害について考えてみた

なるがです。

 久々です。

この連休、とにかくクソ暑いです!熱風です!そして今日の気温はなんと38℃!体感温度は40℃以上にもなるそうです。エアコンなしではとても生活出来ないレベルです。

しかしこんなクソ暑い中、人のために一生懸命働いている人を見ると『感謝』と言わざるを得ません。

ちょっと外に出てみても、郵便配達、荷物の配達、引っ越し屋、家の修繕、電柱・道路工事に警備員と実に様々な方々が頑張っておられます。

快適な暮らしを送れているのもそういう方々のおかげなんですね。

 

話は変わって、最近あった大阪北部地震。人口の多い地域にも関わらず、致命的な被害は少なかったように思います。しかし広範囲にわたって断水、ガスの供給がストップするなど大変な時期がありました。我が家は大丈夫でしたが、職場がちょうど震源のド真ん中で、中は損壊は免れましたが物が倒れたりくちゃくちゃになりました。

そして交通網の完全停止。主要な電車はほとんど動かず、駅の電光掲示板の路線図は真っ赤に染まっていました。こんなの今まで見た事ない。

結局車で職場に向かったのですが、夜になっていたのでとても不気味でした。今ここでもう一発こられたらやばいなと。その日は情報収集だけしてとっとと退散しました。

現在すでに復旧してまた元の生活に戻れているのですが、やはりあの揺れです。いろんなところに爪痕は残していました。

大きな地震の後にはもう一回同じ規模の地震が来ると言われていますが、幸い今のところくる気配はなさそうです。しかし今、人の意識が薄くなり始めた今、もう一度災害について考えなければならない時期なんだと思います。

西日本豪雨による大水害、まさかそこまでくるか!と思い驚愕しました。決して他人事ではありません。なぜなら我が家は河川の横、堤防の真下だからです。

昨年10月に大雨で河川の水位が氾濫レベルを超え、夜中に拡声器とサイレンで避難指示が出たことがありました。

嫁さんと子供は義姉の家へ避難してましたが、僕は大丈夫だろとタカをくくって、仕事が終わってから避難所へは向かわず自宅に帰りました。今から思うとアホな選択だったなと思います。しかし現実は、みるみる上がっていく水位と共に緊張感もけた違いに上がっていきました。すぐ横にある河川が気になり、まともに寝ていられるレベルではありません。そうしているうちに避難指示の放送が。マジで怖くなり夜中でしたが避難しました。

幸い氾濫はしませんでしたが、川はもうタプタプであふれんばかりになっていたようです。大きな川なので万が一あふれた場合、我が家は水没する場所とのことです!ひぃ!

 

自然災害はいつ何時どうなるか分かりません。そしてとてつもない破壊力をもって突然、もしくはゆっくりとその力を人間に見せつけます。その力を前にしたとき人間はなす術がないのです。しかし遠い昔から人間たちは苦難を乗り越え立ち上がってきました。これは本当にすごい事だと思います。

現在西日本の被災地において、過酷な環境と猛暑の中必死で復旧にあたっておられる方々には本当に頭が下がる思いです。そして被災した方々を思うと心が痛みます。

 

自然とは全く遠慮がない。水害の後はとてつもない猛暑をお見舞いしてくるのですから。それとも地球自体がおかしくなっているのか。このような異常気象は日本だけではないようです。

 

地震も水害も、僕はたまたま運が良かっただけで、もしかすると明日被災するかもしれません。南海トラフ地震が30年以内に来ると言われていますが、そうなったときは相当な試練が待っているのかもしれません。今はまだ小さなチビ達も間違いなく経験することになると思います。

ですが悲観するよりも防災の知識を付け、それを子供たちに教えていこうと思います。備えあれば患いなし。その意識を持っていれば少しは事が起きた時でも冷静に行動が出来るのではないかと思います。

しかし相手は自然です。全く予測が出来ません。こればっかりは防ぎようがないのです。なるがままにされるしかないのでしょう。でも備える事は出来る。出来るところからやっていく事できっと役に立つ時があるはずです。

今まで、『自分はたぶん大丈夫』などという意識でいましたが、ここ最近の出来事によって何か真剣に考えなくてはいけないと思うようになりました。ここで僕の悪い癖、思うだけで行動しないという風にならないように!

防災の知識を持つことで被害をかなり減らせることも言われています。

そして快適な生活を送れている代償として自然の怒りを買っている事も忘れてはならないでしょう。

 

 

もうすぐブログ一年を迎えるにあたって思う事

なるがです。

 

昨年の7月5日にブログを立ち上げてからもうすぐ丸一年を迎えます。一年なぞあっという間ですね!早いものです。書きたくなった時に書いてきましたが、気付けば70記事も書いてました!少な!

そして推定2名と思われる読者様、そして直帰でもアクセスして頂いた方々、覗いて頂きありがとうございます。

ここまで来れば完全なる自慰ブログと化してしまったのですが、これからも飽きるまでカキ続けようと思います。

 

さて、最近良い事がありました。なんと4年ぶりにツバメさんが戻って来たのです!ツバメが巣を作ると縁起がいいので、軒先がフンまみれになっていても全く気になりません。

せっせとエサを運んではヒナに与える様子を見ていると本当に気持ちが和みます。何でですかね?

 

片や蜂さんもせっせと巣を作り始めてます。

しかし、僕は出来たばかりの小さな巣を、マグナムジェットスプレーで壊す…。戻ってきた蜂さん、家が無いのに気付いてかなりショック受けただろうな。

数日後、また同じ場所に小さな巣を作っています。そしてまた僕ははたき落とす…。

さらに数日後、また作っている。懲りないヤツだな。それでも迷う事なく僕は蜂もろともはたき落とすのです。

 

ツバメの巣を見ながら優しい気持ちになるとか言いながら、裏では蜂の巣を壊し続けている。蜂さんがマグナムを喰らってピクピク動いていたのがピタと止まってしまった時、ああ、悪い事をしたな…という気持ちになるのです。

蜂とツバメを比べるのもおかしいのですが、この扱いの差は何なんだろう。蜂は僕に何か悪い事をしたか?してないよな。

 

だからなんだという話ですがね。

 

話は変わって。

頭を悩ませていた中途のおっさん。あれから改心したみたい?で、全くもって問題ない様になったのです。何なん?やれば出来るやん⁈

少し強めに、突き放す様に言ったのが効いたみたいです。それからは目の色が違うのが分かりました。その気になれば目が変わる。目は口ほどに物を言うではないけど、目とはそれほど力を持っているのですね。

 おっさんの事をカス野郎などと言ってた自分が醜くも思えます。反省。

 

最近のニュース、子供の虐待やら無差別に人を殺めるやら、本当のカスとはこういう輩の事です。特に子供に対しての虐待はカス中のカスだ。もう何度も何度も同じような事件を繰り返して、そろそろ本気で行政も取り組まねばならないのではないか?

まだ幼い、未来ある子供達が何でこんな酷い目にあわねばならんのだ?何とか出来ないものか。ひとりの親として、子供を虐待する親は本当に許せない。どんな事情があるにせよ、やってはならないのだ。

そ奴らにもう一度敢えて言おう、カスであると。

 

結局何が言いたいのか分からない?その通り、僕にも分かりません。とにかくツバメが戻ってきて嬉しいという事です。