なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

有給休暇絶賛消化中

今週のお題「急に休みになったら」

 

 僕は基本土日祝が休みなので、平日に休む事は滅多にありません。しかしごく稀に休みになる事があります。それが今日です。消化しなければならない有給休暇が4日残っておりまして、只今絶賛消化中なのであります。で、ここぞとばかりにずーーっとサボっていたブログ更新に取り掛かっておる訳でございます。

 2019年の4月から有給休暇の取得が義務化されたのは記憶に新しいと思います。つまり『何が何でも年に5日の有給休暇を取りなさい、取らなければひどい罰を与えますよ!』(悪意はないので)という嬉しいんだか嬉しくないんだかよく分からない制度なのであります。

普通なら嬉しいに決まってるじゃん!と思います。しかし運営側、経営側に立ってみればそうでもない職場が殆どなのではないでしょうか。僕なんかはいきなり『明日休むから頼むね!』なんてまず不可能ですし、その為には前もってスケジュールを調整して、人が足りなければ補充の手配をして、やばそうな仕事は片付けて、完璧な布陣を構築した上でようやく安心して休める、と言った具合になります。

仕事がどんなに溜まっていようと休暇の取得が義務で優先なので、これをやり繰りしないといけない訳です。

少々大げさに書いてますが、有休の使い方って本来こうじゃないですよね? 休む必要がないのに無理やり「休め!休め!」と言って休まされるんですよ!

…おっと、…愚痴っぽくなってきたので流れを変えますね。

 昔の僕なら休んだ事にして仕事をしに行ってると思います。だけどやっぱりそれではいけませんよね。考え方を改めて、休めるときは休む。仕事馬鹿になるのは良いけど根詰めて働いて、自分にとってそれが一体何になる?と最近は良く考えます。

自分の人生の中で1年間のうち、この与えられた5日間の有給休暇をどう使うか?仕事に使う?自分の時間に使う?家族に使う?…そう考えるとこの5日間の存在意義って実は結構大事なのかな?と思ったりするのです。とは言え、その前に自分で休暇を作り出せていないのは改善しなければいけない部分ではあります。

職場によって条件は様々で難しい案件でもありますが、ウチは休めと言ってくれるだけ有難いですよ、ほんと。

 僕は今回思い切って平日連休!を取ったんですが、皆から「連休はやめてください!!!」って言われました。今のところ何も連絡は来ておりません(笑)ずっと仕事を気にしながら過ごすのは体に良くありませんね。仕事はちゃんとやってくれますし、まぁ何かあったらその時です。今は割り切って休みを堪能する事にします。気にしない気にしない~時間はたっぷりあるし、さて何をしようかな~(内心ドキドキ)

 

ちなみにあと2日有給休暇が残ってるんですが、うまくいったらまた連休取ろうと企んでおりますフフフ…。

 

 

為せば成る 為さねば成らぬ 何事も

 最近(と言ってももう2か月前)また職場を異動になりまして、現在も新天地で頑張っておるわけですが、いやはや結構な苦戦を強いられております。何が苦戦しているのかと言えば、やはり人間関係と言いましょうか。どんな職場でもそうだと思いますが、特にトップの人間だけが変わると間違いなくそこには波風が立ち、今までの人(前任者)と比べられてしまうという事です。

最悪な事に、その前任者が残していったものはもう負の遺産だらけな訳ですよ。例を挙げれば、施設のノーメンテ、ルール違反、スタッフの仕事への意識のなさ、陰口の横行、派閥による分断、よくこんな状態でやってこれたなと思わずにいられません。

そして今最も頭を悩ませているのが、新たにやってきたどこの馬の骨とも分からぬこの人間を(僕です)、すべてのスタッフが懐疑の目で見るという重圧の中で日々送っているという事です。正直こんな経験は初めてです。今まで本当に人に恵まれていたのだなぁと思う毎日です。

普通なら上長に言われた事は二つ返事で返すのが当然です。今の時代はそうではない事も多々ありますが、仕事としての指示とは言わば命令です。ここをやってもらわなければ仕事になりません。しかし返事は、「○○はこうだった」「こんな事はやらなくていい」「やる意味が分からない」「○○だから出来ない」あーだこーだと屁理屈こねて、何か言わないと死ぬのか?

もう正直言ってぶ〇きれそうになります(笑)

でもここで感情を出してしまえば完全に終わりです。信頼関係を構築する前にこれをやれば立て直しはもう絶望的です。否、無理です。最終手段は分解・再構築しかないかなとも思います。

さすがに今の僕はそんな手法は出来ませんし、まだ望むところではありません。しかしどうすればこの状況を打破出来るのだろうか…。

 

 悩んでたある日、自宅の本棚の一冊に目が留まりました。

上杉鷹山経営学 -危機を乗り切るリーダーの条件-』童門冬二 著

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実はこの本、上司からのプレゼント?で、僕がまだ当時24歳の頃に頂いたものです。何の流れだったかは全然覚えてないのですが、いきなり「読んでみろ」と渡された記憶があります。僕にとっては「一体なんなん?こわ」と思う出来事でした。当時は遊びに夢中だったので(仕事しろ)全く興味なしでした。

当然数ページ読んでお蔵入りとなったのは言うまでもありません。

 

 しかしその本がですよ、26年と言う長い長い月日を、今まで捨てられる事無く生き残って来た事実にふと気付いたのです。しかもまだ現役を主張する最前列に佇んでいるではないか。上司から頂いた本なので律儀に大事にしていた、とも言えませんし(そもそも読んでない)

引っ越しや部屋の掃除、数十回とあった断捨離のタイミングにもすべて生き残って来た訳ですよ。興味のない本に対して26年の生存率はあり得ないです(笑)

という事で遂に?遂に、26年の長い時を経てその本を読んでみようかなという心境に至った訳です。お前が読む本はここにある、と言われてるかの様な気がしたのです。

不思議なもので、書店へ行けば優れたビジネス書などはごまんとあります。しかし本当に自分にマッチするものは中々巡り合えません。今まで壁に突き当たったら本屋へ行き、何か道しるべはないかと色んな本を漁りまくっていました。しかし今回その本を手に取ったのは、タイトル名もそうですがやはり決め手は『26年の生き残り』にびびっと来たからです。

 読んでみて驚愕しました。今の自分と同じような境遇からの出発ではないか。

上杉鷹山』は江戸時代中期の大名で、出羽国米沢藩の第9代藩主であります。

まぁ、治憲(鷹山公)は16歳の頃からすでに動いており、19歳で初めて米沢に入城、藩の改革に着手しています。19歳ですよ(若っ!)僕なんかとは比べるまでもなく恐れ多い事でした(笑)

 JFKでおなじみあのジョン・F・ケネディ大統領が生きていた頃、日本記者団と会見して、「あなたが一番尊敬する人物は誰ですか?」と尋ねられた時、即座に「上杉鷹山デース」(勝手に伸ばしてすいません)と返って来たといいます。しかし記者団の方が鷹山の事を誰も知らず「ようざんて誰だ⁈」とザワついたというエピソードがあります。

 この上杉鷹山という人物、ケネディからも一目置かれる存在ともなれば一体何をした人物なんだろうと俄然興味が湧く訳です。

旧海軍連合艦隊司令長官山本五十六の名言である

『やってみせ 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば人は動かじ』

これは鷹山の教えが根底にあります。そして殆どの大人が一度は耳にした事はあるであろう最も有名なフレーズと言えば、

『この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一歩が道となり その一歩が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ いくぞー!!いーち!にーい!さー……』違いますね。

これはアントニオ猪木さんの名言です。清沢哲夫氏の「無常断章」と言う本の中の詩が元ネタとなっていますが、これもとても素晴らしいですし、何といっても猪木氏が言った事でこの詩の存在感が倍増、勇気づけられる人が多いのも納得です。

 

上杉鷹山の超有名な名言はこちら

『為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の為さぬ成りけり』

行動に移せばどんな事でも出来る。行動しなければ何も出来ない。強い意志を持って努力し行動すれば必ず人は成し遂げられる。

ごくシンプルな、当たり前と言ってしまえばそれまでですが、心構えと覚悟が大事なんだと理解しました。

この鷹山の名言ですが、これも知っている方は知ってると思いますが、もともとは鷹山が詠む250年も前に武田信玄が詠んだ歌を参考にしたものです。

いや~過去の偉人たちはこうしてアップグレードしながら大切な言葉を受け継いで来たのですね。

 

武田信玄の超有名な名言はこちら

『為せば成る 為さねば成らぬ 成る業を 成らぬと捨つる 人の儚さ』

鷹山が元ネタにしただけの事はありクリソツです。が、最後の文言だけが違います。

鷹山が「成らないのは努力が足りないからだ」と言ったのに対し、信玄は「成らないと言って諦めるのはもったいないのう」と言っている事です。

どちらもやれば出来るというポイントはズレていません。やれば出来る、やらなければ出来ない、ただそれだけの事です。

鷹山は「自分の強い意志と覚悟が必要」と厳し目ですが、信玄は「あーあ、やれば出来るのにワシはもう知~らない」って他人事かよっ!(注:あくまで自分の捉え方です)と聞こえなくもない(笑)

自分は鷹山派ですね(なにそれ)

 

 米沢藩を立て直した鷹山の苦悩は相当なものでした。前例にない数々の施策を行い、苦難の中それでも成し遂げられたのは志を同じくした者たちと、心を入れ替えた民たちによるものです。その為にはまず鷹山自らが率先して動いたのでした。

ここで鷹山が行った素晴らしい数々の施策をご紹介しましょう。

と言いたい所ですがもうめんどくさくなってきましたので毎度の如く割愛させていただきます(書けよ)

 

まぁやるしかないって事ですね。周りはある意味敵ばかりな状態ですが、「愛と思いやりの名経営者」であった鷹山公を見習い、何としても今の苦境を乗り切ってみたいと思います。

為せば成る。

 

 

おっさんだからさ

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

 最近めっきり書かなくなって久しい僕ですが、書きたい気持ちは常にあるんです。日々起きる出来事や感じる事、思う事、こんなにたくさんの素晴らしい材料があるのに、最近の僕の体たらくときたらロクなもんじゃないです。

そんな僕の書くタイミングはずばり「書きたくなったら」です。では今回がそうなのか? と言われたらたぶん違います。(違うんかい)

今回は、原点回帰とも言えるこの文言の放つ無言のプレッシャーに負けて筆を取ったにすぎません(笑)

確かに、「ブログを書く理由」なんてものは今まで深く考えていませんでした。元はと言えば、遥か遠い昔にバイクで旅をした(4日間ですが)事を書き記したい、残したい、そう思った事がきっかけでした。では何故ブログに書こうと思ったのか? やはりこの心に残った出来事を、誰かに知ってもらいたい、読んでもらいたい、伝えたいと思ったからにほかありません。

 自分が経験した事って、少しでも誰かに話したくなりますよね。これらの殆どが例え独りよがりだとしても、感動したり心に響いたものだったなら尚更です。僕はこの旅での出来事は一生ものだと感じたので、道中忘れないように、一日の終わりには日記を付けていました。そしてこれらをまとめるにはブログというツールは最適だった訳です。

まぁ問題と言えば、この様なド素人のつたない文章を誰が興味を持って読むのかという事です。自分が感動した事を文章で表現する。映像や音声の入った動画ならともかく、文字だけで書き表す!のです。これは本当に難しいです!

 

 最近は動画コンテンツが非常に多くなりましたね。百聞は一見に如かず、分かりやすくて良いのですが、受け手の感受性が弱くなって来るんじゃないかとも思うのです。つまり頭でモノを想像しなくなるんじゃないかと。

なので常々息子には、動画を見るのも程々にしろよ、と言っております(と言いながら僕はYouTube三昧です)。

その点、活字のある漫画本の方はしっかり頭を使います。目から入ってくる情報を考え処理する必要があるからです。

どの順番で読むのか、これは何と読むのか、コレはどういう意味なのか…まぁこんなクソ真面目に捉える事はまずありませんが、意識せずに頭を使っている事が分かると思います。

漫画本の良い所は好きなタイミングで読むスピードをコントロール出来る事です。理解出来なければページを遡る事も出来ますし、分からないまま流される事なく物語に向き合えるのです。

またキャラクターのセリフからは、こういう場面ではこの様な言い回しをするのか、とか色々と学べる訳ですよ。皆さん確実に実践してませんか?「お前はすでに死んでいる」とか。

え~、でも動画からも学べるで~?? との声が聞こえて来そうですが、今は、今だけは言わないで下さい。とにかく文字を見て、読んで理解する事は考える力を養うにはもってこいだと思うのですよ。特に最近はね。

その上級クラスともなれば挿絵がほんの少しだけ、活字のみの小説等になるのでしょうか。これはレベルが高いですよ。文字だけでその世界観を理解するには相当の修業が必要です。

あいにく僕自身は本を読むのは好きな方で、修行レベルでもなく特に苦痛に感じる事も少ないです。ただ、買った本を寝かせている期間が非常に長い事、また三日坊主になる事も多いです。(それを苦痛と言う)

どーやったら最後まで読めるのか理解できません。

 

 しかし文章であり文章ではない、いやこれは文章と言うべきか。そう、掲示板等への書き込み、例えば2ちゃん等がこれに当たりますし、あとTwitterもといX等でのSNS媒体ですね。これらは大変興味を引き付けられるものがあります。何でしょうか、リアル感というかそこにあるのは人の生き様であったり、本音が垣間見えるからなのでしょうか。文字が生きているんですよ。でもこれはちょっとブログの世界とはまた違う気がしますよね。

ブログはいかに文字を生きているように見せるかが大事。(ハードル上げすぎるな)

 

例えば体験談なんてまさに生きてる文字そのものです。つらつらと文字だけびっしり書いてあるだけなのに、この躍動感と言ったら!文字が生きているのだよ! 男女の修羅場の話なんかは永遠に見てられます(笑)あの面白さは何なんでしょう。人間はやはり贖えない生き物なのだと痛感させられます。しかしもっと凄いのは官能小説の類いですよ。あれはすごい。あれを読む事は神の領域に入る事を意味します。マスターゴッドですよ。

 

少し脱線気味なので話を元に戻します。

題目でもある、何故ブログを書くのか⁈

これに向き合う答えが今やっと分かりました。

 

「おっさんだからさ」

 

何かよく分からない答えが出て来ましたが、分かってくれる人はいるはず…。

この場合は、アニメ「機動戦士ガンダム」のワンシーンのセリフからの「何故」という言葉に反応したものですが、ガンダムだけじゃなく、こう言ったしょーもない事でも自分の好きな様に思った事が書ける、声ではなく文字に起こせる所が魅力なのです。

ブログの良いところはこういう所でもあり、書いてて本当に楽しいなと思う次第なのであります。

と同時に、言葉の持つパワーはすごいという事。すなわち文字であり、文章です。

 

中二病真っ盛りな青い春、国語辞典の中にある無数の刺激的な活字を見ては妄想を駆け巡らせていた日々、レベルが上がってあーいう本を買える様になっても、お爺さんが番頭を務める書店を探し回った事。

そして気付いたのは、そこにある出来事の全てにおいて、いつも隣には素敵な文字達があったという事。(説得力なし)

 僕は真面目な事もアホな事も書きたいし、そして何と言ってもやはり面白い文章に出会う事は俄然書く意欲を高めてくれます。

何故ブログを書くのか? 人生の半分を生きてきたおっさんだからこそ、経験に裏打ちされた書かずにいられない何かが沸々と湧き上がって来るんですよ。(そんなに書いてないやろがい)

 

わたしのプレイリスト 今週のお題

今週のお題「わたしのプレイリスト2」

 

なるがです。

 

 久々に書いてみようと思いパソコンの前に座ったのですが、どうもいまいち気が乗らないんですよね…。気が散漫なのか、心ここにあらず、なのか、そもそも飽きた(笑)からなのか…と、のっけからやる気のない文章ですいません。

しかしです、はてなトップページ「今週のお題」に、数年前投稿しそびれた題目を発見!今ここで再投稿せずいつやるのだ! フフフ…これを利用しない手はない! と禁じ手「コピペ」発動。これで書いた気になっております。

あまり長々と書いてもアレなのでそろそろ本番に入りたいと思います。

 

 

 

「プレイリスト」とは音楽や動画、自撮り動画等を再生する順番をリスト化したもの、ですが、僕は音楽リスト作りを長いこと放置しています。いえ、する必要がないのです。『シャッフル』という夢のような機能のおかげでリストを作らなくても良くなったからです。(めんどくさいだけ) 音楽を聴くという環境は、僕がまだ中高生だった30数年前とは比べ物にならないくらい進化発展しました。

 当時はまだカセットテープが主流で、我が家にコンパクトディスクなるものが持ち込まれるのはまだまだ先、人気の歌謡曲を繰り返し聞きたいとき等は録音です。ラジカセをテレビの前に密着させ、歌が始まると同時に録音ボタンを押す、といった超原始的な手法を取っていました。当然家族の声や生活音も紛れて入ってきますが、これはこれで楽しかったです。

やがて我が家にもデジタル革命が起きCDが取り入れられました。(革命の割に大したことない)当時はオーディオ機器にお金をかける人が多く、デカいスピーカーや何段にも積み上げられたアンプ類等がステイタスだったような記憶があります。我が家にはそんな高級品を買うお金はなかったのですが、親に何とか頼み込んでCDラジカセを買って貰いました。その時CDからカセットテープへ録音できる事を知り、その作業の中で初めて『プレイリスト』なる概念ができたように思います。

 CDからカセットテープに録音する、この行為はたいそう僕を興奮させ悩ませました。誰に聞かせるでもない、持ち運べるでもない、単なる自慰行為にすぎません。それでも起承転結を意識した選曲する楽しさ、オープニングの掴み曲、体を揺らすノリのいいロックな曲、少し休憩タイムここいらでバラードでも一曲、そして壮大なラストを飾るにふさわしい曲……と考えるだけでもワクワクしていました。気分は完全に人気プロデューサーです。まぁ独りでしこしこしてるだけのマスターベーションでしかないんですがね。

何にも拘束されない、自由で縛りのないこの作業がとても楽しかったです。そしてラジカセを抱え、テープを持って野外へ出かけ、さあどうだ!俺のスペシャル選曲を聴けと言わんばかりに、誰もいない河川敷などで大音量で流したりしておりました。ここでアツく語りだしても、「へぇ~そうなんだ。で?」と、ただの変態野郎という事になりかねないのでやめておきます。(笑)

 

 ここで、「私のプレイリスト」と言いながら、ここに至ってまだリストを挙げていない事に気が付きました。いえ、決して焦らしているわけではないのです。前戯がなげーんだよ!と突っ込まれそうですが、意外と落とすタイミングを逃して不発か、早打ちガンマン並みに一気にまとめてしまうパターンですねこれは。そうならないように頑張ります。

 という事でやっと私のプレイリストです。一番記憶に残っているものを挙げるとすれば、間違いなく中3の時に聴いたアルバム、『ワム!ファイナル』の中の一曲『ラストクリスマス』です。…ん?それだけ?リストじゃないじゃん?そうです、これが私のプレイリスト、すなわちALLラストクリトマスです。当時中3のイカ臭いガキが色気を出して洋楽なぞ聴きはじめたのですが、この曲にはとにかく度肝を抜かれました。80年代を代表する曲ですが約40年前の曲にもかかわらず、未だ現役の第一線で活躍する化け物みたいな超名曲です。こうなることをすでに予見していた当時、僕には先見の明があったんだと自負しております。(笑) 

シンセサイザーと打ち込みドラムの機械的な音色、あのイントロを聴くだけで軽くイってしまいます。それくらい好きだったので何回も聴きたくなり、いっそカセット1本丸ごと詰め込んでやろう!という裏技に至ったのであります。

今でこそリピート機能など当たり前のようにあり、目隠ししてても操作出来ますが、当時はリピートしようと思ったら『テープ巻戻し』という超めんどくさい作業が必要でした。そして中出…もとい『頭出し』機能も付いてませんでしたので中々ドンピシャッとはいかず大変イライラしたものでした。A面が終わったらカセットを裏返しに入れ直さなくてもB面が始まる『オートリバース』(死語)でさえ目の当たりにした時それはそれは目ン玉飛び出るくらい驚いたものでした。(大げさ)

 実は今、リアルタイムでもALLラストクリリスを聴いています。心は一瞬にして中3に戻った。どこで聴いているのか?そうです、こんなにもこれを聴く環境として最適な場所はないであろうその場所とは、車の中です。ここなら誰にも邪魔されずに思う存分ワム!ラストクリスマスが聴けるのだ。何なら大声で歌う事だってあんなことだって可能です。

車内で誰にも邪魔されないからといっても、この季節にクーラーをかけて聴くラストクリスマスもオツなものです。シャンシャン♪シャンシャン♪ とクリスマスの鈴の音が響く車内からチラと外を覗いてみれば、下着姿で汗を拭くオッサンや、下着姿で自転車を扱ぐおっさんが目に入る。そしてもう真夏なんじゃないかと思える位に肌の露出の多いお姉さん達。いいですねぇ。クリスマスとは程遠いこの季節感のギャップもまた趣きがあっていいものです。(?)

歌っていると、たまに街ゆく人々やドライバーから見られている事もあり、恥ずかしい時もありますが一期一会、もう二度と会う事はないのだからと気にしません。窓や鏡に映った自分を見た時のほうがよっぽど恥ずかしいです。(本来の一期一会の意味は人との出会い系を大切にする、という意味ですのでこれは使い方が間違ってます)

 

 しかしとんでもないモノを見つけてしまいました。これも過去のプレイリストになるのですが、何とコレは社会人2年生くらいの時に先輩と二人で楽器演奏・歌唱を録音したプレイリストなのです。

使用楽器は、エレキギターエレキベースアコースティックギター・ドラム・ピアノ・ハモンドオルガンハープシコード・ストリングス・コンガ等……多岐にわたっておりました。録音方法はラジカセ。ん?ラジカセ? 

ラジカセにカセットテープをセットして、3,2,1、! で演奏・録音開始! そして次に、録れたモノをバックでズンズン流しながらさらに演奏開始、それをもう一台のラジカセが録音する! という江戸ナントカもびっくりの荒技の数々をやっておりました。機材も本物なんかある訳ないので、カシオのやっすいキーボードを購入して、それに付いている音源を駆使しながら色々試行錯誤です。ドラムも、んなモンあるはずもなく、鍵盤に割り当てられた音色を指でドンドン♪、プシップシッ♪ と叩いて録音(笑)

しかし完成した曲を聴くとこれがまた結構いい出来なんですよ。音が重なって曲になっているとすごい興奮します。そして1曲としてまともなものは無く(笑)、途中から半分ふざけモード、良く言えばアドリブになっているので聴く度に大笑いできます。まさにこれこそが世界でこの一枚しか存在しない、最強のプレイリストなのであります。

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 しかしです!最悪なことが判明しました。この写真でお分かりのように、ご丁寧に『MD』へとダビング(死語)してあります。MDコンポは当の昔に捨てています。あらら…そして元のカセット音源の存在は分かりません。しかも、MD本体のインデックスを見ると、なんとあろうことか『山崎まさよし』と書いてある!!!

何故、なにゆえに僕はまさよしを上書きしてしまったんだろう。激しく後悔している。そこまでして山崎まさよしが聴きたかったんだろう、そうとしか考えられない。見つけた喜びも束の間、世界でたった一つの最強プレイリストはすでに消滅していたのだ。

だけどこのリストを見るたびに当時の懐かしい思い出が蘇ります。音源は聴けなくても想像で笑えます。『スポットライト・キッド』(笑)とかマニアックすぎですね。

やっぱり僕にとって最高のプレイリストです。たぶん探せば何本か音源テープは出てくるはずなので探してみようと思います。

今回は久々に長文になってしまいました。だらだらとどうでもよい事ばかりになってしまったのはご容赦ください。しかしプレイリストと聞いてやらしい想像をしてしまうのは男の、おっさんの性なんかなぁ。無意識のうちに文面に出ていなければ良いのですが……。

 

 

ついに40代も今年で最後となってしまった

なるがです。久しぶりの投稿です。

 

 気が付けば今年も残り一月を切りました。本当にあっという間です。来年は遂に50歳という人生の折り返し地点……否、折り返しでは無く通過点と言うべきか? その通過点を迎える訳です。日々過ぎるのは早く感じても、トータルで見ると、おっそ!やっと半分に到達⁈ まだまだ先は長い!長すぎる! となります。 僕は100歳まで生きたいので、これまでの人生をあと同じくらいこなさなければいけないのです。そう考えるとめちゃくちゃ長く感じます。

 

 さて、これからどうやって生きて行こうか、そんな事を深く考える段階に入ったとも言えます。今から大挙してやって来る色んな困難や出来事も経験していかなければならないのか、と思うと少し憂鬱にも思えますが、これらをクリアしていかなければ100歳には到達できないでしょう。

人の生死、健康、お金、家族、仕事、友人(いないわ汗)等……今まで特に考えて来なくとも何とかなった事が、嫌でも考えざるを得ない状態に置かれるという事でもあります。少なくとも上記に挙げた事柄は絶対に避けては通れません。

深く考えすぎなのかなぁというか、まだ大変さやピンチを乗り越える経験をしていないからだと思うのですが、果たして大丈夫なのでしょうか。

子供たちが成人するまでは死ねませんし、お金も稼がなければなりません。健康面でも体のメンテナンスは必須、体を壊したなら仕事も出来ずに無職、離婚、挙句寝たきり、極貧生活……とか考えると、あり得る!!と思ってしまいます。

 

 こんなネガティブな事を考えていても仕方ないのは分かっています。今までだって十分あり得る事だったのですから。いえ、50歳という自分でも良くわからない年齢に戸惑っているのかもしれません。50歳ですよ⁈意味不明だと思いません?

特に何かを成し遂げたでもなく、成功したとも言えず、精神は20代のままなのに、これからついていけるのだろうか?と。歳だけ食ったオッサンですよ僕は。

50歳という年齢は、いったんこの時点で自分がどう思っているか、自分の精神状態はどんなものなのかを測る目安なんじゃないだろうか。少なくとも自分は不安要素の方が大きい。攻めより守り重視に入っている感じですが、どうなんだろう。

いや、しかしこれは視点を変えて攻めを捉えていくべきか。仕事でも健康でも収入でも、奇抜な事をやれという意味ではなく、自分から動く事が大切という意味で。

 

攻撃は最大の防御なり、と孫子が言ってますが正に言い得て妙です、この50歳においては。すべてにおいてまず防御しなければならないが、勝てるときは迷わず攻め続ける、こういう事なんかな? サッカー日本代表も攻め続けた事で勝てた訳だし、防戦一方ではやがて疲れてくるだろうしそもそも勝てませんよね。

決して諦めることなく、守りに徹しながら隙を見て攻め続ける、といっても守りを強化するための攻めを行うのであって、ここでいきなり「よし!起業だ!」とはならないのですね。

 

 ふぅ~、なんとかネガティブで終わりにせず、最後にできるだけ回避できるように持ってきたつもりですが、こうして文字に起こしてみるとぼんやりと見えてくるものもありました。僕自身は基本ネガティブ人間なんですが、絶対に最下層のライン以下には行きません。落ち込んでも最終的に楽観的でいる事がそれを防いでくれます。このあいまいなフワフワした感覚はポジティブでもありネガティブでもあります。ある意味自分自身が無いんじゃないかとさえ感じます。

 悩むことはやはり人間にとって必要不可欠です。それをする事によってのみ新たな視野が広がって来るのだと思います。深く悩んだり考え込んだときはかなり落ち込みますし、精神的にも疲れます。でも、そうして悩むことが正しい事なんだと、当たり前の事なんだと、今の僕はそう思います。

そして悩むだけ悩んだら、考えるだけ考えたら、もう次の瞬間には「まっ、いいか」と言っている事です。ただ、何も思い悩まずにそれをしてもあまり意味が無いかなと思います。悩み抜いた後にこそ、解放された境地に至るのです。そしてその状態まで行ったなら後はもうこうするだけです。

 

なるがままにされよう……。

(たぶん落とせていると思いますがどうでしょう)

 

少年少女よキャンプをしよう

今週のお題「キャンプ」

 

 最近のキャンプブームはすごいですね。現在は第二次キャンプブームとの事ですが、人気のあるキャンプ場なんかは予約もすぐ埋まってしまうほどです。

僕も数年前に家族でキャンプデビューしまして、かれこれ通算5回は行ってます(少な!) キャンプはめちゃくちゃ楽しいです。

デビュー戦は苦い思い出があり、2つテントを組み立てるのに3時間ほどかかってしまいましたw 子供達の前でカッコいいパパを演じるハズが……奥さんも分からないので独りで格闘してました…。でもそんな事もすぐに忘れてしまえるほど、キャンプは密度の濃い時間を過ごせるのですよ!

ここでキャンプの魅力をたくさん伝えて!と言ってもこればっかりは実際にやってみなけりゃ分かりません(また趣旨とばし) 僕も色々と事前準備をして臨んだつもりでしたが、ソッコーで撃沈されました(笑)体で覚えるんですね。タープを張るときもスペース不足でどえらい事になっていたり、実際にやってみて初めて、こういう事か~!と分かったものです。

でもこれらの失敗も本当に楽しい!これはこうでないとダメ、アレがないとダメみたいなのもキャンプではまったく気にしなくて大丈夫、適当でいいんです。

 過去にソロツーリングでキャンプ(正確には野宿)をしていた時もあったので、その時の楽しさが蘇ってきました。

でも家族で行くキャンプはまったく世界が違いました。一人の時より何倍も楽しい! プラス非日常体験はまさに癒しと言っても過言ではありません。一度は家族でキャンプへ行くべし。

 

 今「ソロキャン」なるワードをよく聞きます。いわゆる「ソロキャンプ」ですがユーチューバーはじめアツイ世界を繰り広げていますね。少々「ソロキャンプ」が独り歩きしているような気もしますが、僕もいつかソロキャンプしてみたいです。でも若い時みたいにその辺でテント張ったりは怖くて出来そうにありません。

ソロツーの頃は公園の隅っことかベンチでシュラフのみとかで野宿していましたが、今から思えばよく何もされなかったな~と思います(笑)。真っ暗な山の中で道に迷い、見つけた電話ボックスの中で寝た事もありました。そこでストーブで湯を沸かして飲んだコーヒーの美味しさは忘れられません……。

なんか話がズレてきてますね。

 

 話をキャンプに戻しまして、キャンプと言えばメシです。コーヒーに限らず、外で食べるご飯は本当に美味しいです。これは不思議ですよね。ただのカップラーメンでも外で食べるとめちゃくちゃうまい!あれは何でなんでしょう。皆さん経験あると思いますが、キャンプがブームになるのもやはりこの感動をもう一度味わいたい!と強く思うからなのでしょうか。

キャンプは中毒性があり、その味を知ってしまうと病みつきになります。

 

 また、キャンプも今では手ぶらで行けてしまう「グランピング」なるものも大変人気です。今年はもっと人気が出ると言われています。

とにかく準備しなくていい!汗かいてテントを立てる必要もないし、炭を熾せなくて奥さんにどやされる事もないのです!

手軽に、身軽に、キャンプの美味しいところだけを楽しめるのです。

これはこれでありだし、現に需要も高まっていますから世間的に理解はされているんだと思います。

でも僕としてはまずキャンプの不便さであったり、しんどさを体験して欲しいなと思うのです。グランピングはその次の段階で、デビューがグランピングだときっとキャンプの楽しさ、本質は分からないと思うのです。

キャンプって超めんどくさいですよね。準備して設営して火を熾して片付けして撤収して……って。誰かやってくれよって(笑)ある意味マゾじゃないと出来ないものなのかもしれません。

だけど、それがいいんですよ。大げさかもしれませんが、大自然と会話して生きてることを実感するというか、キャンプ道具の一つ一つでさえも友達かのような、一緒に何かをやり遂げる、そんな気さえしてくるのです。ソロキャンプにハマる人たちはきっとこの様な感覚を持っているんじゃないかと思います。

キャンプっていいですね。マジキャンプ最高。

あ~またキャンプ行きたくなってきたー!!!

 

 

まぁ通算キャンプ5回の素人が偉そうに何か言ってるだけなんですけどね。

 

 

冷え切った空間の中で

今週のお題

 

 最近ちょっと…否、結構不満が溜まって来ているのでぶちまけたいと思います。これはもう一つのお題「冷やし○○」も関係してくると思いますのでそれも絡めて。

 近年相変わらず熟年離婚が増えているようです。何と3組に1組は離婚すると言い、20年以上連れ添った夫婦でもそうなってしまうようです。深刻な事です。

このような夫婦がたくさん存在しているのはSNS等を見れば分かります。しかしそうではない仲良し夫婦が存在している事もまた事実です。

ではどうしたら夫婦円満でいられるのか。人のことは言えないのですが、僕もゲームに夢中になってコミュニケーションがおろそかになる事もあります。結婚生活ってのは本当に難しいです。すれ違いがやはり原因なのでしょうか。

例えば、僕は相変わらず朝から晩まで仕事の為、平日一緒にご飯を食べる事は無いです。子供たちと話す時間も多くて30分あればマシな毎日で、言わずもがな奥さんとのコミュニケーションも少ないです。仕事も早く終わらせて帰りたいんですが、中々終わらないんですよ。

 

 ここで、ちょっと恥ずかしい話なんですが、もう恥を忍んで言ってしまいます。 

最近家に帰ったら、奥さんが大体ひとりでしているんですよ。子供たちも寝てしまっているので、まぁ問題は無いとは思うんですが、ここんとこ帰宅したらほぼ毎日してるので、おいおい大丈夫か?と心配になります。

この前なんか誰かと会話しながらしているんですよ。僕が帰った事にも気づかず、余りにも夢中になってしていたので声をかける訳にもいかず、そっとドアを閉じてそのまま続けさせました。

ここ最近本当にこんな感じなので、心配が過ぎて知人の女性に相談してしまいました。自分の奥さんがこんな感じだって告白する事は少し気が引けましたが、相談せずにはいられませんでした。

敢えて相談相手を女性にしたのはやはり同性だから、何か分かるかもしれないと思っての事です。

その女性が言うには、毎日のストレス発散を見つけたんだと思うから、そのくらいいいじゃん?大目に見てあげたら?と言います。

 

 確かに毎日フルタイムで仕事して、ご飯作って洗濯して、干して、洗い物して、風呂洗って入れて、子供達の準備やら明日の準備して、自分の時間なんて無いですよね。

僕はと言えば、長時間労働と言っても帰ってご飯食べて風呂入ってビール飲んで寝るだけで、家の事何もしてない! 

そんな僕に奥さんも何も期待なんかする訳ないですよね。

 世の中の奥さん方が旦那デスノートに書き込むのも納得です。自由になる時間くらい好きな事させてあげないとな。それでストレスが発散出来てるなら安いもんだ。

 

 たまに僕も仲間に入れて貰おうと思って(コミュニケーションは大事です)、奥さんに声をかけて一緒にする事もあるんですが、どうも僕は持続力が無くて途中で萎えてしまうんです(笑)飽きるというか。

 最近はリビングで僕が晩御飯を食べてるにも拘らず、あろうことか横でおっ始めるので困りものです。全く気にする様子もありません。

僕は一人で黙々とご飯を食べて、その横で奥さんは黙々とそれに勤しんでおられる。

何だこの冷え切った空間は⁈ 

 

 

 たとえ帰りが遅くても、ほんの10分、15分の会話くらいできるはず。それにも関わらず僕はまるで空気の様じゃないか。

 コロナ禍で子供のために購入したSwitchのゲーム、『スプラトゥーン』中毒ですよ。子供以上にハマって本当にひどいです。僕を空気にして、僕の知らない誰かと楽しそうに会話して…

 

正直羨ましいです。

僕は少しやったけど、すぐに飽きてダメでした。

 

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