なるがままにされよう

アラフォーおっさんが好き放題書く雑記ブログ

タバコとのお別れ

なるがです。

 

 禁煙を始めてはや1ヶ月半が経ちました。

 この間、一本たりとも吸ってないのは自分でも本当に信じられません。せいぜい3日坊主が関の山だと思っていましたが、案外続くもんです。

  1ヶ月が経った頃、自分の頭の中のスペースをタバコが占める割合が随分と減ったのが分かります。そして今ではほとんど考えなくなり、吸いたい願望やイライラもいつの間にか無い事に気付きます。

 この新鮮な感覚は、身体がそれを必要としていない事を意味するのでしょう。

 

なるほど、昔付き合ってた彼女達はきっとこんな感じを受けていたんですね。

あんなに好き好き言ってたのに、ふとした事からいとも簡単に忘れ去るのと似ています。そして必要が無くなれば考えもしなくなるのです(笑)

 今までは「もう別れる!」と言いながらズルズルと元サヤに戻ってばかりでしたが、今回は本当に別れられそうな気がします。(なんなんこの男女関係に置き換えた表現は)

訳:今まで『もうタバコやめる!』 と言いながらやっぱりやめられなかったけど、今回はマジでやめられそうな気がします。

 

 いったい何が違うのか?

こんなにスパッとやめられたのは何故か?

今まであんなに好きだったのに、この気持ちの変わり様は何なのか⁉︎

秋だからなのか?

 

 

全く、まったく分かりません。(分からんのかい)

 

 思うに、やめると決めてある期間を過ぎたら自然に頭の中から出て行くんだと思います。人によって期間は違うと思いますが、僕の場合はとても早いほうだと思います。

 実際に禁煙に成功した友人も同じように「スパッとやめられたで」と言っていました。要は気持ちの問題なんですね。やめるんだという強い気持ち。それによってタバコの方が諦めて身体から出て行く感覚です。

 

ーー 別れたいと言う彼女に、僕は何度となくもう一度やり直そうと言った。それでも彼女の決意は固かった。僕は潔く、諦めざるを得なかった……。こんな感じ?(実話笑)

 

やっぱり、お前は、出て行くんだな〜てタバコが言っている。

  頭の片隅にいつまでも居座る元カノの様に、未練タラタラならやめられないんだと思います。

 

 さしずめ今の僕の状態は……鳴呼、今頃彼女は元気にしてるのかな……と、ふと思うくらいです。ふと、です。

 完全に忘れ去った時初めて禁煙は成功と言えるのでしょう。

そう考えると何か禁煙と男女関係って似てるよな〜(似てない)この場合だと僕が振る方ですね。(笑)

 

タバコを忘れるまでに僕が今までしてきた事

まずは別れようと決心する。

どんなにやり直そうと言われても折れない。

楽しかった記憶も思い出さない。

思い出の品は全部捨てる。

電話(自販機)をかけに行かない。

思い出の場所に近付かない。

新しい出会いや、外に目を向けてみる。

タバコを許す。

タバコに感謝する。

 

 

 すでに悟りの境地に達したように感じますが、本当に自分でも信じられないくらい吸いたい願望が消えているのです。

願望はあるのはあるけど、別に吸おうと思わないかな……。別れても友達でいられそうなスタンス。

 煙を嫌う人は多いですが僕は受け入れます。ある意味友達ですから。嫌だと思ったら自分が離れればいいだけの事です。

 長い間付き合って来たけれど、次のステージに進むためにお別れしたいと思います。

 

 やめる為にすごく時間がかかり、苦しまなくてはならないイメージでしたが、全然そんなことないです。今もまだ完治ではないですが、このまま突き進んでいけそうです。

 大事なことは、思い出さない事です。

禁煙を達成するにはこれは絶対欠かせません。

 

一方で身体の調子はどうなのか?

んー……あんまり変わんねーです。

 飯が美味しいとか、体が軽くなるとか良く聞きますが、未だ違いが実感出来ません。

 

 あとは家族に臭いと言われなくなった事くらいです。信じられない事に、禁煙してる事を今の今まで気づいてもらえず! ついに我慢出来なくて自分から告白してしまいました。

 その時の反応は、「へー! そうなんや」でした。もっと驚いてくれると期待してたのに……。

さらにそれを聞いて、「じゃあ浮いたお金で今日は外食しよう!」と妻。しくったー! 黙っておくんだったと後悔。

そのお金でオメガの時計を修理するんだっつの! 最近は娘までもが「何か買って〜」と。何かって何だよ。

 

せっかく別れて新しい事を始めようと思った矢先に、変なのが寄って来ました。まぁでも家族の為に使えるならいいや。

 

タバコとお別れ出来た事で、新しい次の出会いに向けて頑張っております。次に気になるのはメタボ!

ジョギング、ランニング、筋トレで締まった体づくりを目指そうとアプローチしております。全然行動してないですが。

シックスパッド手に入れたい。

 

そしてさよならタバコ、今まで楽しい思い出をありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

友ヶ島 TOMOGASHIMA

なるがです。

 

先日家族で和歌山県友ヶ島へ行ってきました。

  友ヶ島は、和歌山県と淡路島の間に位置しており「地の島・神島・沖ノ島虎島」4島の総称を言います。

 

 その中でも今回紹介する沖ノ島は『ラピュタ』の島とも言われています。

 当時からの建造物が自然と同化していたり、侵食されている様がアニメの『天空の城ラピュタ』に似ているという事で、最近はとても人気のある観光スポットとなっているようです。この日もたくさんの観光客が訪れておりました。

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これは一番有名な第3砲台跡です。

 この建物は大砲の弾薬を保管する倉庫、弾薬支庫です。この写真はもう夕方近くですが、午前中の木漏れ日が差し込む景観など、色彩がはっきり浮かび上がって独特な雰囲気を醸し出している写真をよく見かけます。

確かにこのレンガの造りやデザインは不気味さが…いや、美しい?

 

 明治時代、政府が 紀淡海峡(和歌山県と淡路島の間)防備のため、由良地区(淡路島)、友ヶ島・加太・深山地区(和歌山市)に数箇所砲台群を建造しました。これらをあわせて由良要塞と言います。友ヶ島は太平洋戦争が終わるまで軍の管轄に置かれていました。

 ここの他にも同様の建造物を全国に見る事ができます。

 

アクセス

電車

南海電鉄 なんば駅和歌山市駅加太線乗り換え、終点加太駅下車。

JR阪和線 天王寺駅和歌山駅紀勢本線乗り換え和歌山市駅へ。南海加太線~加太駅下車。

 詳しくはこちらf:id:narugapapa:20181028095655j:image

一番注意しなければならないのは船の出発時間です。

島を堪能するには最低でも3時間は確保したいところです。第3便に間に合わなければその日はやめた方がいいでしょう。

 当日僕ら家族はその第3便に間に合わず、妻と大喧嘩してしまいました。時間には余裕をもって行ってください。

 しかし目的地付近に到着してもまだ安心してはいけません。

船場へ向かう道の入口が見落としやすいのと(見事に見落とした)、写真のパンフに載っている駐車場は乗船場と直結していますが超ゼツ混雑(休日は特に)しています。

 

 目的地まであと100メートル。細い民家の間を抜けて行った先は、パンパンの駐車場と車の列だった…のが僕らです(笑)

 少し離れに駐車し、徒歩で向かうのが安心確実だと思われます。(特に休日)

 

 ギリギリ15分前に到着したものの、この現場に絶句。妻はぶち切れ寸前、もうアカン…終わった…。と思いきや、今日は臨時便を増発しているという!奇跡的に13時30分発の船に乗れる事になったのです。奇跡!

 尚、駐車場代は700円。船の運賃は往復2000円です。

補足として、乗船場にはトイレが1つしかなく男女兼用なので気になる方は注意した方がいいかもです。

沖ノ島に到着

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 野奈浦桟橋まで20分で到着、沖ノ島に上陸です。妻の原爆も不発に終わりました。

険悪な雰囲気はどこへやら、これからのハイキングにわくわくしてきます。良かった!

 

 ゴミ問題

 海岸は大阪湾からのゴミが大量に漂着しており結構な状態です。やってもやってもキリがないそうです。これはもうどうしようもないと思います。地道に清掃していくしかないでしょう。

 それよりも観光客によるポイ捨ても多いと感じました。明らかに内陸部にあるゴミなどはそうです。無人島だからといって一人一人が無責任すぎると思いました。これではせっかくのラピュタラピュタでなくなってしまいます。

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第二砲台跡

第二砲台から敵艦(違うか)を望む。

 戦後米軍によって爆破処理されたそうで、ぱっくりと割れています。

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 友ヶ島灯台~第一砲台(立ち入り禁止)~子午線広場~孝助松海岸と流し(笑)、ここから山道に入ります。靴はしっかりしたスニーカーなどが良いと思います。足場は意外と良くないです。子供たちも少々疲れてきました。

 

 標高120mタカノス山展望台からの景色

「敵艦12時の方向!!!撃ちーかたーはじめー!!」と叫ぶ。

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のをやってみたいなと妻に言ったら無視されました。

 対岸は淡路島です。この島は敵の侵入を防ぐ最後の砦となる重要な位置にあるんですね。明治から昭和の戦争と長い間守りに就いていたそうです。

 

第3砲台跡

 この第三砲台が一番大きな規模で、砲台は4つの区画に分かれており、1区画に2つずつ砲座が設置されていました。全部で8門の砲が据え付けられていたことになります。現在は当然ながら砲自体は無く、円形の砲座跡があるだけです。

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 風景写真を殆ど撮ってなくて(ピースした人物写真などが多くて)、まともなものがありませんでした。激しく後悔…。

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 手前の円内に大砲が据え付けられていました。ここ第三砲台は28cm榴弾砲だったそうです。(上向きに発射し、放物線を描いて弾が飛んでいくタイプ)。

その前のパックリ第二砲台は27㎝加農砲(かのんほう)でした。(水平射撃タイプ)

加農砲カノン砲=キャノン砲です。

 分かりやすく言うと連邦軍モビルスーツガンキャノンのキャノンです。

 

 ですが1945年の終戦まで実際に砲が使用された事はありませんでした。確かに、使う様な状況になっていれば相当やばい状況とも言えます。

 大砲が主役だった明治・大正時代はともかく、太平洋戦争では戦闘の主役は航空機となっていましたから、この様な時代遅れの要塞など、空からの攻撃に対しては全くなす術がなかったと思います。

 仮に万が一米艦に侵入されたとして、各砲台から一撃をお見舞いしたが最後、位置を特定され島が無くなる程の艦砲を撃ち込まれる事になったでしょう。嗚呼無慈悲な米艦。

 

第三砲台 地下弾薬庫・地下通路

 区画ごとの通路は半地下1階のトンネルで結ばれており、トンネル内からさらに地下2階弾薬庫へと降りることが出来ます。

 ですが真っ暗闇なので懐中電灯は必携です!スマホの灯りでは心許ないかもしれません。ほんまに真っ暗闇ですから。

娘が細い通路の先に階段を見つけ、登って行こうとしたら、

「ぎゃー!壁にでっかいクモいっぱいいるー‼︎

と戻ってきてパニクりました。結局怖くてその階段へは行けませんでした(笑)。後から調べるとそれはクモではなく、カマドウマとの事でした。

 ちなみにその階段の先は行き止まり、砲台長座に出るそうです。

 

第三砲台弾薬支庫
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 地下2階にもあったクモ(カマドウマ)だらけの通路でトラウマになり、怖くて中に入れませんでした。中にはきっとゾンビがいます。ちなみに入ると奥で倉庫同士が連結している通路になっています。

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 地下通路を通って砲座区画からこちら側に出る階段もあったのですが、「この階段はなんだ?」と位置関係が把握出来ず、頭の中での図面が構築出来ませんでした。

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 下図のように8門の砲が設置されていました。豚の鼻ではありません。

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 この島へ来る前には少しの予習をお勧めします。してなくても全然大丈夫ですが、していたらもっと楽しめると思います。予備知識なしで行ったので、実際現地では「何なんこれ」状態。カマドウマをでかいクモと間違える事もなかったと思います(笑)

 そんな予備知識もあれば、もっと堪能出来たのではと少しだけ後悔しました。

 

 スタート地点の野奈浦桟橋に戻ってきました。

この時点で16時を回っていました。島の半分しか回っていませんがこれで十分でしょう。もっとゆっくりしっかり堪能するには第1便の船に乗るべきです。時間が足りませんでした。

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  帰りの最終16時30分の便も混雑しています。幸運にもラスト2組で乗船出来ました。船には定員があるので乗れない事もあります。見てないので分かりませんが残された人達もきっと迎えがくると思います…。(来ます)

 

 と言う事で、まったくラピュタの雰囲気を伝えられない記事でした。

ネットで検索すればいっぱい出てきますので、そちらを見る事をおすすめします(笑)

 

 加太に戻ったら付近を回ってみてください。人形がいっぱい置いてある神社とか、おいしい海鮮が食べられるお店もあります。戻った頃にはすでに閉店していましたが…。

 大阪からも日帰りが可能な『友ヶ島』、結構楽しめますよ。

 

 

20数年間吸ってきたたばこをやめようと思い2週間が過ぎた

なるがです。

 

あぁ、タバコ吸いてぇ…!!!

 

失礼しました。

僕は今、『禁煙』とやらに取り組んでいる最中なのであります。

現在2週間目。禁断症状みたいなものはまだ出ていませんが、とにかく吸いたい!吸いたい!!のです。(それが禁断症状だって)そんな時は何か別の事をしたり、何かに集中したりしています。でもそれが終わったらいっぷく・・・という思考になります(笑)

それでもなんとか耐えております。

 

ご存知の通り、10月1日からタバコがまたまた値上げになりましたね。(興味ないか)小遣いも少ないですし、これを機にやめてみようと軽い気持ちで思った次第なのです。

高3の時からやってるので(ダメだろ)25年ほどになりますか。すでに肺は真っ黒だと思われます。たばこの害は認識していたにもかかわらず、吸いたい欲望に負け続けてきたのですから、ニコチン中毒・依存症とは恐ろしいものです。

タバコを切らしシケモク(吸い殻)を漁った事もありました。タバコは麻薬と言ってもいいです。

また、タバコの香りで過去の風景が思い起こされることもあり、あぁ、この匂いは…などと感傷に浸れます(笑)

 

環境の変化 

気付けば喫煙者が吸う場所を探すのに一苦労する、隅に追いやられる時代が来るとは思いもしませんでした。

20数年前まで、いろんなところで吸う事が可能でした。今から思うとそれがとても異常な事だったのだと気付かされます。映画館、飲食店、職員室、病院、飛行機内、電車内、特急列車ならまだしも普通列車(鈍行列車とも言っていた)の中にも灰皿が設置されてました。とにかくどこでも吸って良かった時代があったのです。いえ、その環境が整えられていたというべきでしょうか。

もっと前はコックさんが咥えタバコで仕事をしていたと聞いた事もあります。さすがにこれは引きました。当時のコックはそれらは当たり前のことで、厨房には灰缶が置かれていたそうです。これはもう環境以前の話です。あり得ないですね。

 

しかし現在、ようやく本来の姿であるべき環境に近付いているんではないでしょうか。やっぱりどう考えてもタバコの煙は害悪でしかない訳です。そして禁煙を始めてみてようやく分かるのです。この現在に至るまでずっと我慢してくれていた人達が大勢いたんだなぁと。そんな風に思いを馳せる日々なのであります。

当時我が物顔でスパスパやっていた僕らがどんどん駆逐され、今では街中で吸っている人をほとんど見かけません。みんなコソコソと隅っこで吸っています。家でも同じで、家族からも常にブーイングの嵐でした。こうなるのは当然の成り行きだったのかもしれません。

 

タバコの値段

僕が吸ってた『メビウス ライト』(過去のマイルドセブン)は440円でしたが、今月から480円に値上げです。正直きついです。僕はこれがきっかけでやめようと思った訳ですが、ヘビースモーカーの人たちは値段がいくらになろうとやめないと言います。

12年前のフランスではすでに1箱¥700でした。雑貨屋みたいなところで買ったのですが、最初おばはんにカモられてるのかな?と思いました(笑)。そして3年前のシンガポールでは1箱¥1300!。せ、せんさんびゃくえん・・ですよ?外国はすごいです。

ところがです、調べてみたらもっとすごいのがありました。

2018年のマルボロ1箱の値段です。

1位 オーストラリア 2,296円

2位 ニュージーランド 2,020円

3位 ノルウェー 1,539円

なんだこれは…。

とんで、

9位 シンガポール 1,085円

10位 フランス 949円

 

21位 アメリカ 748円

47位 日本 460円

さすがにタバコ一箱に2,000円は出せないです。20数年前はマイルドセブンが220円でした。安っ!これまで1日1箱のペースで購入していたので、現在17日目×480円=8,160円の節約になります。す、すげ~…8,000円あれば何でも出来ますね!

 

禁煙の効果

現在2週間目を越えた所ですが、目に見えて良くなっている実感はありません。

調べてみますと、2週~3週で体循環が改善する。歩行が楽になり肺活量が30%回復するとあります。実感するのはもう少し先ですね。そして、

 

1年で肺機能が改善される。

5年で肺がんになる確率が半分になる。

10年でその他のがん、病気になる確率が減少する。

とあります。

 その他にも、骨折や歯を失うリスクも軽減されるそうです。

こうして改めて認識すると、喫煙のもたらす影響は計り知れないものだと理解できます。そして一番のメリットは、周りの人達へ垂れ流していた副流煙がなくなる事。家族も、子供たちも少なからず被害は被っていたわけです。

 

禁煙の方法

 過去に何回か禁煙を試みた事もありましたがダメでした。ストレスやイライラを鎮めるのにタバコほど効き目抜群なものはありませんでした。そうやって自分をごまかして喫煙の正当性を保っていたのです。

今でもふとした時に買いに行こうかなと思ったり、嫌なことが合った時やっぱり吸おうかな、と思ったりします。自販機の前を通りかかり、「ここで止まれば負けだ。」などと普通の人なら考えもしないような事も考えます。

ちょっとした事でその誘惑に負けそうになります。まだ2週間、この先がどうなるのか、再び手を出してしまうのか、正直自信がないです。

でも、喫煙によるデメリットを目で見る、考えるという事を常にやっています。これが僕にはすごい抑止力となっています。同時に子供たちの事も考えるようにしています。

 

そして、つもり貯金も始めています。もう随分眠らせているオメガのスピードマスターの修理費用に充てたいと思ってます。(高くて手が出せなかった)

自分の為に何かを目標にするというのも禁煙に一役買っています。

 

僕はまだ誰にもタバコをやめたと報告していません。裏を返せばいつでも吸える環境が出来ているというだけなんですが(笑)

いつか聞かれた時サラっと、「やめたで」と言ってみたい。

でも未だに家族から気付かれていないのはちょっと寂しい気持ちにもなります!(関心無しなのか?)

いつかふと気付いて言ってくれると思いますが、その時こそ言ってやりますとも。

「ん?たばこ?やめたで?」と。(ドヤ)

 

マッチ売りの少女 (おっさんのブログだからといって春だと思わないように)

なるがです。

 

今日は休みなので、5歳の息子の世話は僕の担当です。いつのまにかこの形になっていたのは妻の強制…もとい、普段子供と触れ合えない事を思ってのコミュニケーション作りとして、妻が『僕の為』に提案してくれたからです。

 

保育園の送迎に始まり、夕食後は闘いゴッコをし、一緒に風呂に入り、歯磨きの仕上げをやり、寝室へ連れて行き絵本を読んで寝かしつけ。と、ここまでが僕の担当業務なのであります。

「メンドクセー!」と喉まで出かけている言葉を抑えながら、あきらめて世話をさせて頂きます。

 

しかしですね、やっぱり一緒に過ごす事は大事です。体力が有り余っている5歳児との闘いゴッコでパンチの痛さに驚き、風呂に入れて頭や身体を洗いながらこんなに大きくなったんだと驚き、会話の内容がすでに男同士なのに驚き、クソ生意気な言葉や態度も含め、子供の成長とは実に早いものだと実感します。

そして遊び疲れたら眠くなり…5歳児らしくて可愛いではないですか。それでも「今日絵本読んでな」と最後までリクエストが入ります。そのまま寝落ちしてくれると思いましたが甘かった様です。

持ってきた絵本は、『マッチ売りの少女』

アンデルセンかーい!なかなか渋い選択だな!息子よ。

『マッチ売りの少女』は当然知っていますが、改めて読むとこんなに悲しい話だったのかと、読み聞かせながらとても新鮮に感じられました。

ザックリとあらすじを言いますと、

 

『大晦日の夜、寒さに凍えたマッチ売りの少女は、売れ残りのマッチを擦ってみました。小さなともしびの中に現れた、暖かいストーブや、美味しそうなごちそうや、クリスマスツリー。でもみんなすぐに消えてしまいます。最後に、一番可愛がってくれた懐かしいおばあさんを見つけた少女は、その姿が消えないように、全部のマッチを擦ってしまいました。少女はおばあさんの所へ行きたいと願い、おばあさんは少女をやさしく包み込み、高く、高く、高いところへと連れて行ってくれました。暖かいおばあさんに包まれ、もう凍えることも、怖い父親に怯えて暮らすこともありません。

寒い次の朝、少女は路地のかたすみでうずくまって亡くなっていました。けれども口には微笑みを浮かべ、とても幸せそうでした。小さな亡き骸のそばにはたくさんのマッチの束が燃え尽きていました。きっと、この子は暖まろうとしたんだね、と人びとは言いました。けれども少女が最後に見た光は、どんなに美しく、どんなに幸せなものだったか、そしておばあさんと幸せな新年を迎えられた事を、きっと誰も知る事はないのでしょう。』

(ぜんぜんザックリじゃないし、むしろ文字数稼ぎ)

 

と、この様な胸を締め付けられる感覚さえ覚える悲しい結末なのです。

しかし街の人々も冷たい!鬼か!。雪の中で裸足で立っている小さな女の子に、誰も助けの手を差し伸べる者は居なかったのか⁈そもそもこんな寒空の中、マッチなどワケの分からんものを売りに行かせる父親も父親だ!それでも父親か!売るならカイロにしろ!

 

と、単なる童話にマジギレしておりました。

 

しかし見方を変えればこれは単なる童話ではない。現実の社会で実際に起こっている事ではないかと考えるのです。いたいけな子供への虐待によって小さな命が消えてゆく。誰にも手を差し伸べて貰えず、亡くなった小さな命。その子たちもあたたかいものが欲しくてたまらなかったんだと思います。

クリスマスイブに虐待で亡くなった4歳の男の子がいましたが、きっとサンタクロースが連れて行ったんでしょう。もう怯えて暮らさなくていいよと。

たくさんプレゼントを貰って幸せであって欲しいと切に願います。

そしてその子たちが最後に見た光が、どんなに美しいものだったかを、私達は知る事はないのでしょう。

 

息子に読み聞かせながら、ふとそんな事を考えておりました。

マッチ売りの少女、悲しいけれど、とても美しい物語と共に、現代に通ずるものも少しあるのではないかなと、思うのであります。

 

ってオイ!聞いてないし!すでに寝とるがな!息子よ…。

 

 

 

 

 

 

夏休みの思い出は

なるがです。

 

夏の一大イベントである『夏休み』。児童と学生だけにしか与えられないこの長期休暇も、気付けばあっという間に終わってしまいました。楽しい夏休みを過ごせたのでしょうか。しかし、タダで休みを与える訳ではない、それ相応の対価は払ってもらうぞ。ということで、毎年頭を悩ませるのが『夏休みの宿題』です。

小学5年生の娘は残り一週間で慌ててラストスパートをかけておりました。どこの家庭でも見かける、夏の風物詩みたいなものでしょうか。うちだけではないはずです。

これはまさしく僕の血と言えるでしょう。ギリギリまでやらない。いや、ギリギリになってからやる。否、やらざるを得なくなってやる、と言う方が正しいか。

しかし、娘が僕と違う所は残り2日を残してやり切っていたという事です。

「ほれ見てみ、言わんこっちゃない。」と、言う気まんまんで居たのですが、娘は、「終わったし?何か?」と涼しい顔で言ってのけたのです。

「あ、そ、そうなん?…。」普通こんなはずではない。

 

僕が小学生の頃はもっといろいろあった気がする。通常の科目に加え、朝顔の生育記録、絵日記、読書感想文、自由研究などなど多岐に渡ってました。ほとんど記憶に残っていないのですが。

あと、宿題とは違いますが、ラジオ体操の出席カード。最近やってる所を久しく見ていないですね。これも提出義務がありました。

夏休みと言えど、半強制的だったラジオ体操。でも出たら出たで、とても清々しい気持ちになって帰って来てたのを思い出します。

体操終わりに判を押して貰うのですが、あの『出』のハンコ、当時は凄く崇高なものに思えてました。年季の入った細い木の棒と朱肉の醸し出す神秘的なマーク、圧倒的存在感を放っていました。そして独特な雰囲気のカードと相まって…何言ってるかさっぱり分かりませんね。

そして最終日にはささやかですが、お菓子と文房具の入った詰め合わせが貰えました。消しゴム一個とエンピツでもめちゃくちゃ嬉しかったなぁ。

 

まぁそれは置いといて、今まで一番困難な夏休みの宿題が中学2年の時にありました。それは何と『作詞作曲』。プロか!

秋に行われる学級の唄コンクールなるものがあり、その為の宿題なのですが、これにはしこたま手を焼きました。当たり前だ。自分で考えたメロディを譜面に起こすなどの高等テクが厨二のガキにあるわけがない。先生も酷な事をするものです。

真面目な僕はそれでもやってみるのですが、当然チンプンカンプンな訳です。

まず作詞だ!と思い詞を考えるのですが、自分で書く詞の何と恥ずかしい事!その時代の中2の語彙力の最高峰が「波動拳」だった事を思えば想像が付くと思われる。

いや、それより先にメロディを作ってそれに歌詞を乗せよう!…メ…メロディが浮かばねー…。

産みの苦しみとはこんなに半端ねーのか!と今ならそう思うでしょう。が、その頃は自分のそんな状態すら理解出来ていないのです。完全に頭真っ白とはまさにこの事。

書き出しから躓き、完全に行き詰まった8月31日の夜10時過ぎ。

僕は最終手段に出ます。

 

作詞:おかん

作曲:すぎやまこういち

 

おかんは嫌々ながらも仕方なく(楽しそうに)書いてくれ、僕はそれに音を乗っけていきます。メロディはその頃大好きだったドラゴンクエストこの道わが旅」…。

ウッ…恥ずかしすぎる!

なんなんだこの良いメロディとクサイ詞のコラボは!とてもじゃないが自分で歌えない。とにかく主旋律のオタマジャクシだけをピアニカで拾って適当に五線譜に乗せていきます。しかも4分音符オンリー。こうなればメロディもクソもない。

途中からはヤケになる事で逆にサクサク進み、何とか完成にこぎつけました。4分音符がずらりと並ぶ何とも恐ろしい楽譜が出来上がりましたが、完成したと言う満足感がそれを上回っていました…。

 

夏休みの最終日にこんな事しててはダメですね!

これは社会人の今でも変わってないかもしれません。ギリギリになって慌てる。わかっちゃいるけどやめられない、のですね〜。基本呑気ですから。

 

ちなみに、例の学級の唄コンクールでは12クラス中第2位。中3の時は第3位。と僕のクラスはとても優秀でした。中3コンクール時僕は指揮者をしておりまして、ピアノと合唱隊40人ほどをまとめながら指揮をとっておりました。大変でした。

というのは嘘で、ただ棒を振るだけの完全なハッタリ指揮者でした。指揮棒を振りながら、「自分は今一体何をしているんだろう」と指揮者にあるまじき事を考えていました(内緒)。ズブの素人が何故指名されたのかあり得ない未だにわからん出来事です。その時提出した楽譜ももちろんパクりでした。

当然中2の時提出した「ドラクエみたいなもの」は不採用。

たぶん先生は見ずに、いや、1秒だけ目を通してゴミ箱へポイした事でしょう。おかんが頑張って?書き上げた詞は即座にゴミと化したと思料。

結局ピアノを習ってたり音楽の知識がある生徒の作品が日の目を見るのは明らかで、まさに出来レースと言えるものでした。一体何がしてーんだよ!と当時は思ったものです。

 

だいぶ話がめちゃくちゃになりました。

 

夏休み明けの子供達はいろいろと感情の起伏が多かったり、不登校になりやすい時期でもあります。親はしっかりと観察する事が必要です。幸いうちの娘はその傾向は無いようですが、昔と現代の子供たちの環境は驚くほど変わってます。

僕を含めて、親の古臭い価値観は役に立たないと認識し、しばらくは注意して動向を見守っていかなければならない時期です。しかしサポートの仕方を間違えることが大変多いと聞きます。「学校に行きたくない」と言っているのに、親が「頑張れ!頑張れ!」と言ってたり…も良くないそうです。

難しいですけど自分たちの子がいつなるとも限りません。そんな時僕はどうしてやれるだろう。今しっかりコミュニケーションを取る事しか出来ない、分からないです。

出来る事は作詞ぐらいですな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸せな結婚生活を

なるがです。

 

今回はデス・マス調をやめて、ダ・デアル調で書き進めてみたいと思います。この書き方も結構好きなので、たまにぶち込んでみても新鮮でいいですね。

では、

 幸せな結婚とは何か

 

妻への感謝

結婚してはや12年、かわいい子供達としっかり者の妻がいて、元気で何不自由なく生活出来ている事に感謝。

僕は相変わらず仕事漬けで平日はほとんど家に居ない。家族揃ってご飯が食べられるのは休みの日ぐらいだ。

家の事を全部やってくれて、子供達にご飯を食べさせ、風呂に入れ、寝かしつけ、掃除洗濯、明日の準備と、自分の時間などほぼ無いに等しいにもかかわらず、妻は本当に良くやってくれている。

しかもフルタイムで働きながらだ。

僕には到底出来そうもない。相当な仕事量とストレスを抱えているのだろう。

故に妻には全く頭が上がらないのである。改めて感謝。

 

結婚は人生の墓場?

結婚とは人生の墓場だと良く言われているが、果たしてそうだろうか?

自分の奥さんに向けての皮肉として捉えられているようだが、嫁さんは少しくらいキツイ方がいい。僕はしっかりした嫁さんを見つけたと思っている。

そして本当の墓場とは、子供も巣立って行き、晩年に一人になってしまった時である。

 

結婚して12年も経てば夫の価値などほぼないに等しい。たった12年で?と思いになるだろうが、今まで何もしてこなかった夫は特に気をつけるべきだ。

呑気に過ごしている間に妻は相当な力を蓄えてきているのである。気づいた頃にはすでに制御不能となっている事も珍しくない。

家庭を疎かにしてはいけない。それにいち早く気づいた賢い男達はイクメンとなり、良いパパ、良い夫となるべく血の滲むような努力をしているのである。

熟年離婚が世間で取り沙汰されるようになって、夫たちの意識も変わり始めたのではないだろうか。

 

晩年になって独りぼっちになる事は出来れば避けたい所だが、こればかりは妻に決定権があるのでどうしようもない。

ではこれから先どうするか?考えてみよう。

 

妻に逆らってはいけない

女というものは得てしてすぐにキレる。中には優しい女性もいるが、宝くじで1等を当てるくらいの確率だと認識しておく事だ。そして、何故そんなにキレるのかよく分からないのである。

間違っても逆ギレなどしてはいけない。してしまったが最後、数倍どころか何百倍にもなって跳ね返って来るだろう。引き波の大きさと妻への逆ギレは比例している。そして確実にご飯は作ってくれなくなると思った方がいい。

そんな事を言いながらも妻はしっかりご飯を作って待っててくれる。自慢ではないが妻のご飯は中々美味しい。帰りが遅くなっても待っててくれる。

テレビを見ながら大好きな晩酌をして、やっと自分の時間を作っているのだ。

 

間違っても「ご飯は?」などと聞かない事だ。冷蔵庫から晩御飯を取り出し、チンして温める。もちろん自分で。やっと一息入れている邪魔をしてはいけない。

そして味の感想は「美味しい」しか言ってはいけない。たまに僕が作るときもあるが、その時は結構意見を言ってくれる。味が濃い、この組み合わせは無い、などと正直に話してくれる。

たまにしか作らない僕にとっては大変貴重な意見として今後に活かせる。

 

僕の休みは妻の休日

休日というものは身体を休める日なのは周知の事実である。しかし妻たちはその休日すら無い様なものである。いつもと変わらない一日なのだ。考えても分かるだろう、食事、掃除、洗濯とやる事は同じなのである。

それらの経験値が少なすぎる僕に、妻はしっかりと教えてくれる。

子供の送迎から掃除、洗濯、買い物の仕方まで事細かに指示してくれる。その甲斐あって普段出来ない洗濯槽の掃除や冷蔵庫内の掃除なども出来るようになった。

そして粗方片付いたら子供を連れてすみやかに家を離れる事だ。未だに自主的に行動出来ないので妻の提案に頼りっぱなしだ。それでも最近はイズミヤに連れ出したり出来る様にはなった。

普段触れ合えない子供達も喜ぶし、妻もゆっくり出来るしいいことづくめだ。

 

もちろん妻も含めて車で遠出だってする。その際は妻を助手席などには座らせない。直射日光に当たる暑い助手席などより涼しい後席でスマホでもゆっくりいじってくれれば良い。

一昔前は妻が助手席に座り、ナビ代わりとして楽しく、時にはケンカもしながらドライブしたものだ。しかし今はナビゲーションシステムなるものが付いている。会話は出来ないので少し物足りないが、不機嫌にならず目的地までしっかり連れて行ってくれる。

 

イズミヤでの楽しい買い物を終え、僕も満足して帰宅する。

ご飯のレパートリーも今日また一つ増えた。

 

妻の教え

そうしていつの間にかふと気付くのだ。

自分一人になっても生きていけるのではないかと。

これは先の先を見越した妻の教えなのだ。修行とも言っていい。いつ一人になってもいい様に、僕を鍛えてくれているのだ。仕事しか能のない僕にとっては大変有り難い事である。こんな事とても自分一人では出来ない。

親父は母に全部やって貰ってたからこの先が本当に心配だ。

 

そう思うと今のこの経験は必要不可欠なのである。あぁ有り難や。一人で野垂れ死ぬ所を見るに見かねて妻はそっと教育してくれているのだ。

 

世の男性諸君はこれらをしっかり受け止め、妻の教えを乞うべきだ。それが後々役に立つのだと思えばなんて事はない。

どうか幸せな結婚生活を送られん事を。

そして他のやり方があるのなら是非僕に教えて欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

某拘置所に行ってきたから感想を書いておく その2

なるがです。

 

 この夏、僕は某拘置所にぶちこまれました。

 

 

嘘です。

前回の続きです。

 

実際に収容者と同じものを食べるという、なかなか無い経験、いや、これから先も無くていい貴重な経験でした。

主食も麦飯で、米飯は出てきません。白米が3割ほどブレンドされていると聞いていましたが、本当に入っているのかと思うくらい食べた感じは10割麦です(笑)

米飯をゆっくりと咀嚼して行く先に訪れる奥深い甘みなどは微塵も感じられませんでした。

 

そうしているうちにお昼休憩も終わり、そろそろ収容者の食器類が下がってくる頃です。さて、いよいよここからが本番です。

 

前述した通り収容者とは顔を合わせる事がありません。2枚のシャッターを使い、片方どちらかが閉まっている状態にする事により、顔を合わす事なく作業が出来るのです。

シャッターの向こう側では食べ終えた食器を積んだ台車がじゃんじゃん運ばれて来ているようです。

施設の天井には赤色灯が設置されており、点灯している間は収容者が作業中という意味で誰も入れません。消灯すると作業終了、入っていいよ〜のサインです。

ロックが解除され、6名の洗い場の方たちが待ってましたとばかりになだれ込んで行きます。僕も置いて行かれないよう後に続きます。

 

 洗い場は戦場だ

なんと言っても数の多さ!次から次へと台車が運ばれてきます。まずは食器類や残飯、ゴミなどの仕分けです。まだあるんかい‼︎と言ってしまうほどの量です。700名超の食器は初めての体験でした。

しかし食べ残しの多い事!食べ方も汚い!殆どは完食に近いですが、700名近くの残飯はエゲツない量になります。チリも積もれば残飯の山です。

洗い場の平均年齢は見た感じ60歳代くらいのおっちゃん&おばちゃんです。この人たち、めちゃめちゃ働きます!しかもキレッキレの動き。脱帽ですわ。それとは対照的に、研修生と思しき若手も一人いましたが、まるで覇気が無くブスッとして目が死んでます。『何でこんな事しないといけないんだ?』と思っているように見えました。

 

僕は追われる仕事は慣れているのでテンション上がりまくりです。忙しければ忙しい程動きにキレが出て楽しくさえ感じます。

嫌だと思いながらやるとそれに囚われてしまいます。開き直って目の前の仕事に集中すべし。と、その若手に言ってやりたい。

 

しかしすごい量です。休む間もなく洗浄機はフル稼働。湯気がもんもんと立ち込め、まるでサウナ状態。まさにカオス。汗もダラダラ。この人たち半端ないって…!

もっと半端ないと思ったのは、連携がしっかり取れており、各自の動きに全く無駄が無いのです。やるべき事を把握して、人の仕事を見て、考えながら仕事をしているという事です。

洗い場は一見すればただ洗うだけの単純作業と思いがちですが、実際効率良くフル稼働させる為には頭を使わないと到底出来ません。故に大変奥が深い作業なのです。これは勉強になりました。一つ一つの作業には、後のことを考えた意味が付加されているのです。

 

ようやく先が見えてきました。この頃僕はすでにヘトヘトです。体力なくなってきてるなぁとおっさんを自覚しました…。でもまだまだ元気!

約一時間半の集中した作業を終えて、やっと休憩に入ります。その頃隣の厨房では夕食の盛り付けが始まっております。

なるほど、一日の流れが見えてきました。

 

という事はだな、この後収容者が夕食を取りに来てその間に僕らは休憩、食べ終わる頃にまた戻って片付けに入る。このルーチンを一日朝昼晩3回繰り返すという事になる。

…あの蒸し風呂を3回もこなすだと?

体力が持ちませ~ん(笑)

若手の目が死んでたのも頷ける(笑)いやはや、おっちゃんおばちゃんは毎日こんなハードな作業をこなしてるのか。スゲーわ。参りました。

5日間働きましたがもうお腹いっぱいです。飯の量は少ないですが。

 

拘置所での体験を振り返って

こういう特殊な現場を見る事が出来たのは大変良い経験となりました。前回の記事で、作り手のモチベーションはどこにある…等、失礼な事も書きましたが、皆さん一生懸命働いておられます。この現場が特殊な為であり仕方のない事なんだと思います。

まぁ、こんな事マジメに考えてたらまずここでは務まらないでしょう。奉仕の精神の領域を超えてます。

逆に収容者の存在がオープンになっていたら、働く人は精神的にまいってしまうかもしれません。顔を見ないからこそ出来る事でもあり、ある意味何も考えず粛々とこなす事が最も重要なのでしょう。

 

全国に拘置所は8施設、拘置支所は111施設あります。それに加え留置所、刑務所などをあわせるととんでもない数の収容者がいることになります。世界を見れば日本など全然少ない方だと思いますが、だからと言って良い訳がありません。

大事な税金で運営されていますが、本当に困っている人達の為にこそ使うべきだと思うし、施設はもっと厳しくあってもいいのでは?と思います。絶対に行きたくない場所であるべきだと思うのです。

いろいろ事情はあるのでしょうが、真っ当に生きていればまず世話になる事は無いはずです。目先の欲に絡んで罪を犯し、ここに入ってしまうのは自業自得というものです。

自由も無く、景色も見れず、不味い飯(そういう意味ではない)を食わされ、冷暖房も無い狭くむさ苦しい部屋で過ごすなぞ、人生の無駄遣いとしか思えません。一時の誘惑や欲望、自分を省みなかった代償はとんでもなく大きくなると知るべきです。

今回僕は身近にこの現場を感じ、少し働いただけですが絶対世話になりたくないと思わせる場所でした。

 

偉そうに言ってますが僕も今まで悪いことはいっぱいして来ました。けれど、人間としてやってはいけない事は分かります。それによって短い人生を棒に振る事は無いのです。辛い事の方が多い人生ですが、自由がない辛さほど堪えるものは無いでしょう。

それでも毎日収容者はやってきます。忙しくしてるうちは喜べない状態にあるという事なのです。

悪い事はするもんじゃありません。

お天道様とモサドが見ていますよ。

 

いろいろと考えさせられる、大変貴重な経験をさせてもらいました。