なるがままにされよう

アラフィフおっさんが気が向いたら書くGブログ

今週のお題「卒業」

今週のお題「卒業」

 卒業とはその学校の全過程を学び終えること

とあります。しかし卒業と聞いて連想するのはそんな事より懐かしい学生生活のシーンと、やはり卒業式ではないでしょうか。卒業式は独特の雰囲気がありますよね。おっさんになった今、これらの記憶も遠い昔のようにはっきりと思い出せませんが、学ランのボタンを2つ持って行かれたシーンだけは今でもしっかり思い出せます(自慢か)。若いって素晴らしいですね。学生の皆さんはたくさんの思い出を作っておいて欲しいです。

 卒業式のみならず現在色々な場面でこの『卒業』という言葉は使われております。パッとイメージするのはズバリ『別れ』でしょう。ただしそこには暗く悲しい印象は無く、明るくポジティブな『別れ』をイメージさせる事が多いのではないでしょうか。

『解放』『自由』『未来』『修了』『達成』『尾崎豊』『斉藤由貴』(おっさんか)などを連想します。

 僕は去年の10月から禁煙を始め、今では全く欲しいと思わなくなりました。禁煙達成です。これでタバコから『卒業』(卒煙)出来たと言い切る事が出来ますね。まぁ卒業までに27年かかり、5~6回留年しているんですがね。

あと『卒ナントカ』という縮めた言葉もたくさんあります。卒業論文を『卒論』、断酒を『卒アル』、おっぱい卒業を『卒乳』。『卒乳』は男なら一生卒業できないでしょう。否、もともとする気などサラサラない。さらに気になるのが2004年に杉山由美子著『卒婚のススメ』で使用された『卒婚』なるワードです。造語ですが、意味は婚姻関係にありながらも、互いに干渉することなく夫婦生活を営む新しい生活形態との事です。

離婚ではないので色々とメリットもあるという事ですが、これに関しては明るい印象は受けません。どっちかと言えば妻が夫に三下り半を突き付けた形になるんでしょうね。結婚生活も13年、卒婚へ向かっている気がするのは気のせいなのか…。何かさみしいではないですか。相手がいても干渉せずというのはやはり味気ないと思うのです。ですがこうなるにはそれなりに理由や原因があるものです。今はそれでもいいのでしょうが、人生の『卒業』時に本当にそれで良かったと思えるのだろうか?それともその時になって気付くのでしょうか。もし仮に妻が卒業したいと言ったなら、僕は潔く開放、自由になって欲しいと願うと思います。やっぱり『卒業』とは自由になるために通る道なんだな。

そんな事はどうでもよくて、本当はこの記事が100記事目という事を書きたかったのです。100記事はブログにおける登竜門で、ここから激烈に何かが起きる!と専らの噂ですが、ついに僕もその門にようやく到達したという訳です。素人からついに『卒業』です。ここから自由な空へと羽ばたくのだ!

 

しかし『素人が100記事達成してもPVや収益が増えるは嘘』との記事を見つけてがっくりしております。まぁこのブログはそういうものなので別にどうでもいいのですがね。僕は過去に『G Masters』というバスケットボールチームに所属しておりました。僕は『33』番、後輩は『072』番でした。経験者1名のみのド素人チーム、一度も試合することなく自然消滅しました。このGブログはそうならないようにしていきたいですね。

 

 

 

保育園の卒園式に行ってきました〜

なるがです。

 

  パッツンパッツンのスーツで終始腹を凹ましながら息子の卒園式に参加してきました。仕事が急遽休みとなったのも、神が逝ってこいと仰っているに違いないと解釈。この神がかり的なタイミングによって息子の晴れ姿を拝む事が出来たのであります。超ラッキー。超感謝。

ハイハイの時期から入園し、たった5年程の間にベンチャー企業ばりに見違えるほどの進化を遂げていた我が子の成長ぶりは言葉に言い表せないものがあります。先生は勿論、保護者特に母親達は皆涙を流しておりました。オムツの頃から世話をして、共に喜怒哀楽を分かち合ってきた一番の存在でもあるのです。その子たちが今、いっぱい大きな声で歌い、感謝の言葉を述べ、ぴしっと座っている。立派になった我が子を見て感激もひとしおです。母親の皆さんには頭が上がりません。子供たちが私達に向かって「まいにちおくりむかえしてくれて、ありがとうございました」と言ってくれた時は僕も思わず泣きそうになりました。

 

  卒園式への参加は初めてだったのですが、式の進行は学校と同じで保育園でも殆ど変わらないものでした。入場に始まり、開式の辞、卒業証書の授与、お祝いの言葉、その他もろもろを経て、閉式の辞〜退場となります。  

そしてこの中に必ずと言っていい程入ってくるのが校歌斉唱であり、そして国歌斉唱です。この式中における国歌斉唱については色々と物議を醸しているのですが、僕個人としては何が問題なのか分かりません。

今日の式でも国歌斉唱がありましたが、チラッと周囲を見渡すと大人は殆ど歌ってませんでした。そう言いながら僕は口パクなのですが、その理由は、歌ってはいけない様な、自分だけが歌って恥ずかしくなる様な、その場の雰囲気に流される、そんな気持ちになってしまうのです。しかしそんな大人達を横目に子供達は大きな声でしっかりと君が代を歌っているではないですか。大人の私達はこれで良いのか?と健気に歌う子供達を見て思うのです。

 

  1999年8月13日に、国旗国歌法として法律が定められ、国旗は日の丸、国歌は君が代として法制化が進みました。

その背景には様々な問題があります。入学式や卒業式などでの国旗掲揚君が代斉唱に異を唱える反対派と賛成派の対立です。それによる板挟みに苦しみ、卒業式当日に自殺してしまった校長の例もあります。

いったい何故自分の国の国旗や国歌に対して反対なのか。勿論反対だからダメなどとは思いません。自由にして結構だと思います。実際にサッカーの国際試合やオリンピックでは選手始めサポーター、応援団皆喜んで日の丸に向かい君が代を歌っています。ところが場所が変わると途端に拒絶反応が起きるというのはどうなっているのだろうかと。今に始まった事ではありませんが。

 

学校におきまして、学習指導要領に基づき、国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負っており、学校におけるこのような国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるものでありまして、子供たちの良心の自由を制約しようというものでないと考えております。国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。

 — 内閣総理大臣 小渕恵三、平成11年6月29日(wikipedia)

 

 

  正にこういう事だと僕は思うのです。こういう場所で歌うことがダメなの?僕には良く分かりません。僕はシンプルな日本の日の丸が好きだし、君が代の荘厳なメロディも好きです。詞は何言ってるか全く意味不明ですが。こういう事を言うとアナタは軍国主義だ!とか言う人も居ます。実に馬鹿馬鹿しい。こんな時に歌う事が世界の舞台に立った時、日本という国を身近に感じ、歌にも心がこもるのではないでしょうか。

  世界の国々を見ていると、彼らは自国に対して制度などの批判はあっても、国旗と国歌に対しては皆誇りを持っている様に見えます。イキイキして見えるのです。対して日本は、無意識に何となくやらされている感がある様に見えます。胸に手を当てていても何か違和感を感じます。

  ロシアでは2001年に新国歌が誕生しました。ソビエト時代のメロディで歌詞だけ書き換えたそうですが、この新国歌を一日2回流す事が法律で定められているそうです。洗脳ですね(笑)。 NHKでも番組終了後には国旗と共に君が代が流れてました。僕はあの後の静寂が何とも言えず好きだったのですが、そんな事はどうでもいいとして、諸外国の国歌の歌詞を知って驚きました。殆どの国々が、

  • 自由を我らに!
  • 素晴らしき我が祖国!
  • 起て!進め!
  • 敵の砲火に立ち向かえ!

とか、めちゃくちゃイケイケドンドンなのですよ。あのラ・マルセイエーズでお馴染み「おフランス」でさえ、『武器を取れ!我が市民よ!』と歌ってます。ヨーロッパは結構激しいです。南米もラテンの血だからか激し目です。一方アジアを見てみるとベトナムなどはこうです。

 

ベトナムの戦士たちよ進め
団結し国を守るのだ
長く険しい道のりに響く軍靴の音
勝利の血に赤く染まった旗は
国家の精神を象徴する

 

現在の日本でコレをやったとしたら一発アウトでしょうね。この後にまだまだ激しい詞が続いていきます。1945年に作られたこの国歌は当時のベトナムがどんな状況下に置かれていたのかを反映しています。

  この様にどの国も、オラの国が最強なのだ!入ってくんじゃねえ!と言わんばかりの超武闘派揃いに思えてきます。

そして日本を見てみると、

きーみーがーあーよーおーはー………

こーけーのーむーうーすーうーまーあぁーでー………。。。。

 

何という優雅で美しい調べ。これを知ってからは君が代に高貴さを感じる様になりました。野蛮な(失礼)国歌なぞ置いてけぼりにするくらい気高く気品が備わっていると僕は思います。

 

   結局歌いたければ歌ったらいいし、歌いたくなければ歌わなければいいだけの事だ。ただ、僕は日本人だし、国旗も国歌も大事にしたいというごくシンプルな思いがあり、ここに行き過ぎた感情や議論しようなどという気はサラサラ無い。

それでも日の丸君が代がデェ嫌いだというなら、法律なんだしいっそのこと国旗も国歌も変えたらいいのだ。それが一番手っ取り早い。これが元凶なのだから。

そうだな……あえて言うなら国歌は忌野清志郎のイマジン、だ。このご時世に、満を持して世界に発信するのだ。国旗は息子の保育園の園旗でも当てがっておけば良い。

それにしても子供達の歌声はとても美しかった。

 

 

 

 

春はあけぼのと言うがおっさんにダウンジャケットは必要だ

なるがです。

 

 冬でもなく春でもないこの時期はダウンジャケットを着るべきか否か、毎朝嫁さんに問うて後悔、やはり着て行くんだったという日々を送っております。春はすぐそこまで来ていますがまだまだ寒いですね。そんな事はどうでもいいのですが(すでにタイトル終了)、この時期は何かが始まりゆっくりと動き出しているうねりの様なパワーみたいなものを感じませんか? 僕はあまり感じませんが、春とはまた桜舞い散る別れの季節でもあり出会いの季節でもあります。さすがにこの歳になると「オラわくわくすっぞ」などと浮かれたピュアな気持ちにはなれないのですが、これから街にあふれてくるであろう新社会人を始め、4月からピッカピカの一年生(古い)になる我が息子を思う時、悟空のように「オラわくわくすっぞ」と思う事もまた楽しいものです。

 

  春はいつの時代も鮮明に僕の記憶に残っています。陽だまりの暖かい風景と共に。学生時であれば教室での一コマ、上京した時の風景、新社会人であれば研修期間や配属初日。何かの変わり目の場面が今でも強く記憶に残っています。なぜなのかとふと考えてみると、やはりこの季節特有の心地よい緊張感や不安がすごくあったんだと思います。

 

 幸い僕は呑気でしたので緊張していた割にはのほほんと過ごしてきました。楽天的でいる事、良い様に言えばそうなのかもしれません。これは人生におけるひとつのスキルであると言えます(そうか?)。どんなことが起きてもうろたえない(例えば1年以上ブログをやっていても読者は推定2人とか)何とかなるさ~で今までやって来れたのですからこの楽天的思考は僕の強みでもあります。ただし楽天的も度が過ぎればしっぺ返しを食らいます。例えば勉強をしなかったり、自分磨きを怠ったり、反省しなかったり、甘えてばかりだったり、人に優しくなかったり。要はボケっとすんな、ちゃんとやれという事です、きっと(それは僕です)

 僕は新社会人勤務初日に遅刻をかますという大大失態を犯してしまったのですが、今でもその場面は強く、強く、とても強く記憶に刻まれております(というかトラウマ)出だしをしくじったのでその後は自分の努力で挽回するしかありませんでした。これはマジで並大抵でなく大変難しかったです(笑)いきなりのこの試練。この世界に神は存在しないと思ったものです。僕が悪いのですがね。

 

  これから新しくスタートを切る人たち、特に就職して社会に出る人たち。僕のようなサイアクな場面でなくとも、似たような場面(試練?)はこれから幾度となく出てきます。

ひとつ言える事は、自身も含め人に対しては謙虚になる事です。嘘を付いたり言い訳したり、反省の態度が無かったりする事は、自分の居場所を狭める事に直結します。自分の主張もあると思いますが、グッと堪える事です。主張する事は全員平等に与えられる権利だとして何か爪痕を残そうとします。それも確かに間違いではないのですが、今はその時ではありません。

次に、争いは避けること。何か強く言われたとしても、今は言い返したい気持ちは抑えて我慢する事です。絶対に「あぁ言い返さなくて良かったー」と思う事があるはずです。それによって自分の置かれている環境が少しずつ良くなって行くはずです。少なくとも現状より悪くなる事は無いでしょう。ただし責任は果たさなければなりません。責務を果たさず言う事だけ立派なのは無能というものです。最初はそうやって信頼を積み重ねていく事の繰り返しです。これに耐えて初めて自分の主張というものが通って来るのです。そうなれば自分の環境がどうなるかは言わずもがなです。

  仕事も俄然楽しくなっているはずです。楽しく仕事をする為にしんどい目を見る。この道のりは決して楽ではありません。あまり役に立つかは分かりませんが、これは僕の処世術とも言えます。とにかくキレたら負けです。

 

  仕事も最初は面白くないと思いますが、そこで早まったり、勝手に決めつけたり、この上司使えねーなどと思わない事です。仕事とはすぐに上手くいくものでもないし、楽しい事ばかりでもありません。本質はすぐには顔を出してくれないものです。同時に、働くという事はどういう事なのかも考えてみて下さい。自分を育ててくれた両親や支えてくれている人たち。彼らのお陰で今がある。働きながら感謝の気持ちを忘れないとき、自ずと頑張れる気がしてきます。スピリチュアルなものは掴み所が難しいですが、シンプルに感謝の心を持つことです。

 

  とまぁ、ここまで書いて来たのですが、これからも謙虚に腰は低くしながら結果を出していかなければおマンマの食い上げです。格好いい事ばかり抜かしてきましたが底辺のおっさんは気が抜けない! がんばるぞぉ〜などと呑気にもしていられないのです。結果がすべて! おっさんは先が保証されているわけでもない、自分で掴み取りにいかなくては生き残れない。シビアだ……おっさんとは実にシビアな時期である、だ。ネバ〜ギブアップ!オオーーー!

 これは中途採用組のおっさん達に向けたものです。デキるエリート幹部候補は置いといて、底辺の僕らは後がないのです。背水の陣で挑まなくてはなりません。新人の下積みを再度クリアしたらその次はもうダッシュしかない! 追い付かれないぐらい引き離すのです。出来ない奴は即座に隅に追いやられます。やる事は新卒と同じようで同じではないのです。辛うじて正社員になった僕もうかうかしていられません。この春から新しい職場を迎える人、転職事情も色々あったと思いますがどうか負けずに自分と闘って、もがいて、もがいて、もがきまくって下さい。中途の風当たりはまだきついです。

「オラわくわくしてきたぞ。」

感謝の心とこの気持ちがあればどんな時も前向きになれるフレーズです。きっとおっさんでもピュアになれるはず!まだ諦めてはいけません。

検討を祈ります。

 

 

アラフォー以上の中途採用おっさんに捧ぐ

 

 

日本軍兵士ー アジア・太平洋戦争の現実 を読んでの感想を書いたのだが感想になっていない件について

なるがです。

 

 『日本軍兵士』という題名にびびびっと来て思わず手にした書籍です。題名からある程度の内容は予想できたのですが、中身は僕の予想をはるかに超える内容の濃いものでした。あまりに面白すぎて普段最後までたどり着けない(笑)のですが、これに関しては最後まで一気に読んでしまいました。僕にとって新鮮で大変興味深く、のめり込む内容となっておりました。

 過去の記事でも書いておりますが、僕のじいさん、祖父は太平洋戦争で戦死しております。そのためこの『日本軍兵士』という言葉にはすごく身近な感情を抱いております。この書籍では題名の通り兵士に焦点を当てているのですが、その後に続く単語「現実」。これが僕の興味をそそられる原因となり購入に至ったのでした。

 

310万人に及ぶ日本人犠牲者を出した先の大戦。実はその9割が1944年以降と推算される。本書は「兵士の目線・立ち位置」から、特に敗色濃厚になった時期以降のアジア・太平洋戦争の実態を追う。異常に高い餓死率、30万人を超えた海没死、戦場での自殺と「処置」、特攻、体力が劣悪化した補充兵、靴に鮫皮まで使用した物資欠乏……。勇猛と語られる日本兵たちが、特異な軍事思想の下、凄惨な体験を強いられた現実を描く。

(吉田 裕著 日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実)

 この扉文を読むだけでお腹いっぱいになりそうです。推算とはいえ犠牲者の9割が1944年以降という事実。そして体力が劣化した補充兵。異常に高い餓死率。

じいさんはまさにそれに当てはまります。34歳で招集された老兵とも言える年齢、マラリアによる体力低下、ジャングルにて1944年戦死。というより病死(推定ですが)でした。

 

 読み進めるにつれ日本兵がどれだけ劣悪な環境に置かれていたのか知ることが出来ます。ここでひとつひとつ挙げ出せばキリがないですが、全部ここに書き出して伝えたいほど(それは単なるパクリというものです)酷い現実が網羅されております。僕の様なちょっと戦争の知識はあるぞ、という人はかなり衝撃を受けます。自分のこの様な知ったかなぞクソだと思い知らされます。

 「戦争はしてはいけません」これは紛れもない正論です。だけどその戦争の奥の奥深くについて、兵士の感情におけるレベルまで考えてみる事など無いと思います。到底考えられないいろんな出来事が起きていたのです。

1944年8月から1945年8月の時期はすでに敗戦必至の状況にも関わらず、日本軍があくまで徹底抗戦を続けたため戦争は長期化し、多くの犠牲者を出す結果となりました。「絶望的抗戦期」とも呼ばれます。

制空権、制海権もなく、補給も、物資も、武器も、食糧も無く、内に目を向ければ死亡者・自殺者が出る程古参兵・下士官からの私的制裁に苦しめられ、病気になっても薬もなく、動けなくなれば自決(自殺)を強要され、事もあろうに仲間に「処置」(殺害)され、疲労は問題として扱われず、休暇もなく、「覚せい剤ヒロポン」によって無理やりこき使われ、精神論だけで機械化された米軍に立ち向かわされ、敵わないと分かると肉弾となり体当たりをしろと言われ、上官からは「死んで来い」「いつまで生きとるつもりか」と皮肉や嫌味を言われ……。そうして無能な指導者たちによって兵たちは苦しみながら死んでいったのです。

 

 この時期には徴兵の採用基準を満たしていなくてもどんどん兵隊にとられていきました。祖父のような若くない者から、これからの日本を担う元気な若者、挙句の果てには少年、知的障碍者までもが徴兵されました。一億総玉砕などという極端な精神主義でもって、まるで虫けらのように人の命が使われていました。

 

 本書では「死の現場」について膨大な資料をもって記されております。陸上における死の現場と共に、海上における死の現場「海没死」についても細かく取り上げております。船内の過酷な状況、潜水艦等によって攻撃を受けた時のパニック状況に加え、

圧抵傷と水中爆傷と共に、爆破による爆創、挫傷、挫創、骨折、熱傷、鼓膜損傷及び内蔵損傷などの複数の損傷が一時に合併するのが常であった。

(比島派遣一軍医の奮戦記)

と言うように一旦攻撃を受ければ、殆ど助かる見込みのない絶望的状況にさらされていたのです。おぼれ死んでいく者も多数、浮遊物の奪い合い、それにより両者ともに失命多数あり。他に漂流している兵が助けを求め上陸用舟艇にすがりつくのを将校が刀でその腕を切り落とす。との証言もあります。

海没死ひとつとっても多様な死の現場があったのです。また船に乗る前から発狂者が多数出たともあります。確実に死ぬと分かる不安からくるものでした。

陸軍においても、

一九四四年四月ごろから急に栄養失調症が増えてき、栄養失調による死者、すなわち餓死者が出始めた。マラリアにかかると四〇度の高熱が出てそれが一週間ぐらい続く。それで体力が弱まったところへ食糧が無く、極度の栄養失調に陥って、その後は、薬も食事も、ぜんぜん受け付けない状態になって死んでゆく--それが典型的な餓死のコースだった。諸病の根源は、食糧不足だった。

『ソロモンの陸戦隊 佐世保鎮守府第六特別陸戦隊戦記』

 

これ以上書くと本当にキリがなくなるので、やめときます(笑)しかしまとめ方がヘタですね〜。感想と言うより引用文の羅列。しかしまだまだ書き足りないです!(これ以上やると本当にただのパクリだっつの)

 とにかくこの凄惨で悲惨な現実は是非知って欲しいものです。教科書や映画では知る事は出来ない、教えてくれることもない。美化された過去の軍人や出来事がスポットを浴び、そして悲しみや感動ばかりがクローズアップされ、正にお涙頂戴と言わんばかりの現代の流れ。それらも否定しませんが、無残に死んで行った名も無き兵隊達を、この悲惨な現実を、色んなかたちで誰か表舞台に取り上げてくれ!(人任せ)

 

  とあるドラマにおいて受動喫煙シーンをカットせよとどこぞやの団体がNHKに抗議しておりますが、これがダメならこの日本軍兵士達は記憶からも消し去られ、陽の目を見る事は永遠にないでしょう。歴史をも無かった事にしろなど、やってる事は大本営と何ら変わらんです。

NHKさんはそれよりもドキュメンタリーでこの日本軍兵士達を取り上げて、証言と共にこの悲惨な現実を映像として広く伝えて欲しいです。

 

本書の感想と言うより、何を伝えたくてお前は一体何がしたいのだ?という結論に至ったのであります。

別の視点から戦争を知るという意味でも、是非一度読んでいただきたい書籍です。

 

 

 

バーバー 弦楽のためのアダージョ 

なるがです。

 

 しかし暗い!とてつもなく暗い!かなり落ち込めます!とことんまで落ち込めます!

ひどく疲れた日や、悲しい事があった日にふと聴きたくなり、一人で暗くなっています(笑) 今日も何となく聴きたくなり、夜中にひっそりと癒されておりました。皆さんも一度はどこかで耳にした事があると思います。


バーバー: 弦楽のためのアダージョ Op.11[ナクソス・クラシック・キュレーション #切ない]

『弦楽のためのアダージョ: Adagio for Strings』 は、サミュエル・バーバー(1910-1981)が作曲した、弦楽合奏のための楽曲です。

 

出だしからすぐ暗くなれます(笑) 楽器の名前は分かりませんが、「弦楽四重奏曲」とありますので4つの楽器が使われているのでしょう(投げやりか)

各パートのメロディの美しさ、ハーモニー、音の重なる場所、長さ、ゆら~りと心地よい抑揚、切なく悲しい中にも光が差し込むようなメロディ……。暗くていい!

 

 オリバー・ストーン監督によるベトナム戦争を扱った映画「プラトーン」の楽曲としても使用されています。この曲がまた映画にドはまりなのです。

曲自体も映画から知ったのですが、1986年当時はこれがいったい何という曲で、どうやったら調べる事が出来て、聴くことが出来るのか全く分かりませんでした。

それからずいぶん経ってから何かのタイミングで曲名を知り、CD屋さん(笑)へ買いに走ったのを思い出します。

葬式の定番曲だそうで、バーバー本人は「葬式の為に作ったのではない」と言っていたそうです。でもみんな無視して使ってますね(笑) 

いえ、それだけドはま…素晴らしい楽曲!という事なのです。

 

 毎日ポジティブに明るく過ごす事も大切ですが、ネガティブのカタマリになってしまう事があってもいいんじゃないですか。ポジティブでいる事も疲れます。

自分の正直な気持ちに委ねてしまうときがあってもいいでしょう。そんな時にこの曲はきっと優しく寄り添ってくれると思います。

 

落ち込んだ時には暗いメロディが体に沁みます。逆にめちゃくちゃポップで明るく前向きな曲とかはあまり受け付けません。ラップとか余計に混乱しそうです(笑) やはりメロディなんですかね。

 この曲は暗い中にも崇高さがあり、聴き終わった後何かの余韻がすごく感じられます。気持ちも何故か少し前向きになれる様な気もしてくるのです、僕は。

疲れた時、悲しい時、とことんまで暗くなってみるのもいいですよ。きっと癒してくれると思います。

 

 

 

 

 

バドミントンはじめました

なるがです。

 

 この前体育館でバドミントンをしました。バドミントンて超楽しいですね!メタボ解消になればと思い初心者の練習に参加させて頂いたのですが、参加初日にして「ふくらはぎ肉離れ」という超情けない離れ業をやってしまいました。まさにオッサンあるあるです(笑)

バドミントンは瞬発系の動きがとても多く、足の故障もとても多いスポーツです。前方に足を踏み込んだ瞬間「プツッ」という音?が聞こえた様な気がしました。ちなみにバドミントンは公園でやったことがある程度です。舐めてました。

 

 準備運動不足もさることながら、老化の波が押し寄せて来ていると実感せざるを得ない出来事でした。それだけではありません。ここ半年でついに老眼も来ました。スマホの文字が読めない…。顔のシワ、肌のカサカサ、白髪もめちゃ増えました。奇跡的に禿はまだ来てません。

自分がもうアラフィフだと?バカな! このリアルに追いついていない自分がいます。未だに30代だと思っています(笑) 自分が思い描いていたアラフィフとは程遠い仕上がりです。

人生80年?90年?として、いつの間にか折り返し地点を通過しました。その節目として僕の人生を振り返ってみると……まぁ合格と言えるでしょう。この先どうなるかは分かりませんが、よくここまでやってこれたなと。いろんな人に助けられてきました。

 

 仕事では上司や先輩から一番早く業界から消える、向いていない、辞めてまえと言われ続けていましたが、気付けばまだこの業界で生きている。思い描いた第一線での活躍は叶わなかったけれど、振り返れば今まで本当に良く頑張ってきたと思います。こんな不器用な自分がまだやっているなんて信じられません。

そしてプライベートでは有難い事に家庭を作る事もできましたし、トータルで見れば折り返し地点での失速はまだありません。楽しい事も苦しい事も確かにありました。

 

 嫌な事や苦しい事は逃げちゃえ、人生は一度きり、自分の夢に向かって突き進め!好きな事だけは死んでも離すな。とどこぞやのCMが仰ってます。果たしてそれでいいのでしょうか?嫌な事や苦しい事の中にも大事なものが隠れていることだってあるのに、というのが僕の持論で何か違和感を覚えるのですが、これも老人の、オッサンの戯言なのでしょうな。現代における価値観はずいぶん昔と変わってしまいました。あぁ僕も苦しい事や嫌な事から逃げれば良かった(笑) だとしたらどんな人生を送っていたんだろう。

 人生は選択の連続だと言いますが、まさにその通りでその選択によって僕らの道はそれぞれ作られていきます。しかしあのときあの選択をしていればもっと良い人生になっていたかもしれない。まさに『僕~らはいつまでも~見知らぬ二人の……まま!』などと考える事は誰でも思う事です。だけどあの日あの時あの場所で~などと後悔しても確実に何もなりません(笑) 

これまで選択した事の後悔なぞ腐るほどしてきました。正直頭の中は『あの日あの時あの場所で~』でいっぱいな時もあります。しかし前に進むしかないのですね。だけどその後悔を活かす事も出来る。

しかし不思議なもので、その時になったらその時の選択をしてしまうんですよね。

例えばコレを買うとずっと決めていたのに、その時になってコロッと違うものを買ってしまうとかです。直感が働いているのか、そんな時はその感覚を大事にした方がいいと僕は思います。選択した後悔などする必要などなく、すべては必然だったという事です。

僕はそう思う事が多々ありました。すべては繋がるように出来ているのです。(あれ?なんか急に宗教っぽい) つまり何が言いたいのかというと、僕らが選択した事はすべて、『なるがままにされよう』という事なのです(で、でた~)

 

 話は変わりますが、ずっと前からどうしても知りたいことがひとつあります。

『宇宙はどこまであるの?』

アラフィフおっさんの答えとは到底思えない保育園児のような疑問ですが、僕は至って真面目であります。あの宇宙って奴はとんでもない化け物のようなスケールを持っています。そこに思いを馳せるとき、頭がおかしくなりそうです(笑)

太陽系でもアホほどでかいのに、銀河系の中の一点に過ぎないだと?その銀河ですら銀河団のなかの一点…ちょっと何言ってるか分かんないんですけど。

 何万光年とか、一億年と二千年前とかケタが違いすぎる訳で。僕らが生きていられる80年とか90年とかは宇宙の時間に比べれば本当にちっぽけで見えないくらいです。敢えて言おうカスであると。そのカスのような時間に僕らはいったい何をしようとしているのでしょう。何のために生まれてきたのでしょう。だけど僕らがリアルに感じている時間というものはとてつもなく長く感じます。不思議です。このカスのようでカスではないところがとても不思議なのです。

 僕が、人間が何故生まれたのかを辿るとこれも頭がおかしくなるレベルです。この広大な宇宙の中のこの地球に、そして世界でも治安が良く住みやすい国である日本に、そして戦争も直接経験せず、高度成長と発展を遂げたこの恵まれた平和な時代に、僕らは産まれているのです。そして一番重要である両親がいなければ当然存在していません。その両親しかり。そう考えるとこの人生というものは与えられたものだと理解出来ます。出来ませんか?少なくとも僕はそう考えています。否、そう考えるに至ったと言いますか。

 この人生はいろんな事が経験できますし、上に書いたようにこれほど恵まれた時代はないと言えます。そしてこのタイミング。しかし言うようにこの先はどうなるか分かりません。短くも長い人生の中で、人間として産まれたことに対して、一体どう生きるのが正解なんでしょうか?何を選択する?どんな生き方を選択する?

僕らが産まれたときは親に世話してもらい、親が死ぬとき僕らは世話をしてあげる。与えてもらったら与え返す事の分かりやすい例ですよね。つまりそういう事なのです。

与える事が人生における究極の答えなのかもしれない。

 

 

と何となく思うアラフィフな頃なのであります。

兎にも角にもふくらはぎの肉離れを早く治して、またバドミントンの練習に復帰しなくては! そして人生の目標は松友選手と握手するところまでいく事です(笑)バドミントン、いいですね。

 

 

子供には手を出すな 親の虐待について

なるがです。

 

 10歳女子児童虐待死亡事故のニュース、かなり胸くそ悪いです。

毎回毎回なんなんですか子供を虐待して死なすって。頭沸いてんちゃいますか?

いったいどれくらいの親が我が子を虐待しているんでしょうか。

 今回亡くなったのは10歳の女の子です。10歳ですよ⁈10歳。身体もある程度大きくなり物心もついた一人の子供が、死ぬまで父親から虐待されていたのです。もう言葉になりません。

しかも数年もの間、日常的に虐待を受けていたと聞き、怯えて暮らす女の子の恐怖と絶望はどれほどのものだったかを考えると本当に胸が苦しいです。

(追記)心愛ちゃんの直筆のアンケート用紙を見ました。あどけない文字で必死に助けを求め訴えたのに、市は事もあろうに父親の威圧感に屈し渡してしまったと。あり得ない。「先生、どうにかなりませんか」の言葉があまりにも不憫でならない。

(追記)ここへきてなんと母親が逮捕されるという展開に。この母親もある意味被害者と言えます。しかしもう少し何か出来なかったのか…と思わずにいられませんが、やはり当事者でないと分からない複雑な事情があったのだと思います。

  心愛ちゃんに行ってきた虐待は壮絶なるものでした。殴る蹴るに加え、食事を与えない、長時間立たせる、疲れて倒れこむ所をまた無理矢理立たす、寝かせない、等も受けていました。むごい、酷すぎる。

色んな事実が出て来るたび女児に思いを馳せ、彼女が見ていた景色を思うと本当に辛く切ない。

 

子供にとって一番の味方である親。その親から毎日の様に受ける暴力は本当に怖かっただろうに。誰か助けてあげられなかったのか本当に悔やまれます。

僕にも同い年の娘がいますが、このニュースを見て女の子がかわいそうとずっと言っておりました。娘にとっても同い歳故に衝撃だったのでしょう。

 

 僕は子供への虐待だけは何があっても許せない事だと思っています。何故なら絶対に勝てる対象としてやっているからです。いうなれば躾ではなくただのストレス発散です。言う事聞かないっていうのも、子供が悪いんじゃない。自分の、親の思い通りに動かないイラつきからそう思うのです。

 

 本当に人として間違った事をしたなら、僕は殴る事もするでしょう。しかし10歳そこらの子供がいったい何をしたというのか?暴力で押さえつけなければならない事など皆無のはずです。

しかし暴力、恐怖ほど人を支配できる道具はありません。子供ならなおさら効果てきめんです。ですが

そこでそれを行使してしまうのは待て!

 

使えばあまりの効き目にまた使いたくなる麻薬だという事を肝に銘ずべし。

そして使ったが最後、子供の記憶には一生残り続けます。それが良い使い方だったなら、それを思い出し大人になった時自戒する事もあるでしょう。しかしただの脅しとしての使い方は、恨みと悲しみの記憶しか残りません。

 

使う側は言う事を聞いてくれるのでそれは気持ちいいでしょう。

まったく相手の事など考えていません。自分が良ければそれでいいのです。

そして気付いたころにはもう手が付けられなくなっています。

 

だから、自分の為にも、何があっても子供には手を挙げるな! と強く言いたい。

小さな子供がお前に対して何か致命的な事でもするか?そんなことも許せない小さな人間なのか?お前は? 

「またやってしまった…本当はしたくないのに…。」

このよく聞くセリフも反吐が出ます。自分を正当化したいだけです。

 

 児相が、学校が、対策が、と言いますがこれらの機能はもはや限界なのでしょう。

相談件数はすでに数年前の何倍にもなっているそうです。この件数も氷山の一角かもしれません。一人当たりの担当件数が200件などというとんでもない数を抱えている事もあるそうです。

これでは繰り返すのも無理はない。

 

これからの未来が待っている子供たちを導くのが大人であり親である私たちなのに、その立場の大人が子供を虐待? いったい何をしているのか。子供への虐待は将来、私たち大人に苦難をもたらす要因のひとつになるかもしれません。

児相や学校もいいですが、大人たちが精神的に成長する必要があるのだと思います。

 

それには人間性を取り戻すことが大事なのではないか。何をするかは自分自身で考えなければならないでしょう。それが皆違っていたって構わないのです。行動に移せばなにかしら動きがあるはずなのです。時間がかかったとしても。

手を出す前に冷静になる事です。

そして一人でも多くの大人が、子供への暴力を踏みとどまってくれる事を願って止みません。

虐待は本当にダメだ。