なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

1997年8月 四国一周 バイクツーリング記 第6話

なるがです。

 

書いていてふと思う。完全に自己満足なこの日記を、人が読んでも面白くないだろな~と。冷静に考えたら何の足しにもならないし。

日記とは本来自分が満足すればいいものだけど、公開なぞするということは、読んでもらいたい、何か共感してもらいたいという思いが少なからずある訳で…。

当時ツーリングから帰ってからは、友人や家族、職場の人達にこの旅の事を言いまくってました。

ということはやっぱり、誰かに言いたいんだと結論。

こうして公開することが自分の心の中の願望だったんだと見えてきました。

しかし今思えば、聞かされていた側はフンフンと上の空の事が多かったような気がする…。

興味のない話など所詮そんなもんだ。僕ひとり鼻息混じりで話してたんだと思います。

 

それでも書きますがね!

 

 

それでは。

第6話を書いていきます~。

 

 

四国最南端 足摺岬に到着

足摺スカイラインから太平洋が見渡せる。遠くにフェリーが一隻ポツンと、その白い船体が夕焼けに映えて、青い海と美しいコントラストを醸し出している。しばしその美しさに見惚れてしまった。ゆっくりと静かな時間が流れている。

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 (遠くにフェリーが見えるのですが…)

 

 

 そしてついに四国最南端、足摺岬に到着だ。現在17:50。

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観光地のためかこんな時間でも結構人が多い。注意しながらバイクをゆっくりと走らせていると、子供たちに手を振られる。コワモテのサングラスだったが、満面の笑みで大きくバイバイとしてあげるとすごく喜んでいた。

さっそく展望台へと向かい記念撮影。そこへ二人のライダーが声をかけてきた。

 

 

 国産アメリカン乗りの3人

彼らも同じアメリカンに乗っていて、俺のTシャツのロゴが「Harley-Davidson」なので声をかけたそうだ。

ホントは国産アメリカンに乗ってるんだけど…。

ハーレー乗りには「何着てんねん!」とブーイングだろうが、素人目には国産バイクとハーレーの違いなど分かるはずがないのだよフハハ。

 彼らには、実は国産のスティード400に乗っていると告げ、『憧れ』だからと、もっともらしい言い訳でごまかす。

しかし話してみると彼らも国産アメリカンだった。急に仲間意識が芽生え盛り上がった。

高松と神戸から来ているライダーで、「YAMAHA DragStar400」と「Kawasaki VulcanClassic400」に乗っていた。彼らと並んで写真を撮り、その後下に降りて彼らのバイクに跨らせてもらった。うお~、かっくいい・・。

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 彼らは足摺ユースホステルに泊まるそうだ。二人に誘われるが、やはりもう少し先に進みたい。18:20、つかの間の出会いに感謝し、彼らに見送られながら足摺岬を後にした。

バイクでの旅は人との出会いが本当に多い。それだけにまだ走れる、頑張れると思う。

 

太陽がもう水平線近くまで下りている。バイクを止め、あまりの美しさに写真に収めた。

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辺りは波の音以外何も聞こえない。静かだ。

煙草を1本、深く吸い込んで吐き出す。心が落ち着き、すごくリラックスしていく感じがする。自然の雄大さに引き込まれ、ただぼーっと夕日を眺めていた。

 

 道の駅 すくも

また走り出す。そして気になるのが今日のねぐらだ。とりあえず街に出て食料を仕入れねば。321号線をひた走る。

 

19:30真っ暗な道を走っている。街はまだない。

途中「道の駅 大月」に寄った。テントは張れそうだがバイクと離れなければならない。却下。

もう少し進むと「道の駅 宿毛」が。きれいな芝生、公園、目の前は海、人も少ない。おぉ~!最高のロケーション!ばっちりだ!一発で今日のねぐらに決めた。

とりあえず近くの街まで行き、コンビニでビール2本、おにぎり、カップ麺を買い再び戻る。

良さげな芝生の場所があったのでそこに陣取り、早速ストーブに火を付けて湯を沸かす。水はそこにあるお店から分けてもらった。

ようやく今夜の夕食にありついた。カップヌードルが最高にうまい。麺を食べたあとおにぎりを少し食べて残りを投入。うまい。

今日も一日が終わる。いいねぐらも見つけたし、ここはかなり良いな。何をするでも無いが、ビールを飲んでだらだらする。 最高。

 

 一晩だけの思わぬ連れ 

しばらくするとズドドドと排気音がして、一台のアメリカンバイクが入ってきた。場内をグルグルと回ったあと、バイクから降りてしばらく歩き回っている。そして俺の存在に気付いたのかこちらに向かってやってくる。そして、

「スンマセン、隣で寝さしてもらって良いですか?」と。

快く「いいですよ」と答える。

彼もまたツーリングの最中で、今日のねぐらを探してたようだ。

1997年8月 四国一周 バイクツーリング記 第5話

なるがです。

 

20年前の四国一周ツーリング日記を書き起こしています。。全行程4日間で周るという、きついスケジュールでしたが、本当に行って良かったと思える旅でした。

バイク乗りならば一度はソロツーリングをやってみるべきです。おすすめです。

人生においてこれが役に立っているかというと、特に何もないのですが。

何かを成し遂げたというささやかな自信みたいなものは得られたと思っています。

それでは。5話です~。

 

 

 

9月27日 2日目 桂浜へ

目が覚めると8:30だった。

しかし良く寝たな~そういや隣にいた彼はどこいった?もう行ってしまったのか?

すると彼が戻ってきた。朝風呂に入ってたそうだ。

まもなくして彼は「先に行きます」と、一足先に旅立っていった。名前を聞けなかったのが少し心残りか。

行き先が同じ方面なので縁があればまた会うだろう。俺はもう少しここでくつろぐ事にした。

9:30頃から朝風呂に入り、今日の事を思う。また一日が始まる。

悪い癖なのか、俺には焦るという事を知らない。マイペースすぎる?

サウナをチェックアウトしたのが10:30だ。あり得ないわー。

 

身支度を整えようやく出発。外は雲ひとつない快晴だ。すでに太陽がギラギラと照りつけている。車の量もかなり多い。少し遅い出発が出だしを後悔させる。もう少し早く出れば良かった。

 

桂浜へは寄らないつもりだった。以前行く機会があって一足早く寄っているからだ。だけどその時は天気が悪く、今日のような快晴ではなかった。時間的な余裕は無いがもう一度行くことに決めた。

 

浦戸大橋を渡り、再び桂浜へとやって来た。

ツーリングのバイクがたくさん止まっている。さすが人気スポット。バイクを降り浜へと向かう。おぉ~写真でよく見るおなじみの景色だ。美しい。

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独りで歩いているとやっぱり淋しく感じるけど、何にもとらわれないでいられる。限りなく自由だ。

この景色をバックに写真を撮ってもらおうと辺りを見回す。そこに一人の兄ちゃんが歩いてきた。彼も見るからに「ツーリングしてます」感を出していたので気軽に声をかけた。

快くOKしてくれ、その後はお決まりの「どこからですか?」で会話は弾んでいく。

彼は横浜から来ているI.Sさん31歳。16日間の休みをもらいツーリングしているそう。なんと俺の4倍もの休み!うらやましすぎる。でも本人はそうでもないらしく、彼女にフラれ失恋旅行なんだと言っていた。

 

記念に2人並んで写真を撮った。お互い住所を教え合い、後で送ってもらう事になった。すごく楽しみだ。

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(これが送ってもらった写真。手紙も添えられており、近況報告等も書いてありました。今でも宝物として大事に取ってあります。)

 

 いろいろ話して、時計を見ると12:30だ。ちょっと長居しすぎだ。

握手を交わし、お互いいい旅を、と言い合って別れた。もう二度と会うことはないだろうその人を、何回も何回も振り返った。

 

バイクの荷物をしっかり固定し直して、さぁ行くか!とその時、「室戸岬の展望台で会いましたよね」と声を掛けてくる3人組がいた。彼らをよく見ると、思い出した。Y君とMさんと並んで写真を撮ってもらった時の彼らだ。

少しの間彼らと話す。昨日の晩は河原の橋の下にテントを張り、あの雨をやり過ごしたそうだ。彼らはこれから足摺岬へ向かう。「また会いましょう」と言い残し、一足先に出発していった。

さて、俺も出発するか。

 

太平洋を左手に真っ直ぐな道が続いている。青い海、ヤシの木、照り付ける太陽と空、まさに南国だ。

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気付くと前にはアメ車のピックアップトラックが走っており、乗っている6人くらいのニーチャンが俺を見ている。そして後ろにはいつの間にか仲間と思われるバイク2台にビタっとつけられてる!

なにこの展開、やばい?と思ったらその瞬間、みんな手を振ってくれた。

はぁーびびったわ~。俺も手を振って応える。

 

アイスクリン屋がたくさん並んでいる。ほのぼのとしたゆっくりした時間が流れているようだ。

仁淀川河口大橋を渡り、宇佐大橋黒潮ラインを快走。海水浴を楽しむ人たちがたくさんいる。俺も泳ぎたくなるが、それよりも水着ギャルの多さにくぎ付け。これは目の保養だわ〜。わき見運転が増えて仕方ない。

 左側に大きく太平洋を眺めながら気分よく走る。56号線を快走、須崎~窪川町を抜け「ユートピア四万十」で昼休憩。

うどんを食べていると雨が降ってきた。急いでバイクを移動させに行くと、止んだ。戻ってまたうどんを食べ出すとまた降ってきた。ドリフのコントかっつの、と思いながら小雨なぞ雑魚だと完全無視する。30分ほど休憩して出発。

 

 足摺岬

太陽も傾き始めると今夜の宿を考えるようになる。とにかく暖はとりたいので、ホームセンターに寄り、ガスバーナーとボンベを購入。ロングツーリングには必需品だ。少しずつ要るもの、要らないものが分かってきた。

駐車場で「YAMAHA XJR1300」のライダーと少し会話する。

 

しばらくして「足摺サニーロード」なる標識が見えた。第2ポイントの足摺岬まであと少しに近付いた。

1997年8月 四国一周 バイクツーリング記 第4話

なるがです。

 

ツーリング日記も4回目。こうして文字に起こす作業をしていると、まさに現実逃避というか、過去にタイムスリップしてるようにも感じます。仕事のことも忘れ、そして行きたくねーなーとなってしまいます。

 

それでは。

 

 

ドラッグストアでの雨宿り ゲリラ豪雨その後

店の中はついに俺一人になってしまった。陽も完全に落ち、気温も下がってきた。寒さで体が冷たい。

ジャンプしたり、駆け足したり、とにかく体を動かして温めた。そうしている俺を哀れに感じたのか、店のお姉ちゃんが声をかけてくれた。少し会話してだいぶ気も紛れた。身も心も寒かった時に、彼女はまるで天使のようだった。

 

もう20:00になろうとしている。すでに2時間近く経過。雨はまだ降っているが小雨だ。意を決して出発する。お姉ちゃんにさよならして店を出る。

 

今日の宿を探す

体が冷え切ったまま走り出したのでとても寒い。

もちろんカッパも着込んでいるのだが、芯から冷えてるのが取れない。走れば走るほど寒気が増してくる。歯がガチガチと意思とは関係なく激しく音を立てている。

 

そうしているうちに高知市内へと入ってきた。今日はどこで寝ようか・・。まだ決めていない。ふと、カプセルホテルなら市内にあるだろうと市街へ向かい、グルグル回ってみる。

だけどそれらしき看板などは見当たらず、時間だけが過ぎていく。初めての土地、人ごみの雨の中、荷物を積んだバイクで街中をウロウロ。

なんか疲れてきた・・。

お店もいっぱいある、ネオンの街を楽しそうに行き交う人達。

でも何なんだ、この心のざわつきは。何か嫌になりそこを発つ。

 

市街地を抜け出して、どこかにテントを張ってそこで寝よう。そうしようと思った。

バイクを降りて人に聞けばすんなり宿は見つけられたのに、どうかしていた。何のあてもないままバイクを走らせてしまった事に今さら後悔。さて、どうする。

 

走っているとホカ弁を発見。そういや今日ごはん食べてないわ。

のり弁DXごはん大盛りとみそ汁を注文。今日初めての飯だ!急に食欲が湧いてくる。

道路脇にバイクを止め、その後ろで隠れるようにしながら飯をがっついた。熱いみそ汁と温かいご飯が冷え切った体を温めてくれた。本当においしかった。

 

腹が満たされると気分も少し落ち着き、冷静になれた気がした。腹が減っては戦は出来ぬと言うしな。

周りはもう真っ暗で何も見えない。テントを張る気にはなれないので、もう一度市内へ引き返し、大きな公園でも見つけそこで寝る事にしようと思った。

 

まてよ、そういえばここに来る途中、確か24時間サウナらしきものがあったような・・。ハッキリと見てなかったが、とにかくその場所へ行ってみることにした。

しばらくしてそれを発見。24時間サウナだ!オーマイガー!もうここしかないと迷わず決定。21:50になっていた。

 

一晩だけの思わぬ連れ

さっそくチェックインしてバイクを駐車場へと移動させに行く。

するとそこには1台の「カワサキ ZZR400」があった。荷物を積んでるのでツーリング仲間だ。そこへ持ち主が現れ、俺は気軽に声をかけた。

今日の雨の事、どこから来たのかなど、駐車場で話は盛り上がる。同じ大阪から来ていたせいもありすぐに意気投合、思わぬ連れが出来た。

 

ロッカーで湿っている服を脱ぎ、はやる気持ちを抑えながら風呂へと向かう。

そして熱い湯船にゆっくりと浸かる。じわじわくるこの何とも言えないぬくもりと安堵感に、ただただ幸せを感じるのみだった。

 

同じ大阪から来ている彼はどうも一人を好むようで、少し素っ気ない。俺がバンバン話しかけてもあまり話は弾まなかった。一人でゆっくりしたい人もいるのに、俺は相手の事も考えず、ひとりテンションあがりまくりだった。

そして俺は一人ではないと思うと気が楽になれた。彼には本当に感謝している。

 

サウナで体の芯から温まりポカポカになった。あの悲惨なずぶ濡れの寒さからこの展開は想像も出来なかった。

生ビールを頼み、リクライニングシートに体をうずめ、今日一日の無事と幸せに感謝して、キンキンに冷えたビールをいただく。もう何とも言えない幸福感。

 

酔いがまわってきた。寝てないのと疲れのせいもあって、もう知らないうちにウトウトと眠りに入っていった。

 

本日の走行距離 約340km

1997年8月 四国一周 バイクツーリング記 第3話

なるがです。

 

過去のツーリング日記を書いています。

写ルンです」で撮った写真も、フォトスキャンなるアプリでパソコンに取り込む事が出来るんですね。感動モンです。

すごい時代になったもんだ。

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当時はナビなど無く、ツーリングマップルと標識だけが頼りでしたから、初めて走る土地では見落としも多々ありました。

道を間違えても気づくのが遅く、諦めてのルート変更、たどり着けないなどもありました。(僕だけ?)

また、グーグルマップのストリートビューで過去の写真から撮影地を割り出し、「ここ!ここ!」と一人で喜んだりしていますw

 

 

 

室戸岬展望台での出会い 続き

福岡県からタンデムでツーリング中のカップルと意気投合。会話がポンポン弾む。今日初めて会ったばかりなのに、何もかも心を開いてしゃべっている。少し不思議な感じだが、そんな事を考える暇もないほど彼らとの会話は弾んだ。

彼はY.M君21歳。彼女はM.Fさん20歳。彼女がまたかわいい。笑顔がキュートで、こんな彼女と付き合えて彼氏は幸せもんだ。また羨ましがる。

 

1時間半ほど話してただろうか、そこに3人のツーリングライダーが上ってきた。お互いに挨拶し、彼らに3ショットで写真を撮ってもらった。心に残る貴重な一枚だ。

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3人はすぐに降りて次の場所へと走っていった。

俺もそろそろ行かなければ。時計を見ると15:43!ひぇ~ちょっとゆっくりしすぎだ、やばい。けどまだ時間はたっぷりある。焦らずに行こう。

今この時の方が大事に思えて、彼らとの時間を楽しんだ。

 

 そして彼らとの別れ

しかし、彼らとの別れは淋しかった。これから盛り上がって行くところだという時の別れ。彼らは室戸国民宿舎に泊まるそうだ。

一緒に泊まろうと彼らは言うがそうもいかない。一緒に過ごしたならさぞかし楽しくなっただろうに。でもまだ俺は先へ行かなければならない。何かが俺を待ってる様な気がして、今日の宿を決めるには早すぎる。

そして二人に握手を求められ、ぎゅっと握ったら何か熱いものがこみ上げそうになった。お互いにこれから良い旅になることを祈って、その場を後にした。

 

しばらくは彼らの事でいっぱいだった。こんなにも人との触れ合いとは感動できるものなんだ。俺の心はすべてに優しくなれそうな気がした。

気持ちも新たに、彼らとの出会いを感謝してさらに先へと進む。

 

もう太陽がかなり沈んできた。今日の宿はどうするべ。まだ考えていない。

道の駅「キラメッセ室戸」で一服タイム。

コーヒーを買いに行き戻ると、横に「スズキ バンディット400」が止まっていた。しばらくして持ち主が現れたので、思い切ってこちらから声をかける。

これから室戸岬へ向かい、フェリーで帰るそうだ。たわいもない会話だけど、与えられたら与え返す、の気持ちが大事なのかもしれない。

お互い挨拶をかわし、俺も先へと急ぐ。

 

超極悪ゲリラ豪雨で足止め

安芸市に入った頃から、何やら雲行きが怪しい。やな予感がするなーと思いながら構わずに走る。海岸線を走り抜け、野市町に入った。

 

そこへポツリポツリと雨が降り出した。前方の空を見ると真っ黒な雲が空を覆いつくしているではないか。ついに来やがったな。

これはまずいと思い、ドラッグストアの駐車場にバイクを止め、カッパを取り出している時、急に雨が激しくなった。

雨の中を走る気分でもないので、とりあえずドカシー(ブルーシート)で荷を軽く覆い、お店の軒下で雨宿りすることにした。

 

きっと通り雨だろう。30分もすればまた晴れてくるはずだ、そう思っていた。

しかし雨はさらに激しくなり、おまけに風も出てきた。オイオイ、何か変じゃないか?

再度ドカシーをきちんと覆いに行き、荷物を保護。

と、その時、叩き付ける様な雨が俺に襲いかかってきた。雨なんて生易しいもんじゃない、まるで滝に打たれているような土砂降りだ。あっという間にずぶ濡れになり、店の中へ逃げ込んだ。

店内はクーラーが効いていて寒い。濡れた衣服がさらに体を凍えさせる。タオルを買い、体と髪を乾かしてしばらく店内をブラブラしていた。

外はさらに勢いを増し、雨粒と風がうなりを上げている。雷もドカーン!!と鳴り出し、店のトタンが吹っ飛ぶ音がした。

はっ!と思いバイクの様子を見に行くと案の定、ドカシーが見事にはがれ、紐一本で風に舞っている状態だった。

 

シュラフやテント、荷物、すべてがずぶ濡れになった。もう半ベソ状態でボー然。やる気失くしてきた。

滝のような雨に打たれながら、今さらどうしようもないが再度ドカシーを荷に被せ店に戻る。またずぶ濡れに逆戻りだ。

もう焦っても仕方ない、待つ事にしよう。とりあえず一服だ。

あわてないあわてない、一休み一休み。

 

しかし雨と風、雷は一向に治まる気配がない。何故止まない?!濡れた衣服が体温を奪い、寒さで体が震えてくる。俺はいつまでここにいるのか?

こうしてる間にも時間はどんどん過ぎていき、一緒に足止めを食らっていた買い物客も迎えに来てもらい、一人、また一人と帰っていく。

ふと気付くと周りにいた人達はすでに居なくなり、俺だけがただ雨が止むのを待っていた。いったい何してんだ俺は。

1997年8月 四国一周 バイクツーリング記 第2話

なるがです~。

 

当時の日記そのままを記すつもりでしたが、やっぱり修正が必要なので多少書き直しながら書いていこうと思います。なんか楽しくなってきたぞ。

20年前といえども、こうして日記などがあると記憶を辿って鮮明に思い出すことができます。

しかし、20年後にこうして恥ずかしげもなく公開なぞするなんて。

とりあえず、ぼちぼちやって行きます。

 

 

 

1997年8月26日 四国一周へ

会社での仕事を終え、四国への思いでいっぱいになりながら荷物をまとめている。

現在26日午前1:00。思ったより荷の多さに驚いた。初めてのロングツーリングには何を持っていけばいいのか、全く分かっていなかった。

テント、シュラフ、銀マット、そしてカバンに思いつくだけの物を詰め込む。そして下で待機しているヤツの元へ急ぐ。

 

4:05発ハーバーランドの船に乗る予定だったが、荷積載に時間を食ってしまい、時計を見るとすでに4:00になろうとしている。バイクに荷物をくくるの難しい!しかし時間かかり過ぎだろ。

一睡もしてないし、本当に大丈夫なのか?少し不安になる。

 

ようやく何とか形になり積み終えた。緊張感が高まり気を引き締める。バイクに声をかけ、眺め、無事を祈り、これからの出来事を思いながら相棒に跨る。

さあ、出発だ。

 

 

四国への道 淡路島~大鳴門橋~徳島

朝の新御堂筋を駆け抜け神戸方面へ。須磨のフェリー乗り場へと急ぐが、途中道を間違えて迷走。本当に大丈夫?先が思いやられる。

辺りはどんどん明るくなり出し、気が焦りだす。そしてようやくフェリー乗り場に到着!ちょうど都合よく5:20発のフェリーにすんなりと乗船できた。

しばらくして船が動き出した。

あぁ、ついに本州から離れたんだ。

 

朝焼けと心地よい風が一睡もしてない体を和らげてくれる。とても気持ちいい。

デッキのベンチに横になり、少しウトウトして浅い眠りに入った。

 

目が覚めると船はすでに到着しており、周りには誰もいない。焦って船から降りる。

大磯港に到着だ。現在6:40。カロリーメイトとコーヒーで一服タイム。

 

28号線を南下。少しぼーっとしている。さすがに寝てないのはツラい。変な汗も出てきた。

 

大鳴門橋の手前に閉鎖してしまった休憩所があったので一旦そこで休憩する。まだ8:00をまわったばかりだ。

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しばらくして出発する。

そして目の前に大きな橋が見えてきた。ごっついでかい!なんじゃこりゃ!感動。

道路のジョイント部分がかみ合わせになっており、結構隙間もあるし長さもあるので、車輪がハマるんじゃないかとヒヤヒヤした。

だけど四国へ入る時のあの感じは忘れられない。別世界に行くような感じに思えた。

うずしおが見られなかったのは残念だった。

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ついに四国上陸

徳島に入る。とうとう四国一周の第一歩を踏み出したんだ。さぁ行くぞ~‼

けどもう眠くて仕方ない。頭もぼーっとして限界だ。しばらく走ると吉野川が見えてきた。もう無理!ガマンできない!河川敷で寝よう!

真夏の炎天下、モロ直射日光を浴びながら堤防に横になる。なぜその場所を選んだのか全くもって意味不明。熱いのを我慢しながらも少しは寝ることが出来た。熱中症の危険もあったけど、寝ないよりはマシだった。

 

あづい・・。汗でびっしょりだ。なんか余計に疲れた感じがする。チョコレートもドロドロに溶けていて最悪だ。けど食べる。

時計は10:30になっている。ゲッ!少しゆっくりし過ぎたか。

再び走り出すと、火照った体を風が冷やしてくれる。とても心地いい。おかげで目も覚めてきた。何故か気分もスッキリ。

徳島市内の渋滞をやっと抜け55号線に乗った。

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室戸岬へ向けてとにかく走る。天気はすこぶる良い。

道の駅「宍喰(ししくい)」で休憩。目の前には太平洋が広がっていて、すごく開放的な気分になる。やっぱ海はいいなぁ。

ここからしばらく海岸線沿いに走る。最高に気持ちいい。

 

室戸岬展望台での出会い

13:00頃室戸岬に到着。案内所のおばちゃんがとてもいい人で、一人旅の俺に良くしてくれた。写真も撮ってもらった。

しかし何を思ってたのか、岬へは足を延ばさずそこを発った。あれほどあこがれた室戸岬を見ないで通過してしまった。あとになって、あれ?そういえば岬は・・気付くのが遅すぎた。アホだ。

 

室戸スカイラインに入ると、途中に灯台と展望台があるというので、そこを目指す。

ほどなくして到着。バイクを降り少し歩く。500Mほど林の中を抜けると灯台への道を発見。嬉し気に行ってみると、えっ?

想像と違う景観にがっくり。一応写真に収める。

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再び室戸スカイラインに乗る。次のポイント、展望台へと向かう。

アップダウンやコーナーが多くて超楽しい。緑がいっぱいで、たまに差し込む光がまた気持ちいい。

 

展望台の駐車場に到着。車が2台と、ヤマハSR400と思しきバイクが停まっている。

バイクを降りて階段を上っていく。途中すれ違ったカップルを見てうらやましいな~いいな~と思う。

展望台に到着。眺めは素晴らしいの一言!真っ青な海と空、広大な空間がそこにはある。室戸岬の尖っているのがよく分かる。

 

そこには俺と、家族連れ、カップルが1組いた。ん?じゃああのSRの人はどこなんだ?と考えていると、そこにいたカップルの彼氏が「こんにちは」と声をかけてきた。

俺も「こんにちは」とすぐに応える。

なんと、彼らがあのバイクの持ち主だった。タンデム(2人乗り、2ケツとも言う)で福岡県からツーリングしているそうだ。下にあったバイクは、ホンダGB250クラブマンだった。

 

1997年8月 四国一周 バイクツーリング記

まえがき

 

なるがです。

先日、屋根裏を整理してる時に、なんと20年前のツーリング日記を見つけました。

おおーっ!なつかしい〜!写真もある!そういえばこんなん書いてたなーと思いながら、整理するのも忘れて読みふけってしまいました。もう20年だと!

 

バイクに乗らなくなって早10年。というのも、独身時代に事故ってるので家族から反対されているのです。バイクは一歩間違えば確実に死亡事故に繋がるため、反対されてしまうのも仕方ありません。

この時から『バイク=悪』という公式が家族の中で(特に奥さんが)成り立ってしまいました。

 

ていうか、僕の趣味はことごとく却下されてるような気が…。

まぁ、悲しいかなバイクを持つ余裕などウチにはないんだけど。

 

バイクとの出会い

20歳の時、友達のバイクでタンデムしたのが楽しすぎて、ソッコーで免許を取りに行きました。当時はアメリカンバイクが一大ブームでして、それに習って僕もアメリカンに乗る事にしました。HONDA steed400です。

 

現在のように多種多様なアメリカンは存在しておらず、国産ではスティード一人勝ちの状態でした。(ハーレーは別格)

バイク屋に行き、初めての大きな買い物にビビりながらローンを組みました。諸経費込みで62万円!だったかな。

当時の給与手取りが11万円だったので良く踏み切ったなーと。我ながら天晴。

後先何も考えてなかったです。

 

そして待ちに待った納車当日!

もう興奮が抑えきれません。朝イチでバイク屋に行き、ついに自分の相棒と対面。

超カッケー…。

ドノーマルだけど当時カスタムなど知らない僕はそれだけで充分でした。

 

教習所のCB400を見てきたからか、このアメリカン独特のスタイルは凄い存在感を放っていました。何といってもこの右横に流してる2本のマフラーのかっこいい事!

ピカピカ!まぶしすぎる。

 

そしてエンジン始動。

ああ〜なんだこれは〜この心地よい聴いたことない音は〜なんか落ち着く〜

Vツインのドコドコした音はすごく新鮮でした。

 

ついでにヘルメットも購入したのですが、ロクに調べる事もしなかったので、おっちゃんが勧めるままに購入。これがいいんだと言われたら疑いもしませんでした。

完全にダマされる人間です。

全然気にしなかったけど、今思えば相当ダサかったです。

 

初ゴケ

緊張しながら跨り、アクセルをまわし走り出す。バイク屋が見えなくなった。

一旦脇道に止め、初めての公道走行のとんでもない緊張を落ち着かせます。

 

教習所で習った通り、目視確認。よし!

足をステップに…あれれ!ステップがない⁈

その瞬間バイクが傾き、腰ほどの高さのブロック塀にゴンッ!買って20分足らずで左側面タンクを凹ましてしまいました。ア然…。

 

アメリカンバイクはステップ位置が教習所バイクと違い前方にあるのです。

緊張し過ぎてそれすら忘れていました。しかしバイクの顔とも言えるタンクをやってしまうとは!!はぁー、何でだよー…。

 

とまぁ、こんな感じでバイクライフが始まりましたが、当然タンクを修理するお金など無い訳で。

ヘコんだまま付き合って行くことになります。

 

 アメリカンバイクは魔性の乗り物だ

しかし、そんな事も忘れるほどにバイクで走ることは最高でした。こんなに楽しい乗り物があったとは!

そしてアメリカンの派手なルックスのせいもあり、とにかく目立つ。

 

当時はイキって、レイバンのティアドロップ型サングラスを掛け、しかも咥えタバコ!

ひぇ~ホントなんちゅ〜センスだよ!恥ずかしい…。

信号待ち毎にタバコに火をつけるという…。

そしてジッポを取り出してるうちに信号が青に変わり、あたふたして走り出したらタバコの灰が顔に。よくありました。

 

もう完全にナルシストになってましたね。

このバイクに乗ってる時だけはオラオラ系になる、現実逃避型のよく分からないキャラになってました。

 

その後は相棒と供にいろんな所へ行きました。会社のツーリングチームに入り、車種はバラバラでしたが、20数台で走った事もありました。道行く人々の羨望の?眼差しが快感!あれは病みつきになります。

そして次第にソロで動く様になり、色気を出してカスタムも少しずつ加えていきました。

 

ソロでロングツーリングへ

バイクの運転にも慣れ、日帰りツーリングもサクッとこなせる様になりました。

ただ、すれ違うバイクに何やら荷物を満載にして走っている人達の事がずっと気になっていました。

何をしているんだあれは?

 

特に気を引いていたのが、銀色のロール状の物。何故かみんな積んでいる。僕はそれが何なのか全然分かりませんでした。

次第にその銀色のロールにあこがれを持つ様になり、ようやく分かりました。

銀マットですw

 

時は熟した。

僕はその後、念願の銀マットを手に入れソロで旅に出る事を決意。

夏休み4日間で四国一周だ。

一人旅というと決まって失恋だとか、自分を見つける為とか言うが、僕の場合は銀マットを付けて走りたい、ただそれだけの為です。

 

まえがきが長くなりすぎました。

これから書くのは、当時の日記そのままを記して行きます。まぁ読んでも面白くないので完全に自慰行為ではあるのですが、当時の思い出に浸りながら、しばしの間楽しもうと思います。

太平洋戦争で戦死した祖父を見つけた⁈

なるがです。

 

 ずっと探していた祖父を、ネット上ですが見つけたかもしれません。

確信は持てないのだけど。

僕は子供の頃から、過去の戦争についてすごく興味がありました。

過去の戦争とは、タイトルの通り太平洋戦争のことです。

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終戦からすでに72年が経ち、過去に戦争があった事も、遠い昔の話として忘れ去られて行く様な世の中にも感じます。そして戦争を言い伝えてきた体験者、証言者の数も風前の灯火となりつつあります。

 

 

戦争に興味を持つように

 よくありがちな、飛行機、軍艦、戦車などのカタチから入り、それに付随して出来事などを知っていく。

当時は取り憑かれた様にプラモを作りまくり、資料を集めては穴が空くほどそれを眺め、気付けばシルエットだけで分かる様にまでなっていました。

何の役にも立たない知識なんですが。

 

あの何とも言えない造形美。唯一無二のデザイン、贅肉を削ぎ落としたスタイルに当時の僕は完全に魅了されていました。

男子ならこの気持ち、わかりますよね。

 

だけど、たまにこういうことを言う人もいる。

『人殺しの道具がそんなにカッコいい?』

多分どう説明したって理解してくれないだろう。それを扱う人間が悪いのであって、それ自体には何の罪もない。

 

にもかかわらず、ハナから否定するのはどうかと思うのですが。うちの嫁さんなんかは子供に、『そんなもの見てはだめ!』的な応対です。

そんなものて、偏見すぎるし。

確かにそれが引き金となり、こじらせてしまう可能性も否定出来ん。

賛否両論あるでしょうけど。

 

おっと、タイトルから脱線してしまいました。じいさんはどこ行ったw

 

しかしこれらが伏線となり、後ろに隠れていた史実へと興味はシフトしていきます。

 

祖母の証言

 15年前に祖母が他界しているのですが、その少し前に祖父についてインタビューを行なった事がありました。

初めは今更言う事もないと渋ってたのですが、聞けば聞くほど嬉しそうに?時に険しく、自分の体験を語り出しました。

とても厳しい人でした。戦争で夫を亡くし、残された小さな子供達4人を抱え、それはもう必死に働いたそうです。

そんな時代を生き抜いてきた人だったんだ。

 

祖父の情報は、というより僕が一番知りたかったのは、何処で、どんな風に戦死したのか。という事でした。教えてくれた答えは、

 

『昭和20年3月14日 フィリピン パラワン島にて戦死』

 

という情報のみでした。(祖母は『ふいりぴん』とずっと言ってました)

ふーん。

昭和18年34歳で召集令状によって陸軍に徴兵され、千葉連隊の戦車隊に配属、中国へ派遣、その後南方に回されたそうです。階級は兵長

 

じいちゃん発見 

 スマホが登場してからはインターネットで何でも調べる事が出来るようになり、いろんなキーワードで祖父を検索しておりました。

情報も書籍などより得ることが多く、何といってもケタ違いに速い。そして、とある証言集のサイトに辿り着きました。

 

その中にある中隊長の日記を読み進めてしばらく後、ん⁈

戦死者名にじいちゃんの名前が書いてあるぞ??

同姓同名の人の可能性もあるしな…。でも、死亡日付を見ると昭和20年3月14日とある。同じだ。階級も兵長となっている。

場所は、ボルネオ島北東部のボトという所。祖母に聞いたパラワン島ではないが、地図を見ると隣の島ではないか。

 

日記としてあるので信憑性は極めて高いと思われる。

 陸軍省からの死亡通知などは本当に適当だったらしい。確かに戦時の最中に何処でどのように死んだかなど、将校クラスならまだしも、何万も展開している歩兵一人を誰が把握できようか。

 

 続けてそこに書かれていたのは、行軍中に病気となり死亡。そして、

『日頃真面目な兵であり、元気旺盛な者であった』と筆者は綴っておられました。

 

これが祖父なのか、同姓同名の他人なのか、答えはわかりません。

しかし僕はこれをじいちゃんだと思いたいのです。

 

 後に僕は研修でバリに行く機会がありました。奇しくもインドネシア。そして途上の飛行機でボルネオ島上空を通過。まさにじいちゃんが眠っているであろう島の上空にいたのです。なんでも結びつける癖があるのですが、この時ばかりはじいちゃんが呼んでくれたと思わざるを得ませんでした。

窓から下を覗き込む。祖父はこのジャングルで一体何を思ったんだろう。

目を閉じ、会ったこともない祖父に思いを馳せました。

 

 僕がまだ2歳か3歳のころ、じいちゃんの生まれ変わりだと言われてた事があったそうです。上空に飛行機が飛んでくると、通過していなくなるまでジッと固まったまま動かなかったり、戦争のつらい体験であろう表現をしていたようです。

 

戦争に興味を持ったのも、すべてはこの日の為だとしたら・・。

こじつけすぎだろ。

 

僕が生まれた時すでに祖父はこの世に居なく、写真だけが飾ってあり、誰これ?と

言ってたのを思い出します。

 

これにて僕の中での祖父のモヤモヤは無くなったと思っています。

ジャングルの行軍半ばで病気によって帰らぬ人となった。という結論に達した訳です。

たとえこれが実は全くの他人だったとしてもです。

 

よくがんばったな!じいちゃん。

 

 (追記)

じいちゃんはこの南の島で本当の地獄を見たんだろうな。

narugapapa.hatenablog.com

 

最後に

調べてみると、『ボルネオ死の行軍』『サンダカン死の行進』などとも言われる、トンデモ作戦に参加していたようです。

あと、軍歴証明書なるものが発行できるそうです。細かい軍歴や転進先、出港した港の名前までわかるそうです。

いろいろ手続きが必要だそうですが、今度取得してみようと思ってます。