なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

公共の男子トイレについて思う事

なるがです。

 

公共のトイレを利用したことはありますか?ありますよねそりゃ。

これは男子トイレに限っての事なんですが、気になってるのは小便器の汚さ!

いつも駅で利用するんですが、足元がとにかくビチョビチョなのです。見れば隣も、その隣もビチョビチョ!もうビチョビチョ!なんでやねん!って思ったことないですか? 

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公共のトイレはかなりの確率でビチョビチョになっている気がします。駅などの人の流れが多い場所では特に。

小便器の形はしっかり考えられており、「受け」の部分が十分あるにも関わらず、その周りは水をまいた様になっているのです。

なんで?

どうやったらそこまでなるのか毎回思います。まさか振り撒いてるとかないだろな。

なので靴で踏まないように大きく足を開いて用を足します。後ろから見たらかなり変な格好だ。

それにしてもだ。どうしたらこうなるのか?考えてみました。

  • 便器から体が離れすぎている
  • ナニが曲がっている
  • 遠くからホースのように飛ばしている
  • わざと外している
  • 何人ものしずくの集合体
  • 真性ホーケー

などが考えられると思います。ところがです、今日その現場を見てしまいました。

足元も覚束ない、いい感じに酔っぱらったサラリーマンが、カバンを片手で背中にかけた状態で用を足しています。案の定、

(オイオイ、はずしとるがな!)便器から離れた状態で周りに飛び散っておりました。

まったく、こんな輩が多すぎる。自分の家でもそうなのか?自分が掃除する訳じゃねーし、関係ねーし、てなところか。

 

子供の頃、家のトイレは和式トイレだったので狙いが定まらずによく汚してました。

本当にトイレ掃除をしてくれている人は大変だと思います。しかし男子トイレってなんであんなにキタナイのですかね?というか使い方が雑だからキタナイのですね。

 

『漢は一歩前に』『きれいに使って頂きありがとうございます』『皆様のおかげできれいに保てます』などの文言もよく見かけます。

あまり効果ない?・・・。

用を足しながら便器にべッ!と唾・痰は当たり前、ガムまで吐いてあるのをよく見かけます。驚愕なのが自分の陰毛!しかも尋常じゃない量の毛が便器の中に。

女性からしたら考えられないと思います。ホンマなにしてんねん。

一方、大便器の方へ目をやれば、モノがそのまま放置されていたり、絶対こんなところあり得んだろ!という場所にモノが付着していたり、ゴミの放置も当たり前のようにあります。小便器が満員の時は待ちきれず大の方でする人もいます。和式だとかなり飛び散ってます。

普通に使えば何ら問題ないはずなのに、どうしてトイレになると「何してもいい」みたいになるんでしょうか?考えても無駄なのでどうでもいいですが、せめて掃除をする人の身になって欲しいものです。

反面、女子トイレはきれいに保たれていると聞きます。実際はどうなのか知りませんが。そういえば過去に間違えて女子トイレに入ってしまった事があります。

 

急な下痢をもよおし、飛び込んだ先が女子トイレだったのです。(ほんとですから)

はぁ~セーフ~やばかった~と安堵してると、床に何やら見慣れない箱が?なんだこれ?

・・・その瞬間まさか!?と思ったが時すでに遅し。次から次へと女性が入って来る!

「やばいのは俺じゃねーか!」もう絶体絶命。ここで「間違えちった~」などと出ようものなら完全に変態扱い、警察行き確定です。

人生詰んだとも考えましたが、静かになった頃を見計らって飛び出しました。

何十分潜んでいたでしょうか、誰にも見られずに無事難を逃れる事が出来ました・・。

男子トイレと違い、比較的きれいだったと思います。(必死すぎて覚えてねーわ)

 

話が逸れてしまいました。男性向けのあまり気分のいい内容の記事ではなかったですね。自分で書きながら思い出すとおえっ、となります。

 

世の男子諸君にはモラルを持って、きれいにトイレを使って欲しいものです。

この場合はマナーになるのかな?

 

 

 

40代からの転職はどうなん?!内定編 転職について

なるがです。

 

ここに書いている事(前回含む)はあくまでフィクション・・じゃなかった。たまたま運が良かっただけの話なので、鵜呑みにして行動しても確実に自滅します。

しかし自滅するかどうかは本人次第とでも言っておきましょう。(逃げ)

そして40歳を越したおっちゃんに向けて書いております。もちろんこれから迎える20代、30代の若者にも当てはまって来ることをお忘れなく。(上から)

 

40代からの転職活動ですが、何度も言うようにほとんどうまく行きません。

僕が雇用主だとしたら間違いなく40代など雇いませんし、20代、30代の活きのいいのを雇います。

実際求人を見てもせいぜい35歳までの所が多いのではないでしょうか。

ここがまず難関となります。すでにスタート時点で門戸は閉じられかけているのです。

選ぶ職種も今までの経験を活かして・・などは通用しません。ましてや正社員採用などは疑ってかかった方がいいかもしれません。ブラック率高しと思われ。

「じゃあ無理やん!」本音を言えばそうですね。

では言います。収入ダウン、仕事レベルのダウン、過去の栄光などのプライドを棄てきれず、それらを受け入れられないなら、転職はするな。です。

 

アウェーに踏み入れる覚悟はあるか

転職すれば否が応でも一から新たな関係を築いていくことになります。40歳を越えた中途社員の風当たりは結構きついですよ。職場によって当たりハズレは確かにあります。過去に中途採用者を何人も見てきましたが、半分以上は続かずに辞めていきました。今度はその環境に自分が入るのです。完全なるアウェーです。

 

内定が決まって転職成功!よっしゃラッキー!ではありません。これから自分の立ち位置を確立させて行かなければならないのです。こんなにメンドクサイことはありません。

中には年下上司、生意気なガキもいるだろうし、どんなエイリアン、プレデターが潜んでいるか分かりません。

それでも転職しますか???

少々煽り過ぎました、すみません。。。

 

転職活動 僕の場合

僕がまさに退職オサラバ決定!有給休暇2か月ゲットォ~!と呑気に過ごしていたのもつかの間、スグに現実に打ちのめされるのに時間はかかりませんでした。

とにかく仕事が無い!のです。いや、あるんだけど仕事内容が・・・。

何十社と履歴書を送り、ハローワーク求人雑誌を漁る日々。返答は不採用の通知ばかり。2か月あった休みも1か月を切った。(転職エージェントの存在は知っていたけど、何かめんどくさくて依頼してませんでした。アホですね。)

 

転職エージェントに関してはあまり良く分からないので省略します(調べろよ)

エージェントが全部やってくれるので、履歴書を何十枚も書いたり、足を使わずに済みそうなのでこれは良さそうです(説得力ナシ)

 

そこへ知人からスカウトの話が!よっしゃラッキー!即承諾しました。手取りも10万アップ。転職大成功!と思いきや、上記にあるようにエイリアンがいたのです。そして劣悪な労働環境。お金だけを優先した結果でした。

多少の事ではへこたれない僕ですが、ここは無理だった。2週間で根をあげたのだ。

そしてまた求人を探す日々に逆戻り。気付けばあと6日で有休も終わる・・・。

 

検索条件の見直し 欲は棄てる

今からあがいてもどうせ見つかりっこない。失業保険の世話になるしかないのか・・。

できれば無職の期間は作りたくないので、何としても採用にこぎつけたかった。

40代の現実は思ったよりかなり厳しいものでした。

 

そこで僕は条件を見直すことから始めます。まず一番に、何に重きを置くか?

答えは、『土日休み』『オープニングスタッフ』でした。

賃金、通勤時間、希望の条件などあげればキリがない。でも僕ら40代は選択肢がそんなにないのです。

土日休みは家族と過ごす為(今まで土日は仕事)、新規事業所立ち上げはスタートラインがほぼ全員同じの為ストレスが少ないと思われるからです。

 

有休残り5日で某企業に採用が決まりました。

 

当然収入は大幅にダウン、仕事内容しかり、時間も長い。正社員かって?そんなわけないです。バイトですよ、バイト。時給ナンボのバイトです。40代の現実がこれです。

 

入社してからの心構え 僕の場合

入社してからは一回りも違う年下上司に仕え、どんな仕事もこなしてきました。限りなく黒に近いブラックでしたが、人間関係は良好でした。これはかなり大きいです。人間関係が良ければ多少の事はガマンできます。いえ、しなくてはいけませんし、中途採用者が生きて行く為には避けて通れない課題です。

 

この歳になるとほとんどが年下という場面に出くわします。それでも耐えるのです。

ここでブチ切れる人を僕は何人も見てきました。

そしてまた路頭に迷う日々が始まるのです。

プライドがないのかって?そんなものとっくに棄ててます。

ひとつ言うと、どんなに年下でも彼らに敬意をもって接すれば、彼らもそのように返してくれます。たまに横柄な態度の者もいますが、そんなのは無視しとく事です。そのうち向こうから居なくなりますから。

 

そうやって今は正社員までに昇格でき、収入もわずかですが前職よりアップしています。部下も付きましたし、僕の転職は今のところ成功だったと言い切れます。そして今まで家族と過ごせなかった土日が休みになったおかげで、子供たちとの時間も取れるようになりました。

いろんな条件を捨てた結果が逆にすべてを満たしてくれるとは、なんともわからないものです。時間はかかりますが、種を植えなければ生えてきません。コツコツと地道な作業はこれからも続きます。これでもやっとゼロを越えたところです。

 

欲を出さず、与えられたフィールドで(かっこつけるな)全力を尽くす。

誰もがやっている事でしょうけど、僕ら転職組はその倍の努力が必要です。自分の居場所を確立するまではそうしてやって行かなければなりません。

 

狼は生きろ、豚は死ね?

働ける場所があるってすごい事です。無職はかろうじてかわすことが出来ましたが、あの不安はなってみないと分かりません。20代、30代で味わう不安とは一味も二味も違いますから。

 

『狼は生きろ、豚は死ね』という、ある映画のキャッチコピーが昔ありましたが、今は狼が飢え死にする時代でもあります。豚で結構、野垂れ死にはしたくないのが本音です。会社に飼われた社畜とは僕のような人間なのかもしれません。

 

40代の転職はできます。欲を出さず、まず土台を確保する事です。そして本人の努力次第で結果は変わります!

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どんな事があろうと野垂れ死にだけはしてはいけません。(無理やりまとめたな)

 

 

 

 

 

 

 

 

40代からの転職はどうなん?!「仕事無いよ!」転職について

なるがです。

 

僕は過去3回転職しています。『転職』とは職業が変わるという場合と、新しい雇用主の下で働く場合にも使われます。僕は後者のほうですが、27歳、30歳、42歳で転職しています。

42歳⁉で?と思われるかと思いますが、さすがに舐めてました。

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はっきり言いますが、40歳以上の転職では希望の条件で雇ってくれる所はほぼ無いと思って良いでしょう。余程の実力、キャリアを持っていれば別でしょうが、そんな人はまれです。まず辞めてないか、独立起業するかのどっちかです。第一検索してここには辿り着かないでしょう。

 

「転職は働きながら行うべし」とよく見かけますが、正論です。しかし僕は運よく声を掛けていただき、転職活動をしたことがありません。3回目を除いては。

正直なところ、日々の業務に追われそれどころではなかったです。もちろんちょくちょく求人は見ていたのですが、あっ、と思った会社を見つけたところで、現在進行形の業務をすっぽかして辞める事ができるほど甘くはありません。

 

 転職活動を始めるなら

働きながら転職活動を行うなら、「最終出勤日が確定してから」がベストでしょう。世間の常識と違う考えですので、危なっかしくて出来んわ!と思いになる方も多いと思います。40歳以降の転職なら尚の事です。保証は出来ませんのであしからず・・。

 

在職中はまず最終出勤日を確定させること。中には延期、延期と延ばされまくって1年半かかった場合もあります。僕ですが。なかなかハッキリ「辞めます!」と言い切れない自分が悪いんですけどね。退職が重なったり、重要な仕事が入っていたり、タイミングもあります。「そんな事知ったこっちゃねーだろ!」という方が大半だと思われますが、社畜な僕はまんまと流されてきたのでした。

 

でもそこで強行突破という手段も確かにあります。でも出来なかった。悲惨な状況になるのが分かってるのに、仲間を置いて辞めることはやっぱり出来ませんでした。

このお人好しめが!と自分でも思いながら。だけどよく考えてみると、次の職場も決まってないのに、辞める事ばかりに囚われている事に気づきました。

ハッキリ言ってその状態での求人検索など時間の無駄です。

それからは目の前の仕事に集中して取り組みつつ、たま~に求人を見るくらいにしました。新たなる社畜の完成です。面白い事に仕事が楽しくなってくるんですよ、不思議と。完全に侵されてますね。

 だけど退職の意だけは常に匂わせておくことです。そうやって周りに噂を立てておく根回しも必要かと思われます。

 

 

タイミングを見逃さない、機はいずれ熟す

そしてついにその時はやってきます。新しい人材が入ってきたのです!なんと僕と同じ待遇で。しかも他1人のオマケつき。タイミングはここです。役者は揃った。

僕は間髪入れず退職を申し出、すんなりと最終出勤日の確定までこぎつけることが出来ました。

 少々時間はかかりましたが、あの時強引に辞めていたらきっとモヤモヤが残ったと思います。それどころか、あの時助かったと逆に感謝されるんだから、わからんもんです。

 

最終出勤日が確定してからは、もう解放感でいっぱいw新しい人材にせっせと引継ぎを行いつつ、ここで初めて本腰いれて転職活動!最終日というゴールが設定されることでスケジュールも立てやすく、しかもたまっていた有給休暇消化のおかげで約2か月間の休みが発生。時間も(お金も)たっぷり確保できたのです。仕事内容も引継ぎがメインの監督業務の為、楽なもんです。

立つ鳥跡を濁さず。たぶん濁してないと思いますが、濁したとしてもすぐに記憶からなくなります。すべての状況は問題なく整いました。

 

繰り返し言いますが、40歳以降の転職は、仕事はあるけど贅沢は言えない事を肝に銘じるべきです。収入ダウンを覚悟すべし。これはほぼ確実です。なるべくなら40代での転職は止めた方が無難でしょう。

今は地位を確保していても、この現代社会では落ちるのは時間の問題です。リストラ対象にも入りやすいでしょう。唯一無二の存在にでもなっていれば話は別でしょうが、さっきも言ったように、そんな存在は「まれ」です。実力優先のところでは貢献度の低い社員ほど真っ先に切られます。自分がそうでしたから。というかそう感じたからなんですが。

自分と同じ待遇で、歳も若い奴が入ってくればおのずと追いやられるのは目に見えてます。そんな卑屈にならず頑張ればいい?否、会社はすでにその人物に対しての方向性は決めて採用しているはずだから、よほどのヘマでもしない限りは不動のものとなるでしょう。

 

というのは僕の推測であって確信は持てなかったのですが、会社の自分への評価、自分の立ち位置などは、長く勤めていれば誰でも分かるものです。

ここでプライドを棄てて会社にしがみつくか、潔く身を引くかの選択になります。

悲しいかな僕は会社からは評価されていませんでした。個人面談の際に貢献度が低いとはっきり告げられていたので、その時点で辞める決心はついてました。しかし人手不足という大義名分の名の下に継続を余儀なくされておりました。

 

あれ?・・結局何を伝えたいのかわからなくなってきたな・・。

情報があふれすぎて何が正しいかさえ判断が難しい世の中になったと感じます。じゃあ転職はどうすればうまくいくんだって??僕が考えるのは、

「果報は寝て待て」否、「急がば回れ」?「急いては事を仕損じる」・・同じ意味か。

あっ、そうだ!「なるがままに」だ。(すみません)

 

40代での転職は本当に危険!ある意味ギャンブルです。外したら家族を路頭に迷わせることにもなります。

僕も危うくそうなるところでしたので。夢みたいな文言に惑わされる事なく、冷静になってもう一度見つめてみる事をおすすめします。

無事就職できた話はまた今度します。

それでは。(話がまとまってないぞ)

 

 

 

 

 

Salyuにハマっています

なるがです。

今日から9月ですが、急に涼しくなってきました。あの気だるい暑さはいずこへ?という位過ごしやすくなりました。ほんとに朝晩は寒いくらいです。あと一回子供たちとプールにいけるかな・・・などと思っている今日この頃です。

 

そして今、Salyuにハマっています。

このアーティストの事は『彗星』という曲で知ったのですが、リリース当時2005年のMTVを見て、妙に記憶に残る曲だなぁと思った程度でした。

声がとにかく特徴があり、感情がこもっているというか、うまく説明出来ません(なんだそりゃ)

楽曲とミスマッチに思えるよくわからないMVの映像と相まって、独特の世界観を醸し出してました。


Salyu「彗星」

やっぱいいですね~・・中毒になりますな。しかしいつ見てもよく分からん映像です。

しかしそこが中毒になったとこでもあるのですがね。

 

そしてたぶん認知度も高いと思われる『To U』です。(2007年リリース)

この曲は初めて聴いた瞬間に名曲入り(自分の)しました。この曲は何回聴いても心にきます。

特にブレイク時?のSalyuが唄う「愛~woo愛~」のところ。もう心臓貫かれます。


to U

超名曲ですね。

この世界で起こっている出来事と、この歌は絶妙に絡み合ってとてつもないメッセージを発していると感じます。作詞、作曲、ヴォーカル。この3人はとんでもない組み合わせです。

  

と、いかにも通な風に語っておりますが、実はこの2曲くらいしか知りませんでした。

そこで、なんとなく聴きたくなり動画を久々に検索してみましたら、なんと名曲ぞろい!

僕の好みにびたっとハマったのか、一発で虜になってしまいました。

なんですかね、この声がやっぱりグッとくるんですよ。いつまでも聴いていたいと思わせるヴォーカリストだと思います。初期と後期とでは声の質も変化してますが、どっちもすごくいいです。

そして小林武史氏の作る楽曲とすごく相性がいい。

とにかく毎日聴きまくってます。(今頃)

Salyuの唄を聴かない日は、クリープを入れないコーヒーと同じ。物足らんのです。

 

森永乳業 クリープ 280g

森永乳業 クリープ 280g

 

 紹介するほどでもないけど一応。これがクリープなるものです。

 

そして、またズキューンとやられた一曲を発見しました。

Mr.Children桜井和寿氏が作詞・作曲の『青空』、メロディはまんまミスチルです。当たり前か。

が、Salyuがこれを見事に唄い上げています。


Salyu「青空」MV (Full)

初期の憂いを帯びた声とは違い、曲と素晴らしく調和した声を聴かせてくれます。この曲に限らず口の動きなどを見てると、言葉を凄く丁寧に唄うひとだなぁと感じさせます。

 

そして僕がなぜこれを推すか?

歌詞がいいんですよ。人それぞれとらえ方はあるんですが、僕は母のことを唄った歌ととらえています。曲中に『母』というワードが出てくるんですが、それを知ってからは母に捧げる歌にしか聴こえなくなりました。

『あなたが好き~あなたが~』というフレーズがあるのですが、マザコンでもありませんし、ましてや恋愛感情などありません(笑)

 

アラフォーになって改めて母の存在に気付かせてくれるのです。遠く離れて暮らすため年に1~2回しか実家に帰らない自分ですが、この曲を聴くと年老いた母を想わずにはいられないのです。

 

しかしSalyuの歌声は胸に響きます。もっと早く知っとくべき、否、気付くべきだった~と思う日々であります。

久々に、聴きたい!と思わせてくれるアーティストに出会い(再会?)ました。また曲紹介しようと思います。

 

 

 

 

 

 

高校野球

 

毎年やってくる夏の風物詩『高校野球

僕は野球が好きという訳でもないのですが、この高校野球だけは好きです。特に夏の甲子園春の甲子園もありますが、夏の方が何か感じる物が多いです。

 

春の甲子園・・選抜高等学校野球大会

夏の甲子園・・全国高等学校野球選手権大会

と言うそうですが、

この字面だけ見るとなんとなく春はエリートだけ。しかし夏はいっぱい集結してぶつかり合う感が見えなくないですか?ちょっと強引ですが。

そしてこの『夏』という、エネルギッシュで儚く短い季節もそうさせます。

気付けばお盆も過ぎ、寂しげな風も吹き始めたなぁと感じる今日この頃です。

 

7月に入った頃はまさにエネルギッシュ全開!ギラギラの太陽が照り付け、スイカに花火、プールに祭りに海水浴!夏真っ盛り!だったのが、お盆を越えた途端、静かに収束していき、そして気付けばあっという間の夏だった・・と。

 

高校野球も同じで、集結した球児たちのドラマが始まります。初戦は特に熱く感じます。たくさんの出場校に応援団、観客、そして感情むき出しにした多くの選手たちのプレー。

強豪を倒しまさかの伏兵出現、甲子園の魔物ともいえる9回2アウトからの逆転劇、満面の笑みで喜ぶ選手、敗れて泣きじゃくる選手、必死に甲子園の砂をかき集める選手。

 

どのシーンを見ても表情が、魂がみなぎっている。仲間との最後の選手生活を謳歌せんとばかりに。これが終わればやって来る、まるで儚くも短い夏のように感じるのです。

 

僕の場合はプレーもさる事ながら、彼らのむき出しの感情を見ることが何より面白いですし、心を打たれます。この視点はテレビ中継でないと分からないと思いますが、実際の球場の雰囲気など肌で感じる視点もまた、違う迫力や面白さがあるのだと思います。

彼らの幼くも凛々しい表情は本当に引き込まれます。

 

高校球児と少年兵

ふと思うことがあるのですが、この高校球児たちと、過去の戦争で散った若い命が同じように見えてくるのです。戦争末期には若い17、18歳の少年までもが戦地に駆り出されました。彼らは国を守るために、家族を守るためにと言って出撃していきました。

当時の彼らに会ったことも無いので本当の気持ちなど分かる訳がないのですが、なんというか、ひたむきさが似ている気がするのです。

当時の教育がそうさせたのか、彼らの遺書などを読むととても17歳、18歳とは思えない反面、健気で一途な普通の少年だったんだと垣間見ることも出来ます。

 

高校球児とそんな時代の彼らとシンクロして見えるのは僕だけでしょうか。

この現代にはそぐわない、軍隊然とした規律や礼儀作法もそうさせるのかもしれません。

 

しかし僕はそれこそが高校球児であると思っています。真面目で、ひたむきで、不器用で、丸坊主頭で、礼儀正しくて、仲間思いで、感謝を忘れなくて・・と、こんなイメージを抱いているのですが、まさに戦時の彼らと同じなのです。

高校球児と少年兵を同じにするな!と言われそうですが、戦争で若くして散った彼らの遺書など読んでみると、本当に似ていると感じられます。

しかしこれは人によって感じ方、とらえ方、そして過去の戦争についての知識によっても変わるものであり、一概にそうですとは言い切れません。

 

奇しくも終戦日の8月15日を跨いでの高校野球夏の甲子園

幼い笑顔は当時の彼らも、現代の彼らも変わらない。甲子園の儚い夏と、儚く散った若い命。忘れないで欲しいと何か心に訴えられるものが、夏の高校野球にはあるのです。

1997年8月 四国一周 バイクツーリング記 まとめ

なるがです。

 

今回は四国一周の軌跡を簡単にまとめてみました。

8月26日

大阪~須磨港

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須磨港~大磯港 45分

淡路フェリーボート 1998年4月航路廃止

 

まさかこのツーリングの7ヶ月後に廃止になるとは全く知りませんでした。利用出来たのはある意味幸運だったと思います。

 

徳島 室戸岬~室戸スカイライン

高知市24時間サウナ泊

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大磯港から淡路島に入り、大鳴門橋を通って四国入国。55号線は本当に気持ち良い道です。

高知で泊まった24時間サウナをグーグルマップで調べてみたのですが、見つかりませんでした。さすがに20年も経てば変わってるよな〜。

 

2日目

桂浜 足摺岬~足摺サニーロード

道の駅すくも

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野宿した道の駅宿毛は思い出の地になりました。

実は2005年に嫁さんとタンデムで二度目の四国一周をしてるんですが、どうしてもそこに行きたくて、半ば強引にルートに組み込んで寄って来ました。

嫁さんからすれば全くどうでもいい場所なので、滞在時間15分程しか取らしてくれませんでした…。

 

3日目

378号線~佐田岬今治市

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佐田岬は最果て感が凄かったです。岬もそうですが、そこへの道のりの方が雰囲気ありました。確実に弱気になります。

二度目に行った時は道路も多少整備されており明るくなっていました。

この日は公園で野宿。野宿は楽しいですね。人に言ったらたいがい引かれます。

 

4日目

観音寺市 銭形砂絵~五色台

徳島港~大阪南港

徳島阪神フェリー 所要時間3時間40分 1998年4月航路廃止

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この徳島阪神フェリーも7ヶ月後に廃業してます。明石大橋開通の影響がいろんな所に表れた時期でした。これも最期に乗れたのは幸運としか言いようがないです。

高速道路もいいけど、船で渡るという行為は結構いいモンです。時代には逆らえないのが淋しいですねぇ…。

 

四国一周はしたものの、内陸部を全く見てない旅でした。

なので嫁さんと行った時は四国カルスト沈下橋はりまや橋大歩危峡などもまわって来ました。讃岐うどんも鰹も一応食べました。

気が向いたらこの時のツーリング日記も書いとこうかな〜と思案中です。

しかしバイク乗りたいなぁ〜解禁までまだまだ先かぁ…。四国は本当にいい所です。バイク乗りは必ず行くべし!です。

でもくれぐれも運転には気をつけてくださいね。

1997年8月 四国一周 バイクツーリング記 第11話 最終回

なるがです。

 

 

四国一周の旅もついに大団円を迎えます。

当時のツーリング日記はこれ以降だいぶ適当に書いており、かなり省略されてました。やる気の無さが伺えます。(最後まで書ききれよ)

なので、虚ろな記憶を辿りながら書いてます。さすがに20年前の記憶はそれそうとはよみがえって来てくれません。何せ写真を撮る事すらやめているという体たらく。

ツーリングの最後を締める大事な情報がほとんど無いという。

無事に帰れたのでいいのですが。

 

ツーリングに限らず、本当の旅のゴールは自宅に帰り着くまでです。実はこれこそが最も重要な事であり、気を抜いて事故を起こしてしまう可能性も十分に考えられます。

極論は、生きて帰る事。これに尽きます。

 

それでは、第11話最終回です~。

 

四国をあとに

四国一周を成し遂げ、達成感でいっぱいになりながら最後の目的地、徳島港を目指す。思えばあっという間の4日間だった。

徳島港に到着し、さっそくチケット購入。出港まで2時間近くある。近くをブラブラしたり海を眺めたりして時間をつぶす。

 

そしてやっと乗船時刻がやってきた。15:30。大きなフェリーは初体験だ。

バイクを船に乗り入れる時は異様に興奮した。あのデカい鉄のカタマリの中へ運転しながら入っていく事、ゴトンゴトンという大きな音は、不安と緊張とワクワク感がすごかった。

 

出港してしばらくは、島が見えなくなるまでずっと眺めていた。なつかしい感じと寂しさ、そして安堵感があった。さようなら、四国。

 

サーファーの大学生と意気投合

船内はいろんな人達でごった返しており、自分の居場所をなかなか見つけられないでいた。それに加え、日焼けパンダのドス黒キタナイ俺は結構目立つらしく、いろんな人からジロジロ見られた。もう居場所は必然的にデッキ上となる。

 

南港までは約3時間40分の船旅だ。船内に降り、飲み物を購入しに行ったとき、同じ列に並んだサーファーの大学生と意気投合する。

名前は聞かなかったが、すごく話が盛り上がり、到着するまでずっと話し込んでいた。おかげで退屈しない船旅になった。ここでも出会いがあった事に感謝。

 

帰着

そして19:00、南港着。ここからが気の入れどころだ。絶対生きて帰るんだという、よくわからないモチベーションで出発。

そしてついに自宅へ無事到着!疲れた~!ほんとにドッと疲れが襲ってくる。

 

 名残惜しみながらバイクから荷を下ろし、ひとつひとつ片づけをしていくうちに、いつもの日常へと戻っていく。そしてようやく一息つくと、今までの事がまるで夢だったかの様に思えてくる。

すでに今は風呂にも入り、テレビを見ながらポテチを食べ、クーラーの効いた部屋でくつろいでいる。昨日の今頃はまだ走ってたというのに。

本当に俺は旅をして来たのか?と思うほどに信じ難いこのギャップ。

でも、確かに俺は旅をしてきたんだ。

 

終わりに

四国一周の旅は本当に素晴らしかった。無事帰ることも出来た。

文句も言わず一緒に走ってくれた相棒。お前は本当によく頑張ってくれた。ありがとう。今日はゆっくり休んでくれ。今度きれいに洗ってやるからな。

長く一緒に走ると本当に生き物のように思えてくる。この感覚はバイク乗りしか分からないのかもしれない。

そして、行く先々で出会った人達。彼らはみんな優しかった。人とのふれあいはこんなにも素晴らしいものなんだ。このような体験は一生に数える程しか出来ないんではないだろうか。

さらにそれを補って余りある四国の大自然。本当に自然は美しい。そして、普段知ることのない自分の心との対話。

言葉では言い表す事など出来ない素晴らしすぎる四日間。いつまでも、いつまでも忘れない。

 

 

四国一周 総走行距離 約1321km

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