なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

太平洋戦争で戦死した祖父を見つけた⁈

なるがです。

 

 ずっと探していた祖父を、ネット上ですが見つけたかもしれません。

確信は持てないのだけど。

僕は子供の頃から、過去の戦争についてすごく興味がありました。

過去の戦争とは、タイトルの通り太平洋戦争のことです。

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終戦からすでに72年が経ち、過去に戦争があった事も、遠い昔の話として忘れ去られて行く様な世の中にも感じます。そして戦争を言い伝えてきた体験者、証言者の数も風前の灯火となりつつあります。

 

 

戦争に興味を持つように

 よくありがちな、飛行機、軍艦、戦車などのカタチから入り、それに付随して出来事などを知っていく。

当時は取り憑かれた様にプラモを作りまくり、資料を集めては穴が空くほどそれを眺め、気付けばシルエットだけで分かる様にまでなっていました。

何の役にも立たない知識なんですが。

 

あの何とも言えない造形美。唯一無二のデザイン、贅肉を削ぎ落としたスタイルに当時の僕は完全に魅了されていました。

男子ならこの気持ち、わかりますよね。

 

だけど、たまにこういうことを言う人もいる。

『人殺しの道具がそんなにカッコいい?』

多分どう説明したって理解してくれないだろう。それを扱う人間が悪いのであって、それ自体には何の罪もない。

 

にもかかわらず、ハナから否定するのはどうかと思うのですが。うちの嫁さんなんかは子供に、『そんなもの見てはだめ!』的な応対です。

そんなものて、偏見すぎるし。

確かにそれが引き金となり、こじらせてしまう可能性も否定出来ん。

賛否両論あるでしょうけど。

 

おっと、タイトルから脱線してしまいました。じいさんはどこ行ったw

 

しかしこれらが伏線となり、後ろに隠れていた史実へと興味はシフトしていきます。

 

祖母の証言

 15年前に祖母が他界しているのですが、その少し前に祖父についてインタビューを行なった事がありました。

初めは今更言う事もないと渋ってたのですが、聞けば聞くほど嬉しそうに?時に険しく、自分の体験を語り出しました。

とても厳しい人でした。戦争で夫を亡くし、残された小さな子供達4人を抱え、それはもう必死に働いたそうです。

そんな時代を生き抜いてきた人だったんだ。

 

祖父の情報は、というより僕が一番知りたかったのは、何処で、どんな風に戦死したのか。という事でした。教えてくれた答えは、

 

『昭和20年3月14日 フィリピン パラワン島にて戦死』

 

という情報のみでした。(祖母は『ふいりぴん』とずっと言ってました)

ふーん。

昭和18年34歳で召集令状によって陸軍に徴兵され、千葉連隊の戦車隊に配属、中国へ派遣、その後南方に回されたそうです。階級は兵長

 

じいちゃん発見 

 スマホが登場してからはインターネットで何でも調べる事が出来るようになり、いろんなキーワードで祖父を検索しておりました。

情報も書籍などより得ることが多く、何といってもケタ違いに速い。そして、とある証言集のサイトに辿り着きました。

 

その中にある中隊長の日記を読み進めてしばらく後、ん⁈

戦死者名にじいちゃんの名前が書いてあるぞ??

同姓同名の人の可能性もあるしな…。でも、死亡日付を見ると昭和20年3月14日とある。同じだ。階級も兵長となっている。

場所は、ボルネオ島北東部のボトという所。祖母に聞いたパラワン島ではないが、地図を見ると隣の島ではないか。

 

日記としてあるので信憑性は極めて高いと思われる。

 陸軍省からの死亡通知などは本当に適当だったらしい。確かに戦時の最中に何処でどのように死んだかなど、将校クラスならまだしも、何万も展開している歩兵一人を誰が把握できようか。

 

 続けてそこに書かれていたのは、行軍中に病気となり死亡。そして、

『日頃真面目な兵であり、元気旺盛な者であった』と筆者は綴っておられました。

 

これが祖父なのか、同姓同名の他人なのか、答えはわかりません。

しかし僕はこれをじいちゃんだと思いたいのです。

 

 後に僕は研修でバリに行く機会がありました。奇しくもインドネシア。そして途上の飛行機でボルネオ島上空を通過。まさにじいちゃんが眠っているであろう島の上空にいたのです。なんでも結びつける癖があるのですが、この時ばかりはじいちゃんが呼んでくれたと思わざるを得ませんでした。

窓から下を覗き込む。祖父はこのジャングルで一体何を思ったんだろう。

目を閉じ、会ったこともない祖父に思いを馳せました。

 

 僕がまだ2歳か3歳のころ、じいちゃんの生まれ変わりだと言われてた事があったそうです。上空に飛行機が飛んでくると、通過していなくなるまでジッと固まったまま動かなかったり、戦争のつらい体験であろう表現をしていたようです。

 

戦争に興味を持ったのも、すべてはこの日の為だとしたら・・。

こじつけすぎだろ。

 

僕が生まれた時すでに祖父はこの世に居なく、写真だけが飾ってあり、誰これ?と

言ってたのを思い出します。

 

これにて僕の中での祖父のモヤモヤは無くなったと思っています。

ジャングルの行軍半ばで病気によって帰らぬ人となった。という結論に達した訳です。

たとえこれが実は全くの他人だったとしてもです。

 

よくがんばったな!じいちゃん。

 

 (追記)

じいちゃんはこの南の島で本当の地獄を見たんだろうな。

narugapapa.hatenablog.com

 

最後に

調べてみると、『ボルネオ死の行軍』『サンダカン死の行進』などとも言われる、トンデモ作戦に参加していたようです。

あと、軍歴証明書なるものが発行できるそうです。細かい軍歴や転進先、出港した港の名前までわかるそうです。

いろいろ手続きが必要だそうですが、今度取得してみようと思ってます。