なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

高校野球

 

毎年やってくる夏の風物詩『高校野球

僕は野球が好きという訳でもないのですが、この高校野球だけは好きです。特に夏の甲子園春の甲子園もありますが、夏の方が何か感じる物が多いです。

 

春の甲子園・・選抜高等学校野球大会

夏の甲子園・・全国高等学校野球選手権大会

と言うそうですが、

この字面だけ見るとなんとなく春はエリートだけ。しかし夏はいっぱい集結してぶつかり合う感が見えなくないですか?ちょっと強引ですが。

そしてこの『夏』という、エネルギッシュで儚く短い季節もそうさせます。

気付けばお盆も過ぎ、寂しげな風も吹き始めたなぁと感じる今日この頃です。

 

7月に入った頃はまさにエネルギッシュ全開!ギラギラの太陽が照り付け、スイカに花火、プールに祭りに海水浴!夏真っ盛り!だったのが、お盆を越えた途端、静かに収束していき、そして気付けばあっという間の夏だった・・と。

 

高校野球も同じで、集結した球児たちのドラマが始まります。初戦は特に熱く感じます。たくさんの出場校に応援団、観客、そして感情むき出しにした多くの選手たちのプレー。

強豪を倒しまさかの伏兵出現、甲子園の魔物ともいえる9回2アウトからの逆転劇、満面の笑みで喜ぶ選手、敗れて泣きじゃくる選手、必死に甲子園の砂をかき集める選手。

 

どのシーンを見ても表情が、魂がみなぎっている。仲間との最後の選手生活を謳歌せんとばかりに。これが終わればやって来る、まるで儚くも短い夏のように感じるのです。

 

僕の場合はプレーもさる事ながら、彼らのむき出しの感情を見ることが何より面白いですし、心を打たれます。この視点はテレビ中継でないと分からないと思いますが、実際の球場の雰囲気など肌で感じる視点もまた、違う迫力や面白さがあるのだと思います。

彼らの幼くも凛々しい表情は本当に引き込まれます。

 

高校球児と少年兵

ふと思うことがあるのですが、この高校球児たちと、過去の戦争で散った若い命が同じように見えてくるのです。戦争末期には若い17、18歳の少年までもが戦地に駆り出されました。彼らは国を守るために、家族を守るためにと言って出撃していきました。

当時の彼らに会ったことも無いので本当の気持ちなど分かる訳がないのですが、なんというか、ひたむきさが似ている気がするのです。

当時の教育がそうさせたのか、彼らの遺書などを読むととても17歳、18歳とは思えない反面、健気で一途な普通の少年だったんだと垣間見ることも出来ます。

 

高校球児とそんな時代の彼らとシンクロして見えるのは僕だけでしょうか。

この現代にはそぐわない、軍隊然とした規律や礼儀作法もそうさせるのかもしれません。

 

しかし僕はそれこそが高校球児であると思っています。真面目で、ひたむきで、不器用で、丸坊主頭で、礼儀正しくて、仲間思いで、感謝を忘れなくて・・と、こんなイメージを抱いているのですが、まさに戦時の彼らと同じなのです。

高校球児と少年兵を同じにするな!と言われそうですが、戦争で若くして散った彼らの遺書など読んでみると、本当に似ていると感じられます。

しかしこれは人によって感じ方、とらえ方、そして過去の戦争についての知識によっても変わるものであり、一概にそうですとは言い切れません。

 

奇しくも終戦日の8月15日を跨いでの高校野球夏の甲子園

幼い笑顔は当時の彼らも、現代の彼らも変わらない。甲子園の儚い夏と、儚く散った若い命。忘れないで欲しいと何か心に訴えられるものが、夏の高校野球にはあるのです。