なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

野火

なるがです。

 

野火と書いて「のび」と読みます。

 

野原の枯れ草を焼く火のこと。野原で草木などが燃える火事のこと。

1951年に発表された大岡昇平氏の小説。

 

小説『野火』は、作者のフィリピンでの戦争体験を基に、戦場における極限状態の人間の様を描いています。

 1959年に市川崑、2015年に塚本晋也により映画化されています。

 今回はその2015年版、塚本晋也監督の作品を鑑賞しました。レンタルビデオ屋(死語?)で何も知らずにふと手にしたこの映画、かなり衝撃でした。

 

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舞台はフィリピンのレイテ島。太平洋戦争の後半1944年10月20日、天王山とも言えるこのレイテ決戦において帝国海軍はほぼ壊滅(レイテ沖海戦)、航空機に爆弾を搭載して艦船に体当たりする特攻隊が大体的に出現したのもこの頃からです。

そして『野火』の題材となっている当時レイテ島守備にあった陸軍第16師団1万8千の将兵。その後に投入される陸軍第1師団1万3千の将兵

その後も投入は続けられますが、火力を積んだ輸送船はことごとく撃沈され、武器のない兵隊だけが上陸するという事態になっていました。

総勢7万5千の兵隊達、彼らが目にしたものとは一体どのようなものだったのか。

 

レイテ決戦

マッカーサー率いる700隻もの艦艇がレイテに集結。物量に勝るアメリカ軍は、軍艦による艦砲射撃をレイテ島東岸に向けて一斉に行いました。

日本兵

『艦砲射撃が始まればもう手も足も出ない。砲弾が炸裂して壕の中にいても破片が飛んでくる。当たって倒れた兵隊を起こしたら死んでいました。』

 

4時間にも及ぶ激しい砲撃は海岸の地形をも変貌させます。そしてその後、日本軍守備隊の約3倍にあたる6万の兵力をもって上陸を開始します。

 

アメリカ軍の上陸からわずか10日で第16師団は兵力の8割を失い壊滅状態になります。

しかし通信手段が破壊されていたためこの状況が大本営には伝わらず、逆にレイテのアメリカ軍は敗残兵だと思っていた大本営は、とどめを刺すべく兵力の追加を行います。

 

レイテ島西岸オルモックに第1師団上陸。そこで初めて第16師団の壊滅、敗走を知り、レイテ島中央に位置するリモン峠でアメリカ軍と激突します。アメリカ軍は敗残兵などではありませんでした。圧倒的兵力と火力によって日本軍は完膚なきまでに叩かれます。第1師団の残存兵は800名ほどだったといいます。

 

日本兵

『重傷を負って泣いている兵隊や、火炎放射器で煽られ体中が火ぶくれになった兵隊が裸のまま泣きながら歩いていました。惨めでした。』

 

アメリカ兵:

『攻撃の後に焼け野原に行くと、まだ息のある日本兵には足や腕が無く、目玉が飛び出して顔から垂れ下がっていました。』

 

『ブルドーザーで日本軍が潜む壕を埋めました。全員生き埋めにされたのです。降り注ぐ土砂の下で、息絶えるまで彼らは軍歌を歌い続けていました。』

(出典:果てしなき消耗戦 証言記録 レイテ決戦)

 

 追われて敗走する日本軍に補給や援軍などは無く、ただ食糧だけを求めながら兵達はジャングルを彷徨う事になります。西海岸パロンポンへ向けての撤退が始まりました。

 

前置きが長くなりましたが、映画『野火』ではこのあたりからの出来事に焦点をあてているようです。主人公である田村一等兵の主観で描かれておりますが、戦争映画に付き物の戦闘シーンなどは皆無であり、只々人間が壊れていく様だけがそこにはあります。

 

太平洋戦争において南方と言えば、フィリピン・ニューギニアソロモン諸島等々、そして、玉砕・飢餓・マラリア等を連想します。

例えばソロモン諸島ガダルカナル島は、縮めて「ガ島」と呼ばれていましたが、「餓島」と揶揄されるほど現場は凄惨を極めました。

 

極度の飢えと疲労に加え、敵からの攻撃、常に死と隣り合わせの恐怖と緊張の中、兵達はジャングルを彷徨い続けました。あまりの空腹に弱った兵隊を殺し、その人肉まで食らう兵もいたといいます。

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 映画中においてもその食人のシーンは出てきます。そして非情なまでにボロボロになった日本兵。あまりにボロボロすぎてキャストが誰なのか分かりませんでした。

塚本監督はあえてきれいに作らなかったそうです。やり過ぎな位がちょうどよいと。

分かる気がします。

そもそも現場を実際に見てないのだから分かるはずがないのです。だけど実際に見てきた人は存在する。僕も想像の域を越えないのですが、実際の現場などはとても表現できるものじゃないんだと思います。だからこそのやり過ぎ描写なのだと理解しました。監督はこの映画の構想に20年を費やしています。

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ヒーローなどは存在せず、何の感動もありません。ただ、そこに描かれている出来事を眼で理解し頭で考えるのみなのです。

 

 

爺さんも同じ運命を辿ったのか ボルネオ死の行進(転進)

話は少し逸れます。過去の記事で祖父の事を書いているのですが、祖父も太平洋戦争末期フィリピン戦線で戦いました。

パラワン島で戦死したとのことですが、とある中隊長の日記で祖父の名前を見つけ(本人の確証は持てないのですが)その日記では隣の島、ボルネオ島にて戦死したとのことです。

 

フィリピン戦線に投入された約50万人の兵士のうち、約40万人は餓死との統計も出ています。

食糧の補給なく、栄養失調で弱っていく抵抗力、マラリアをはじめとした病気の蔓延。それに伴う病死も餓死と同じようなものでしょう。祖父もマラリア脚気により病死したと中隊長の日記にはありました。

 

ボルネオ島のタワオからブルネイまで行けという転進命令(西海岸に米軍接近の報を受けて)を後にこう綴っておられます。

 

『熱帯の道なき道の百数十里の長路悪路、悪天候の行軍、人間業で不可能を強いられた作戦であった。この転進路において多数将兵が命を落とし、健児部隊も一変して廃人部隊と化してしまったのである。』

 

ブルネイ到着までに約2か月半、その間一度も戦闘せず、ただ暑さと食糧の欠乏、マラリアの為に将兵の半数以上は病死。到着した兵も全員廃人の如くという有様でした。

 

 

『誰を恨むでもなく、すべてを自分の精神と体力とに頼り毎日歩き続ける。昼なお暗きジャングルをただ夢遊病者の様な群れが、何の目的もなき如き兵隊のウツロな瞳、追いつ追われつ、統制のない人間の群れが未開の土地を進んでいく。』

 

『野犬は何匹殺して食ったことか。名も知らない草木を食ったことか。英軍の捕虜達が骨と皮との姿で私達との行進とすれ違った時、戦争は勝ってるのか負けてるのか我が身と比べて悲しく感じられた。』

 

『生きたい、生きなければならない、頑張らなければ今死んだ戦友のように誰一人に水の一杯も貰わず死んでいくのだ。』

 ( 独歩三六七大隊第3中隊手記)

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司令部からの人間性を欠いた作戦命令によって、多くの兵隊が犠牲になりました。祖父もきっとこの地獄を見たに違いありません。

目的地のブルネイに到着することなく無念の病死となった祖父ですが、到着組にはさらに悲惨な出来事が待っていました。

 

上陸を暗示させるアメリカ軍による物凄い砲爆を前に、廃人部隊と化した寄せ集めの部隊では歯が立たず、上陸前に撤退命令が下ります。ジャングルの山中へと退却を余儀なくされ、再び死の行進が始まりました。

 

『食糧の欠乏にグッタリと倒れていく兵隊が数を増してゆく。手榴弾による自殺も出てきた。毎日五人、十人と自殺して果てる日本人の姿よ。彼らは日々の苦痛を死によって解決したのだ。』

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 『あちらに二人、こちらに一人と歩行する力も無く横たわり、また座ってウツロな目で何かを考えている姿は人間ではなく兵隊でもない。』

( 独歩三六七大隊第3中隊手記)

 

まさに映画そのままの悲惨な光景が レイテ島以外でもこうして実際に起きていたのです。

 

この映画を見て今思う事は祖父の死についてです。死の間際、残してきた妻や子を思いながら無念に死んでいったのだと思います。

何でこんな所で死ななければならないのだ。まだまだこれからなのに!

この地で亡くなった多くの兵隊達もそう思ったに違いありません。

転進の初期では火葬も行う事が出来たそうですが、後半ではほとんどが置き去り、野ざらしになって行きました。骨も拾ってもらえず朽ち果てていったのでしょう。

 

『野火』とはきっと、火葬出来なかった兵隊たちへの弔いを込めた火(題名)なのかなとも思います。

露営による火、砲撃による火、火炎で人間が焼かれる火、そして火葬による火。この戦場を一言で表す言葉なのかな?僕はそんな風に捉えました。

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そしてこの映画を手に取らせたのはきっと祖父なんだと思います。終戦5ヶ月前の無念の死、僕が知りたかった事をこのような形で教えてくれたのです。

そんな風にも思わざるを得ない、大変貴重で衝撃を受けた映画となりました。

戦争で格好良く死ぬなんてのは幻想です。こういった映画こそ見るべきだと思うし、知る必要があるのだと思います。