なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

マッチ売りの少女と子供の虐待

なるがです。

 

 今日は休みなので、5歳の息子の世話は僕の担当です。いつのまにかこの形になっていたのは妻の強制…もとい、普段子供と触れ合えない事を思ってのコミュニケーション作りとして、妻が『僕の為』に提案してくれたからです。

 

保育園の送迎に始まり、夕食後は闘いゴッコをし、一緒に風呂に入り、歯磨きの仕上げをやり、寝室へ連れて行き絵本を読んで寝かしつけ。と、ここまでが僕の担当業務なのであります。

「メンドクセー!」と喉まで出かけている言葉を抑えながら、あきらめて世話をさせて頂きます。

 

 しかしですね、やっぱり一緒に過ごす事は大事です。体力が有り余っている5歳児との闘いゴッコでパンチの痛さに驚き、風呂に入れて頭や身体を洗いながらこんなに大きくなったんだと驚き、会話の内容がすでに男同士なのに驚き、クソ生意気な言葉や態度も含め、子供の成長とは実に早いものだと実感します。

そして遊び疲れたら眠くなり…5歳児らしくて可愛いではないですか。それでも「今日絵本読んでな」と最後までリクエストが入ります。そのまま寝落ちしてくれると思いましたが甘かった様です。

持ってきた絵本は、『マッチ売りの少女』

アンデルセンかーい!なかなか渋い選択だな!息子よ。

 『マッチ売りの少女』は当然知っていますが、改めて読むとこんなに悲しい話だったのかと、読み聞かせながらとても新鮮に感じられました。

ザックリとあらすじを言いますと、

 

『大晦日の夜、寒さに凍えたマッチ売りの少女は、売れ残りのマッチを擦ってみました。小さなともしびの中に現れた、暖かいストーブや、美味しそうなごちそうや、クリスマスツリー。でもみんなすぐに消えてしまいます。最後に、一番可愛がってくれた懐かしいおばあさんを見つけた少女は、その姿が消えないように、全部のマッチを擦ってしまいました。少女はおばあさんの所へ行きたいと願い、おばあさんは少女をやさしく包み込み、高く、高く、高いところへと連れて行ってくれました。暖かいおばあさんに包まれ、もう凍えることも、怖い父親に怯えて暮らすこともありません。

寒い次の朝、少女は路地のかたすみでうずくまって亡くなっていました。けれども口には微笑みを浮かべ、とても幸せそうでした。小さな亡き骸のそばにはたくさんのマッチの束が燃え尽きていました。きっと、この子は暖まろうとしたんだね、と人びとは言いました。けれども少女が最後に見た光は、どんなに美しく、どんなに幸せなものだったか、そしておばあさんと幸せな新年を迎えられた事を、きっと誰も知る事はないのでしょう。』

(ぜんぜんザックリじゃないし、むしろ文字数稼ぎ)

 

と、この様な胸を締め付けられる感覚さえ覚える悲しい結末なのです。

しかし街の人々も冷たい!鬼!。雪の中で裸足で立っている小さな女の子に、誰も助けの手を差し伸べる者は居なかったのか⁈ そもそもこんな寒空の中、マッチなどワケの分からんものを売りに行かせる父親も父親だ!それでも父親か!売るならカイロにしろ!

 

と、単なる童話にキレておりました(笑)

 

 しかし見方を変えればこれは単なる童話ではない。現実の社会で実際に起こっている事ではないかと考えるのです。いたいけな子供への虐待によって小さな命が消えてゆく。誰にも手を差し伸べて貰えず、亡くなった小さな命。その子たちもあたたかいものが欲しくてたまらなかったんだと思います。

クリスマスイブに虐待で亡くなった4歳の男の子がいましたが、きっとサンタクロースが連れて行ったんでしょう。もう怯えて暮らさなくていいんだよと。

たくさんのプレゼントを貰って、そして穏やかな毎日を送っていて欲しい。

その子たちが最後に見た光はどんなものだったか、私達は知る事はないのでしょう。せめて美しいものであって欲しいと願わずにはいられません。

 

息子に読み聞かせながら、ふとそんな事を考えておりました。

マッチ売りの少女、悲しいけれどとても美しい物語と共に、現代に通ずるものも少しあるのではないかな、と思うのであります。

 

…ってオイ!聞いてないし!すでに寝てますがな!息子よ…。