なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

2002年8月〜 2度目の九州一周ぼっちバイクツーリング記 8日目、最終日

なるがです。

 

  良く分からなかった九州ツーリングも残すところあと一日となりました。日本海沿いを走りながら帰途に就いているところです。前回は夜中に帰着し朝イチで仕事というアホな事をしたので、今回は一日早く切り上げる予定を立てました。

  ゆっくりと休みながら走りますが、思ったよりも時間がかかってしまい、その日の帰着は出来ませんでした。

 

9月2日続き

  下関から191号線で北上を続けている。景色も良く走りやすい道なのだが、単調になり出してからは結構しんどい。博多を9時半過ぎに発ってから気付けばもう13時だ。

腹も減ったので昼飯にする。

f:id:narugapapa:20190104010537j:image

(何を食べたか覚えてない)

  節約のため高速道路は使わず国道を走っているのだが、全然進まない!  地図を見て、まだここ⁈  と愕然とした。

  ツーリングの最終日はいつもこんな感じなのは何故なんだろう。ただただしんどいだけだ。

 

  やっと島根県益田市まで来た。

道の駅サンエイト美都  到着17:00。何か見覚えのある場所だと思ったら、過去に一度会社のツーリングチームで訪れていた。そしてここには美都温泉という温泉まであるのだ。
f:id:narugapapa:20190104010529j:image

かなりやつれている。顔も真っ黒で埃っぽく相当汚い。
f:id:narugapapa:20190104010533j:image

が、温泉には入らず出発する。入って休みたかったが、現在17時も回っている。もし温泉に入ったら、出発する頃には確実に真っ暗だ。その状況で広島までの距離約100kmの山中を抜けなければならないのだ。

迷ったが明るいうちに山越えをして広島市街には抜けたい。それでも19:00は確実にまわる。f:id:narugapapa:20190104010526j:image

果てしなく続くように見える。

 

  19:30広島市街に入った。すでに陽は落ちて今はネオンの中を走っている。予定より30分遅い。

  2号線に入りあとは真っ直ぐだ。しかしここからが長いのだ。すでに時刻は21:00をまわった。それでも走り続け、ガススタで給油した時は0:30だった。

 ようやく姫路の国道サービスエリアに着いた時は2:00をまわっていた。流石にもう限界でダウン。久々の野宿だが、施設内のテーブルに突っ伏して寝たので中々眠れなかった。

 

9月3日

  6:30起床。やはりうるさくて寝ていられない。しばらくボーッとしていたが急に腹が減って来たのでカップラーメンを食べる。そう言えば昨日の昼から何も食べていなかった。

  8:30出発。渋滞が酷いが自宅まであと少しだ。長かった9日間の旅も本当に終わりを迎えるのだ。見慣れた風景の中に出てくると急に現実味が増してくる。 

10:30ついに無事帰着を果たす。

疲れた。とても疲れた。荷を降ろし頑張って走ってくれた相棒をラクにしてやる。

f:id:narugapapa:20190104010523j:image

しばらくするともう普段の生活に戻っている。旅の余韻などは感じられないほどにストレートな現実。一体俺は何のために走って来たのだろう?とさえ思ってしまう。

  何か得るものがあったのか?と問われたら正直何も無かったと答えてしまうだろう。だけど今しか出来ない事だったのだ。この旅は。何も得るものが無かったが、今このタイミングだったのだ。行動した事実こそ最も重要で、知らないうちに自分では気付かない何かしらの経験をしているものだ。そう願いたい。

 結果として一生忘れない記憶として残ったのだから、これでいいのだ。本当にやって良かった。

 

九州一周ツーリング 2002年8月25〜9月3日

終わり

 

その後

(ロングツーリングもこれが最後となりました。3年後に自損事故を起こし、その時乗っていたCB1300は廃車、それ以降バイクには一度も乗っていません。

信号無視の原チャの飛び出しで急ブレーキタイヤロックで吹っ飛び、停止中のダンプに突っ込んだのですが、うまい具合に体とバイクが離れて、バイクだけが突っ込みました。お陰で即死を免れました。2トンの圧力がかかっていたそうです。原チャには逃げられました。CB君には悪いことしたけど。

命を粗末にしてはいけませんね。そしていつ自分が巻き込まれるかも分からないものです。僕はまさに九死に一生を得たと思っています。あの事故を思う時、生かして貰えた事に感謝し、そして何があろうと生き抜かねばならないと強く身に染みて感じました。生きたくても生きられなかった彼らの分まで。

もう人生の半分は終わった身ですが、残りも大切に使っていきたいですね。…それでもバイクに乗るリベンジは必ず果たすつもりです!)

それでは。