なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

子供には手を出すな 親の虐待について

なるがです。

 

 10歳女子児童虐待死亡事故のニュース、かなり胸くそ悪いです。

毎回毎回なんなんですか子供を虐待して死なすって。頭沸いてんちゃいますか?

いったいどれくらいの親が我が子を虐待しているんでしょうか。

 今回亡くなったのは10歳の女の子です。10歳ですよ⁈10歳。身体もある程度大きくなり物心もついた一人の子供が、死ぬまで父親から虐待されていたのです。もう言葉になりません。

しかも数年もの間、日常的に虐待を受けていたと聞き、怯えて暮らす女の子の恐怖と絶望はどれほどのものだったかを考えると本当に胸が苦しいです。

(追記)心愛ちゃんの直筆のアンケート用紙を見ました。あどけない文字で必死に助けを求め訴えたのに、市は事もあろうに父親の威圧感に屈し渡してしまったと。あり得ない。「先生、どうにかなりませんか」の言葉があまりにも不憫でならない。

(追記)ここへきてなんと母親が逮捕されるという展開に。この母親もある意味被害者と言えます。しかしもう少し何か出来なかったのか…と思わずにいられませんが、やはり当事者でないと分からない複雑な事情があったのだと思います。

  心愛ちゃんに行ってきた虐待は壮絶なるものでした。殴る蹴るに加え、食事を与えない、長時間立たせる、疲れて倒れこむ所をまた無理矢理立たす、寝かせない、等も受けていました。むごい、酷すぎる。

色んな事実が出て来るたび女児に思いを馳せ、彼女が見ていた景色を思うと本当に辛く切ない。

 

子供にとって一番の味方である親。その親から毎日の様に受ける暴力は本当に怖かっただろうに。誰か助けてあげられなかったのか本当に悔やまれます。

僕にも同い年の娘がいますが、このニュースを見て女の子がかわいそうとずっと言っておりました。娘にとっても同い歳故に衝撃だったのでしょう。

 

 僕は子供への虐待だけは何があっても許せない事だと思っています。何故なら絶対に勝てる対象としてやっているからです。いうなれば躾ではなくただのストレス発散です。言う事聞かないっていうのも、子供が悪いんじゃない。自分の、親の思い通りに動かないイラつきからそう思うのです。

 

 本当に人として間違った事をしたなら、僕は殴る事もするでしょう。しかし10歳そこらの子供がいったい何をしたというのか?暴力で押さえつけなければならない事など皆無のはずです。

しかし暴力、恐怖ほど人を支配できる道具はありません。子供ならなおさら効果てきめんです。ですが

そこでそれを行使してしまうのは待て!

 

使えばあまりの効き目にまた使いたくなる麻薬だという事を肝に銘ずべし。

そして使ったが最後、子供の記憶には一生残り続けます。それが良い使い方だったなら、それを思い出し大人になった時自戒する事もあるでしょう。しかしただの脅しとしての使い方は、恨みと悲しみの記憶しか残りません。

 

使う側は言う事を聞いてくれるのでそれは気持ちいいでしょう。

まったく相手の事など考えていません。自分が良ければそれでいいのです。

そして気付いたころにはもう手が付けられなくなっています。

 

だから、自分の為にも、何があっても子供には手を挙げるな! と強く言いたい。

小さな子供がお前に対して何か致命的な事でもするか?そんなことも許せない小さな人間なのか?お前は? 

「またやってしまった…本当はしたくないのに…。」

このよく聞くセリフも反吐が出ます。自分を正当化したいだけです。

 

 児相が、学校が、対策が、と言いますがこれらの機能はもはや限界なのでしょう。

相談件数はすでに数年前の何倍にもなっているそうです。この件数も氷山の一角かもしれません。一人当たりの担当件数が200件などというとんでもない数を抱えている事もあるそうです。

これでは繰り返すのも無理はない。

 

これからの未来が待っている子供たちを導くのが大人であり親である私たちなのに、その立場の大人が子供を虐待? いったい何をしているのか。子供への虐待は将来、私たち大人に苦難をもたらす要因のひとつになるかもしれません。

児相や学校もいいですが、大人たちが精神的に成長する必要があるのだと思います。

 

それには人間性を取り戻すことが大事なのではないか。何をするかは自分自身で考えなければならないでしょう。それが皆違っていたって構わないのです。行動に移せばなにかしら動きがあるはずなのです。時間がかかったとしても。

手を出す前に冷静になる事です。

そして一人でも多くの大人が、子供への暴力を踏みとどまってくれる事を願って止みません。

虐待は本当にダメだ。