なるがままにされよう

このGブログも今年2周年だそうです。中身はありませんので悪しからず。

バドミントンはじめました

なるがです。

 

 この前体育館でバドミントンをしました。バドミントンて超楽しいですね!メタボ解消になればと思い初心者の練習に参加させて頂いたのですが、参加初日にして「ふくらはぎ肉離れ」という超情けない離れ業をやってしまいました。まさにオッサンあるあるです(笑)

バドミントンは瞬発系の動きがとても多く、足の故障もとても多いスポーツです。前方に足を踏み込んだ瞬間「プツッ」という音?が聞こえた様な気がしました。ちなみにバドミントンは公園でやったことがある程度です。舐めてました。

 

 準備運動不足もさることながら、老化の波が押し寄せて来ていると実感せざるを得ない出来事でした。それだけではありません。ここ半年でついに老眼も来ました。スマホの文字が読めない…。顔のシワ、肌のカサカサ、白髪もめちゃ増えました。奇跡的に禿はまだ来てません。

自分がもうアラフィフだと?バカな! このリアルに追いついていない自分がいます。未だに30代だと思っています(笑) 自分が思い描いていたアラフィフとは程遠い仕上がりです。

人生80年?90年?として、いつの間にか折り返し地点を通過しました。その節目として僕の人生を振り返ってみると……まぁ合格と言えるでしょう。この先どうなるかは分かりませんが、よくここまでやってこれたなと。いろんな人に助けられてきました。

 

 仕事では上司や先輩から一番早く業界から消える、向いていない、辞めてまえと言われ続けていましたが、気付けばまだこの業界で生きている。思い描いた第一線での活躍は叶わなかったけれど、振り返れば今まで本当に良く頑張ってきたと思います。こんな不器用な自分がまだやっているなんて信じられません。

そしてプライベートでは有難い事に家庭を作る事もできましたし、トータルで見れば折り返し地点での失速はまだありません。楽しい事も苦しい事も確かにありました。

 

 嫌な事や苦しい事は逃げちゃえ、人生は一度きり、自分の夢に向かって突き進め!好きな事だけは死んでも離すな。とどこぞやのCMが仰ってます。果たしてそれでいいのでしょうか?嫌な事や苦しい事の中にも大事なものが隠れていることだってあるのに、というのが僕の持論で何か違和感を覚えるのですが、これも老人の、オッサンの戯言なのでしょうな。現代における価値観はずいぶん昔と変わってしまいました。あぁ僕も苦しい事や嫌な事から逃げれば良かった(笑) だとしたらどんな人生を送っていたんだろう。

 人生は選択の連続だと言いますが、まさにその通りでその選択によって僕らの道はそれぞれ作られていきます。しかしあのときあの選択をしていればもっと良い人生になっていたかもしれない。まさに『僕~らはいつまでも~見知らぬ二人の……まま!』などと考える事は誰でも思う事です。だけどあの日あの時あの場所で~などと後悔しても確実に何もなりません(笑) 

これまで選択した事の後悔なぞ腐るほどしてきました。正直頭の中は『あの日あの時あの場所で~』でいっぱいな時もあります。しかし前に進むしかないのですね。だけどその後悔を活かす事も出来る。

しかし不思議なもので、その時になったらその時の選択をしてしまうんですよね。

例えばコレを買うとずっと決めていたのに、その時になってコロッと違うものを買ってしまうとかです。直感が働いているのか、そんな時はその感覚を大事にした方がいいと僕は思います。選択した後悔などする必要などなく、すべては必然だったという事です。

僕はそう思う事が多々ありました。すべては繋がるように出来ているのです。(あれ?なんか急に宗教っぽい) つまり何が言いたいのかというと、僕らが選択した事はすべて、『なるがままにされよう』という事なのです(で、でた~)

 

 話は変わりますが、ずっと前からどうしても知りたいことがひとつあります。

『宇宙はどこまであるの?』

アラフィフおっさんの答えとは到底思えない保育園児のような疑問ですが、僕は至って真面目であります。あの宇宙って奴はとんでもない化け物のようなスケールを持っています。そこに思いを馳せるとき、頭がおかしくなりそうです(笑)

太陽系でもアホほどでかいのに、銀河系の中の一点に過ぎないだと?その銀河ですら銀河団のなかの一点…ちょっと何言ってるか分かんないんですけど。

 何万光年とか、一億年と二千年前とかケタが違いすぎる訳で。僕らが生きていられる80年とか90年とかは宇宙の時間に比べれば本当にちっぽけで見えないくらいです。敢えて言おうカスであると。そのカスのような時間に僕らはいったい何をしようとしているのでしょう。何のために生まれてきたのでしょう。だけど僕らがリアルに感じている時間というものはとてつもなく長く感じます。不思議です。このカスのようでカスではないところがとても不思議なのです。

 僕が、人間が何故生まれたのかを辿るとこれも頭がおかしくなるレベルです。この広大な宇宙の中のこの地球に、そして世界でも治安が良く住みやすい国である日本に、そして戦争も直接経験せず、高度成長と発展を遂げたこの恵まれた平和な時代に、僕らは産まれているのです。そして一番重要である両親がいなければ当然存在していません。その両親しかり。そう考えるとこの人生というものは与えられたものだと理解出来ます。出来ませんか?少なくとも僕はそう考えています。否、そう考えるに至ったと言いますか。

 この人生はいろんな事が経験できますし、上に書いたようにこれほど恵まれた時代はないと言えます。そしてこのタイミング。しかし言うようにこの先はどうなるか分かりません。短くも長い人生の中で、人間として産まれたことに対して、一体どう生きるのが正解なんでしょうか?何を選択する?どんな生き方を選択する?

僕らが産まれたときは親に世話してもらい、親が死ぬとき僕らは世話をしてあげる。与えてもらったら与え返す事の分かりやすい例ですよね。つまりそういう事なのです。

与える事が人生における究極の答えなのかもしれない。

 

 

と何となく思うアラフィフな頃なのであります。

兎にも角にもふくらはぎの肉離れを早く治して、またバドミントンの練習に復帰しなくては! そして人生の目標は松友選手と握手するところまでいく事です(笑)バドミントン、いいですね。