なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

卒園式の園児たちから改めて国家のことを考えてみた

なるがです。

 

  パッツンパッツンのスーツで終始腹を凹ましながら息子の卒園式に参加してきました。仕事が急遽休みとなったのも、神が逝ってこいと仰っているに違いないと解釈。この神がかり的なタイミングによって息子の晴れ姿を拝む事が出来たのであります。超ラッキー。超感謝。

ハイハイの時期から入園し、たった5年程の間にベンチャー企業ばりに見違えるほどの進化を遂げていた我が子の成長ぶりは言葉に言い表せないものがあります。先生は勿論、保護者特に母親達は皆涙を流しておりました。オムツの頃から世話をして、共に喜怒哀楽を分かち合ってきた一番の存在でもあるのです。その子たちが今、いっぱい大きな声で歌い、感謝の言葉を述べ、ぴしっと座っている。立派になった我が子を見て感激もひとしおです。母親の皆さんには頭が上がりません。子供たちが私達に向かって「まいにちおくりむかえしてくれて、ありがとうございました」と言ってくれた時は僕も思わず泣きそうになりました。

 

  卒園式への参加は初めてだったのですが、式の進行は学校と同じで保育園でも殆ど変わらないものでした。入場に始まり、開式の辞、卒業証書の授与、お祝いの言葉、その他もろもろを経て、閉式の辞〜退場となります。  

そしてこの中に必ずと言っていい程入ってくるのが校歌斉唱であり、そして国歌斉唱です。この式中における国歌斉唱については色々と物議を醸しているのですが、僕個人としては何が問題なのか分かりません。

今日の式でも国歌斉唱がありましたが、チラッと周囲を見渡すと大人は殆ど歌ってませんでした。そう言いながら僕も口パクなのですが、その理由は、歌ってはいけない様な、自分だけが歌って恥ずかしくなる様な、その場の雰囲気に流される、そんな気持ちになってしまうのです。しかしそんな大人達を横目に子供達は大きな声でしっかりと君が代を歌っているではないですか。大人の私達はこれで良いのか?と健気に歌う子供達を見て思うのです。

 

  1999年8月13日に、国旗国歌法として法律が定められ、国旗は日の丸、国歌は君が代として法制化が進みました。

その背景には様々な問題があります。入学式や卒業式などでの国旗掲揚君が代斉唱に異を唱える反対派と賛成派の対立です。それによる板挟みに苦しみ、卒業式当日に自殺してしまった校長の例もあります。

いったい何故自分の国の国旗や国歌に対して反対なのか。勿論自由にして結構だと思います。実際にサッカーの国際試合やオリンピックでは選手始めサポーター、応援団皆喜んで日の丸に向かい君が代を歌っています。ところが場所が変わると途端に拒絶反応が起きるというのはどうなっているのだろうかと。今に始まった事ではありませんが。

 

学校におきまして、学習指導要領に基づき、国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負っており、学校におけるこのような国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるものでありまして、子供たちの良心の自由を制約しようというものでないと考えております。国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。

 — 内閣総理大臣 小渕恵三、平成11年6月29日(wikipedia)

 

 

  今では君が代を歌わない人が多くなり、国旗の掲揚も見なくなりました。僕はシンプルな日本の国旗『日の丸』が好きだし、『君が代』の荘厳なメロディも好きです。(詞は何言ってるか未だに理解していませんが汗)

しかしこういう事を言うと、「アナタは軍国主義だ!」とか言う人も居ます。実に馬鹿馬鹿しい。国歌を歌う事こそが、将来子供らが世界へと飛び立った時に日本という国を体で感じられるのではないでしょうか。

 

  世界の国々を見ていると、彼らは自国に対して制度などへの批判はあっても、国旗と国歌に対しては皆誇りを持っている様に見えます。イキイキして見えるのです。対して日本は、無意識に何となくやらされている感がある様に見えます。胸に手を当てていても何か日本らしくないというか、違和感を感じます。

  ロシアでは2001年に新国歌が誕生しました。ソビエト時代のメロディで歌詞だけ書き換えたそうですが、この新国歌を一日2回流す事が法律で定められているそうです。洗脳ですね(笑)。 NHKでも番組終了後には国旗と共に君が代が流れてました。僕はあの後の静寂が何とも言えず好きだったのですが、そんな事はどうでもいいとして、諸外国の国歌の歌詞を知って驚きました。殆どの国々が、

  • 自由を我らに!
  • 素晴らしき我が祖国!
  • 起て!進め!
  • 敵の砲火に立ち向かえ!

とか、めちゃくちゃイケイケドンドンなのですよ。あのラ・マルセイエーズでお馴染み「おフランス」でさえ、『武器を取れ!我が市民よ!』と歌ってます。ヨーロッパは結構激しいです。南米もラテンの血だからか激し目です。一方アジアを見てみるとベトナムなどはこうです。

 

ベトナムの戦士たちよ進め
団結し国を守るのだ
長く険しい道のりに響く軍靴の音
勝利の血に赤く染まった旗は
国家の精神を象徴する

 

現在の日本でコレをやったとしたら一発アウトでしょうね。この後にまだまだ激しい詞が続いていきます。1945年に作られたこの国歌は当時のベトナムがどんな状況下に置かれていたのかを反映しています。

  この様にどの国も、オラの国が最強なのだ!入ってくんじゃねえ!と言わんばかりの超武闘派揃いに思えてきます。

そして日本を見てみると、

きーみーがーあーよーおーはー………

こーけーのーむーうーすーうーまーあぁーでー………。。。。

 

何という優雅で美しい調べ。これを知ってからは君が代に高貴さを感じる様になりました。野蛮な(失礼)国歌なぞ置いてけぼりにするくらい気高く気品が備わっていると僕は思います。

 

   結局歌いたければ歌ったらいいし、歌いたくなければ歌わなければいいだけの事だ。ただ、僕は日本人だし、国旗も国歌も大事にしたいという、至極シンプルな思いがあり、ここに行き過ぎた感情や議論しようなどという気はサラサラありません。

それでも「日の丸』『君が代』がデェ嫌いだ!というなら、法律なんだしいっそのこと国旗も国歌も変えたらいいのだ。それが一番手っ取り早い。元はと言えばこれが元凶なのだから。

そうだな……あえて言うなら国歌は「イマジン」だ。しかも忌野清志郎が歌う「てんごくわぁ~なぁい~…」のやつだ。このご時世に、満を持して世界に発信するのだ。

そして国旗は息子の保育園の園旗でも当てがっておけば良い。何でもええわ。

それにしても子供達の歌声はとても美しかった。