なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

今週のお題「卒業」

今週のお題「卒業」

 卒業とはその学校の全過程を学び終えること

とあります。しかし卒業と聞いて連想するのはそんな事より懐かしい学生生活のシーンと、やはり卒業式ではないでしょうか。卒業式は独特の雰囲気がありますよね。おっさんになった今、これらの記憶も遠い昔のようにはっきりと思い出せませんが、学ランのボタンを2つ持って行かれたシーンだけは今でもしっかり思い出せます(自慢か)。若いって素晴らしいですね。学生の皆さんはたくさんの思い出を作っておいて欲しいです。

 卒業式のみならず現在色々な場面でこの『卒業』という言葉は使われております。パッとイメージするのはズバリ『別れ』でしょう。ただしそこには暗く悲しい印象は無く、明るくポジティブな『別れ』をイメージさせる事が多いのではないでしょうか。

『解放』『自由』『未来』『修了』『達成』『尾崎豊』『斉藤由貴』(おっさんか)などを連想します。

 僕は去年の10月から禁煙を始め、今では全く欲しいと思わなくなりました。禁煙達成です。これでタバコから『卒業』(卒煙)出来たと言い切る事が出来ますね。まぁ卒業までに27年かかり、5~6回留年しているんですがね。

あと『卒ナントカ』という縮めた言葉もたくさんあります。卒業論文を『卒論』、断酒を『卒アル』、おっぱい卒業を『卒乳』。『卒乳』は男なら一生卒業できないでしょう。否、もともとする気などサラサラない。さらに気になるのが2004年に杉山由美子著『卒婚のススメ』で使用された『卒婚』なるワードです。造語ですが、意味は婚姻関係にありながらも、互いに干渉することなく夫婦生活を営む新しい生活形態との事です。

離婚ではないので色々とメリットもあるという事ですが、これに関しては明るい印象は受けません。どっちかと言えば妻が夫に三下り半を突き付けた形になるんでしょうね。結婚生活も13年、卒婚へ向かっている気がするのは気のせいなのか…。何かさみしいではないですか。相手がいても干渉せずというのはやはり味気ないと思うのです。ですがこうなるにはそれなりに理由や原因があるものです。今はそれでもいいのでしょうが、人生の『卒業』時に本当にそれで良かったと思えるのだろうか?それともその時になって気付くのでしょうか。もし仮に妻が卒業したいと言ったなら、僕は潔く開放、自由になって欲しいと願うと思います。やっぱり『卒業』とは自由になるために通る道なんだな。

そんな事はどうでもよくて、本当はこの記事が100記事目という事を書きたかったのです。100記事はブログにおける登竜門で、ここから激烈に何かが起きる!と専らの噂ですが、ついに僕もその門にようやく到達したという訳です。素人からついに『卒業』です。ここから自由な空へと羽ばたくのだ!

 

しかし『素人が100記事達成してもPVや収益が増えるは嘘』との記事を見つけてがっくりしております。まぁこのブログはそういうものなので別にどうでもいいのですがね。僕は過去に『G Masters』というバスケットボールチームに所属しておりました。僕は『33』番、後輩は『072』番でした。経験者1名のみのド素人チーム、一度も試合することなく自然消滅しました。このGブログはそうならないようにしていきたいですね。