迷いとは常に付きまとうものです。一体何が正しくて何が誤りかなぞ分かりません。
これでいいのかな?といつも思っていますし、これだ!と思ってもやはり迷い続けてたりします。当然欲も絡み、楽な方、自分が得をする方を選んでしまうのは仕方のない事。人間とはそんなものです。
『迷った時は自分にとってしんどい方を選べ』とよく聞きます。これはあながち間違いではないと思います。ドMの思考法……もとい、自分が鍛えられる、経験値を上げるなど、普通にしていては得られない何かを得る事が出来るからです。楽な事からは何も得られません。得られるとすれば、これでいいんだろうか?という『気付き』くらいなもんでしょう。さらにそこから行動に移すかどうかで意味合いが全く違ってきます。
しんどい中には真理が埋もれています。ん?真理とは何か?……分かりません(笑)
でも言わんとしてる事は分かりますよね。そう言う事です(逃げた)
なんやかんやとみんなそのような経験は積んでいるんです。自ら選んだ人、選ばざるを得なかった人、問答無用で選ばされた人。いろいろだと思いますが、その経験の中にハッとするものがあったんじゃないでしょうか。あとになってやっぱりいい経験だったと思えるような事があったはずだと思います。
人はいつも選択の場面で迷います。僕もしんどいのは嫌いなので出来れば楽したい。なるべく多くを得たい。究極を言えば楽して多くを得たいに尽きます。
だけど、いい経験を得られると知ってしまった以上、ぬるま湯から出たいと思う人はたくさんいると思います。間違いなく茨の道になると分かりながらその道を選択する人達。
その道を選択する事は、出会う事のない人達との出会い、出来なかった経験、新しい発見、いろんなものが自分にもたらされます(たぶん)
ただ、人間だからその道を選ぶ『決断』に躊躇します(ここでようやく決断出現、ふぅ)
迷いと決断はセットです。定食みたいなもんです。安くて量が多いもの、質重視、デザート付き、どれを選ぶのも自由です。そして思うのです。
あぁ、あっちにしていれば良かった!と。結局、迷い→選択→決断→行動→迷いw に落ち着くのです。言い換えれば初めから迷う必要などない。
この際迷うのはもうやめよう!(無理あるな)
だけど選んでしまった以上それを戻す事は出来ません。その選んだ天津飯定食の中に光るものがあるかもしれないのです。おや?この餡のとろみ具合は最高じゃないか。など。
たとえ話がイマイチ的を得てなくてすみません。
「迷い=悩み」とも言えます。人間は大いに考え悩むべきです。この『悩む』作業は欠かせません。これが無ければ選ぶことすら、決断する事すら出来ないのです!
大げさに書いてますが当たり前のことを言ってるだけですね。しかも迷うのはやめようと言ったばかりですが…。
僕は42歳で転職をしました。42歳で今の地位と収入(どちらも高くない)を捨て、新たな環境に身を置く決断は並みのメンタルでは出来ません。かなり迷いましたがその時は決断するなら今しかないと行動に移しました。今からつらつらと書くと話が長くなるので割愛しますが、茨の道だった事は確かです。ですが今思う事は、やって正解だったという事。この決断は正解だった。
しかし正解を突き詰める事は不可能です。最初に述べたように何が正解かなぞ分からないからです。決断したことを迷うより、その中で良い事にフォーカスし、経験を積む中でようやく正解らしきものが見えてくるのです。
正直なところ、転職しなければもっと良くなっていたかもしれません。しかし何度も言うようにそれは分からないのです。
迷いと決断とは何を選び取るかの作業でしかない訳です。
毎日安定の「ラーメン定食」を頼むか、冒険して「日替わりミステリー定食」を頼むのか。それによって得られるものは言わずもがな、ですよね。
ラーメン定食を選択していれば絶対に間違わない。だけどそれ以上の事は絶対に知る事は出来ない。自分自身のために、たまにはミステリー定食を頼んでみてもいんじゃね?くらいなもんです。
まぁたいていは後悔するんですが。
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