なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

101回目のプロ……高校野球

なるがです。

 

  連日猛暑の中、甲子園では夏の高校野球が盛り上がってます。僕は甲子園、夏の高校野球が大好きです。野球自体はそれほどなんですが、プロ野球とは違う一回きりのゲーム、これが夏の高校野球の魅力なんだと思います。

  野球だけではない、その他のスポーツもたくさんありますよね。サッカーにバスケ、卓球、ラグビー、柔道、水泳、その他たくさん。

  ですがこの『夏の高校野球』だけは何故か特別感があるのですよ。まずメディアの取り上げ方が一線を画しています。テレビでは甲子園の試合中継に始まり、特集を組んでの番組まで作られます。

  それだけ大変人気のあるこの高校野球ですが、その裏では様々な問題も抱えています。

  開催が真夏という事もあり、炎天下での長時間プレイ、投手の投球過多、トーナメントを勝ち上がるチームの疲労の蓄積など…過去には延長戦突入で4時間超の試合もあった程です。そこまでして選手を酷使し、短い日程で試合を消化しなければならない問題もありました。

そこで取り入れられたのが2018年春のセンバツからのタイブレーク制の導入です。延長13回からはノーアウト1塁、2塁からの試合スタート、決着が付くまで繰り返されます。これまでは延長15回引き分けで再試合でしたが、このタイブレーク採用でより早く試合が決着、選手の負担も減るという事で導入されました。

選手にとってはこれが本当に良い対策だったかは分かりません。仮に僕が選手なら、そんなハンデ付きなんかいらんわ!となります。負けてもいいから実力でやりたい!と。

今夏、星稜と智弁和歌山の試合でありましたね。勝った方はそりゃ嬉しいでしょう。ルールとはいえ、負けた智弁和歌山の選手達の本音はどうなんだろう…と思ってしまいます。意外と「早く終わりてぇ〜」と思ってるかもしれません。延長の末選手がぶっ倒れでもすれば大問題ですしね。言い方は不謹慎ですが高校野球大改革のキッカケにもなるでしょう。

  その他にも問題はたくさんあります。丸坊主に始まるブラック管理社会そのもの、であったり、練習のし過ぎによる選手の故障、監督の行き過ぎた指導、メンバーが全員地元以外で構成、甲子園の過ぎた神格化…これまで何となく流されて来た様な事が、いやいやコレっておかしいだろう、という事で現在でもじゃんじゃん声が上がっています。

  僕は前述の通り高校野球が大好きです。球児たちの感情むき出しの熱いプレイ、笑顔、泣顔、そのどれもが輝いている!感動をありがとう! …と、モロに甲子園病に掛かっている僕ですが、ダメっすかね…。僕はまさに時代遅れのおっさんなので、スクールウォーズばりのスポ根モノが大好物なのであります!

なんて言ってると時代錯誤のおっさんどっか行けやという事になってしまうので、大きな声では言えません(笑)夏だけかかる甲子園病を理解してもらうのはとても難しいですね。もちろん選手達が一番大事です。でも、死ぬ気で(NGワード)、歯を食いしばって(NGワード)頑張れー!と応援してしまいます。

  一塁ヘッドスライディングOK!素晴らしい!フェンス体当たりキャッチ!良くやった! とは声に出して言えません。実際ヘッスラは効率の悪い、意味のないプレイなのです。一塁を走り抜けて良いものをわざわざスピードダウンさせてまでやる行為、それはフェンス直撃と同じく危険なプレイでもあり、とても褒められたものではないのです。あのイチローもカッコ悪いと言ってます(プロに対して)

  しかしです(きたよ)、プロの試合はともかく、高校野球においてそのプレイは、決して諦めない、気持ちの入った素晴らしいプレイだと思うのです。それが褒められたものではなくてもです。甲子園に来た球児たちは皆その様な気持ちでやっている、すなわち自然に出てくるものだと思っています。

じゃあ選手がそれで怪我をしてもいいのか?野球が出来なくなるかもしれないんだぞ!そんな事も考えないのか?!お前はその責任が取れるのか?!え!おい!?聞いてるのか!?と言われると、それは…その…つまり…あのですね…出来ません、ハイ…、しょぼ〜ん…となるんですがね。間違いなく正論で論破されます。

しかし球児たちは間違いなく、この甲子園での試合に強い気持ちが入っています。それが見ている僕にも伝わるので、つい熱くなってしまうんです。

  夏の高校野球って結局何なんですかね。毎年やって来る夏の風物詩の様に思っていましたが、それはメディアの操りによって洗脳されていただけだったかもしれない。甲子園が球児たちの聖地というのも実はまやかしで、これも大人たちによって巧妙に植え付けられた洗脳なのかもしれない。これは観客である僕らも含んでいます。しかも、高校野球はまるで軍隊ではないですか。監督には絶対服従、選手は一兵隊扱い、上下関係、厳しい規律、まるで戦時中かと。

  でも、何とも淋しいではないですか。あれはダメ、これはダメ、時代にそぐわない…いろいろ言われていますが僕はこれこそが高校野球だと思っているので…いえ、何というかそういう意味ではなくですね、これが無ければ感動も生まれないと思うのです。いやいやお前の感動のために球児たちはやってんじゃねぇよ…ですよね。

  僕は過去記事で高校野球について少し述べているのですが、球児たちと少年兵が被って見えると書きました。軍隊の様だと書いたのもそれがあるからです。実際に高校野球は軍隊からの悪しき習慣が受け継がれているとも言われています。だけど軍隊ではない。

甲子園という儚い夏と、戦争で散った儚くも若い命。

奇しくも終戦日の15日を跨いでの夏の高校野球。まだ幼い笑顔の彼らは今も昔も変わらない。彼ら球児を通して、忘れないで欲しいと訴える何かが、夏の甲子園にはあるのです。

 

と書きましたが、やっぱり今の時代にその様な感傷は必要ないのでしょう。精神論が淘汰されつつある(された?)現在のドライにも思える世の中が僕には何故か味気なく思えてしまいます。夏の高校野球が神事化されていると言われて久しくありませんが、本当にその通りですね。どうして夏の高校野球だけがこんなに注目されるのだ!特番まで組んで!日本全国を上げて盛り上げるのは贔屓だ!剣道ももっと放送しろ!(剣道部でしたので)剣道ほど扱いの悪いスポーツはないぞ!剣道はッ…!

脱線したので戻ります。

  夏の甲子園はいろいろと問題も抱えていますが、純粋に選手も観客もみんな一体になれる、オリンピックの様なものだと思います。あーだこーだ言いながら、思いながら見るのは疲れます。もっとシンプルに感じるまま楽しめばいいと思うのですが、ダメですかね。

  もっと問題意識を持たないと。おかしいと思うところから改革は始まるのです。そもそも高校野球はオリンピックではない。ただの部活動なのですよ。目を覚まさないと。

そうですよね。いっそのこと甲子園球場を吹き飛ばしてくれたら、こんなに考えなくていいのに。