なるがままにされよう

このGブログも4年目に入りました。もう少し更新頻度上げたいなと。

年に1回の定期健康診断に行ってきた

なるがです。

 

事業者は、労働安全衛生法第66条に基づき、労働者に対して、医師による健康診断を実施しなければなりません。また、労働者は、事業者が行う健康診断を受けなければなりません。(引用:厚生労働省

 今年もやってまいりました。年に1度の健康診断です。多分ほとんどの人が会社勤めをされてると思うのですが、上記の通り事業者は受診させる義務、労働者は受診する義務があります。

ちょっと前に受診したと思っていたのですが、つまり、もう1年が経ったのか! という事に驚いております。歳を取るにつれ月日が早く感じると言いますが、これは本当ですね。

 僕は今月誕生日を迎えるのですが、次はなんと49歳ですよ⁈ 49歳?おっさんやん! まぁ今でも十分おっさんなんですが、こうして数字に起こしてみるとおっさん感が半端ない事に改めて気付く訳です。(しかも不吉) でも精神年齢は推定23歳ぐらいなので、自分ではあまりおっさんとは意識してないですし、したら終わりだと思ってます(笑)

しかし心は若いままでも、やはり体が付いてこなくなるんですよね。自分では軽快に動いているつもりでも、体のどこかできっと負荷がかかっているはずなんです。

過去に運動不足を解消するためにバドミントン部に入るも、初日にして肉離れを起こすという離れ技をやってしまいましたし、ランニングも4km以上走るとヒザが崩壊してしまうので、次第に運動から距離を置くようになってしまいました(言い訳)

 

 前回の健康診断時にも記事を書いているのですが、その締めくくりになんて書いていたと思いますか?「メタボ脱却」ですよ。自己管理の甘さの象徴とも言えるメタボからの脱却を図ると。何があっても改善していかねば…。と書いております。 

 

narugapapa.hatenablog.com

 

で、今年の結果はどうだったのか?

メタボのままでした(笑) いやいや笑ってる場合じゃないでしょ。この1年間コロナの影響があったとはいえ、何も変わってないというのはさすがにマズイ訳で。

「お前は本当に何も変わってねーな! 何も出来てねーじゃねーか! 何にも!」

とエレンが泣き叫んでいる時、まんま自分の事に当てはまるなと思いました。(進撃の巨人ワンシーンより)

 

 僕はキムタクと同い歳で、ああいう歳の取り方をする男になりたいなと常々思っているのですが、気づけば本当にただ思っているだけのオッサンになり果てています。

おっさんはオッサンでもやはり格好いいオッサンはみなストイックで、何か必ず努力してるはずです。キムタクにはにおっさんという単語がどこにも当てはまりません!唯一当てはまるとすればニッサンです!(そういうところがオッサンやねん) 

これは女性にも言える事ですが、年齢を重ねても美しい女性は本当に美しいですよね……。

これ以上書くと命の危機を感じるのでやめておきます。

 

 人間は歳を取るにつれ体は衰えていきます。これは逃れることが出来ません。そしていつか必ず死にます。もしかしたら明日死ぬかもしれないし、それが事故なのか、地球の消滅によるものなのか、私たちに分かる術はありません。しかし同じ死でも、余命3か月と宣告を受ける人もいます。

 闘病の記録を綴ったブログ等は色々ありますが、以前読んだとあるブログでは、旦那にガンが見つかり、もうステージ4で余命3か月と宣告を受けたと言います。昨日まで普通に生活していても実際にこういう事があるのは本当に心が痛みます。

 小学生の子供たちを置いて亡くなられてしまったのですが、子供たちがお父さんの寝ていたベッドのまわりから離れなかったそうです。急にいなくなって不思議に思ってたんだろうなと考えたら健気で泣けてきます。

 僕も本当はそういう歳なんだなぁと、改めて実感するといいますか、もっと健康について考え、できる事なら子供たちが社会に出るまでは絶対に死んではいけない、病気も出来るだけしない生き方をしなければならないのだ、と強く思うのです。

親は無くとも子は育つと言いますが、親は絶対に必要です。いえ、親がいる必要は無いかもしれないんですが(どっちやねん)、やっぱり親から貰う愛情は特別で、子供たちにとって必要不可欠なものだからです。

だから僕は生きてるうちに出来るだけ子供たちに愛情を注ぎたいですし、将来の彼らが自分の子供たちにそうして欲しいとの願いも込めて、親バカではないですが接するように心がけています。実際は仕事がほとんどで満足に出来てないのですが。

まぁそう思っていても当の子供たちはそれ程考えてないんでしょうけどね。

それでも親は子供たちに無条件に愛を与え続けなくてはいけないんです。

 

 実は今回の健康診断で初めて、胃がん以外のがん検査をオプションで行いました。

血液検査で検出するとの事ですが、血液中には「マイクロRNA」という物質が含まれており、これを解析することでがんを見つける事ができるそうです。なんと血液1滴で13種類ものがんが検出できるそうです。研究中とはいえ医学はここまで進歩しているのですね。

しかし今回僕が行ったのは「腫瘍マーカー」といって、血液検査に変わりないのですが、検査内容は全くの別物という事でした。が~ん。

医療に関してここで間違っていることを書いてはいけないので、詳しい事は割愛致します。知りたいなら自分で勝手に調べればいい。(言い方)

 

 検査結果はまだ届かないのですが、ちょっと緊張しますね。何も異常がなければいいのですが、だからと言って安心できる年齢でもありません。

ちなみに親父は79歳で大きな病気も無くまだ元気なんですが、元気でいられる秘訣を聞いて返ってきた答えが、

「恐怖心を持たないこと」 

なんだそうだ。恐怖心があるから体が負けるのであって、そもそも本来の人間は病気になることが無いのだという。

 

今のコロナもそう。恐怖心があるからコロナに感染するのだ。私に恐怖心など無いと強く思う事でコロナから打ち勝つことが出来るのだ!

ん?……親父、へんな宗教でも入ってないかそれ……。

 

 とりあえず大盛、甘いもの、間食、夜食、コッテリ系、脂もの、を控えるようにしていきます。食事のコントロールは体作りには必須事項ですし。しかしこれだけ見るとやはり僕は23歳なんだなと改めて思いますね(コラ!)

そしてやはり運動はしなければいけないでしょう。あ~憂鬱(笑)

でも子供たちのために頑張ってみるか。そう言ってタバコも止めたじゃないか。

来年の今頃どう言っているか楽しみですね。

(ハードル上げたけど大丈夫?)

February 4

なるがです。

 

 ついこの前新年を迎えたと思ったのに、もう2月です。めちゃくちゃ早いですね。時間が少しづつ早くなっているに違いありません。きっと寝ている夜中に時間が早くなっているのです。

その証拠に夜中の2時ごろにふと目が覚めて、あぁ、まだ3時間は寝れるな。と思った10分後にアラームが鳴ってもう5時ですよ。ハァ⁈ そんな馬鹿な!! あり得ないだろ!(そんな感覚)

 日の入りが遅くなって太陽の出ている時間もほんの少し長くなりました。最近は退勤時間にお天道様が拝めるだけでちょっと幸せな気分になります。季節の移り変わりを感じる瞬間ですね。朝家を出るときはまだ真っ暗なんですが、これからどんどん明るくなってくると気持ちも明るくなり、同じ時刻でも清々しさが桁違いです。とはいえ夜が長く寒いこの季節もまた情緒があり捨てがたいんですけど(どっちやねん)

 

 という今日2月4日は「立春」です。二十四節気のひとつで、暦の上での春の始まりの日です。春の気配が立ち始める日とありますが、何かそんな気がしたんですよ。

九星気学では「立春」が1年の始まりの日となるそうです。これは知りませんでした。ちょっと出遅れた感があったんですが今日からスタートという事で無問題という事ですね。これは朗報ですよ。

 

 そうそう、出遅れたと言えば節分です。節分は立春の前日、つまり2月3日です。節分の日に「今週のお題:鬼」が面白そうだったので書こうと思ったんですが、どうせ最終的に奥さんの事になるのが見え見えだったのでやめました。鬼は日本に昔からいる妖怪です。

 

 節分の日の夜8時頃に帰宅して、リビングでテレビを見ながら晩御飯を食べていたら、いきなり現れた奥さんと息子から豆を投げつけられました。どんなタイミングやねん! 「鬼はー外ー」と言われても当方ご飯の最中なんですけど…。しかも息子が鬼の面かぶってるし。

そして散らばった大豆が晩御飯のおかずに変わったのは言うまでもありません。

 

 鬼は子供の頃から慣れ親しんできました。祖母から見せられた地獄の冊子に恐ろしい形相の鬼が載っていました。

 地獄とは、仏教で言う六道の最下層に位置するそうですが、この地獄に落ちる基準という「五戒」がありまして、この基準に沿うと何とほとんどの人間は地獄に落ちる事になると思われます。

地獄行きまでには何回かの審査があり、そこには舌を抜くことで有名な?あの閻魔大王がいます。三途の川を渡る前には釈迦の審査もあります。そして審査に落ちたとき、地獄行き決定となるのです。その後は8つの地獄が待ち構えており、それはそれはおぞましい、身の毛もよだつ残忍な仕打ちを繰り返し受け、苦しむことになります。

まだ幼い子供に祖母から地獄の冊子を見せられて、トラウマまではいきませんでしたが、ある意味虐待ですね(笑)

 

 死んだらまず魂は不動明王の元で審査があるのですが、ついこの前不動明王に会ってきましたもんね。会ってきたと言っても愛染明王不動明王フュージョン!ha!した厄神明王の厄神くん(友達か)なんですがね。ちょっとだけ大目に見てくれたりしないかな~と思ったりしましたが、おみくじが凶だったのでだめかもしれません。

 

 話がちょっと脱線気味なので「鬼」について話を戻す事にします。

鬼とは恐ろしいようでいて、私たちのごく身近に存在する、とても親密な関係と言えなくもありません。普段の会話の中にも「鬼」という言葉は存在しますし、ことわざにも登場しますよね。

また有名な鬼では「赤鬼」「青鬼」「天邪鬼」「なまはげ・・は違うのかな。あとは「般若」「鬼婆」「奥さん」(はいきたで) 鬼だけでも44種類あるそうです。

鬼を調べるといろんなところに派生して存在することが分かります。やはり人間と鬼は身近な関係なんですよ。詳しい例や面白い話も是非伝えたかったのですが、ここでは割愛させていただきます(書けよ)

 

 鬼の話はこのくらいにして、今日はいったい何の日だ?という話です。本当はこれを話したかったのです。今日は2月4日。そう、「ぷよの日」2と4で「ぷ・よ」。今日は「ぷよぷよの日」なのであります。

 

 

 

 もうそろそろ本題に入った方がいいと思います。あまりしつこ過ぎると、くどいばかりか、気分も萎えてきますよね。すいませんです。

では今日は何の日か?と言いますと、僕の大好きな「ビートルズの日」なのであります!

ずうとるび」ではありませんよ。

彼ら4人のことを「Fab 4」(素敵な4人)と呼ぶこともあるのですが、2月4日の「Feb 4」とかけているのですね。

 

 

 

「…で??」

えっ、と…そのですね…あの…ビートルズがですね…4人なんです…。

 

興味の無い方にとってはどうでもいい日ですよね。ではここで、あの伝説のロックバンド「ビートルズ」についてざっと解説を挟んでみようと思いたい所ですが、あえて控えさせていただきます(そこは書けよ)


www.youtube.com

好きなPVです。4人が揃う場面があるんですよ。

ドラムはリンゴです! 歌詞もセンスある!さすがジョージ。

最後は良く分かりませんが…。

 

 やたら情報の多い、結局何を伝えたかったの?という記事になってしまいました。

だから2月4日は、ビートルズの日で、「Feb 4」だけど「Fab 4」なんです。

 

 

 

「……で? 今日5日ですけど」

やっぱり出遅れてますやん。

 

門戸厄神東光寺 厄除大祭

なるがです。

 

 先日、門戸厄神東光寺(もんどやくじんとうこうじ)へ厄除け参りに行ってきました。

 

門戸厄神東光寺兵庫県西宮市にある高野山真言宗の別格本山の寺院です。あらゆる災厄を打ち払うという厄神明王が有名で、日本三大厄神のうちの一つといわれています。

 

あらゆる災厄を打ち払う!のです。こんなに無敵感ある文言は今まで聞いたことがありません。で、厄神明王ですよ。愛染明王不動明王フュージョンしたのが厄神明王だそうです。名前だけでも金剛力士像の2体に匹敵するラスボス感を漂わせていますね。

 

ちなみに三大厄神とは、

兵庫:門戸厄神東光寺(国民安泰)

京都:石清水八幡宮天皇安泰)

和歌山:天野明神 丹生都比売神社(国家安泰)

 

空海弘法大師)が厄神明王像を3体彫りましたが、現存するのはここ門戸厄神東光寺のみという事です。3体それぞれの像に安泰祈願されていたそうです。

 

お寺ひとつとっても様々な歴史や背景があり、そこに想いを馳せる時というのは実に趣のあるものです。知れば知るほど面白いなぁと思いますよね。詳しい話はいつものように割愛させていただきます(書けよ)

 

 毎年1月18日、19日は厄除大祭が行われ、近隣の県からもたくさんの人が厄除にやってきます。付近の道路は通行規制がかけられ、露店がずらりと並んで大変な賑わいを見せます。

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残念なことに今年もコロナの影響で露店が中止となり、賑やかなお祭りとはいきませんでしたが、さすがに三大厄神の有名な祭りだけあって夜7時すぎでも人が途切れることなく入ってきておりました。

門戸厄神東光寺は超強力なパワースポットなのです!

 

 僕はとっくの昔に厄年は終わってますので、関係ないと言えば関係ないんですが、だからといって厄年以外の人がお参りしてはいけないという訳でもありません。あらゆる災厄を打ち払いたいと思っている人たちがたくさんお参りに来ていました。

 

しかし何かに向かっている人の流れというのは、こう、興味を抱くと同時に自分も行かなければならない、みたいな気にさせません? この場合は、行っといた方がええのん違うかぁ?と誰かに囁かれている様な気さえします。つまり「厄除け」という言葉の持つパワーは簡単に人を動かしてしまうという事です(たぶん)

 

 本当は寄るつもりは無かったんですが、この祭りの日にこの場所にいる事は運命としか言いようがなく、しかも最終日というのもあって、行かなければ絶対に後悔する! と強くインスピレーションを感じたのです。

第六感のようなものは皆さんも何となく感じた事があると思いますが、こういう時は迷うよりぱっと先に決めてしまう事です。

 

 お寺の門をくぐってしまえば、初め思っていた「行こうかなぁ…どうしようかなぁ」等という思考は完全になくなりました。

歩みを一歩前に進める事は場合によっては勇気がいる事もありますが、迷っている時はエイヤっ!と思い切ってやってみる事も大事ですね(大げさか)

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 ちょうど古いお守りを持っていたので(以前来たことある)それを納めて、新しくお守りを購入しました。これだけでも来た甲斐があったというものです。交通安全のお守りと、娘の学業成就のお守りを買いました。

 

しかし何を焦っていたのか、まず初めに寄るべき手水舎にも寄り忘れ、目的も分からずフラフラしてお参りの仕方が何かめちゃくちゃでした。

 厄神堂にお参りしている時、横で思いっきりパン!パン!とやっている人がいましたが、これは違いますね。仏様なので合掌、礼拝で良いです。

神様=2礼2拍手1礼

仏様=合掌、礼拝

 

 帰りにおみくじを引く事にしました。受付がマルコメくんみたいな可愛い坊主で、子供なのに丁寧な仕事ぶりだなぁと感心すると共に、おみくじの箱をガラガラと回して「24番です」と伝えます。

マルコメくんは「はい」と答え、みくじ籤を渡してくれました。

 

 

 

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マルコメくんが手元でその番号を確認した瞬間、わずかに動揺した表情が垣間見れたのも、みくじ籤を渡す手が微かに震えてたのも、今となっては気のせいだとは思うが、まさかの「凶」。これでも人生初の凶ですよ!

おーい、やくじんさん!(笑)

 

二度とこんな寺に来るか!くそが!

などと思うのは中学生のすることです。

 

厄除けの寺で「凶」を引くことは逆に捉えると、最「強」なのかもしれません。最強のラスボスが居るこの門戸厄神東光寺での凶は最強のおみくじなのだ!!!

と思わないとやってられません(笑)

 

 しかし本当にこれは間違いではありません。たとえ凶を引いたとしても、それをどう捉えるかが大事なのです。

凶を引く事はこれ以上悪くなる事は無いから、これからは良い事しかないのだ。と捉えるのが良いと思います。自分を戒めこそすれ、おみくじ如きに一憂するなぞナンセンスです。はぁ。

 

 

動揺し過ぎて結んで来るのを忘れました。

奥さんに、要らないから買ってこなくていいと言われていても買うつもりだった「厄除け饅頭」も無事売り切れてました。なんて日だ!まったく!(中学生レベル)

 

 インスピレーションを感じた結果が「凶」だった訳ですが、あまり気にせずに生きて生きたいですね。

今回は時間も余り無かったので滞在時間は20分程でした。仕事で近辺に来る事があるので改めて行きたいなと思います。凶の御籤はその時結んで来ます。合掌。

 

生きる上で『要約力』はマストである

なるがです。

 

 『要約力・ようやくりょく』…早口言葉ではないですよ。でも10回言ってみたら「りょうやくよく」とかになって全然言えませんでした。

要約力とはつまり、『まとめる力』の事です。ここでのまとめる力とは、文章の贅肉をそぎ落とし、一番伝えたい事を、簡潔に、分かりやすく、相手に伝えられるか? というものです。この「相手に伝わるか?」が非常に大事なところで、文章だけでなく、たくさんのシーンにおいても要約力が必要になってきます。

 

例えば、会社勤めをしているなら上司への「報告・連絡・相談」、会議での「プレゼン」や「自己紹介」、「結婚式等での祝辞」「挨拶」の類諸々、社会に出ればあらゆる生活のシーンでこの「要約力」が試されます。

身近なところで言えば「乾杯」の挨拶でも要約力が試されるでしょう。グラスを持ったはいいが、話が長くてなかなか乾杯しないなんてのも多いですよね。

これは一番伝えたい事がまとまっていないから、あれもこれもと話してしまうのです。挙句の果てに落としどころが分からなくなり、何を思ったか急に「それでは乾杯!」などとやってしまうものですから、ズッコケそうになります。

 

 先日帰省した際の話になりますが、親戚家族らと久々に再会し、食事の席で親父が新年の挨拶をすることになりました。しかし話始めたのはいいのですが、何やらサムライがどうの、本家や分家がどうのと語り始めたのです。新年と関係ないし、あ~もう長いやつやん。当然グラス持ったままですよ。

で、結局何が言いたいのかというと、私たちはサムライの血を引いているのだ!(めちゃくちゃ薄い)と言いたかったようです。随分と興奮して話すのでおじいちゃんの話を皆黙ってうんうんと聞いておったのですが、最終的に

「だからヒゲ生やしてみた!!」

で落とされた直後に「それでは今年もよろしく、乾杯!!」ですよ。

なんやねんその流れ!意味わからんわ!ってなりますよね。

 

 

 ビジネスシーンにおいて要約力のスキルは、仕事がデキル奴と言えます。確かに、上司やクライアントへの報告であたふたしたり、モゴモゴ言ってたら「コイツ大丈夫か?」と思うだろうし、次の仕事を任せてもらえないかもしれません。簡潔にスパッと報告できれば時間も取らせないし、「次もこいつに任せよう」となるに違いありません。一番伝えたい事を簡潔に話す。

 

何を選択して行動するか? ただ短くすれば良いというものではなくて、どっちを取るか? 的確に選び取るテクニック、このセンスこそが要約力のポイントだと自分では思っています。

文章を頭の中で描き、そこから要点を瞬時にピックアップする。それには書く力、書いたものを読む力(読解力)、読んだものを組み立てる力が必要という事です。さらに文章を簡素化する為の言い換える語彙力も必要です。

 

 

 ここまで書いて、あーこのブログは要約力ないな! と思いました。今回要約力について書き始めたのですが、そもそも要約する気がない(おいおい) 

書きたいことを書きたいだけお腹一杯になるまで書く! というのがこのブログのコンセプトであり(初めて聞いた)あーだこーだ考えてスリムにしようなぞ、これっぽっちも考えたことが無いです。

何なら最低でも絶対に1記事2000文字以上は書く!という文字数命、スリム化どころか無駄な文字をあえて増やす事に全集中しております(だめだこりゃ)

 

 とはいえですね、私たちは数ある選択肢の中から自分でベストだと思うものをチョイスしている訳です。これが仕事や生活にも大いに関わってくるというのであれば、これは改善していかなければいけない要素であり、要約力は生きてく上でマストなのです。

 

 文章をまとめる、すなわち要らない情報を削っていくと、一番伝えたい事がそこから浮かび上がってくるはずです。

という事で早速簡単な例文を作って実験してみたいと思います。被写体は僕の奥さんでやってみることにします。奥さんについて一番伝えたいことが、きっと浮かび上がってくるはずです。

 

 

 

 

『僕の奥さん』

 僕の奥さんとはつまり妻のことだ。隣の家の奥さんではないし愛人の事でもない。『妻』ではなく『奥さん』なのは妻っぽくない、すなわち奥さん風だからだ。歳は4歳離れているがとてもしっかりしていて僕はいつも尻に敷かれている。子供は二人設けることが出来た。一人目の娘の時は心拍が小さくなり急遽帝王切開になった。訳も分からずサインし、その後無事生まれてきてくれたが、肺に穴が開いているのが分かり急遽大病院へ転院、出産から1時間後僕と生まれたばかりの娘は救急車に乗っていた。顔もまともに見られず赤ちゃんと離れ離れで過ごさなければならない不安と辛さは僕にとってもつらい出来事だった。幸い状態は良くなり、それからは僕は来る日も来る日も奥さんの母乳を赤ちゃんに運んだ。2人目の息子の時は明け方陣痛が始まったそうだ。そうだ、とはまるで他人事の様だが、陣痛で苦しんでいるときに僕と娘は爆睡していたのだ。何があってもいいようにスマホを常にそばに置いていたのだが、神のいたずらかこんな時に限ってマナーモードになっていたのだ。朝起きたらスマホに激鬼電不在着信がありこの時ほど恐怖を覚えた事は無かった。この日のことは今でもチクチクと言われる。母は強しとよく言ったもので、子供を産んだら女性は本当にたくましくなる。僕の職業柄朝早く夜遅いので、奥さんはほぼワンオペ育児をこなしてきた。今でこそ社会に広くワンオペ育児問題が取り上げられているが、なんと奥さんは育児をしながら自分で店を開いたのだ。このバイタリティは見習わなければいけない。さすがに二人目が出来てやむなく手放したが、それでも契約社員でフルタイムで働き二人の子を育てるのは過酷だ。本当に良くやっていた。故に奥さんには頭が上がらない。僕にできる事はATMの機能を失わない事だけだ。子供たちもすくすく育ち、今はやっと自分の時間も増えてきたようだ。オンラインゲームにハマりっぱなしでも文句は控えようという心境になる。僕も積極的に家事に参加し、あの頃の罪滅ぼしではないが協力できなかった分を取り返そうと思っている。しかし最近は人使いが荒く、すぐきれる気がする。いや、きれる。はっきり言って怒っている顔は般若そのものだ。なんで女の人はすぐにきれるんだろう。売り言葉に買い言葉でケンカもするけど仲直りも意外と早い。そんな奥さんとこれからも仲良くやっていきたいと思っている。

 

 

 

 簡単な例文と言いながら結構がっつり書いてしまいました。さて、ここから削り作業に入ります。

 

 まず、余計な情報をカットします。あくまでも『僕の奥さん』について言いたいので、冒頭の妻はどうだとか、奥さん風だからとか意味不明な文章は削除です。子供が生まれたくだりもここではあえて必要ないと判断し、思い切って切ってみます。

 

 

『僕の奥さん』

 僕の奥さんと歳は5歳離れているがとてもしっかりしていていつも尻に敷かれている。子供は二人設けることが出来た。僕は来る日も来る日も奥さんの母乳を赤ちゃんに運んだ。2人目の子の時は明け方陣痛で苦しんでいるときに僕と娘は爆睡。スマホに鬼電不在着信がありこの時ほど恐怖を覚えた事は無かった。母は強しとよく言ったもので、子供を産んだら女性は本当にたくましくなる。ほぼワンオペ育児をこなしてきた。なんと奥さんは育児をしながら店を開いた。このバイタリティはすごい。二人目が出来てもフルタイムで働き二人の子を育てる。奥さんには頭が上がらない。僕はATMの機能を失わない事だけだ。今は自分の時間も増えてきてオンラインゲームにハマりっぱなしだ。僕も積極的に家事に参加し、協力できなかった分を取り返したい。最近は人使いが荒く、すぐきれる。怒っている顔は般若そのものだ。なんで女の人はすぐにきれるんだろう。売り言葉に買い言葉でケンカもするけど仲直りも意外と早い。そんな奥さんだが仲良くやっていきたいと思っている。

 

 

 思い切りが良すぎましたが、ばっさりいくと気持ちいいですね。随分スリムになりました。文章を言い換えるテクニック、つなぎ合わせるテクを用いることでさらに要約することが出来ます。何を選択するか?どの言葉を削るのか? このセンスが試されます。

 

 

『僕の奥さん』

 奥さんとは5歳離れているがいつも尻に敷かれている。子供は二人出来た。僕は奥さんの母乳を運んだ事がある。2人目のときは陣痛で苦しいときに僕と娘は爆睡。スマホに鬼電不在着信、恐怖。母は強し、奥さんはたくましいワンオペ育児。奥さんは育児をしながら店を開くバイタリティがすごいので頭が上がらない。僕はATMの機能だ。今はオンラインゲームにハマりっぱなしでも僕が積極的に家事に参加したい。最近はすぐきれる。怒っている顔は般若そのものだ。女の人はすぐにきれる。ケンカもするけど仲直りも早い。仲良くやっていきたいと思っている。

 

 

 僕の奥さんについてかなり情報が集約されてきたのではないでしょうか。いい感じに要約できてますね。力強いイメージが浮かび上がってきた様な気がします。さらに要らない情報をカットしてギュッと縮めてみようと思います。

 

 

『僕の奥さん』

 僕は尻に敷かれている。子供は二人。奥さんの母乳を運んだ事がある。2人目が陣痛時僕と娘は爆睡でスマホに鬼電、恐怖。その後ワンオペ育児をしながらも店を開くバイタリティがすごすぎるので僕はATM。OGにハマっているが積極的に家事に参加したい。最近すぐきれて般若そのもの。女の人はこわい。ケンカもするけど仲良くしてください。

 

 

 これくらいがちょうどよい文章なのでしょう。充分奥さんについて網羅されてますし、分かりやすくなったと思います。しかしここからさらに文章を煮詰めるとどうなるんでしょうか。僕の奥さんのエッセンスがここに凝縮されるのです。

 

 

『僕の奥さん』

 僕は尻に敷かれているので奥さんの母乳を運んだ事がある。2人目が陣痛時僕と娘は爆睡でスマホに鬼電、恐怖。ワンオペ育児バイタリティがすごすぎるので僕はATM。OGにハマってるので僕が家事をする。最近般若そのもの。女の人はこわい。仲良くしてください。

 

 まだいける? もう一丁いってみますか。 ラストー!   

   

           

『僕の奥さん』

 僕は尻に敷かれる母乳運び。2人目陣痛時恐怖の鬼電。ワンオペすごすぎ!で、僕はATMと家事係。奥さんは般若だ。仲良くしてください。

 

 

あの文章がたったの2行に凝縮されました。すっきりと見晴らしの良い山のてっぺんから見渡す景色の様ですね。

つまり奥さんは般若で、僕は尻に敷かれるATMだという事がこれでお分かりになったと思います。ここに僕の奥さんのすべてがあり、伝えたいことが浮かび上がったのです。

ま、まさにその通り…。

 

 

 要約力について全く説得力の無い記事になってしまいましたが、僕は全然気にしていません。むしろお腹いっぱいで久々に満足しました。

僕はこのブログを分かりやすく要約するつもりはありません(おい)

『自分が書きたいことを好きなだけ、お腹いっぱいになるまで書く!』事がコンセプト(今決まった)なのですから。

しかし要約力の無さはどうやら親父譲りの様ですね。

 

最後に、「要約力」についてはたくさんの方がサイトやYouTubeで取り上げております。是非そちらを参考にして頂ければもっと理解出来ると思います。

 

 

 

子供に見つからずにする方法を知りたい

なるがです。

 

 いきなりですが、お子さんのおられるご夫婦に質問というか聞いてみたい事があります。

それは、アノ時をどうやって見つからずに行えば良いか?どうやってするのか?

というものです。(なんなんだいきなり)

これは子供が生まれて1歳や2歳までは良くても、物心がつき始める3歳頃からは、親も少し意識して行動するようになります。よね? 

しかしこれが小学生、中学生ともなればもう警戒レベルです。私たちがどんなに偽装工作をしようが、勘の良い子供なら一瞬で見抜いてしまいます。

 

 何故こんな話をするかと言うと、2週間ほど前の出来事なんですが、小学3年生の息子についに見られてしまったのです。

アノ時の気まずさと言ったらもう言葉では言い表せません! 恥ずかし過ぎて穴があったら入れたい…穴!…否、入りたい!とはこの事だ!と思いました。

子供からしたらお父さんとお母さんで何してるん?と思ったでしょうが、こちらからしたら子供の夢をぶち壊すレベルのトラウマを与えてしまったかも! と思うしかありません!

夫婦揃って「あちゃー、遂にやってしまったナ〜」と、顔を見合わせて苦笑いですよ。まぁこんな日がいつか来るとは思ってましたが、本当に来てしまった事にショックと言うか、まったく上手くやれよーとしか言えないです(笑)

とにかくバレてしまったもんは仕方ないので、次回どうするか?です。どうするもこうするも手遅れなんですがね(笑)

幸い中学生の娘にはまだ見られていないので良しとしておきます。でも最近の子供はマセてるから知らないフリしてるだけかもしれないです。いや、きっとそうです。そうに違いない。

 

僕が子供の頃そんな行為を目撃した事は一度も無かったです。そりゃバレたらとんでもない事ぐらいは両親も分かっていたはずですし、成長の過程で知らずに居れる時期があるのは、子供の精神的安定にも良い事だと思います。

 

 しかし子供らがそれを知ってしまうのは絶対に避けることが出来ません。知った時期が遅いか早いかで捉え方は随分と変わって来ると思います。

また親の考え方にも大きく左右されるところでしょう。親によっては子供に洗脳とまでは行かなくても、何かしら信じ込ませる手法を取る事もあるそうです。なんと高校生になっても上手く誤魔化してやってきたと言うご夫婦の話も耳にした事があります。

でもそれが子供にとって良い事なのかは分かりません。僕からしたら高校生になってまでなんて、可哀想だなぁとしか思えないです。

普通なら有り得ない話なので、これはウチの娘同様、知らないフリをしてるだけなんでしょう。夢は美しいままで良いのです。

でもこれが本当の話ならどんだけニブいねん!!と、ある意味その高校生にドン引きですね。

 

 奥さんと話して、しゃーないな!という結論に達した(軽っ)んですが、深刻になる必要もないでしょう!

冷静に考えると、こんなのは子供たちの方がずっと大人な対応を取っているなと思うところがあります。親を立ててあげるといいますか、見ざる、言わざる、聞かざる。それを追及する事によって自分が被害をこうむる場合もあり得なくもない。

今回はアノ一瞬においても息子は冷静に状況を判断し、自分にとって何がベストなのかを見抜いて行動したと言える。

 

あの時寝ぼけていたのは演技だったのか、その後すぐ寝たのはタヌキ寝入りだったのか、それは追及しないでおこう。

 

 夜中、暗い部屋に不審者が見えた時は心底恐怖だったと思う。そして僕らと目が合った時の、あれ?お父さんとお母さん?…と言うよく分からん思考、そしてワタワタと焦っている親。

息子は、2人が抱えているそれが「クリスマスプレゼント」だと見抜き、それを置きに来たのだ!と察知した瞬間に寝たフリを決め込んだのである。

焦る僕らを横目ならぬ薄目に何たる冷静さよ。

間違いなくこれは演技だった。その証拠に、少し持ち上がった口角を僕は見逃さなかった。

 

 クリスマスイブにプレゼントを置きに来た瞬間の姿を子供に見られてしまうという、あってはならない大失態を犯してしまいました。

でも今どきサンタクロースがプレゼントを持ってやって来るなんて信じるのは3歳までですよ。ましてや高校生で信じているならドン引きです。

そう言いながらもやるのは、親としては何か驚かせてあげたいのでしょう。そうして子供の喜ぶ顔がやっぱり見たいのです。

三つ子の魂百まで、では無いですがこの子達も親になったらきっと同じように子供にしてあげて欲しいし、してあげるんだろうなとも思います。

 

だからこそ絶対に見られてはいけない! 少なくとも3歳までは。

それが子供の心を育み、大人になってもそれを与えることが出来るのです。

 

 今気付いたんですが、主題を「アノ時」としか言ってませんでした。分かりにくくてすみませんでした。

しかしいったい皆さんはどうやってバレずにやるんでしょうか。是非教えてください。

どうするもこうするも手遅れなんですがね。

3年目のコロナは大目に見てよ2022

なるがです。

 

 あけましておめでとうございます。

と言うには遅すぎますね。今年初めてブログに手を付けたのが10日ですよ? まぁいつもの事なんでご容赦願います。しかし今年は記事を大量生産したいと思っております。最低でも去年の記事数よりは多くします!(去年21)。

 

 さて、僕の年末年始の休みなんですが12月25日から1月11日までありまして、途中1日だけ仕事場に用事で入りましたが、すでに月の半分以上を休んでいるという、今まさにサザエさん症候群真っ只中、な訳であります。もうね、これだけ休むとやる気出ないっすわ。

これじゃいかんという事で、鈍った体を起こすべく、世間が仕事始めの頃になってようやく家の大掃除に取り掛かった我が家でありました。

え?掃除してないの? 新年をきれいさっぱりとした状態で迎えるのは、もはやどこの家庭でも常識です。しかしコロナがヨーロッパで激増とのニュースを見て開口一番(奥さん)「これはやばい!行くなら今しかない!」と、年末は掃除そっちのけであちこちと遊びに出かけておりました。

あとはドラクエⅢを年内にクリアしなければいけなかったので(そんな決まりはない)忙しくて大掃除どころではなかったのです。奥さんも全然やる気ないし。

 

その流れで3年ぶりの帰省も果たしました。その頃はオミクロン株がすでに国内にも出始めており、行って良いものか迷いましたが、周りを見ればみんな行っているではないですか。赤信号みんなで渡れば怖くない、とばかりに決行しました。

 

しかし9日現在、感染者数の異常なほどの増加は、この年末年始の人の移動がもたらした以外の何物でもないでしょう。実家の方でも感染者が増えており、僕ら家族が帰省していたのは近所に知られているので、「人の目が気になって外に出にくいわ~」と両親に言わせてしまう状況です。

 

なんだか帰省したのがいけなかった様な、複雑な気持ちです。

コロナとは本当に厄介な奴です。人の体だけでなく心まで入り込んで来る。

 

いや、コロナが入り込んだんじゃない。コロナによって人の心が炙り出されたと言うべきか。今では何事にもコロナを前提に物事を考える様になった。そしてそれにまつわる出来事において人間は翻弄されまくっています。

勿論悪い面ばかりじゃなく良い面もあります。日本人を揶揄する際によく言われる右へ倣えの精神が、このコロナ禍においては皮肉にもうまく発揮されていると言えるのでしょう。

 

しかし最近はよろしくない方の右へ倣えが増えてきた様な気がします。今回は僕もついに「赤信号みんなで渡れば怖くない」などという呪文のような言葉にあっけなく心を持っていかれました。

 ですがコロナを過度に怖がるのは、さすがにもうその段階ではないと自分では思っています。コロナとケンカばっかりで、1日たりとも忘れた事など無かった私達ですが、もう長い間同じ空間に暮らして来たわけでもあります。お互いが思いやったらどうなるんだろう? ウイルスに対して思いやりとは意味が分かりませんが(笑)

この前までは仲良く暮らして行けそうな雰囲気だったのに、また怒り出してからに。人類が皆両手をついて謝るから大目に見てくんないかな。

 

錦鯉のM-1優勝とキャラメルコーンのピーナッツ

なるがです。

 

 久々にキャラメルコーンを買ったので、今それを贅沢に一人で食べているのですが、ふと思ったのです…「ここにピーナッツを入れよう!」と発想した人はすげぇな、と。

何故この甘いスナック菓子に、つまみの部類に入りそうなこのピーナッツをチョイスしたのか。『マリアージュ』と呼ばれる食した時の一体感等は完全に無視しているとしか思えない、異種同士の組み合わせ。

確かに子供の頃からこのピーナッツは「余計なもの」でしかありませんでした。甘いサクサクとしたお菓子の最後に待っていたものは、その甘美な余韻を全てぶち壊してしまうくらいの破壊力を持ったごくわずかなピーナッツなのでした。

当然の様に食べる気になれずゴメンナサイしていたのですが、おっさんの正に今、このピーナッツの何たる旨さよ。子供の頃には分からなかった、否、子供には味わいのレベルが高すぎたのだ。

故に冒頭の「ここにピーナッツ…」を発想した人はすげぇな!と思った訳です。

 

 そしてこれには実は深い意味合いがあるそうで、製造梱包時にこの塩味のローストピーナッツをコーンパフの上からふりかけるんだそうです。そして搬送時にトラックでガタンゴトンと揺られる中でだんだんと下に落ちて行き、その過程で塩とナッツの香りが袋の中で絶妙なバランスとしてまとわりつくんだそうです。

そして私たちが口にした時には程よい塩梅の甘じょっぱさに仕上がっている!という……そこまで考えられていたのかと驚きました。

 

 でも僕は何か腑に落ちないと言いますか(やめとけ)、ただの思い付きで入れたんじゃないの~?と思うのです。たまたまピーナッツ好きなおっさんが、「これも入れたれッ」的な(笑)絶対にこの絶妙塩梅な解釈は後付けだと思ってます(悪意はありませんので…!)

 

しかしどうでしょう、このキャラメルコーンが発売されたのは1971年、なんと50年も前から発売されているのですよ。これは知りませんでした! 気まぐれで(違います)ピーナッツを入れてここまで長く続くでしょうか? やはり何か理由があるのです。

キャラメルコーンは僕が生まれる前からの大先輩ですね(2歳差だからほぼ同期汗)

 

 話をピーナッツに戻すとですね、このピーナッツは『キャラメルコーンには無くてはならない存在』として、メーカー側も「コーンパフ」「キャラメルシロップ」と共にキャラメルコーンを構築する重要な要素の一つとして取り扱っています。

今では「キャラメルコーンのあのピーナッツ!」として独り立ちまでしたくらい(現在は終売)ですから、あのピーナッツは発売当初から相当な異彩を放っており存在感が半端なかったのです。

 

 ですが僕の幼少期の様に、食べられずに廃棄されていた事もきっと多かったはずです。ピーナッツい~らな~い、と言う声も確かにあります。

それでも、捨てられても、食べられなくても、その存在意義を問われながらも、腐ることなく地道にコーンパフとキャラメルシロップに喰らいつき、ついにメインと肩を並べるまでに出世したのです。これは世間が、消費者があのピーナッツを認めた、という事に他なりません。

 

ナッツ好きのおっさんが気まぐれで(注:勝手な妄想です!)放り込んだピーナッツ、世間の冷たい風評にもマケズ(注:勝手な妄想です!)放り込み続けたピーナッツ。それがいつしか本物になり、なくてはならない存在までに昇華した!

 

あぁ、これは錦鯉M-1優勝のサクセスストーリーと重なって見えてきます。ちょうどキャラメルコーンと長谷川氏は50歳の同い年。渡辺氏も43歳と決して若くはない年齢です。

二人が悩みながら歩んできた長い長い道のりは、M-1優勝というこれ以上ない形で花開いた。錦鯉本人たち以上に周りの芸人たちが嬉し泣きしていたのも強く印象に残っています。40歳を越して芽が出なければ、普通ならとっくに諦めてしまう年齢です。でも彼らは諦めなかった。若手にどんどん追い越されていく中で一体何を思っていたんだろうか。

 

 同じおっさんとして、この状況と似たような経験があります。僕は仕事が出来る人間ではなかったので中々上に行けず、気づくとガンガン後輩に抜かされていました。正直なところ、仕事に対して真摯に向き合っていなかったと思います。まだ若い時に先輩から「歳だけ食ったあんな風にはなるなよ」と仕事の出来ないおっさんを例に言われてたのにも関わらずです。あぁ、今の自分がそれになりかけていると気付いて僕は逃げるようにして辞めました。必要とされていない空気が耐えられなかったのです。でも逃げてなかったらそれこそそこで諦めてしまってたと思います。その場所で再起を図る選択も出来ましたが、そこから挽回するのはとても困難だと実感しました。

そして何回か転職をしてきて今はようやく自分の場所を確立できていますが、現在も年下上司なんて当たり前の環境で働いています。しかしお互いに敬意をもって接するおかげで、すごく気持ちよく働くことが出来ています。そこには年上・年下にこだわる変なプライドなどはありません。仕事が出来る奴に、頭が切れる奴に年齢は関係ないんだなと。それを受け入れることですごく楽になれる事が出来ます。

 錦鯉の二人もずっとそのような、いえ、もっと過酷な環境だったに違いありません。若手芸人に交じっておっさんが生き続ける事で色々言われてきただろうし、抱えた思いは表には出さずとも実際は相当しんどい状況であったのは想像に難くありません。

 

僕が今になって思うのは、年上・年下に拘るという中学生の様なメンタリティで生きているおっさんの多い事。そういうのに限って仕事が出来ないのに、年上に向かって~…!みたいなのを持ち続けています。逆に年上をないがしろにする若手も問題ですが。まぁ、こういうのはどこへ行ってもやがては通用しなくなります。ヘコヘコしろと言うのではなくてですね……(以下略)

 

 とにかく錦鯉のⅯ-1優勝は僕も含めた、ちょっと外れかけているおっさんたちへのいい起爆剤になったと思います。オール巨人さんの「50歳は若い、これからやで。」という言葉がもうすぐ50歳を目前に控えた僕にとって、どんなに励みになっている事か。

すぎやまこういち氏も50歳からドラクエの楽曲に関わりましたし、ケンタッキーフライドチキンカーネル・サンダースは65歳からの起業でした。いつどこでブレイクするかなんて分かりません。そして錦鯉の優勝から改めて思うのは、

『何事もあきらめては成し得ない、やり続ける事』

なんだと。

 

目的を持ってあきらめずやり続ける。

それはよく聞く『成功の秘訣は成功するまでやる』事と同じですね。

それを実際に目の当たりにした事でこれはきっと人生の法則なのだと思いました。

 

 静まり返った職場でひとり、たまった事務作業の傍らキャラメルコーンをむしゃむしゃほおばりながら時折現れるピーナッツを食べ、ふとそんな事を思っていた2021年の年の瀬なのであります。