なるがです。
友ヶ島は、和歌山県と淡路島の間に位置しており「地の島・神島・沖ノ島・虎島」4島の総称を言います。
その中でも今回紹介する沖ノ島は『ラピュタ』の島とも言われています。
当時からの建造物が自然と同化していたり、侵食されている様がアニメの『天空の城ラピュタ』に似ているという事で、最近はとても人気のある観光スポットとなっているようです。この日もたくさんの観光客が訪れておりました。
これは一番有名な第3砲台跡です。
この建物は大砲の弾薬を保管する倉庫、弾薬支庫です。この写真はもう夕方近くですが、午前中の木漏れ日が差し込む景観など、色彩がはっきり浮かび上がって独特な雰囲気を醸し出している写真をよく見かけます。
確かにこのレンガの造りやデザインは不気味さが…いや、美しい?
明治時代、政府が 紀淡海峡(和歌山県と淡路島の間)防備のため、由良地区(淡路島)、友ヶ島・加太・深山地区(和歌山市)に数箇所砲台群を建造しました。これらをあわせて由良要塞と言います。友ヶ島は太平洋戦争が終わるまで軍の管轄に置かれていました。
ここの他にも同様の建造物を全国に見る事ができます。
アクセス
電車
・南海電鉄 なんば駅~和歌山市駅、加太線乗り換え、終点加太駅下車。
・JR阪和線 天王寺駅~和歌山駅、紀勢本線乗り換え和歌山市駅へ。南海加太線~加太駅下車。
車
詳しくはこちら
一番注意しなければならないのは船の出発時間です。
島を堪能するには最低でも3時間は確保したいところです。第3便に間に合わなければその日はやめた方がいいでしょう。
当日僕ら家族はその第3便に間に合わず、妻と大喧嘩してしまいました。時間には余裕をもって行ってください。
しかし目的地付近に到着してもまだ安心してはいけません。
乗船場へ向かう道の入口が見落としやすいのと(見事に見落とした)、写真のパンフに載っている駐車場は乗船場と直結していますが超ゼツ混雑(休日は特に)しています。
目的地まであと100メートル。細い民家の間を抜けて行った先は、パンパンの駐車場と車の列だった…のが僕らです(笑)
少し離れに駐車し、徒歩で向かうのが安心確実だと思われます。(特に休日)
ギリギリ15分前に到着したものの、この現場に絶句。妻はぶち切れ寸前、もうアカン…終わった…。と思いきや、今日は臨時便を増発しているという!奇跡的に13時30分発の船に乗れる事になったのです。奇跡!
尚、駐車場代は700円。船の運賃は往復2000円です。
補足として、乗船場にはトイレが1つしかなく男女兼用なので気になる方は注意した方がいいかもです。
沖ノ島に到着
野奈浦桟橋まで20分で到着、沖ノ島に上陸です。妻の原爆も不発に終わりました。
険悪な雰囲気はどこへやら、これからのハイキングにわくわくしてきます。良かった!
ゴミ問題
海岸は大阪湾からのゴミが大量に漂着しており結構な状態です。やってもやってもキリがないそうです。これはもうどうしようもないと思います。地道に清掃していくしかないでしょう。
それよりも観光客によるポイ捨ても多いと感じました。明らかに内陸部にあるゴミなどはそうです。無人島だからといって一人一人が無責任すぎると思いました。これではせっかくのラピュタもラピュタでなくなってしまいます。
第二砲台跡
第二砲台から敵艦(違うか)を望む。
戦後米軍によって爆破処理されたそうで、ぱっくりと割れています。
友ヶ島灯台~第一砲台(立ち入り禁止)~子午線広場~孝助松海岸と流し(笑)、ここから山道に入ります。靴はしっかりしたスニーカーなどが良いと思います。足場は意外と良くないです。子供たちも少々疲れてきました。
標高120mタカノス山展望台からの景色
「敵艦12時の方向!!!撃ちーかたーはじめー!!」と叫ぶ。
のをやってみたいなと妻に言ったら無視されました。
対岸は淡路島です。この島は敵の侵入を防ぐ最後の砦となる重要な位置にあるんですね。明治から昭和の戦争と長い間守りに就いていたそうです。
第3砲台跡
この第三砲台が一番大きな規模で、砲台は4つの区画に分かれており、1区画に2つずつ砲座が設置されていました。全部で8門の砲が据え付けられていたことになります。現在は当然ながら砲自体は無く、円形の砲座跡があるだけです。
風景写真を殆ど撮ってなくて(ピースした人物写真などが多くて)、まともなものがありませんでした。激しく後悔…。
手前の円内に大砲が据え付けられていました。ここ第三砲台は28cm榴弾砲だったそうです。(上向きに発射し、放物線を描いて弾が飛んでいくタイプ)。
その前のパックリ第二砲台は27㎝加農砲(かのんほう)でした。(水平射撃タイプ)
分かりやすく言うと連邦軍モビルスーツのガンキャノンのキャノンです。
ですが1945年の終戦まで実際に砲が使用された事はありませんでした。確かに、使う様な状況になっていれば相当やばい状況とも言えます。
大砲が主役だった明治・大正時代はともかく、太平洋戦争では戦闘の主役は航空機となっていましたから、この様な時代遅れの要塞など、空からの攻撃に対しては全くなす術がなかったと思います。
仮に万が一米艦に侵入されたとして、各砲台から一撃をお見舞いしたが最後、位置を特定され島が無くなる程の艦砲を撃ち込まれる事になったでしょう。嗚呼無慈悲な米艦。
第三砲台 地下弾薬庫・地下通路
区画ごとの通路は半地下1階のトンネルで結ばれており、トンネル内からさらに地下2階弾薬庫へと降りることが出来ます。
ですが真っ暗闇なので懐中電灯は必携です!スマホの灯りでは心許ないかもしれません。ほんまに真っ暗闇ですから。
娘が細い通路の先に階段を見つけ、登って行こうとしたら、
「ぎゃー!壁にでっかいクモいっぱいいるー‼︎」
と戻ってきてパニクりました。結局怖くてその階段へは行けませんでした(笑)。後から調べるとそれはクモではなく、カマドウマとの事でした。
ちなみにその階段の先は行き止まり、砲台長座に出るそうです。
第三砲台弾薬支庫
地下2階にもあったクモ(カマドウマ)だらけの通路でトラウマになり、怖くて中に入れませんでした。中にはきっとゾンビがいます。ちなみに入ると奥で倉庫同士が連結している通路になっています。
地下通路を通って砲座区画からこちら側に出る階段もあったのですが、「この階段はなんだ?」と位置関係が把握出来ず、頭の中での図面が構築出来ませんでした。
下図のように8門の砲が設置されていました。豚の鼻ではありません。
この島へ来る前には少しの予習をお勧めします。してなくても全然大丈夫ですが、していたらもっと楽しめると思います。予備知識なしで行ったので、実際現地では「何なんこれ」状態。カマドウマをでかいクモと間違える事もなかったと思います(笑)
そんな予備知識もあれば、もっと堪能出来たのではと少しだけ後悔しました。
スタート地点の野奈浦桟橋に戻ってきました。
この時点で16時を回っていました。島の半分しか回っていませんがこれで十分でしょう。もっとゆっくりしっかり堪能するには第1便の船に乗るべきです。時間が足りませんでした。
帰りの最終16時30分の便も混雑しています。幸運にもラスト2組で乗船出来ました。船には定員があるので乗れない事もあります。見てないので分かりませんが残された人達もきっと迎えがくると思います…。(来ます)
と言う事で、まったくラピュタの雰囲気を伝えられない記事でした。
ネットで検索すればいっぱい出てきますので、そちらを見る事をおすすめします(笑)
加太に戻ったら付近を回ってみてください。人形がいっぱい置いてある神社とか、おいしい海鮮が食べられるお店もあります。戻った頃にはすでに閉店していましたが…。
大阪からも日帰りが可能な『友ヶ島』、結構楽しめますよ。