なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

初めて

 2025年も気付けばあと残り半分に差し掛かろうとしています。本当にあっという間ですね。……いや、違います!残り半分と言いましたが7月5日で終わり(何が?)なのであと残り一か月と少しです!まぁ、ピンとくる方は分かると思いますが1999年のようなもの、とでも答えておきましょう。

こういったオカルトの類は信憑性もあったもんじゃないので無視するのが一番ですが、一応念のため注視しておいてもいいでしょう。この世界、いつ何があるか分かりませんからね。天変地異だけでなく、第三次世界大戦も火種がくすぶっているだけでいつ燃え上がるか分からない状況です。宇宙人、地底人による地球侵攻もあるかもしれません。つまり、『不測の事態に備えるべし』という戒めも含まれていると思うのですよ。

人間とは事が起きてから行動することが殆どです。スーパーやコンビニの棚がすっからかんになるのも毎度のことです。『天災は忘れたころにやって来る』と言いますから、それに備えた対策はやはりしておくべきです。

しかし準備したのはいいものの、我が家はそれらのグッズや食料がすぐに使える状態になっていない!のです。リュックなどにまとめておき、有事の際にはサッと持ち出せるようにしておくべきなのに、未だに荷物はバラバラ、食料などはダンボールの中に入ったまんま…。何の教訓も学んでいない我が家です。これではいけませんね。

心のどこかにまだ大丈夫、まだ大丈夫、という慢心があるからいつまで経ってもキッチリまとめないままなんです。そして忘れたころにやって来た天災に大慌てするのでしょう。

などと偉そうな事ばかり書いていますが、対策したからといって万事OKでもありませんし、今はやれることをしっかりやる!のみですね。

 

 

 

 という事で前置きが長くなりましたが、前回の冬ソナ記事の最後でピアノ楽譜を買いに行くと書きましたので翌日買いに行きました。(いきなりの話題チェンジすぎるだろ)

 

考えてもみてください、あと一か月しか猶予はないんですよ?

 

やりたいことを今せずしていつやるの?今でしょ⁉ 対策を講じたらあとは野となれ山となれ、僕はこの間に何としても曲をマスターしなければいけないのだよ。

 

当初『My memory』のピアノ譜を買うつもりだったのですが、イ・ジス氏のピアノ曲『初めて』を聴くうちにハマってしまい、これを練習することに決めました。

 

ローソンで『ぷりんと楽譜』からダウンロード、印刷!これは初めて利用したのですが欲しい曲だけ入手できるので本当に無駄がないです。一曲480円と割高感はあるのですが、僕にとっては数千円だして要らない曲入っているスコアを買うより断然コスパいいです。

帰宅してさっそくピアノの電源をいれます。

 

おいおい、鍵盤を押し込んで戻って来ない箇所が4か所もあるじゃねーかよ……。

使用している電子ピアノですが、ヤマハP-80という1999年に製造されたもので、すでに25年以上経過しているおっさんピアノなのです。当然所々ガタがくるのも仕方がありません。打鍵音もカタカタとやたらうるさいですし、なんなんこれ?と修理に出そうと思いましたがめんどくさいしハードオフ行かと思いましたが、ネットを調べてみると出てくるもんです。自力で修理している方々がたくさんいるではありませんか。

 

これを見てコイツを自力で修理することを決意、さっそく取り掛かります。ど素人がやるわけですから失敗すれば二度と戻ってきてくれない可能性もあります。そしてネジを外し蓋を開けてしまったが最後、その時点でヤマハの修理は受付終了~とのことで、まさに背水の陣でコイツと向き合わなければならなくなったのです。

ったく、なんでここからスタートなんだよとブツブツ言いながら戻ってこなくなっている鍵盤を外してみます。

プラスチックの鍵盤の先端が欠けていました。はい?……なんのこっちゃさっぱりわからないと思いますので、どういう状態か分かりやすく説明しようと思います。が、めんどくさいのでいつものように割愛させていただきます(そこは書けよ)

 

パコっと鍵盤を外し、縫い針をライターで熱し欠けている個所にブッ刺します。

え?こんなんで本当に直るの??

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直るんです!

どういう理屈で直るのかといいますと、これまた説明がめんどくさいのでこれも割愛させていただきますね(やる気なしかよ)

 

鍵盤をもとに戻してみると……「こいつ…動くぞ!」

なんということでしょう、動きの鈍くなった鍵盤が滑らかに動いているではありませんか。

これに気を良くした僕は残りの鍵盤にも取り掛かります。

しかし針が足りない!……そうだ!使う頻度が少ない低音部と高音部の鍵盤を入れ替えればいいんだ!たぶん一生使う事はないであろうその部分の鍵盤に犠牲になってもらうが致し方あるまい。すまぬ!と言って犠牲になってもらいました。

 

準備は整った。

蓋をはめ直しようやく練習に取り掛かれる!電源オン!!

 

「な…に?点かない……だと…⁈」

 

いったい何が原因なんだ?もう一回バラしてみるより他なく、泣く泣くまたネジを外すはめに。

 

原因を探っていくとコードが断線していました。どうやら蓋をはめ込んだ際にコードを挟み込んでしまい断線したようです。なんのコードか分かりませんがコレが原因なのは確実なのでコイツをつなぎ合わせます。

しかしコードが細く、外側の被覆だけを剥く作業が上手くいかない!どんどん短くなっていくコードとの格闘にようやく勝利し、ぎりぎりでつなぎ合わせることができました。

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めちゃ適当だけどこれでつくんやろか…。

 

無事電源が入りました!!奇跡です! 

とりあえず問題はなさそうです。1999年問題も自力で解決できてとても満足です。修理代0円ですよ。ただ、鍵盤のカタカタですがハンマーの当たるフェルトの「へたり」により発生しているようです。このフェルトはすでに日本では取り扱いがないらしく、海外のサイトで発注しないといけないとのこと。めんどくさすぎるので修理は保留。カタカタ上等やないかい。どうせヘッドフォンするし関係ないね。

 

というわけで、久々にひっぱり出して来た『YAMAHA P-80』が死んでいたのでまさかの蘇生作業からの開始となりました。無事生き返ってくれて本当にラッキーです。

 

 さて、『初めて』の練習の進捗ですが、なんとか最後まで弾き切るところまではこぎつけました。僕はピアノを習った訳ではないし、独学でやりくりしています。もちろん五線譜も読めませんし、何なら「えーと、ど、れ、み……あ、ヘ音記号だからドはこっちか…」というレベルの、ド素人にも程がある状態です。

披露する場もないし、習うまでもないと思っていますが、めちゃくちゃ遠回りしてるんだろうな~とは思います(笑)でもピアノの弾きたかったフレーズが弾けるようになると、とても気持ちいいです。

でも躓く箇所ばかりでノーミスクリアまであと一か月はかかりそうです。


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20年ぶりに観た韓国ドラマ『冬のソナタ』が頭から離れなくなっている

 冬のソナタ。言わずと知れた韓流ブームの先駆けとなったドラマであります。日本では2003年に放映され、「冬ソナ現象」と呼ばれるほどの大ブームを巻き起こしました。

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先日、動画配信サービスにて冬ソナのサムネイルを発見、「うわ、懐かしい~1話でも見てみるか~」と安易な気持ちでクリックしましたら、抜け出せなくなりました。(笑)

このドラマはガチでやばいです。数あるドラマの中でもヨンウォニマイメモリーに残るドラマだと断言できます。3日間で全20話イッキ見した今現在、僕の心はまさにチュンサンと同化したかと思うほどユジンが愛しく、毎日「ユジナー」とつぶやいております。(やばいやつか)

 今や泣く子も黙る『冬ソナ』、あれだけ大ブームを巻き起こしたのも納得です。20年前、今の奥さんと見ていた(見させられていた)のですが、展開に次ぐ展開、観る者を引き付ける怒涛のストーリーにくぎ付けになったものです。そして再び鑑賞した今、あの頃は無かった激しい『冬ソナロス』に見舞われております。当時大熱狂した世の中のオバハンたちも、この切ない地獄を味わってきたのか!……と(大げさ)

いやさすがに50歳を越したオッサンがドラマごときでココロ乱すなんてどうかしてるぜ⁈ と思いきや何故なんでしょうか、20年の月日がそうさせているのか、なんとも切ないやら悲しいやら優しいやら……で感情の整理がつかねーっす。

 ここである事に気付きました。このドラマには性的なシーンや、胸を悪くしそうな暴力シーン等も一切出てきません。ましてや子宮が恋愛するとかのドン引き表現なども皆無です。そこにあるのは純愛そのもの、優しさと思いやりを伴った、悲しくも切なく、温かい物語なのです。素朴な風景や美しい雪の描写もそうさせているのかもしれませんね。俳優たちの演技力に加え、場面場面で使用される美しい楽曲の数々。あ~まさに名作中の名作ですわ!

では、この『冬のソナタ』を知らない、知りたいと思う方々のためにネタバレしない程度に1話から20話までのあらすじをお教えいたしましょう。

と思ったのですが、かなり、いや相当めんどくさいのでいつものように割愛させていただきますね。(書かんのかい)

やっぱり何も知らない状態で見始めるのが最高ですよね。

 

 さて、今現在冬ソナロス状態の僕ですが、作中で使用されている楽曲たちの素晴らしさにも心奪われております。心奪われすぎてメロディが頭の中で終始流れており仕事が手に付きませんです。

主題歌の、誰しも一度は耳にしたであろう印象に残るピアノの旋律、♪チャラララン・・これはもうね、とにかく切なすぎるんですよ。強烈に人々の心に突き刺さって忘れる事の出来ないメロディと歌がもうね……(以下略)。イントロですぐにあれだ!と即答できる唯一無二のメロディ。作曲者には驚嘆しかありません。(曲名は『最初から今まで』)

冬ソナの楽曲はとにかく美しく素晴らしいものが多いです。今まで気付かなかったのですがとても味わい深く、今になって毎日の様に聴いています。そして早くもそれを拗らせた僕は、どうしてもピアノを弾いてみたくなり(拗らせ特有のあるある)、この曲を練習するぞ!と決心しました。

『My Memory』です。(♪チャララランちゃうんかい)

この曲がですね、とても、とても、とてもいいんですよ。(イ・ジス氏の『初めて』もいい!)

最終話でチュンサンが『不可能な家』の前で座っている時に、ユジンを想ってつぶやくシーンで流れたのですが、ピアノとストリングスのメロディが美しく響き、場面にマッチしてめちゃめちゃ切なくなりました。だから弾きたいのです。(なんだその理由)

 

 最終話についていろいろ思う事を書きたいのですが、やはりエンディング手前、いわゆる3年後からのシーンでしょう。

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「……ユジナー」

 

この家を訪れたユジンと奇跡的な再会を果たしましたが、チュンサンはすでに目が見えなくなっています。

そして最後のセリフが

「ユジンニ……?」

「チュンサンニ?」

「……ユジナー」

で終わるという。え?これだけ? しかしそれが逆に視聴者の想像を膨らませたとも言えます。僕としてはあっけない終わり方に「え?ちょ、おま、こんなラストだっけ?」と一瞬なったのですが、その後すぐ走馬灯のように今までの物語が頭の中を駆けめぐり、二人の想いさえも伝わってくるのです。

これが『冬ソナロス』の原因なんだと思います。たぶん。

 

 僕は一度興味を持ってしまうと、それに関連するものを片っ端から検索したり探したりします。演者、楽曲、韓国、言語(韓国語・朝鮮語)、エピソードや裏話……あら? ペ・ヨンジュンは僕と同期かいな!同い年!友達やん!(違います)

インターネッツは探せばなんでも出てきます。今は冬ソナ関連しか検索してません!そして 悲しい事にパク・ヨンハ氏が亡くなっているのも知りました。ユジンが言う、「サンヨガァ」が居ないのは本当にショックです。

しかし最新情報では2025年の冬に『冬のソナタ』が4k映画化されるそうです。なんというタイムリーな情報でしょうか。もう楽しみしかないやん!

 

 ここまで冬ソナについて熱く?語ってきましたが、実はなんと2006年12月に韓国旅行へ行っているのです。今の僕と同じように冬ソナにハマっていた僕の両親を連れて旅行会社の冬ソナツアーに参加したのです。奥さんが企画したんですが、思えば僕はなんてもったいない事をしてたんだ!と今さら激しく後悔しております。撮影の舞台になった土地へ行っても何の感動もなく、My Memoryは、韓国死ぬほどクッソ寒い!!!ってことだけでした。マジで寒すぎワロタですよ。

 

旅行の後しばらくして母親から荷物が届き、その包みを開けると一冊の本が。

『もうひとつの冬のソナタ

おいおい、だれが読むねん!と当時の僕は思いましたよ。でも不思議なもので、その本も20年近く放置され続けながら、まだ僕の手元に存在し続けていたのです。

「そういや変な本あったな……あった……!」

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副題が『チュンサンとユジンのそれから』って一番知りたいやつやん!かーちゃんありがと~。まさかの展開ですよ。冬ソナロスもこの本のおかげで少し和らぎそうです。

あー、『冬のソナタ』とても面白かったです。超おすすめのドラマですが若い世代にはどう映るんでしょうか。古臭い価値観でもありますし、もしかしたら僕ら世代にしか響かないのかもしれませんね。ともかく超おすすめです。

 

さて、明日は楽譜でも買いに行こうかね。

 

50代の働き方と過ごし方について

  書かなくなってどれくらい経つのでしょう。浮かんだネタも夕暮れにはお蔵入り。家の軒下で佇む僕に「どけ!」と煽り立てるツバメのやうに、長い冬を越え今頃ブログの放置に気付くなんて。

季節はもう春ですね。だいぶ暖かくなってきたので書いてみるかと筆を取ることにしたのですが(なんだその理由)何とこのブログを放置し半年も過ぎておりました。半年ですよ、はんとし、6ヶ月。半年「も」と、まるで知らなかった様に装っていますが嘘です、前から知っていました。これが本当の放置プレイってやつですね。

 そんなことはどうでもいいとして、この半年の間にはいろんな事がありました。その中でも一番の出来事と言うなれば『人事異動』です。

人事異動は、部署異動、転勤、昇進、降格、転籍、 出向などがあり、企業が従業員の配置や勤務地、役職などを変更することです。組織の活性化や人材育成、適材適所の実現などを目的として実施されます。

僕は現在52歳ですが、会社から見ればある意味第一線から外れる人材とみなされる時期だということです。今回僕は役職変更でプレイヤーでもありマネジャーでもあった自分がプレイヤーに戻り、そして新上司として20も歳の離れた若いマネジャーが着任しました。幹部候補生ともあればそのポストを譲らざるを得ません…ぐぬぬ。やはり老兵は去り行くのみなんですかねぇ。特に評価が低かったわけでもなく、コンプラに引っ掛かったわけでもないのに、感覚としては『椅子をずらされた』みたいな感じですよ。

一応タイトルは付いているんですが、会社にとってはお役御免、的な感じなのでしょう。全国の社内を見渡してみれば、同じ様な年代の社員はおしなべて同じ道を辿っている。そして彼らは定年までこき使われ、定年を迎えた再雇用組は更に大幅給与ダウンの安月給でこき使われている…ひぃっ! まさにこれが俺の未来図なのか…と思うわけですよ。

 僕の仕事はブルーカラーと呼ばれる部類に入るのですが、現場仕事なのでとにかく肉体労働がきつい。忙しければ立ちっぱなし動きっぱなしの8時間もザラにあります。この歳になると結構堪えるんですよね。

で、体を使って働いているのってほとんどおっさん達で、ホワイトカラーの管理職はデスクで一日中座ってます。これが役割なんだからしゃーないっちゃーしゃーないんですけど、少しは手伝って欲しい…それ今まで僕がひとりでやってきたんすけど…。

いままで文句も言わず(言ってた)サビ残(やめよう)までして尽くして来たけれど、ここいらがキャリア天井のようです。そしてホワイト管理職のメンツを見ると全部新卒組、いわゆるプロパー社員というやつです。あーそういう事ね。中途のおっさん達は初めから穴埋め係だったってことですな。

でもこれはある意味仕方の無い事なのかもしれません。会社が新卒組を大事にするのはどこの企業でも当然だし、中途の僕自身は飛びぬけて仕事がデキルわけでもない、年齢も逝ってしまっている。入社時から手塩にかけてきた若い人材にポストを与えるのは至極当然な流れなのでしょう。

ほとんどの企業では55~60歳で役職定年を迎えるそうですが、僕はまだ52だぞ(十分おっさんですが)早いんでないの?

 

 とまぁ、こんなことを切々と書いておりますが、僕自身は現在の環境に不満があるわけではありません。むしろ願ったり叶ったりなんです。

まずは、プレイヤーに専念できる事。

今までプレイヤー7:マネジャー3くらいの業務割合にならざるを得ず、残業が常態化していました。それでも時間が足らなくてサビ残というアホみたいなことまでやっていました。上からは残業するな!!!!!と言われるけれど、そもそも無理ゲーだし!! ほんまに、偉い人にはそれが分からんのですよ。

 

しかしそれが今ではほぼ毎日定時上がりです。

もうね、今まで苦しめられてきた事務作業なんて見て見ぬふり、メールを見て気になっても無視、完全無視&放置プレイで全部マネジャーに丸投げ!ですわ。

 あぁ、これが正常な働き方というやつなのか……働き方改革最高じゃん…!会社やるやん!と今頃になって気付いたのであります。がむしゃらに働いていた(使える年齢ではないが)あれは夢だったのか?と思うくらいの変化に驚きを隠せません。ストレスほぼゼロ!お天道様を拝める幸せ、帰宅ラッシュってこんなにすごかったんだ!って久々に思いました。

そして一番の恩恵は、家族と過ごす時間が増えたことです。

これは本当に何物にも代え難い大切な時間です。今まで帰って寝るだけの日々だったのが本当に信じられません。子供たちと話す時間も増えました。でも奥さんからは「早いわ」って言われる…あれ?

まぁそれは置いといて、そうなるとですね、以前の様な働き方はぁ…えっと…ごめん被りたいっす!…ってなりますよね。つまり本音は「二度とやるか!クソが!」と、こうなるのであります。僕はプレイヤー専門なので、マネジャー専門でやるには畑が違い過ぎる節は否めない。逆にマネジャー専門だったらメンタルが持たなかったかもしれません。

 

 50代以降の働き方として今回の人事は僕にとって良い結果をもたらしたのかもしれませんが、まだまだ第一線で存在をアピりたい気持ちもあります。中途とはいえ会社に貢献してきた自負もあります。

何故そう思うのかと言えば、同じような社員たちを見ていると「使い倒される」感が否めないからです。やはり多少は社内で影響力のある人物でいたいのが本音です。それらを諦めた、自ら歯車と化した彼らは、老体に鞭打って毎日必死に働いています。生活のためとはいえ、もっと楽に生きても良い年齢のはずなのに。僕も含めて雇ってくれるだけ有難いとは分かっているんですが。確かに今から転職なんて自殺行為だよなー。

結論として、50代以降の働き方としてはここは割り切って働くのが最良の選択なのかもしれません。キャリアも天井、責任や義務もほどほどに、給料もそこそこあればいい。そして家族や自分のためにこれからは時間を割く。

必死に働いている彼らは、僕が勝手にそう見てるだけで実はチョー気楽に働いているんではなかろうか。そんな気がします。悲観するより楽観的であること。そう考えると50代のこれからは以外と楽しめる年代に出来るかもです。

 

 家の軒下でひとりタバコをふかしていると、「早くどけよ!」と巣に戻りたくてバタバタとせわしなく煽ってくるツバメが僕に春の訪れを気付かせる。

「ツバメ、お前もか」なんて思うことなく、「ちょっと待っときや〜」と穏やかな気持ちで僕はその場をさっと去る。

新しい季節を感じるひだまりの中で、これからの生き方と過ごし方についてそんな事を思っていたのでした。

 

 

くるみに出ているおじさん達が羨ましい

 かれこれもう24年も前の事とは思えないくらい、50歳を越えた今でも、殆ど毎日の様に当時4人でやったバンド活動を思い出しています。スタジオ制作した数曲のCD音源をいつまでも聴いていて、「やっぱええな~」と感慨に浸っているのです。そうしながら気付けばもう24年も経っている事に「え?嘘やろ??」と思います。毎日の様に思い続けているとどうも感覚が麻痺してしまうようです。

僕はVoの作った曲が大好きで、メンバーであり一人のファンですが、当のVo本人はもう活動を辞めているようです。というか今何してるか知らない(笑)

バンドは解散した訳でもなく、自然に分解していったという所でしょうか。全員が仕事をしながらの活動は結局中途半端の何物でもありませんでした。そして今思えば、僕はただ付いて来てるだけの何の覚悟もないメンバーであったなぁと申し訳なくもなります。他にメンバーが二人いるのですが彼らとも連絡は一切取っておらず、いったいどんな人間関係やねんと突っ込みたくなると思います。

それでも僕は毎日の様に思い出し、曲を聴いてはあの頃に戻ってしまう。思い出が美化され過ぎて消化できなくなってる。そしてこれが何故か心地よく感じている。結局自分はどうなりたいのかが分からない。否、違う。

もう一回メンバーと会って話がしたいし、セッションもしたいと思っている。なんなら一日だけでも再結成したいと考えている。でもたぶんそう思っているのは僕だけなんだろうきっと。

 以前一度だけVoに連絡を取った事がありました。元気?と。彼は会社で出世してとても忙しい人になっていました。バンドの話などは一切出て来なかったのですが、僕からは何となく言い出せませんでした。そりゃいい歳になれば出世もするだろうし、彼なら当然上に行く人物だと思ってたので不思議ではありませんでした。と同時にバンドはもう過去のもの、過去の思い出として消化できてるんだな、と思いました。

他の二人のメンバーにも連絡を取れば良いものを、同じ様にバンドは過去の遺物としているのかもしれない、等と勝手な妄想をしてしまうのです。

当然彼らにも仕事があり家庭があり、いや・・もしかしたら独身ニートおじさんかもしれないし、最悪ムショにお勤めしているかもしれない。長い間連絡を取らないという事は、それだけショックを受ける可能性も高いのかもしれません。

そんな勝手な妄想でブレーキをかけて、何かのせいにしてバンドを過去に押し込んできたのは紛れもない自分だ。自分からは動こうとせず、彼らの動きをひたすらに待ってる自分が本当に卑怯だと思う。

この先この片想いが成就することはないと思います。


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 だからこの『Mr.ADULTS』のおじさん達がとても羨ましく思えます。僕の思い描くストーリーそのまま、最後にしっかりケジメを付けて過去とさよならする。この主役のおじさんの様に動けたら、そしてメンバーとまた再開してライブの一回でも出来たなら…。でもこんなドラマチックにうまくいく訳ないよな。目に見えてる。

「あ~ごめん、予定がいっぱいで…」とかだともうすでに詰んでるし、そもそも走って会いに行ける距離ではなかったり。そう、現実は非常に残酷だw

 このMVをこの歳に、こんな気持ちで見ている自分がいる事に不思議な感覚を覚えます。当時は悲しいおっさん達だなぁと見ていましたが、20年を経てまさか同じ気持ちになるとは(笑)そしてやたら感動して、泣けてくる。今ならこのおじさん達の境遇や気持ちが痛いほど分かる。だからこんなに泣けるのか。

 

あぁ、このおじさん達のやり切った感、これなんだよ。吹っ切れたこの感じを味わってないが為に未だにバンドに片想いを続けている。

そしてこんな記事まで書くもんだから、僕はまた今日もバンドを想って沼るんだろう。

もう片想いで貫き通します。

 

 

今キレイにしたい場所は

今週のお題「きれいにしたい場所」

 

なるがです。

 

久々の更新です。

推定2名と思しき読者さんには「あ~遂に死んだか・・・」と思われたかもしれませんが、何とか生きております。

 

 さて、今週のお題「きれいにしたい場所」ということですので頑張って書いてみたいと思います。

キレイにしたい場所・・・となるとやはり生活空間、つまりはリビングであったり、キッチンであったりバスルーム・・でしょうか。散らかっていたり汚れていたりしたら気持ちも萎えてきます。気を付けなければいけないのは、散らかりや汚れに慣れてしまって感覚が麻痺してしまう事、これが一番危険です。

偉そうな事を言っている僕自身も結構な面倒くさがりでして、掃除をしても3日も経てばすでに散らかり始めている…しかもそれを「まいっか」と放置する!清掃レベルをキープすることが中々出来ないんですよね。しかも奥さんもズボラな性格なもんだから輪をかけて汚れるスピードが速い。

ただ僕は、これが限界!というラインは心得ており(そこまで放置するんかい)、散乱及び汚れの限界を突破する前には掃除に取り掛かります。

 しかし生活空間ってのは本当に掃除するところだらけです。あれもこれもやってたら掃除だけで一日が終わります。念入りにする場所を一か所だけ決めて、あとはさっと掃除するだけにします。昨日は風呂の掃除を念入りにしました。(担当なので)

 

 風呂はすぐに汚れる場所です。何と言っても皮脂垢と黒カビですね。風呂掃除というと良くCMとかで流れている場面は浴槽が多いです。スプレーしてサッと流すだけ!みたいなやつ。でも浴槽なんかあんなの掃除じゃありません。もっとやるべき場所がたくさん隠れています。例えば浴槽の掃除なら中も勿論のこと、サイド下(なんて説明したらいいか分からない)…えーと、浴槽の側面裏側の事です!

メーカーによって形も違うので当然該当しない場合もありますが、デザイン的に凹凸のある浴槽なら間違いなくその凹凸の裏側にまっくろくろすけがいます。下から覗いてみて「ギャーッ!」と絶叫する事間違いなしです。あとははめ込み式形状のもの、これらも外してみると必ず黒いやつがいます。こいつらは油断するとすぐに増えるのでとても厄介です。

しかし、黒い奴の天敵をもってすればこんなのはイチコロです。それは、

『カ〇〇ラー』!

もうね、風呂掃除にこれは最強ですよ奥さん。色々メーカーからお風呂洗い洗剤が出てますが、あんなのただの洗剤を薄めただけの液体です(違います)。

というのも、汚れ落ちのレベルがもうレベチなわけですよ。

 さて、その汚れ退治を行う際の格好ですが、みなさんどんな格好されているんでしょうか。水作業なので長いゴム手袋をはめてズボンの裾をまくり上げて・・・といったところでしょうか。僕は全裸です。

さすがにこのキラー液は強いのでポリ手袋をします。そして液体を目標に向けてまんべんなく噴霧します。時間差攻撃が有効なのでいろんなところにかけておきます。そうすることでこする手間が省けます。気を付けないといけないのは、噴霧しすぎてバスルーム内のキラー濃度が濃くなりゲホゲホむせます。死にます。換気は十分に行いましょう。

意外と盲点なのが蛇口のある台、桶とか置く台座ですね。この裏が結構汚れています。見えないところなのでついつい放置しがちですが、ここはやばいです。キラー+タワシで一気に葬り去りましょう。細かい部分の掃除には歯ブラシです。使い古しのものは取っておきましょう。歯ブラシ+キラーはマジで無敵ですよ。

あとは椅子の裏側、側面の皮脂汚れも見落としがちです。他にはタイル面の黒ずみもあると思いますが、こればかりはこすっても落ちてくれません。溝はタワシでこすれば落ちますが、タイル面の黒ずみにはメラミンスポンジです。とても地道な作業ですが区画ごとにこすっていきます。

 

ここまで1時間以上かかっています。汗もとめどなく滴り落ちています。やればやるほどきりがないので適当なところで切り上げる事にします。

ようやく終了!マジで新品のバスルームかよと思うほどです。

そして最後に自分の体を洗います。ピカピカになったバスルームと、ひと仕事終えた後の風呂は格別です。汚れのない状態ってのは空気感が違いますね。

 

 僕はやりだしたら止まらない人間なのできれいになるまで平気で何時間もかけてしまいます。でもそうする事で普段気付けない部分であったり、掃除の仕方が分かってくるものです。今日はトイレ掃除をしました。掃除は楽しいです。掃除を終わらせると心もすっきりしてきます。

おかげで奥さんと喧嘩冷戦中でも心は少し晴々としています(笑)

 

有給休暇絶賛消化中

今週のお題「急に休みになったら」

 

 僕は基本土日祝が休みなので、平日に休む事は滅多にありません。しかしごく稀に休みになる事があります。それが今日です。消化しなければならない有給休暇が4日残っておりまして、只今絶賛消化中なのであります。で、ここぞとばかりにずーーっとサボっていたブログ更新に取り掛かっておる訳でございます。

 2019年の4月から有給休暇の取得が義務化されたのは記憶に新しいと思います。つまり『何が何でも年に5日の有給休暇を取りなさい、取らなければひどい罰を与えますよ!』(悪意はないので)という嬉しいんだか嬉しくないんだかよく分からない制度なのであります。

普通なら嬉しいに決まってるじゃん!と思います。しかし運営側、経営側に立ってみればそうでもない職場が殆どなのではないでしょうか。僕なんかはいきなり『明日休むから頼むね!』なんてまず不可能ですし、その為には前もってスケジュールを調整して、人が足りなければ補充の手配をして、やばそうな仕事は片付けて、完璧な布陣を構築した上でようやく安心して休める、と言った具合になります。

仕事がどんなに溜まっていようと休暇の取得が義務で優先なので、これをやり繰りしないといけない訳です。

少々大げさに書いてますが、有休の使い方って本来こうじゃないですよね? 休む必要がないのに無理やり「休め!休め!」と言って休まされるんですよ!

…おっと、…愚痴っぽくなってきたので流れを変えますね。

 昔の僕なら休んだ事にして仕事をしに行ってると思います。だけどやっぱりそれではいけませんよね。考え方を改めて、休めるときは休む。仕事馬鹿になるのは良いけど根詰めて働いて、自分にとってそれが一体何になる?と最近は良く考えます。

自分の人生の中で1年間のうち、この与えられた5日間の有給休暇をどう使うか?仕事に使う?自分の時間に使う?家族に使う?…そう考えるとこの5日間の存在意義って実は結構大事なのかな?と思ったりするのです。とは言え、その前に自分で休暇を作り出せていないのは改善しなければいけない部分ではあります。

職場によって条件は様々で難しい案件でもありますが、ウチは休めと言ってくれるだけ有難いですよ、ほんと。

 僕は今回思い切って平日連休!を取ったんですが、皆から「連休はやめてください!!!」って言われました。今のところ何も連絡は来ておりません(笑)ずっと仕事を気にしながら過ごすのは体に良くありませんね。仕事はちゃんとやってくれますし、まぁ何かあったらその時です。今は割り切って休みを堪能する事にします。気にしない気にしない~時間はたっぷりあるし、さて何をしようかな~(内心ドキドキ)

 

ちなみにあと2日有給休暇が残ってるんですが、うまくいったらまた連休取ろうと企んでおりますフフフ…。

 

 

為せば成る 為さねば成らぬ 何事も

 最近(と言ってももう2か月前)また職場を異動になりまして、現在も新天地で頑張っておるわけですが、いやはや結構な苦戦を強いられております。何が苦戦しているのかと言えば、やはり人間関係と言いましょうか。どんな職場でもそうだと思いますが、特にトップの人間だけが変わると間違いなくそこには波風が立ち、今までの人(前任者)と比べられてしまうという事です。

最悪な事に、その前任者が残していったものはもう負の遺産だらけな訳ですよ。例を挙げれば、施設のノーメンテ、ルール違反、スタッフの仕事への意識のなさ、陰口の横行、派閥による分断、よくこんな状態でやってこれたなと思わずにいられません。

そして今最も頭を悩ませているのが、新たにやってきたどこの馬の骨とも分からぬこの人間を(僕です)、すべてのスタッフが懐疑の目で見るという重圧の中で日々送っているという事です。正直こんな経験は初めてです。今まで本当に人に恵まれていたのだなぁと思う毎日です。

普通なら上長に言われた事は二つ返事で返すのが当然です。今の時代はそうではない事も多々ありますが、仕事としての指示とは言わば命令です。ここをやってもらわなければ仕事になりません。しかし返事は、「○○はこうだった」「こんな事はやらなくていい」「やる意味が分からない」「○○だから出来ない」あーだこーだと屁理屈こねて、何か言わないと死ぬのか?

もう正直言ってぶ〇きれそうになります(笑)

でもここで感情を出してしまえば完全に終わりです。信頼関係を構築する前にこれをやれば立て直しはもう絶望的です。否、無理です。最終手段は分解・再構築しかないかなとも思います。

さすがに今の僕はそんな手法は出来ませんし、まだ望むところではありません。しかしどうすればこの状況を打破出来るのだろうか…。

 

 悩んでたある日、自宅の本棚の一冊に目が留まりました。

上杉鷹山経営学 -危機を乗り切るリーダーの条件-』童門冬二 著

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実はこの本、上司からのプレゼント?で、僕がまだ当時24歳の頃に頂いたものです。何の流れだったかは全然覚えてないのですが、いきなり「読んでみろ」と渡された記憶があります。僕にとっては「一体なんなん?こわ」と思う出来事でした。当時は遊びに夢中だったので(仕事しろ)全く興味なしでした。

当然数ページ読んでお蔵入りとなったのは言うまでもありません。

 

 しかしその本がですよ、26年と言う長い長い月日を、今まで捨てられる事無く生き残って来た事実にふと気付いたのです。しかもまだ現役を主張する最前列に佇んでいるではないか。上司から頂いた本なので律儀に大事にしていた、とも言えませんし(そもそも読んでない)

引っ越しや部屋の掃除、数十回とあった断捨離のタイミングにもすべて生き残って来た訳ですよ。興味のない本に対して26年の生存率はあり得ないです(笑)

という事で遂に?遂に、26年の長い時を経てその本を読んでみようかなという心境に至った訳です。お前が読む本はここにある、と言われてるかの様な気がしたのです。

不思議なもので、書店へ行けば優れたビジネス書などはごまんとあります。しかし本当に自分にマッチするものは中々巡り合えません。今まで壁に突き当たったら本屋へ行き、何か道しるべはないかと色んな本を漁りまくっていました。しかし今回その本を手に取ったのは、タイトル名もそうですがやはり決め手は『26年の生き残り』にびびっと来たからです。

 読んでみて驚愕しました。今の自分と同じような境遇からの出発ではないか。

上杉鷹山』は江戸時代中期の大名で、出羽国米沢藩の第9代藩主であります。

まぁ、治憲(鷹山公)は16歳の頃からすでに動いており、19歳で初めて米沢に入城、藩の改革に着手しています。19歳ですよ(若っ!)僕なんかとは比べるまでもなく恐れ多い事でした(笑)

 JFKでおなじみあのジョン・F・ケネディ大統領が生きていた頃、日本記者団と会見して、「あなたが一番尊敬する人物は誰ですか?」と尋ねられた時、即座に「上杉鷹山デース」(勝手に伸ばしてすいません)と返って来たといいます。しかし記者団の方が鷹山の事を誰も知らず「ようざんて誰だ⁈」とザワついたというエピソードがあります。

 この上杉鷹山という人物、ケネディからも一目置かれる存在ともなれば一体何をした人物なんだろうと俄然興味が湧く訳です。

旧海軍連合艦隊司令長官山本五十六の名言である

『やってみせ 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば人は動かじ』

これは鷹山の教えが根底にあります。そして殆どの大人が一度は耳にした事はあるであろう最も有名なフレーズと言えば、

『この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一歩が道となり その一歩が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ いくぞー!!いーち!にーい!さー……』違いますね。

これはアントニオ猪木さんの名言です。清沢哲夫氏の「無常断章」と言う本の中の詩が元ネタとなっていますが、これもとても素晴らしいですし、何といっても猪木氏が言った事でこの詩の存在感が倍増、勇気づけられる人が多いのも納得です。

 

上杉鷹山の超有名な名言はこちら

『為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の為さぬ成りけり』

行動に移せばどんな事でも出来る。行動しなければ何も出来ない。強い意志を持って努力し行動すれば必ず人は成し遂げられる。

ごくシンプルな、当たり前と言ってしまえばそれまでですが、心構えと覚悟が大事なんだと理解しました。

この鷹山の名言ですが、これも知っている方は知ってると思いますが、もともとは鷹山が詠む250年も前に武田信玄が詠んだ歌を参考にしたものです。

いや~過去の偉人たちはこうしてアップグレードしながら大切な言葉を受け継いで来たのですね。

 

武田信玄の超有名な名言はこちら

『為せば成る 為さねば成らぬ 成る業を 成らぬと捨つる 人の儚さ』

鷹山が元ネタにしただけの事はありクリソツです。が、最後の文言だけが違います。

鷹山が「成らないのは努力が足りないからだ」と言ったのに対し、信玄は「成らないと言って諦めるのはもったいないのう」と言っている事です。

どちらもやれば出来るというポイントはズレていません。やれば出来る、やらなければ出来ない、ただそれだけの事です。

鷹山は「自分の強い意志と覚悟が必要」と厳し目ですが、信玄は「あーあ、やれば出来るのにワシはもう知~らない」って他人事かよっ!(注:あくまで自分の捉え方です)と聞こえなくもない(笑)

自分は鷹山派ですね(なにそれ)

 

 米沢藩を立て直した鷹山の苦悩は相当なものでした。前例にない数々の施策を行い、苦難の中それでも成し遂げられたのは志を同じくした者たちと、心を入れ替えた民たちによるものです。その為にはまず鷹山自らが率先して動いたのでした。

ここで鷹山が行った素晴らしい数々の施策をご紹介しましょう。

と言いたい所ですがもうめんどくさくなってきましたので毎度の如く割愛させていただきます(書けよ)

 

まぁやるしかないって事ですね。周りはある意味敵ばかりな状態ですが、「愛と思いやりの名経営者」であった鷹山公を見習い、何としても今の苦境を乗り切ってみたいと思います。

為せば成る。