なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

40代からの転職はどうなん?!「仕事無いよ!」転職について

なるがです。

 

僕は過去3回転職しています。『転職』とは職業が変わるという場合と、新しい雇用主の下で働く場合にも使われます。僕は後者のほうですが、27歳、30歳、42歳で転職しています。

42歳⁉で?と思われるかと思いますが、さすがに舐めてました。

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はっきり言いますが、40歳以上の転職では希望の条件で雇ってくれる所はほぼ無いと思って良いでしょう。余程の実力、キャリアを持っていれば別でしょうが、そんな人はまれです。まず辞めてないか、独立起業するかのどっちかです。第一検索してここには辿り着かないでしょう。

 

「転職は働きながら行うべし」とよく見かけますが、正論です。しかし僕は運よく声を掛けていただき、転職活動をしたことがありません。3回目を除いては。

正直なところ、日々の業務に追われそれどころではなかったです。もちろんちょくちょく求人は見ていたのですが、あっ、と思った会社を見つけたところで、現在進行形の業務をすっぽかして辞める事ができるほど甘くはありません。

 

 転職活動を始めるなら

働きながら転職活動を行うなら、「最終出勤日が確定してから」がベストでしょう。世間の常識と違う考えですので、危なっかしくて出来んわ!と思いになる方も多いと思います。40歳以降の転職なら尚の事です。保証は出来ませんのであしからず・・。

 

在職中はまず最終出勤日を確定させること。中には延期、延期と延ばされまくって1年半かかった場合もあります。僕ですが。なかなかハッキリ「辞めます!」と言い切れない自分が悪いんですけどね。退職が重なったり、重要な仕事が入っていたり、タイミングもあります。「そんな事知ったこっちゃねーだろ!」という方が大半だと思われますが、社畜な僕はまんまと流されてきたのでした。

 

でもそこで強行突破という手段も確かにあります。でも出来なかった。悲惨な状況になるのが分かってるのに、仲間を置いて辞めることはやっぱり出来ませんでした。

このお人好しめが!と自分でも思いながら。だけどよく考えてみると、次の職場も決まってないのに、辞める事ばかりに囚われている事に気づきました。

ハッキリ言ってその状態での求人検索など時間の無駄です。

それからは目の前の仕事に集中して取り組みつつ、たま~に求人を見るくらいにしました。新たなる社畜の完成です。面白い事に仕事が楽しくなってくるんですよ、不思議と。完全に侵されてますね。

 だけど退職の意だけは常に匂わせておくことです。そうやって周りに噂を立てておく根回しも必要かと思われます。

 

 

タイミングを見逃さない、機はいずれ熟す

そしてついにその時はやってきます。新しい人材が入ってきたのです!なんと僕と同じ待遇で。しかも他1人のオマケつき。タイミングはここです。役者は揃った。

僕は間髪入れず退職を申し出、すんなりと最終出勤日の確定までこぎつけることが出来ました。

 少々時間はかかりましたが、あの時強引に辞めていたらきっとモヤモヤが残ったと思います。それどころか、あの時助かったと逆に感謝されるんだから、わからんもんです。

 

最終出勤日が確定してからは、もう解放感でいっぱいw新しい人材にせっせと引継ぎを行いつつ、ここで初めて本腰いれて転職活動!最終日というゴールが設定されることでスケジュールも立てやすく、しかもたまっていた有給休暇消化のおかげで約2か月間の休みが発生。時間も(お金も)たっぷり確保できたのです。仕事内容も引継ぎがメインの監督業務の為、楽なもんです。

立つ鳥跡を濁さず。たぶん濁してないと思いますが、濁したとしてもすぐに記憶からなくなります。すべての状況は問題なく整いました。

 

繰り返し言いますが、40歳以降の転職は、仕事はあるけど贅沢は言えない事を肝に銘じるべきです。収入ダウンを覚悟すべし。これはほぼ確実です。なるべくなら40代での転職は止めた方が無難でしょう。

今は地位を確保していても、この現代社会では落ちるのは時間の問題です。リストラ対象にも入りやすいでしょう。唯一無二の存在にでもなっていれば話は別でしょうが、さっきも言ったように、そんな存在は「まれ」です。実力優先のところでは貢献度の低い社員ほど真っ先に切られます。自分がそうでしたから。というかそう感じたからなんですが。

自分と同じ待遇で、歳も若い奴が入ってくればおのずと追いやられるのは目に見えてます。そんな卑屈にならず頑張ればいい?否、会社はすでにその人物に対しての方向性は決めて採用しているはずだから、よほどのヘマでもしない限りは不動のものとなるでしょう。

 

というのは僕の推測であって確信は持てなかったのですが、会社の自分への評価、自分の立ち位置などは、長く勤めていれば誰でも分かるものです。

ここでプライドを棄てて会社にしがみつくか、潔く身を引くかの選択になります。

悲しいかな僕は会社からは評価されていませんでした。個人面談の際に貢献度が低いとはっきり告げられていたので、その時点で辞める決心はついてました。しかし人手不足という大義名分の名の下に継続を余儀なくされておりました。

 

あれ?・・結局何を伝えたいのかわからなくなってきたな・・。

情報があふれすぎて何が正しいかさえ判断が難しい世の中になったと感じます。じゃあ転職はどうすればうまくいくんだって??僕が考えるのは、

「果報は寝て待て」否、「急がば回れ」?「急いては事を仕損じる」・・同じ意味か。

あっ、そうだ!「なるがままに」だ。(すみません)

 

40代での転職は本当に危険!ある意味ギャンブルです。外したら家族を路頭に迷わせることにもなります。

僕も危うくそうなるところでしたので。夢みたいな文言に惑わされる事なく、冷静になってもう一度見つめてみる事をおすすめします。

無事就職できた話はまた今度します。

それでは。(話がまとまってないぞ)

 

 

 

 

 

Salyuにハマっています

なるがです。

今日から9月ですが、急に涼しくなってきました。あの気だるい暑さはいずこへ?という位過ごしやすくなりました。ほんとに朝晩は寒いくらいです。あと一回子供たちとプールにいけるかな・・・などと思っている今日この頃です。

 

そして今、Salyuにハマっています。

このアーティストの事は『彗星』という曲で知ったのですが、リリース当時2005年のMTVを見て、妙に記憶に残る曲だなぁと思った程度でした。

声がとにかく特徴があり、感情がこもっているというか、うまく説明出来ません(なんだそりゃ)

楽曲とミスマッチに思えるよくわからないMVの映像と相まって、独特の世界観を醸し出してました。


Salyu「彗星」

やっぱいいですね~・・中毒になりますな。しかしいつ見てもよく分からん映像です。

しかしそこが中毒になったとこでもあるのですがね。

 

そしてたぶん認知度も高いと思われる『To U』です。(2007年リリース)

この曲は初めて聴いた瞬間に名曲入り(自分の)しました。この曲は何回聴いても心にきます。

特にブレイク時?のSalyuが唄う「愛~woo愛~」のところ。もう心臓貫かれます。


to U

超名曲ですね。

この世界で起こっている出来事と、この歌は絶妙に絡み合ってとてつもないメッセージを発していると感じます。作詞、作曲、ヴォーカル。この3人はとんでもない組み合わせです。

  

と、いかにも通な風に語っておりますが、実はこの2曲くらいしか知りませんでした。

そこで、なんとなく聴きたくなり動画を久々に検索してみましたら、なんと名曲ぞろい!

僕の好みにびたっとハマったのか、一発で虜になってしまいました。

なんですかね、この声がやっぱりグッとくるんですよ。いつまでも聴いていたいと思わせるヴォーカリストだと思います。初期と後期とでは声の質も変化してますが、どっちもすごくいいです。

そして小林武史氏の作る楽曲とすごく相性がいい。

とにかく毎日聴きまくってます。(今頃)

Salyuの唄を聴かない日は、クリープを入れないコーヒーと同じ。物足らんのです。

 

森永乳業 クリープ 280g

森永乳業 クリープ 280g

 

 紹介するほどでもないけど一応。これがクリープなるものです。

 

そして、またズキューンとやられた一曲を発見しました。

Mr.Children桜井和寿氏が作詞・作曲の『青空』、メロディはまんまミスチルです。当たり前か。

が、Salyuがこれを見事に唄い上げています。


Salyu「青空」MV (Full)

初期の憂いを帯びた声とは違い、曲と素晴らしく調和した声を聴かせてくれます。この曲に限らず口の動きなどを見てると、言葉を凄く丁寧に唄うひとだなぁと感じさせます。

 

そして僕がなぜこれを推すか?

歌詞がいいんですよ。人それぞれとらえ方はあるんですが、僕は母のことを唄った歌ととらえています。曲中に『母』というワードが出てくるんですが、それを知ってからは母に捧げる歌にしか聴こえなくなりました。

『あなたが好き~あなたが~』というフレーズがあるのですが、マザコンでもありませんし、ましてや恋愛感情などありません(笑)

 

アラフォーになって改めて母の存在に気付かせてくれるのです。遠く離れて暮らすため年に1~2回しか実家に帰らない自分ですが、この曲を聴くと年老いた母を想わずにはいられないのです。

 

しかしSalyuの歌声は胸に響きます。もっと早く知っとくべき、否、気付くべきだった~と思う日々であります。

久々に、聴きたい!と思わせてくれるアーティストに出会い(再会?)ました。また曲紹介しようと思います。

 

 

 

 

 

 

高校野球

 

毎年やってくる夏の風物詩『高校野球

僕は野球が好きという訳でもないのですが、この高校野球だけは好きです。特に夏の甲子園春の甲子園もありますが、夏の方が何か感じる物が多いです。

 

春の甲子園・・選抜高等学校野球大会

夏の甲子園・・全国高等学校野球選手権大会

と言うそうですが、

この字面だけ見るとなんとなく春はエリートだけ。しかし夏はいっぱい集結してぶつかり合う感が見えなくないですか?ちょっと強引ですが。

そしてこの『夏』という、エネルギッシュで儚く短い季節もそうさせます。

気付けばお盆も過ぎ、寂しげな風も吹き始めたなぁと感じる今日この頃です。

 

7月に入った頃はまさにエネルギッシュ全開!ギラギラの太陽が照り付け、スイカに花火、プールに祭りに海水浴!夏真っ盛り!だったのが、お盆を越えた途端、静かに収束していき、そして気付けばあっという間の夏だった・・と。

 

高校野球も同じで、集結した球児たちのドラマが始まります。初戦は特に熱く感じます。たくさんの出場校に応援団、観客、そして感情むき出しにした多くの選手たちのプレー。

強豪を倒しまさかの伏兵出現、甲子園の魔物ともいえる9回2アウトからの逆転劇、満面の笑みで喜ぶ選手、敗れて泣きじゃくる選手、必死に甲子園の砂をかき集める選手。

 

どのシーンを見ても表情が、魂がみなぎっている。仲間との最後の選手生活を謳歌せんとばかりに。これが終わればやって来る、まるで儚くも短い夏のように感じるのです。

 

僕の場合はプレーもさる事ながら、彼らのむき出しの感情を見ることが何より面白いですし、心を打たれます。この視点はテレビ中継でないと分からないと思いますが、実際の球場の雰囲気など肌で感じる視点もまた、違う迫力や面白さがあるのだと思います。

彼らの幼くも凛々しい表情は本当に引き込まれます。

 

高校球児と少年兵

ふと思うことがあるのですが、この高校球児たちと、過去の戦争で散った若い命が同じように見えてくるのです。戦争末期には若い17、18歳の少年までもが戦地に駆り出されました。彼らは国を守るために、家族を守るためにと言って出撃していきました。

当時の彼らに会ったことも無いので本当の気持ちなど分かる訳がないのですが、なんというか、ひたむきさが似ている気がするのです。

当時の教育がそうさせたのか、彼らの遺書などを読むととても17歳、18歳とは思えない反面、健気で一途な普通の少年だったんだと垣間見ることも出来ます。

 

高校球児とそんな時代の彼らとシンクロして見えるのは僕だけでしょうか。

この現代にはそぐわない、軍隊然とした規律や礼儀作法もそうさせるのかもしれません。

 

しかし僕はそれこそが高校球児であると思っています。真面目で、ひたむきで、不器用で、丸坊主頭で、礼儀正しくて、仲間思いで、感謝を忘れなくて・・と、こんなイメージを抱いているのですが、まさに戦時の彼らと同じなのです。

高校球児と少年兵を同じにするな!と言われそうですが、戦争で若くして散った彼らの遺書など読んでみると、本当に似ていると感じられます。

しかしこれは人によって感じ方、とらえ方、そして過去の戦争についての知識によっても変わるものであり、一概にそうですとは言い切れません。

 

奇しくも終戦日の8月15日を跨いでの高校野球夏の甲子園

幼い笑顔は当時の彼らも、現代の彼らも変わらない。甲子園の儚い夏と、儚く散った若い命。忘れないで欲しいと何か心に訴えられるものが、夏の高校野球にはあるのです。

1997年8月 四国一周 バイクツーリング記 まとめ

なるがです。

 

今回は四国一周の軌跡を簡単にまとめてみました。

8月26日

大阪~須磨港

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須磨港~大磯港 45分

淡路フェリーボート 1998年4月航路廃止

 

まさかこのツーリングの7ヶ月後に廃止になるとは全く知りませんでした。利用出来たのはある意味幸運だったと思います。

 

徳島 室戸岬~室戸スカイライン

高知市24時間サウナ泊

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大磯港から淡路島に入り、大鳴門橋を通って四国入国。55号線は本当に気持ち良い道です。

高知で泊まった24時間サウナをグーグルマップで調べてみたのですが、見つかりませんでした。さすがに20年も経てば変わってるよな〜。

 

2日目

桂浜 足摺岬~足摺サニーロード

道の駅すくも

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野宿した道の駅宿毛は思い出の地になりました。

実は2005年に嫁さんとタンデムで二度目の四国一周をしてるんですが、どうしてもそこに行きたくて、半ば強引にルートに組み込んで寄って来ました。

嫁さんからすれば全くどうでもいい場所なので、滞在時間15分程しか取らしてくれませんでした…。

 

3日目

378号線~佐田岬今治市

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佐田岬は最果て感が凄かったです。岬もそうですが、そこへの道のりの方が雰囲気ありました。確実に弱気になります。

二度目に行った時は道路も多少整備されており明るくなっていました。

この日は公園で野宿。野宿は楽しいですね。人に言ったらたいがい引かれます。

 

4日目

観音寺市 銭形砂絵~五色台

徳島港~大阪南港

徳島阪神フェリー 所要時間3時間40分 1998年4月航路廃止

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この徳島阪神フェリーも7ヶ月後に廃業してます。明石大橋開通の影響がいろんな所に表れた時期でした。これも最期に乗れたのは幸運としか言いようがないです。

高速道路もいいけど、船で渡るという行為は結構いいモンです。時代には逆らえないのが淋しいですねぇ…。

 

四国一周はしたものの、内陸部を全く見てない旅でした。

なので嫁さんと行った時は四国カルスト沈下橋はりまや橋大歩危峡などもまわって来ました。讃岐うどんも鰹も一応食べました。

気が向いたらこの時のツーリング日記も書いとこうかな〜と思案中です。

しかしバイク乗りたいなぁ〜解禁までまだまだ先かぁ…。四国は本当にいい所です。バイク乗りは必ず行くべし!です。

でもくれぐれも運転には気をつけてくださいね。

1997年8月 四国一周 バイクツーリング記 第11話 最終回

なるがです。

 

 

四国一周の旅もついに大団円を迎えます。

当時のツーリング日記はこれ以降だいぶ適当に書いており、かなり省略されてました。やる気の無さが伺えます。(最後まで書ききれよ)

なので、虚ろな記憶を辿りながら書いてます。さすがに20年前の記憶はそれそうとはよみがえって来てくれません。何せ写真を撮る事すらやめているという体たらく。

ツーリングの最後を締める大事な情報がほとんど無いという。

無事に帰れたのでいいのですが。

 

ツーリングに限らず、本当の旅のゴールは自宅に帰り着くまでです。実はこれこそが最も重要な事であり、気を抜いて事故を起こしてしまう可能性も十分に考えられます。

極論は、生きて帰る事。これに尽きます。

 

それでは、第11話最終回です~。

 

四国をあとに

四国一周を成し遂げ、達成感でいっぱいになりながら最後の目的地、徳島港を目指す。思えばあっという間の4日間だった。

徳島港に到着し、さっそくチケット購入。出港まで2時間近くある。近くをブラブラしたり海を眺めたりして時間をつぶす。

 

そしてやっと乗船時刻がやってきた。15:30。大きなフェリーは初体験だ。

バイクを船に乗り入れる時は異様に興奮した。あのデカい鉄のカタマリの中へ運転しながら入っていく事、ゴトンゴトンという大きな音は、不安と緊張とワクワク感がすごかった。

 

出港してしばらくは、島が見えなくなるまでずっと眺めていた。なつかしい感じと寂しさ、そして安堵感があった。さようなら、四国。

 

サーファーの大学生と意気投合

船内はいろんな人達でごった返しており、自分の居場所をなかなか見つけられないでいた。それに加え、日焼けパンダのドス黒キタナイ俺は結構目立つらしく、いろんな人からジロジロ見られた。もう居場所は必然的にデッキ上となる。

 

南港までは約3時間40分の船旅だ。船内に降り、飲み物を購入しに行ったとき、同じ列に並んだサーファーの大学生と意気投合する。

名前は聞かなかったが、すごく話が盛り上がり、到着するまでずっと話し込んでいた。おかげで退屈しない船旅になった。ここでも出会いがあった事に感謝。

 

帰着

そして19:00、南港着。ここからが気の入れどころだ。絶対生きて帰るんだという、よくわからないモチベーションで出発。

そしてついに自宅へ無事到着!疲れた~!ほんとにドッと疲れが襲ってくる。

 

 名残惜しみながらバイクから荷を下ろし、ひとつひとつ片づけをしていくうちに、いつもの日常へと戻っていく。そしてようやく一息つくと、今までの事がまるで夢だったかの様に思えてくる。

すでに今は風呂にも入り、テレビを見ながらポテチを食べ、クーラーの効いた部屋でくつろいでいる。昨日の今頃はまだ走ってたというのに。

本当に俺は旅をして来たのか?と思うほどに信じ難いこのギャップ。

でも、確かに俺は旅をしてきたんだ。

 

終わりに

四国一周の旅は本当に素晴らしかった。無事帰ることも出来た。

文句も言わず一緒に走ってくれた相棒。お前は本当によく頑張ってくれた。ありがとう。今日はゆっくり休んでくれ。今度きれいに洗ってやるからな。

長く一緒に走ると本当に生き物のように思えてくる。この感覚はバイク乗りしか分からないのかもしれない。

そして、行く先々で出会った人達。彼らはみんな優しかった。人とのふれあいはこんなにも素晴らしいものなんだ。このような体験は一生に数える程しか出来ないんではないだろうか。

さらにそれを補って余りある四国の大自然。本当に自然は美しい。そして、普段知ることのない自分の心との対話。

言葉では言い表す事など出来ない素晴らしすぎる四日間。いつまでも、いつまでも忘れない。

 

 

四国一周 総走行距離 約1321km

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1997年8月 四国一周 バイクツーリング記 第10話

なるがです。

 

今治でのチャリダーとの出会いのおかげで、当初の友人に会うという目的はすっかり忘れており、その後は思い出しもしませんでした。

旅も終盤に差し掛かり、得も言われぬプレッシャー、サザエさん症候群にも似た焦りを感じるようになります。ツーリングの終盤はいつもこんな感じだったような気がします。ぼちぼちと仕事の事が頭に浮かぶようになり、現実に戻る準備に入ったかと淋しい気分にもなります。

 

それでは。第10話です~。

 

一晩だけの思わぬ連れ 続き

23:00をまわり、あっという間の楽しい時間は過ぎた。チャリダーとでもこんなに分かり合えるんだと、とても嬉しかった。

寝ようとするが、なんとゴキブリが出現!街中だとこんな所にも出るのか。

さすがにシュラフのみで寝るのは抵抗がある。そこでやっとテントの登場だ。使わずに終わりそうだと思ったが、まさかこんなところで使う事になろうとは。

 

I君に手伝ってもらいテントを組み立てる。あとは寝るだけ。I君はテントを持っておらず一緒に寝ることに。二人用テントとは言え実際寝てみると異常に狭い。しかしゴキブリの脅威から逃れるには致し方ない。でも修学旅行のようで楽しくもあった。少し話をしながら眠りについた。

今日の出会いと、無事でいられた事、ここまで頑張ってくれた相棒に感謝して。

 

 

本日の走行距離 約370km

 

8月29日 四国一周ツーリング 4日目 最終日

少し涼しくなってきて目を覚ますと、テントの中が明るくなっている。朝だ。

時刻は5:30。外に出てみるとすごく気持ちいい。うーんと体を伸ばしてみる。今日もいい天気だ。朝陽と共に起きるのは何て気持ちいいんだろうとつくづく思う。この3日間は自然と共に生活している気がする。

4日目の朝、今日はとうとう最終日だ。無事帰れることを祈って今日もまた走ろう。テントをたたみ、顔を洗って一服する。公園なので所々にジョギングしてる人たちが見受けられる。この場所にもすでに人が上がって来ており、怪訝そうな顔でこちらを見ていく。

7:00、そそくさとその場所を立ち去る。

 

一生の思い出

I君はこのすぐ近くの泰山寺へ寄ることになっている。彼とも別れの時が来た。だけど淋しくはない。頑張れよ、と励まし励まされ、お互いの道へと走り出す。

一人になるとまた気分が新しく生まれ変わる。朝の冷たい空気の中を走り、いつしか彼の事は消えてゆく。けれども心の中には一生消える事のない彼がいる。

くどいが、本当に人との触れ合いとはいいものだ。旅に出る人たちもこの様な体験をしてきているんだろうか。これだから旅はやめられないのかも。

 

銭形平次の砂絵

今治市を抜け196号線から11号線、讃岐街道を走る。

8:00頃にはすでに渋滞気味でノロノロ運転を余儀なくされる。ちょっとしんどい。今日は観音寺市の『寛永通宝銭形』の銭形砂絵を見に行く事に。

ほどなくして到着。

展望台から眺めると、銭形平次で見たやつが目の前に。

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なんでも、この銭形を見た者は健康、長寿、お金に不自由することがないと言われてると聞き、拝んできた。南無。

 

心ここにあらず

この頃から少し気持ちが萎え始めているのが自分でも分かる。それでも最終日だからと心を奮い立たせ、次の目的地の五色台へと向かう。

しまいには海岸線沿いを走る気力も失せて、交通量の多い国道11号線を高松へ向けて走る。大きな幹線道路だと楽で考えなくていいから。

心にぽっかりと穴が開いたというか、完全に腑抜け状態で五色台に到着。

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五色台スカイラインに乗ってみるが、全然楽しくない。

なんなんだこの虚しさは。

バイクを止めて景色を眺めるも、全然感動しない。

タバコをふかしながら思うのは、これまでの素晴らしすぎる出来事だった。心ここにあらず、とはよく言ったものだ。

淋しくはないなどと言っていたが、これほどまでにやられるとは意外だった。

 

ここで俺の気持ちは途切れてしまった。もう帰ろう。

 

帰りは行きと同じく大鳴門橋を通り、淡路島~自宅の予定だったが、なんか走るのが疲れたのでフェリーで帰ることにした。

調べてみると、徳島港から大阪南港行きのフェリーがある。これに乗ることに決定。そうしたら少し気持ちが楽になった。ここへ向けての四国ラストランになるからだろう。再び11号線に乗り徳島港を目指す。

 

四国一周

香川から徳島に入り、海岸線を快走。そうしてしばらく走っていると、見覚えのある景色が。

3日前、大鳴門橋を渡ってきて、四国一周への第一歩を始めた道路だった。

 

ここも覚えている、これも覚えている。少し走ると吉野川に差し掛かった。橋を渡りながら、あぁ、この河川敷、炎天下の中あそこで寝てたよな~。今までのなつかしい思い出が途端によみがえってきた。

 

同時にこの瞬間、俺はついに四国を一周したんだと実感した。

 

中央分離帯越しの対向車線から、荷物を満載にしたライダーがこっちに向かって大きく手を振ってきた。まるで一周おめでとうと言ってくれてるかのようなサインだった。俺も大きく手を振ってそれに応えた。

 

四国一周!俺はやったぞ~!!

達成感が半端じゃなかった。本当のゴールはここではないが、とにかく俺は、嬉しくて嬉しくて仕方なかった。

1997年8月 四国一周 バイクツーリング記 第9話

なるがです。

 

 

佐田岬をクリアして、この旅の予定は終わってしまいました。しかも次の予定は立てていません。ただ出来るだけ海岸線に沿って走る事で、一周を達成したいという漠然とした目的はありました。

しかし、やはり明確な目的というものが無ければ人間はモチベーションが続かない生き物なんだと思います。今から向かう方面に友達がいるので、そこへ向かって走る事にしました。

だけど、当時は携帯電話など持っていませんでしたし、突発で思いついたので連絡先すら知らない状態で向かいました。向こうへ行けばもしかしたら会えるかも、ぐらいの感覚でした。(会えるわけねーだろ)偶然を期待するにも程があるw

 とにかく目的が出来た(無理やり)ので、今治市方面へと走らせます。

道後温泉をスルーしたのは今でも後悔していますw

 

 

それでは、第9話です。

 

 

国道197号線~378号線 峠磯崎林道

佐田岬を後にしてからはひたすら走っている。市街地も徐々に少なくなり、淋しい山道へと入っていく。陽はどんどん落ちて来ており、気温も下がり始めた。

378号線に通じるショートカットできる林道があり、少し不安だがその道を通ることにした。

 

太陽がもう海へ沈もうとしている。時間の経つのが早い。今夜は一体どこに泊まることになるのだろうか。だけど不安は無かった。この2日間で何とかなるというのが分かったから。

焦っても仕方ない。あまりの景色の美しさにバイクを止めて一服することにした。

辺りはシーンとして凄く静かだ。心が落ち着く。誰も居ないこんなところでタバコをふかし佇んでいると、まるで自然に包み込まれてしまいそうな感覚になる。自然は本当に素晴らしい。10分ほどで出発したが、いい休み方をした。

 

林道が終わり分岐に差し掛かった。松山市方面へと走らせる。左手に海が見えてきた。この頃から少し眠気が襲ってきて、振り払うのに必死だった。バイクでも走りながら寝れるのだ。単調な道と景色が長く続くと気が緩むので注意が必要だ。

 

特に変わったこともなく、ただひたすら走るだけ。時刻もすでに18:00をまわっている。テントを張りたいので、できるだけ陽のあるうちに今日のねぐらを決めたかった。海岸でいい場所を探すが、いや、もう少しいい場所があるはずだ、となかなか決められずにいた。

頼みの道の駅も人でいっぱいだ。お邪魔する気にはなれない。そうしているうちにだんだん陽も暮れ始め、気が付けば松山市内まで来てしまっていた。

やはり大きな街だけに交通量がものすごく、車と人がやたら多い。ここでもやはり居心地が悪く、早く抜け出したい気持ちだった。道後温泉のことなど全く頭になく、ただ街から出る事だけを考えた。

そして時刻は19:00をまわり、完全に陽は落ちた。

 

 今日のねぐらは

56号線から196号線に乗り、ようやく車の量も少なく走りやすくなった。しかし晩飯もまだ、今日のねぐらもまだ。一体どうなることやら。まるで他人事のように思いながらもまだ走り続けた。

20:00もまわり、そろそろ本気でやばいと思い始める。無理は禁物だ。

 

とりあえず行動を起こさねば。国道沿いのローソンに入り晩飯とビールを調達する。店員のお姉さんにキャンプ場はあるかと尋ねると、なんとすぐそこにあると言う。野間馬ハイランドというらしい。

この出来過ぎた流れ、やっぱり何とかなるわ~と安心してローソンを出る。

 

ところが、しばらく走ってもそれらしき標識は出てこない。いやまてよ、そういやそんな看板があったような・・・。やはりどうも通り過ぎているようだ。引き返すか迷ったが、面倒くさいのでそのまま走る。

さて、どうしようかと考えながらしばらく走ると、「市民の森公園」というのを発見。なかなか素敵な響きだ。感覚で今日のねぐらに決定。

 

一晩だけの思わぬ連れ

入っていくと売店があり、今まさに戸締まりをして帰ろうとしているおばちゃんがいた。

「今日ここで泊まりたいんですが、大丈夫ですか?」と聞いてみると、

「ついさっき自転車に乗った子が一人来て、上の方にいるから一緒に泊まってあげて」と言う。そう言うと、おばちゃんはおもむろに軽トラに乗り込み、

「案内するからついて来て」と、完全におばちゃんのペースに飲み込まれる。一瞬の出来事だった。

小高い丘の頂上には屋根付きの見晴らし台のようなものがあり、そこにはすでに一人ぽつんと佇む若者がいた。おばちゃんは「じゃあね」と一言残しすぐ帰っていった。

 

初対面の二人だけが取り残され、まるでお見合いのような少々気まずい出会いの中、とりあえず明るく「こんばんは~」と声をかける。何せ相手はチャリダーだ。一晩とは言え、バイク乗りの俺と共存できるのか?

彼は東京から来ているA.I君19歳。自転車で八十八ヶ所めぐり、お遍路さんをしているチャリダーだ。現在で7日目だという。

 

ランタンに灯を点け、ストーヴでさっき買ったソーセージとキャベツを炒める。そしてビールの栓をプシュとやって、ようやく一息つける。今日もお疲れさん、と自分に、そしてそばで佇んでいる愛車steedに。話しかけると本当にヤツは疲れてるなーと思えてくるから不思議だ。文句も言わずに良くやってくれている。お疲れさん。

 

周りには誰も居なくて俺ら二人だけだった。飯の匂いにつられてまたしても猫が寄ってきた。遠くからこっちを眺めている。ご飯をあげると喜んで食べていたが、それ以上は近付いてこなかった。

ビールを飲みながらランタンの灯を囲んで話は盛り上がった。最初の不安はどこへやら、同じ旅人同士ならツールは関係ない。

 

よく考えてみるとこの三日間、一人で寝る事は無かった。こんな事ってあり得るのか?そう思うと、神様がめぐり合わせてくれてるんだと思わずにいられなかった。

人との出会いは本当にいい。この旅をして正解だと心から思った。