なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

バーバー 弦楽のためのアダージョ 

なるがです。

 

 しかし暗い!とてつもなく暗い!かなり落ち込めます!とことんまで落ち込めます!

ひどく疲れた日や、悲しい事があった日にふと聴きたくなり、一人で暗くなっています(笑) 今日も何となく聴きたくなり、夜中にひっそりと癒されておりました。皆さんも一度はどこかで耳にした事があると思います。


バーバー: 弦楽のためのアダージョ Op.11[ナクソス・クラシック・キュレーション #切ない]

『弦楽のためのアダージョ: Adagio for Strings』 は、サミュエル・バーバー(1910-1981)が作曲した、弦楽合奏のための楽曲です。

 

出だしからすぐ暗くなれます(笑) 楽器の名前は分かりませんが、「弦楽四重奏曲」とありますので4つの楽器が使われているのでしょう(投げやりか)

各パートのメロディの美しさ、ハーモニー、音の重なる場所、長さ、ゆら~りと心地よい抑揚、切なく悲しい中にも光が差し込むようなメロディ……。暗くていい!

 

 オリバー・ストーン監督によるベトナム戦争を扱った映画「プラトーン」の楽曲としても使用されています。この曲がまた映画にドはまりなのです。

曲自体も映画から知ったのですが、1986年当時はこれがいったい何という曲で、どうやったら調べる事が出来て、聴くことが出来るのか全く分かりませんでした。

それからずいぶん経ってから何かのタイミングで曲名を知り、CD屋さん(笑)へ買いに走ったのを思い出します。

葬式の定番曲だそうで、バーバー本人は「葬式の為に作ったのではない」と言っていたそうです。でもみんな無視して使ってますね(笑) 

いえ、それだけドはま…素晴らしい楽曲!という事なのです。

 

 毎日ポジティブに明るく過ごす事も大切ですが、ネガティブのカタマリになってしまう事があってもいいんじゃないですか。ポジティブでいる事も疲れます。

自分の正直な気持ちに委ねてしまうときがあってもいいでしょう。そんな時にこの曲はきっと優しく寄り添ってくれると思います。

 

落ち込んだ時には暗いメロディが体に沁みます。逆にめちゃくちゃポップで明るく前向きな曲とかはあまり受け付けません。ラップとか余計に混乱しそうです(笑) やはりメロディなんですかね。

 この曲は暗い中にも崇高さがあり、聴き終わった後何かの余韻がすごく感じられます。気持ちも何故か少し前向きになれる様な気もしてくるのです、僕は。

疲れた時、悲しい時、とことんまで暗くなってみるのもいいですよ。きっと癒してくれると思います。

 

 

 

 

 

バドミントンはじめました。が、一日でやめました。

なるがです。

 

 この前体育館でバドミントンをしました。バドミントンて超楽しいですね!メタボ解消になればと思い初心者の練習に参加させて頂いたのですが、参加初日にして「ふくらはぎ肉離れ」という超情けない離れ業をやってしまいました。まさにオッサンあるあるです(笑)

バドミントンは瞬発系の動きがとても多く、足の故障もとても多いスポーツです。前方に足を踏み込んだ瞬間「プツッ」という音?が聞こえた様な気がしました。ちなみにバドミントンは公園でやったことがある程度です。舐めてました。

 

 準備運動不足もさることながら、老化の波が押し寄せて来ていると実感せざるを得ない出来事でした。それだけではありません。ここ半年でついに老眼も来ました。スマホの文字が読めない…。顔のシワ、肌のカサカサ、白髪もめちゃ増えました。奇跡的に禿はまだ来てません。

自分がもうアラフィフだと?バカな! このリアルに追いついていない自分がいます。未だに30代だと思っています(笑) 自分が思い描いていたアラフィフとは程遠い仕上がりです。

人生80年?90年?として、いつの間にか折り返し地点を通過しました。その節目として僕の人生を振り返ってみると……まぁ合格と言えるでしょう。この先どうなるかは分かりませんが、よくここまでやってこれたなと。いろんな人に助けられてきました。

 

 仕事では上司や先輩から一番早く業界から消える、向いていない、辞めてまえと言われ続けていましたが、気付けばまだこの業界で生きている。思い描いた第一線での活躍は叶わなかったけれど、振り返れば今まで本当に良く頑張ってきたと思います。こんな不器用な自分がまだやっているなんて信じられません。

そしてプライベートでは有難い事に家庭を作る事もできましたし、トータルで見れば折り返し地点での失速はまだありません。楽しい事も苦しい事も確かにありました。

 

 嫌な事や苦しい事は逃げちゃえ、人生は一度きり、自分の夢に向かって突き進め!好きな事だけは死んでも離すな。とどこぞやのCMが仰ってます。果たしてそれでいいのでしょうか?嫌な事や苦しい事の中にも大事なものが隠れていることだってあるのに、というのが僕の持論で何か違和感を覚えるのですが、これも老人の、オッサンの戯言なのでしょうな。現代における価値観はずいぶん昔と変わってしまいました。あぁ僕も苦しい事や嫌な事から逃げれば良かった(笑) だとしたらどんな人生を送っていたんだろう。

 人生は選択の連続だと言いますが、まさにその通りでその選択によって僕らの道はそれぞれ作られていきます。しかしあのときあの選択をしていればもっと良い人生になっていたかもしれない。まさに『僕~らはいつまでも~見知らぬ二人の……まま!』などと考える事は誰でも思う事です。だけどあの日あの時あの場所で~などと後悔しても確実に何もなりません(笑) 

これまで選択した事の後悔なぞ腐るほどしてきました。正直頭の中は『あの日あの時あの場所で~』でいっぱいな時もあります。しかし前に進むしかないのですね。だけどその後悔を活かす事も出来る。

しかし不思議なもので、その時になったらその時の選択をしてしまうんですよね。

例えばコレを買うとずっと決めていたのに、その時になってコロッと違うものを買ってしまうとかです。直感が働いているのか、そんな時はその感覚を大事にした方がいいと僕は思います。選択した後悔などする必要などなく、すべては必然だったという事です。

僕はそう思う事が多々ありました。すべては繋がるように出来ているのです。(あれ?なんか急に宗教っぽい) つまり何が言いたいのかというと、僕らが選択した事はすべて、『なるがままにされよう』という事なのです(で、でた~)

 

 話は変わりますが、ずっと前からどうしても知りたいことがひとつあります。

『宇宙はどこまであるの?』

アラフィフおっさんの答えとは到底思えない保育園児のような疑問ですが、僕は至って真面目であります。あの宇宙って奴はとんでもない化け物のようなスケールを持っています。そこに思いを馳せるとき、頭がおかしくなりそうです(笑)

太陽系でもアホほどでかいのに、銀河系の中の一点に過ぎないだと?その銀河ですら銀河団のなかの一点…ちょっと何言ってるか分かんないんですけど。

 何万光年とか、一億年と二千年前とかケタが違いすぎる訳で。僕らが生きていられる80年とか90年とかは宇宙の時間に比べれば本当にちっぽけで見えないくらいです。敢えて言おうカスであると。そのカスのような時間に僕らはいったい何をしようとしているのでしょう。何のために生まれてきたのでしょう。だけど僕らがリアルに感じている時間というものはとてつもなく長く感じます。不思議です。このカスのようでカスではないところがとても不思議なのです。

 僕が、人間が何故生まれたのかを辿るとこれも頭がおかしくなるレベルです。この広大な宇宙の中のこの地球に、そして世界でも治安が良く住みやすい国である日本に、そして戦争も直接経験せず、高度成長と発展を遂げたこの恵まれた平和な時代に、僕らは産まれているのです。そして一番重要である両親がいなければ当然存在していません。その両親しかり。そう考えるとこの人生というものは与えられたものだと理解出来ます。出来ませんか?少なくとも僕はそう考えています。否、そう考えるに至ったと言いますか。

 この人生はいろんな事が経験できますし、上に書いたようにこれほど恵まれた時代はないと言えます。そしてこのタイミング。しかし言うようにこの先はどうなるか分かりません。短くも長い人生の中で、人間として産まれたことに対して、一体どう生きるのが正解なんでしょうか?何を選択する?どんな生き方を選択する?

僕らが産まれたときは親に世話してもらい、親が死ぬとき僕らは世話をしてあげる。与えてもらったら与え返す事の分かりやすい例ですよね。つまりそういう事なのです。

与える事が人生における究極の答えなのかもしれない。

 

 

と何となく思うアラフィフな頃なのであります。

兎にも角にもふくらはぎの肉離れを早く治して、またバドミントンの練習に復帰しなくては! そして人生の目標は松友選手と握手するところまでいく事です(笑)バドミントン、いいですね。

 

追記:この時の肉離れは全治1か月でしたが、以降まったく参加していません…。

 

 

 

 

子供には手を出すな 親の虐待について

なるがです。

 

 10歳女子児童虐待死亡事故のニュース、かなり胸くそ悪いです。

毎回毎回なんなんですか子供を虐待して死なすって。頭沸いてんちゃいますか?

いったいどれくらいの親が我が子を虐待しているんでしょうか。

 今回亡くなったのは10歳の女の子です。10歳ですよ⁈10歳。身体もある程度大きくなり物心もついた一人の子供が、死ぬまで父親から虐待されていたのです。もう言葉になりません。

しかも数年もの間、日常的に虐待を受けていたと聞き、怯えて暮らす女の子の恐怖と絶望はどれほどのものだったかを考えると本当に胸が苦しいです。

(追記)心愛ちゃんの直筆のアンケート用紙を見ました。あどけない文字で必死に助けを求め訴えたのに、市は事もあろうに父親の威圧感に屈し渡してしまったと。あり得ない。「先生、どうにかなりませんか」の言葉があまりにも不憫でならない。

(追記)ここへきてなんと母親が逮捕されるという展開に。この母親もある意味被害者と言えます。しかしもう少し何か出来なかったのか…と思わずにいられませんが、やはり当事者でないと分からない複雑な事情があったのだと思います。

  心愛ちゃんに行ってきた虐待は壮絶なるものでした。殴る蹴るに加え、食事を与えない、長時間立たせる、疲れて倒れこむ所をまた無理矢理立たす、寝かせない、等も受けていました。むごい、酷すぎる。

色んな事実が出て来るたび女児に思いを馳せ、彼女が見ていた景色を思うと本当に辛く切ない。

 

子供にとって一番の味方である親。その親から毎日の様に受ける暴力は本当に怖かっただろうに。誰か助けてあげられなかったのか本当に悔やまれます。

僕にも同い年の娘がいますが、このニュースを見て女の子がかわいそうとずっと言っておりました。娘にとっても同い歳故に衝撃だったのでしょう。

 

 僕は子供への虐待だけは何があっても許せない事だと思っています。何故なら絶対に勝てる対象としてやっているからです。いうなれば躾ではなくただのストレス発散です。言う事聞かないっていうのも、子供が悪いんじゃない。自分の、親の思い通りに動かないイラつきからそう思うのです。

 

 本当に人として間違った事をしたなら、僕は殴る事もするでしょう。しかし10歳そこらの子供がいったい何をしたというのか?暴力で押さえつけなければならない事など皆無のはずです。

しかし暴力、恐怖ほど人を支配できる道具はありません。子供ならなおさら効果てきめんです。ですが

そこでそれを行使してしまうのは待て!

 

使えばあまりの効き目にまた使いたくなる麻薬だという事を肝に銘ずべし。

そして使ったが最後、子供の記憶には一生残り続けます。それが良い使い方だったなら、それを思い出し大人になった時自戒する事もあるでしょう。しかしただの脅しとしての使い方は、恨みと悲しみの記憶しか残りません。

 

使う側は言う事を聞いてくれるのでそれは気持ちいいでしょう。

まったく相手の事など考えていません。自分が良ければそれでいいのです。

そして気付いたころにはもう手が付けられなくなっています。

 

だから、自分の為にも、何があっても子供には手を挙げるな! と強く言いたい。

小さな子供がお前に対して何か致命的な事でもするか?そんなことも許せない小さな人間なのか?お前は? 

「またやってしまった…本当はしたくないのに…。」

このよく聞くセリフも反吐が出ます。自分を正当化したいだけです。

 

 児相が、学校が、対策が、と言いますがこれらの機能はもはや限界なのでしょう。

相談件数はすでに数年前の何倍にもなっているそうです。この件数も氷山の一角かもしれません。一人当たりの担当件数が200件などというとんでもない数を抱えている事もあるそうです。

これでは繰り返すのも無理はない。

 

これからの未来が待っている子供たちを導くのが大人であり親である私たちなのに、その立場の大人が子供を虐待? いったい何をしているのか。子供への虐待は将来、私たち大人に苦難をもたらす要因のひとつになるかもしれません。

児相や学校もいいですが、大人たちが精神的に成長する必要があるのだと思います。

 

それには人間性を取り戻すことが大事なのではないか。何をするかは自分自身で考えなければならないでしょう。それが皆違っていたって構わないのです。行動に移せばなにかしら動きがあるはずなのです。時間がかかったとしても。

手を出す前に冷静になる事です。

そして一人でも多くの大人が、子供への暴力を踏みとどまってくれる事を願って止みません。

虐待は本当にダメだ。

 

 

 

 

 

電車内のマナー  僕は傍観者

なるがです。

 

 唐突ですが皆様にお詫びを申し上げなくてはいけません。

まぁ皆様と言っても推定2名と思しき有り難い読者様へ向けてになるのですが…。

実はです……!

 

四捨五入したらアラフィフなのでタイトルにあるアラフォーおっさんというのはウソになります!すみませんでした!ずっと気付いていましたがまいっか!と流してました!

 

はい、今さらどうでもいいですね。

どれくらいどうでもいいかと言うと、賢者タイム並みのどうでもいいレベルですね。 ホント、賢者タイムのどうでもいい感は何なんすかね。急にどうでもよくなりますよね。

  先日、仕事帰りの電車内での出来事です。ボックス席が空いていたので座ったところ、対面のおばちゃん二人がやたら話に盛り上がっておりました。

まぁ楽しそうなんで僕もその会話を聞いていたりしてたのです。いわゆる大阪のおばちゃんらしい会話です(ギャーギャーではなく漫才的な感じ) そして周りにはお酒の入ったサラリーマン達や若者達がワイワイとやっている、ごくありふれた帰宅電車でした。

 そんな時、通路を挟んだ反対側のボックス席に座っていた30代後半くらいの男性が突然、

 

「うるせえ! 喫茶店で喋れや!」

 

と、おばちゃん二人に向かっていきなり怒鳴ったのです!

あまりにビックリして周辺の乗客全員が黙りこくってしまい、和気あいあいとしていたその周辺は急にシーンとピリピリした空気に包まれました。当然おばちゃん達はピタ!と止まったまま何も出来ず、それからは恐怖の為か一言も喋れなくなっていました。

 

 久々に電車内で注意する人物を見ました。電車内にはいろんな人間が混在しています。都会のように人が多い所ではその種類も千差万別です。

電車内でのマナーのあり方、これは永遠の課題でもあります。狭い車内にいろんな価値観の人間が乗り込むのです。マナー例だけでもあれだけあふれているというのに、自分は関係ないとばかりに守らない人間も大変多いです。

普通に考えれば至極当然な事です。何も難しい事等は言っていません。

なのにそれが出来ないのはなんでなんだろうと思う訳です。

 

 そう思うのは僕だけじゃなくほとんどの人がそう思っているはずです。だけど注意するとなるとハードルが高い。実際赤の他人に忠告するなどとても勇気がいる事です。僕は正直に言うと怖い。それに尽きます。

  過去に割り込みに対してやんわりと注意した事がありましたが、その時は『あぁ⁉︎』とすごまれ完全スルーされました。 あぁ、これはやばいと思いそれ以上は突っ込みませんでしたが、相手が放った『あぁ⁉︎』がまるで意味不明です。

 ここで相手を改心させる力が僕には無い。正義感を出して勇気を振り絞っても誰も助けてくれませんでした。言ったからには最後まで、自分でケツは拭かなければならないんだと思いました。

 

 今は注意した人間が相手から逆襲されるパターンが多くなっています。『とりあえず注意されたら反論する』がセットにでもなっているのですかね?  クソみたいなプライドです。

  煽り運転よろしくこれがいつの間にか当たり前の様な社会になってしまった感が否めません。

  それが怖くて電車内のマナーの悪さに遭遇しても見て見ぬふりをしてしまうのです。だから僕はいつでも傍観者です。誰か勇気のある人の出現を待っているのです。

 

 しかしそれがのさばらせる原因でもあり、マナーが浸透しないのでしょう。鉄道会社もずっと啓発活動をしていますが、『とりあえずやる事やってるし』的な感じにも見えます。だけどそれは仕方のない事です。強制力はないのですから。

やる方にしてみれば、誰も何も言わないならやったもん勝ち、のメンタリティ。

 

 電車内のドア付近でバットを素振りする3人のキ〇ガイに遭遇したことがあります。その時僕はドアの真横に立っていたので動くに動けず、当たりそうでヒヤヒヤしていました。もちろん文句など言えるはずありません。そんなキチ〇イに立ち向かったところで殴られて終わりがオチです。ほかの乗客もさすがに誰も動こうとしません。否、動けないのです。怖くて。

しかしです、何駅か目にイカツイ外人が2人乗ってきたのですが、そいつらピタ!っと素振りを止めたのです。

(なんじゃそりゃ!何急におとなしくなっとんねん!)

人を見て、相手を見てやっているのです。

 

  この外人のような、無敵の存在感を放つ風になれたらどんな感じなんだろう。さぞかし痛快なんだろうな! この際強そうな人はそういうのを見かけたらどんどん制裁行っちゃってくださいなwww

  冒頭の、おばちゃんに注意した男性も『いい事言ったったぜ』と思っているんでしょうが、これはまた違う意味で正義感を出してしまった例だと思います。

まず注意の仕方がおかしい。自分の不満を吐き出しているに過ぎません。どちらかと言うとマナーの悪い部類に入っていると思います。この場合は、

「あの~大変恐縮でございますが、少々お声が大きいかと思われますので、出来れば、出来ればでよろしいのでもう少しトーンを落として頂けますと幸甚です。」

と言うのが正解w 「うるせえ!サ店行け!」とは野暮の極みですね。

  そないに目くじら立てんでもいいやん…おばちゃんも周りも楽しくやってんねんから。 というのが僕の見解です。

  これは注意でも何でもない。単なる自己満足の弱いものイジメです。たかだかお喋り如きで怒鳴るなどカッコ悪い。ギスギスせずにもっと大らかに生きたいものです。

 

  僕なんかこの前長椅子の電車で座ってたら弓道の弓が正面から頭にゴン!と倒れてきた事がありました。まるでコントの図です。

目の前に立ってた男女5人の高校生たち、当たったのを見てたはずなのに誰一人としてすみませんの一言も無く、そして何事も無かったかのようにそれを拾い上げ、またお喋りを始めたのです。唖然としました。

注意したい気持ちを抑えて、何か言うかな〜とずっと待ってたのですが、結局彼らはそのまま降りて行きました。ただ一人を除いて。

一番最後だった女子が降り際に「すみませんでした」と申し訳なさそうに頭を下げていってくれたのです。不意に言われたので思わず「お、おぅ…⁈」と返すしか出来ませんでしたw 嬉しかったです。

 しかし男子の対応はいただけません。その女子は謝らない男子をずっとおかしいと思ってたに違いありません。何も言わない僕の方もおかしいと思われてたのかな?

別に気にしてないし、怒る程の事でもない。矢を放たれた、とかなら怒りますw

 

  やっぱりそこで一言あるか無いか、これは非常に大事な事です。相手が弱そうなおっさんだったとしてもですw  たったそれだけで互いが円滑に廻るのです。

  一言が無ければ、何も言わない事に対して怒りが生まれて来るのです。座席に無言で無理矢理ケツを押し込んで来るのに似てます。

 

とにかくマナーが悪い人間は態度がデカイ(笑)

いや、マナーを教わらないで育った不憫な人達なのかもしれません。

 

  僕はこれからもきっと傍観者のままです。自分から注意することはないでしょう。ヘタレなおっさんですから。だけど人に優しくする事は出来ます。

人が多いときは席を詰める、脚を投げ出さない、組まない、カバンを前に抱える等……。席を譲ったり一目瞭然の優しさではないですが、こういう何気ない気遣いこそ本当の優しさであると思います。

 

人に優しくありたいと、人生の半分を過ぎた今ようやく気付いたのであります。

 

 

 

2002年8月〜 2度目の九州一周ぼっちバイクツーリング記 8日目、最終日

なるがです。

 

  良く分からなかった九州ツーリングも残すところあと一日となりました。日本海沿いを走りながら帰途に就いているところです。前回は夜中に帰着し朝イチで仕事というアホな事をしたので、今回は一日早く切り上げる予定を立てました。

  ゆっくりと休みながら走りますが、思ったよりも時間がかかってしまい、その日の帰着は出来ませんでした。

 

9月2日続き

  下関から191号線で北上を続けている。景色も良く走りやすい道なのだが、単調になり出してからは結構しんどい。博多を9時半過ぎに発ってから気付けばもう13時だ。

腹も減ったので昼飯にする。

f:id:narugapapa:20190104010537j:image

(何を食べたか覚えてない)

  節約のため高速道路は使わず国道を走っているのだが、全然進まない!  地図を見て、まだここ⁈  と愕然とした。

  ツーリングの最終日はいつもこんな感じなのは何故なんだろう。ただただしんどいだけだ。

 

  やっと島根県益田市まで来た。

道の駅サンエイト美都  到着17:00。何か見覚えのある場所だと思ったら、過去に一度会社のツーリングチームで訪れていた。そしてここには美都温泉という温泉まであるのだ。
f:id:narugapapa:20190104010529j:image

かなりやつれている。顔も真っ黒で埃っぽく相当汚い。
f:id:narugapapa:20190104010533j:image

が、温泉には入らず出発する。入って休みたかったが、現在17時も回っている。もし温泉に入ったら、出発する頃には確実に真っ暗だ。その状況で広島までの距離約100kmの山中を抜けなければならないのだ。

迷ったが明るいうちに山越えをして広島市街には抜けたい。それでも19:00は確実にまわる。f:id:narugapapa:20190104010526j:image

果てしなく続くように見える。

 

  19:30広島市街に入った。すでに陽は落ちて今はネオンの中を走っている。予定より30分遅い。

  2号線に入りあとは真っ直ぐだ。しかしここからが長いのだ。すでに時刻は21:00をまわった。それでも走り続け、ガススタで給油した時は0:30だった。

 ようやく姫路の国道サービスエリアに着いた時は2:00をまわっていた。流石にもう限界でダウン。久々の野宿だが、施設内のテーブルに突っ伏して寝たので中々眠れなかった。

 

9月3日

  6:30起床。やはりうるさくて寝ていられない。しばらくボーッとしていたが急に腹が減って来たのでカップラーメンを食べる。そう言えば昨日の昼から何も食べていなかった。

  8:30出発。渋滞が酷いが自宅まであと少しだ。長かった9日間の旅も本当に終わりを迎えるのだ。見慣れた風景の中に出てくると急に現実味が増してくる。 

10:30ついに無事帰着を果たす。

疲れた。とても疲れた。荷を降ろし頑張って走ってくれた相棒をラクにしてやる。

f:id:narugapapa:20190104010523j:image

しばらくするともう普段の生活に戻っている。旅の余韻などは感じられないほどにストレートな現実。一体俺は何のために走って来たのだろう?とさえ思ってしまう。

  何か得るものがあったのか?と問われたら正直何も無かったと答えてしまうだろう。だけど今しか出来ない事だったのだ。この旅は。何も得るものが無かったが、今このタイミングだったのだ。行動した事実こそ最も重要で、知らないうちに自分では気付かない何かしらの経験をしているものだ。そう願いたい。

 結果として一生忘れない記憶として残ったのだから、これでいいのだ。本当にやって良かった。

 

九州一周ツーリング 2002年8月25〜9月3日

終わり

 

その後

(ロングツーリングもこれが最後となりました。3年後に自損事故を起こし、その時乗っていたCB1300は廃車、それ以降バイクには一度も乗っていません。

信号無視の原チャの飛び出しで急ブレーキタイヤロックで吹っ飛び、停止中のダンプに突っ込んだのですが、うまい具合に体とバイクが離れて、バイクだけが突っ込みました。お陰で即死を免れました。2トンの圧力がかかっていたそうです。原チャには逃げられました。CB君には悪いことしたけど。

命を粗末にしてはいけませんね。そしていつ自分が巻き込まれるかも分からないものです。僕はまさに九死に一生を得たと思っています。あの事故を思う時、生かして貰えた事に感謝し、そして何があろうと生き抜かねばならないと強く身に染みて感じました。生きたくても生きられなかった彼らの分まで。

もう人生の半分は終わった身ですが、残りも大切に使っていきたいですね。…それでもバイクに乗るリベンジは必ず果たすつもりです!)

それでは。

 

 

 

 

  

 

2002年8月~ 2度目の九州一周ぼっちバイクツーリング記 8日目

なるがです。

 

 九州一周ツーリングも気付けば8日目に突入。これで一応すべての行程は終了。あとは帰路に就くのみです。四国のときの様な達成感はまったく無く(笑)、異様に疲れた旅となりました。

日本は狭いようで広い。九州だけでもめちゃくちゃ広い。

 

 

9月2日

 朝5:00に目が覚める。まだ外は暗い。さっと支度をして5:30に旅館を出た。フェリーの出発時刻までは1時間弱あるのだが、その前にちょっと行きたいところがあるのだ。

 

塞神社 さいじんじゃ

  思ったよりも小さい作りの神社だった。民家と同じように町の風景に溶け込んでいる。ここ塞神社に祀られているのは女神という事で、縁結び・夫婦円満・性の病・安産・子供の守護などに御利益があるという。そしてなんといってもここの目玉は、あまりにもリアルなナニ、すなわち男根の御神体である。

 

 (日本書紀に登場する猿田彦(さるたひこ、あの伊勢の猿田彦神社か!)の妻、猿女君(さるめのきみ)が祀られています。しかしこんなところにひっそりと妻がいるとは知りませんでした! もともとダンナが道の神という事で、交通安全のお参りをする人も多いそうです。僕もしっかりお参りしてきました。)

 

『明治時代末期までは、壱岐に上陸した男子は女神に男根を見せないと怪我をするという言い伝えがあったため、塞神社で一物の御照覧を願った。』とオモテの看板に書いてある。しかし見せないと怪我をするとはあまりにも強引だ(笑)

f:id:narugapapa:20190102161812j:image

(社は閉まっていて見れなかったのですが、中にも色々と祀られています。)

 

なるほど、それでこの御神体が祀られているのか。(本当は御神体でも何でもないらしい。)

 そしてこれが塞神社の御神体の一物である。かなり御立派なイチモツだ。黒光りして力強くイチモツがそそり立っておられる。そしてこのイチモツはかなりデカい。俺の身長を余裕で超えるイチモツだ。形も申し分ない。まるで俺のイチモツとは比べ物にもならない。いや、俺のイチモツなどとは恐れ多くてとても言えない。俺のポークビッツと言わせていただく。
f:id:narugapapa:20190102162800j:image

(あまりにリアルなのでモザイクをかけました。お見せ出来なくて残念です)

 横から見た御神体もかなりのイチモツだ。見るからに硬そうなイチモツなのでこれだけ硬いイチモツだと凄いパワーをもらえそうなイチモツだ。 何でも丑の刻に誰にも見られずにイチモツに触れることが出来るとイチモツの御利益にあやかれるそうだ。ちょうど朝早かったから誰にも見られていないぞ。丑の刻ではないが思う存分このイチモツ……もとい、御神体に触ってきた。(ガチで丑の刻にそんな事してたら変質者以外の何者でもない)f:id:narugapapa:20190102162816j:image

 そして女性参拝者にも凄く人気があるそうだ。皆んな恥ずかしがり(?)ながらも喜んでイチモツに触って行くらしい。そりゃ人気だろうよ。(何故か不機嫌、フォーカスするポイントがズレてる)

ぶっちゃけ今の俺には御利益とか全然関係のない事だ。フン。

 

(このような生殖器信仰は日本全国47都道府県すべてに存在しているという事です。男性生殖器のみならず女性生殖器も同じように存在しています。生殖器とは生命を宿すもの、生みだすものであり、神の力として信仰されていたのも頷けます。

恥ずかしいものだと認識されがちですが、昔の人達はある意味大らかというか真剣に捉えていたというか、ユーモアがあったのですね。現代とは大違いです。一番身近な存在でありながらなかなか触れられないもの。矛盾しているようですがこのような信仰は大変おもしろく興味深いです。)


f:id:narugapapa:20190102161742j:image

(結局見せんのかい)
f:id:narugapapa:20190102161746j:image

(どうですこのイチモツ。皮がだれ下がってる?…でも本物はこんなのとは違いますよねー(笑) ←軽いセクハラ

凄くリアルですがもっとリアルでエグイ事してる神社もあります(笑)子供にはとても見せられない事まで。 

 蛇足ですがこの5年後に結婚して子供も授かるとは思いもしませんでした。きっとこの時に触りまくってきたからだと思います。)

 

 

帰途に就く

 7:00発博多行きフェリーにも無事乗船出来た。長いようで短かった九州も終わり、ここからは大阪へ向けての帰途に就くのだ。やはり少し淋しいものがあるなぁ。
f:id:narugapapa:20190102161757j:image

壱岐ともお別れ。朝焼けの漁港がとても気持ちいい。今日は天気も良さそうだ。


f:id:narugapapa:20190102161807j:image

船上から。猿田彦大神の妻、猿女君よ。どうか無事に帰れますように。

さようなら壱岐島


f:id:narugapapa:20190102161819j:image

目の前に博多の街が見える。2時間半の船旅はとても気持ち良かった。
f:id:narugapapa:20190102161738j:image

博多港

博多上陸、街へ出るかと思いきや素通り。時間配分を考えると今日はあまりゆっくりもしてられないのだ。残念だが諦めて小倉へ進路を取る。


f:id:narugapapa:20190102162853j:image

小倉港から下関行きのフェリーに乗船。関門海峡を約13分で運行。渡し的な役割の船だ。しばし休憩。
f:id:narugapapa:20190102161749j:image

(この小倉~下関を結ぶ『関門海峡フェリー』も、時代の波には逆らえず利用台数が大幅に減少、収支悪化の影響により2011年11月30日をもって運行を休止しています。)


f:id:narugapapa:20190102161830j:image

下関到着。関門海峡はこうして見るとても広々として大きい。
ここから191号線に乗り日本海に沿って走る。この道はとても楽しい!天気もすこぶる良く、このルートを取って正解だ。



 

 

 

2002年8月~ 2度目の九州一周ぼっちバイクツーリング 記 7日目

なるがです。

 

 あけましておめでとうございます。

 

すでに自慰ブログと化したこのブログ『なるがままにされよう』にわざわざお越し頂きありがとうございます。人は来なくとも、これからも時間がある限りカキ続けていク所存でございます。

今年もよろしくお願いいたします。

 

9月1日

 午前10:00に佐世保のビジホを出発。あれほど「明日は早く出るぞ」などと言いながら結局いつも通りかい。

しかし今日は台風が治まっており太陽も出ている。なんて久々の太陽だ。気持ちが全然違う。佐世保には海上自衛隊の基地があり、護衛艦もチラと見えたがあまり時間はない。行きたい衝動を抑えて壱岐へと進路を取る。

 壱岐行きのフェリー乗り場「呼子港」へと向かう。

f:id:narugapapa:20181231012739j:plain

天気がいいとただの道路もやたら楽しくなる。久しぶりの乾いたアスファルト。走るのがとても気持ちいい。

 

呼子壱岐フェリー

 呼子海上ターミナルに13:10到着。13:00発のフェリーには間に合わなかった。

えーと次の便は……14:30! ゲェ!1時間半もここでプラプラすんのかい!

f:id:narugapapa:20181231012722j:plain

暇を持て余す。

f:id:narugapapa:20181231012747j:plain

するとポツポツと雨が。また雨かい!

 

(この呼子壱岐フェリーですが、現在この航路は廃止されています。僕も今回この記事を書くまで全然知りませんでした。2007年3月31日まで運行されていましたが、航路再編により佐賀県側の発着港が呼子港から唐津東港へと変更されました。)

 

 14:30の出港時刻には雨もピタッと止んでくれた。ようやく待ちに待った出港だ。

天気は完全に回復したっぽい。太陽がまぶしすぎる。

f:id:narugapapa:20181231012710j:plain

 海は少々荒れていて船体はかなりアップダウンする。こんなに沈み込んで持ち上げられるのかというくらい上下するので、まるでジェットコースターに乗っているようだった。天然の絶叫マシン、めちゃくちゃ楽しかった! デッキで一人、手すりにしがみつきニヤニヤしながらその揺れを楽しんでいる変な奴がいた。

 

f:id:narugapapa:20181231012732j:plain

真っ青な海面が美しい。フェリー最高。

 

壱岐島 いきのしま

 約1時間弱の乗船で壱岐に到着。現在15:40、太陽はまだあるが時間的にもう夕方だ。島のパンフレットを見ながらとりあえずぐるっと回ってみる事にする。

f:id:narugapapa:20181231012728j:plain

壱岐島は、九州北方の玄界灘にある南北17㎞・東西14㎞の島です)

f:id:narugapapa:20181231012751j:plain

道が分かりづらくて少し迷ったが、18:00にはほぼ一周出来てしまった。

f:id:narugapapa:20181231012718j:plain

バイク。

f:id:narugapapa:20181231012706j:plain

イルカ。

f:id:narugapapa:20181231012658j:plain

牛。

 

(ここ壱岐の産業は農業・漁業が中心で、戦後肉用牛の生産が盛んになりました。この牛さんは特産品の『壱岐牛』(と思われる)。他に『壱岐焼酎』として焼酎も有名です。そして壱岐と言えば『レオタード漁』。今も海女さんが伝統の潜水漁を行っています。何故レオタードなのかというと、ウェットスーツだと乱獲、つまり取り過ぎてしまうため着用を禁止しているという理由だそうです。ただ『レオタード』の響きにピクと反応してしまうのは男の性なんだろうか(笑) ていうか壱岐島の魅力が全然分からないし伝わらない……すいません)

 

 今日は天気もいいし、どこかで野宿を……と思うがやっぱりやめる。気付けばまた旅館にチェックインしていた。¥5250。ここはひどく昭和の香りのする旅館だな~。

夜は近所を散策、晩飯も少し奮発していいものを食べようか。

 

 小料理屋を見つけたので入ってみる。やっぱり海の幸だろ!という事で刺身定食を注文する。¥1700! 目ん玉飛び出るかと思った。普段こんなにお金をかけたことないので結構ビビった。しかし料理は美味しかったのだがボリュームが……。お店のチョイスを間違えた俺が悪いのだ。結局カップラーメンを買って腹を満たす……まさに愚の骨頂。今日の晩飯の記憶が全てカップラーメンになった。

 

 明日は、明日こそ早く起きるんだ。近所にある神社に寄り、お参りを済ませ、7:00発博多行きのフェリーに乗るのだ。しかし起きれるんだろうか。

 

 という事で今日はもう寝る。