なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

子供たちを守る為に私達はどんな運転をすべきか、ダラダラと考えてみた

なるがです。

 

 横浜母子死亡事故から幾日も経たずして、またもや園児2人が自動車事故に巻き込まれ亡くなりました。毎日必ずどこかで交通事故が起きていますが、特に幼い子供たちが巻き込まれ犠牲になる事故はどうしても納得がいかないものがあります。運転する私達が常日頃から注意していれば、意識していればこんな事は起こらない、助かる命だったはずです。

今更事故の状況についてああだこうだ言うつもりもありませんが、これだけは言いたい。やはり運転する者の謙虚さが足りなかったと言う事です。

 

  俺が先。こういうドライバーも結構多いと感じます。僕も運転しますが、そんな場面に出くわしたら面倒なのでパッと譲る事にしています。そこで頑固に、ここは俺が優先だなどと思うからややこしくなるのです。即座に譲る決断をする事でストレスもほとんど無くなりました。先手必勝ですね。

 

 今回の事故も謙虚さが欠如した運転でした。どなたも言っておられる様に、どちらかが思いやりを持って謙虚に運転していればこんな事故は起こらなかったと。まさしくその通りだと思います。お互い何を思って運転していたか分かりませんが、

「私は直線だから優先!ブレーキなど踏まない!」

「無理矢理曲がってしまおう!相手は減速してくれるだろう!」

などと思っていたかもしれません。

または、

右折などさせるかと逆にアクセルを開けるか、

減速ぜざるを得ない状況にしたらいいのだ。

と思っているか。ここまできたら相当悪質です。

 

それに加え運転技術、判断力、情報収集についても追求していかなければならないと思います。これらの不足によっても事故は起こるのではないでしょうか。

今ほとんどを占めているAT車はチャリンコ感覚で乗れてしまいます。まるでゲームの様にです。現に中学生ですら運転出来ているのですから。簡単過ぎてまるで緊張感がないのは大変危険な事だと思います。上記に挙げた運転に必要な事がまるで役に立っていないと感じます。

 

 車の運転について、理想論を並べ立てているだけなのですが、これらは当たり前に出来て当然な技術だと思うのです。車はオモチャでもないし、ゲームでもない。運転をミスったらコンティニューは出来ないのです。事故を起こす人はこれらを甘く見ていると言わざるを得ません。
  車とは予測しながら運転するものです。2手、3手先を考え、予測して行動しなければなりません。それはスピードが速くなればなる程、情報が入りにくくなり、的確な操作、対応が出来なくなるからです。あっと思った次の瞬間にはコトは起きているのです。

今回の事故は、見通しの良い、比較的情報が収集しやすい状況であったにも関わらず起きてしまいました。物陰からの急な飛び出しでもない限り起こりえない事故です。

運転に対する慢心、自己中心的な思考が生んだ事故だと考えます。

  例えば交差点に直線で進入する場合、僕は200ⅿほど手前からこんな事を予測、考えています。

  • 交差点到達まで何秒か
  • 現在のスピードは
  • 周囲に車は何台いるか
  • 歩行者信号は点滅を開始しているか
  • 対向右折車はいるか
  • 横から何か来る状況はあるか
  • 歩行者の存在、人数と年齢層
  • 走っている自転車はいないか
  • 前方及び後方の車間距離はどうか
  • 追突の可能性はないか
  • 減速か加速か
  • 交差点に進入して大丈夫か

 

などと考えながら交差点に進入します。めちゃくちゃ考えてるやんと改めて思いますが、実際に考えている時間は3秒くらいです。

こんな事普通の人が出来るわけないでしよ!、ましてやおばちゃんが!お前こそ何モンだ!などと言うなら運転はやめた方がいいと思います。これはやらなければならない事です。

しかしほとんどの人はこれらを無意識のうちにやっています。これでもまだ少ないのではないでしょうか。

  無謀な運転をする者は後をたちません。いちいちこんな事やってられるかい!と思う人がそうなのでしょう。自分で死ぬ分には何も問題はないです。どうぞ好きなようにやってくれて結構。ですが関係ない他人を巻き込んでの事故はふざけるな、です。


『車は急に止まれない』
これも、車とはスピードが出てる物だから飛び出しにはすぐに対処出来ない。と、いかにも車は悪くないみたいに聞こえますが、そうではないと思います。車は急に止まれないからこそ、運転している私達はいつでも止まれるような運転をしなければならないのではないでしょうか。車が主役ではないのです。意味を履き違えない様にしたいものです。


 歩行者を軽く見てすごいスピードで走り抜けていく車。例えばこれも事故を起こしたらきっとこう言うのでしょう。
「歩行者が急に飛び出してきた」

確かに飛び出してくる事も実際多いでしょうが、この考え方を改めなければなりません。歩行者のせいじゃない。アンタの運転が悪いのです。歩行者だけではなくすべてにおいて当てはまります。

  僕自身も過去にバイクを運転中、スクーターの信号無視による飛び出しをかわし転倒したことがあります。その時僕は青信号をいいことにスピードも相当出していました。緊張感の欠如、そして予測を完全に怠っていたのです。

幸いにもケガは軽微、自損事故となりましたがバイクは廃車、一歩間違えば死亡事故に繋がっていました。


何が起こるか分からないから、予測して運転しなければいけない。

 

ハインリッヒの法則

f:id:narugapapa:20190513074835p:image

 

ハインリッヒの法則(ハインリッヒのほうそく、Heinrich's law)は、労働災害における経験則の一つである。1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するというもの。

 

傷害を伴った災害を調べると,傷害は伴わないが類似した災害が多数発見されることがよくある。潜在的有傷災害の頻度に関するデータから,同じ人間の起こした同じ種類の330件の災害のうち,300件は無傷で,29件は軽い傷害を伴い,1件は報告を要する重い傷害を伴っていることが判明した。このことは5000件以上について調べた研究により追認されている。

--H. W. ハインリッヒ、D. ピーターセン、N. ルース(著)井上威恭(監修)、(財)総合安全工学研究所(訳) 『ハインリッヒ産業災害防止論 海文堂出版(株) 1987年(昭和62年)9月 2版 ISBN 430358052X p59-60』

(引用:Wikipedia

 

  ヒヤリ、ハットした経験や体験というものはその瞬間が過ぎればすぐに忘れてしまいがちですが、これらの情報を蓄積する事で災害の防止に役立てなければなりません。

しかしこの法則に囚われてもいけません。災害が起こるときは予想もしなかった複雑な原因が絡み合っていることがあるからです。

あくまでも重大事故に繋がるという意識を持つ事が重要です。

 

たまに『ヒヤリハットの法則!』とドヤって言ってしまう人もおられますが、『ハインリッヒの法則』です。

 

  子供とはいくら言い聞かせても飛び出すものです。飛び出すなと叱るのも結構ですが、まず私達が変わり、気をつけて行こうではありませんか。そっちの方がきっと簡単なはずです。

 

飲んだら乗らない、煽らない、譲り合い精神で運転をする。たったこれだけの事です。

何も難しいことはないですよね。

 

 

 

 

 

人間という生き物は

なるがです。

 

  ゴールデンウイークの10連休、ついに始まりましたね。今朝テレビでネズミの国の混雑ぶりが流れておりましたが、同じサービス業としてあの光景はゾッとするものがありました。経営者側とすればいいぞもっとやれ的になるのですが、労働者側にとってはまさにヒィ状態なのは間違いありません(笑)

ウチもパート主体なものですからこの休みは当然人が集まらない訳です。かき集めても少ない。別の意味でヒィと言っております。こんな時の為にやはり猫を飼っておくべきでした。

10連休を謳歌出来るのは全体の2〜3割と誰ぞやが言ってましたが、その2〜3割に入りたい(笑)

 

どうでもいい前置きが長くなりました。

 僕は今、ランニングを始めており、ダイエット…否、締まった身体づくりを目指しております。夏までにプールでも恥ずかしくない肉体を作ります!(あ〜あ、言っちゃったよ)要は女性からよく見られたいだけなんですがね。しかしこのモチベーションは非常に大事でしょう!

前置きが終わらないではないかと突っ込みが入りそうなのでこの辺でやめときます。

 

  僕はスマホに「ランタスティック」という走りを計測してくれるアプリをインストールしているのですが、さっき「今すぐ走れ」と通知催促され走ってきました(笑)

 

  走りと言えば先日マラソン監督で有名な小出監督が亡くなられました。Qちゃんとの練習風景が強く印象に残ってますよね。そして小出監督と言えばその指導法が「褒めて伸ばす」と言った当時としては独特な指導法でした。

常に、イイね〜いいよ〜すごくいいね〜と言ってる。めちゃくちゃ肯定されてるのって普通に悪い気はしませんよね。

  思えば僕が若い頃は先輩や上司から褒めて貰う事など全くと言っていいほど無く、それどころか罵倒されまくりの毎日でした。因みに僕はQちゃんと同じ年代ですが、小出監督の様な先輩や上司は全くいませんでした(笑)

毎日やられると流石に自信を失くしますし、劣等感しか生まれて来ないのです。前向きになんてなれませんでした。この状況をどうしたら良くなるのか、どうしたら抜け出せるのかと悩む日々を過ごしていました。

  フォローすら無い時代だったので僕はとことんまで落ち込みましたし、悔しくて陰で泣いた事もありました。でも意外とメンタル強かったんですね僕は。めげなかった(笑)

 

  小出監督も昔はとても短気だったと聞きます。しかし1人の選手を潰し、自分の指導法が間違っていたと気付いてからは180度転換、褒める指導法に切り替えました。これは中々出来ることではありません。間違っていたと気付く事がまず何よりも凄い事だと思います。

  人間という生き物は褒められる事で、喜んだり、前向きになり成長する生き物だと思います。これは僕が身をもって体験したので間違いないでしょう。今パワハラ、スパルタ指導は少なくなって来ていますが、何故今までまかり通って来たのかと不思議に思います。

 思うに過去の軍隊からの風習が、ここ最近まで根付いて取れなかったのだと思います。絶対服従、上下関係、縦社会、連帯責任、恐怖支配、精神論、見せしめ。

日本陸軍においてこれらは顕著でした。兵士達が最も嫌がったのは、過酷な戦闘などより上官による私的制裁だったと言われています。逃れる為に脱走が頻繁に行われ、果ては自決(自殺)する事もありました。

  まさに僕のペーペー時代そのものです(笑)

戦争末期には士気を上げるため、竹槍を手に「米軍に勝つ為には気合いだ!オレはやるぞー!オー!」みたいなこともやってました。ブラック企業みたいですよね。

 

  かの有名な山本五十六の名言、

「やってみせ、言って聞かせて、やらせてみて、 ほめてやらねば人は動かじ。」

「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。 」

「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」

 

これを知った時の衝撃は表現できません。まさに当時の僕が救われた言葉でもあります。こんな考えの人もいたのだと。

 この名言が存在していたあの時代から今まで何故誰も用いようとしなかったのだろう。現代でも最近になってようやく評価されて来た感があるのですが。テレビでも小出監督の褒める指導法が素晴らしいと褒めまくっていました。

 でも結局これらの指導法は優しすぎるからなのでしょうか。僕が今まで見てきたのは、よりによってパワハラ指導者が評価されてきたという現実でした。恐怖政治によって結果を出しているようにも見えました。もちろん全部がそうではないですが。

この褒めて伸ばすという言葉だけが綺麗事の様に浮いて、その考えに同調している者など誰もいなかったように思います。OJTやいろいろなポジティブ研修みたいなものはありましたが、使いこなせている者、理解している者、使おうとしている者はいなかったです(僕含む笑)

これだけ持て囃しておきながら何故もっと早くパワハラ、スパルタ指導は淘汰されなかったのだろうか?

 

 サービス業という職種は超体育会系な面があります。酷いところはトップが法律のような雰囲気すらあります。しかし現在は違います。その時代は終わった。指導される側の感覚はすでに昔とは違うのです。世代が入れ替わってきたのだと実感します。

指導する側、つまり今の僕自身も日々試行錯誤しながら教えています。やはり一昔前とは全く違い、とても手強いです。それでも指導者というものは、どんな事をしてでも彼らを導いてやらなければならないのです。

 小出監督は良く耐えたなぁ。あの時代に自分を変える事は難しかったと思います。人間の本質を見抜いてすぐに行動するなど、誰でもできる事ではありません。しかも褒めて伸ばすを実行していたのですから。

これからの指導者の在り方、マネジャーとしての考え方、人材の育て方、もっともっと日々勉強していかねば……。

 

……などとランニングしながら考えておりました。この無心になれる時間はなかなかいいものです。汗をかいて、思考して、程よく疲れ、充実した時間を過ごす事ができました。

 

今日は2km走りました。

 

 

 

 

 

忖度

なるがです。

 

  池袋で親子が車にはねられ死亡した事故は何とも言えず、ただ無念としか言い様がありません。巻き込まれてしまった事件や事故はごまんとありますが、残された人たちは一体どうやってこの気持ちを持って行けばいいんでしょうか。運悪くなどで片付けられる問題ではないです。

  運転していたのは87歳の老人でした。この高齢者による交通事故は後を絶ちません。また高齢者か、またか。と何度も見てきています。

  似た様な事では児童虐待もそうです。これも散々繰り返してきました。これはやっとつい最近法律が制定されましたが、この高齢者による交通事故も同じようなもので、散々事故をやってきているのです。

  ところが目に見える改善がされていない。この際免許の返納も任意ではなく、義務にしたらいいと思います。何か問題があると?

  車が無いと生活出来ない様な場所ならともかく、人口の多い都会では事故のリスクも間違いなく跳ね上がります。そもそも都会は交通網がしっかり整備されているので、わざわざ自分で運転する必要など無いのです。しかし、高齢者による交通事故は場所など関係ありません。起きるべくして起きるのです。これは生活が不便どうこう言ってる場合では無いように思うのです。事故を起こし高齢での刑務所送りはどちらにしても悲しい。  

  厳格に規制する事でまず高齢者による事故を完全に無くす事が必要だと思うのです。その代わりにしっかりとサポート出来る仕組みを作る。これをするのが政治家の人たちです。(丸投げ)

  日曜日、選挙に行ってきましたが、訳の分からん政策なんかより、まず子供たちの命を守るための政策をもっと増やして欲しい。それがまず基本的な考え方だと僕は考えます。高齢者に優しくあるべきも分かります。ですがやっぱりどう考えても守るべきは子供、それを育てていく環境です。高齢者が敵になる世論は避けたい。もっと出来る事、例えば子供達との触れ合いなどは得意な分野なのではないでしょうか。適材適所ではないけれど、年齢に応じた生活圏内もあるのではと思います。

  話は事故に戻りますが、妻と小さな娘を急に失った夫の心境は計り知れないものがあります。自分に置き換え考えると、どうして?どうして?としか出てきません。こんなに悲しい事故は何が何でも無くさなければいけない。

  さて、ここからが本題なのですが、事故を起こした87歳男性に対しての報道です。僕も違和感を禁じ得ず、おかしいと思ったらやはり皆んなも同じことを思っていました。忖度の臭いがプンプンします。あれやこれやと言い訳にも似た論法で答えておりますが、

ここ忖度いらんだろ⁈ 人が死んでるねんで?

それでもこれだけは外せないって事か?

元ナントカ院とかホンマどうでもいい。ガンバレルーヤのよしこに「クソが!」と言ってもらいたいくらいだ。

失礼しました。

  こんなブログであまり感情は出したくありませんが、このメディアの対応にはガッカリさせられました。被害に遭われた人たちに寄り添っていない。とても冷たい報道に見えます。

いやいや、これはこういう理由があって、忖度などではない。と仰るなら敢えて言います。

「クソが!!」

またまた失礼致しました。

 

恐怖の10連休がやってくる

なるがです。

 

 あと少しで10連休がやってきますね。4月27日~5月6日まで!子供たちは大喜びです。が! 嫁さんはブーブー言ってます! パートの仕事が休みとなり、給料が半分になってしまうからです。10日と言えば月の半分に該当します。当然給料も半分!これはきつい。(ダンナの稼ぎが悪いと言わないでください)

僕はサービス業ですので、10連休?なにそれ?と言った感じですが、一応休みはあります。これだけ休みがあってもサービス業は休めません。家族サービスなどまともに出来ない事がほとんどです。僕はそれが嫌で、休めるサービス業を探し現在に至る訳ですが、それでも10連休はあり得ません。これによってどんな弊害があるかというと、

嫁さんの給料が出ない、僕は仕事で居ない、子供たちは暇を持て余す、お金は出ていくばかり、嫁ストレスマックス、嫁暴走、嫁僕に当たる、僕が言い返す、僕負ける、僕家に帰らない……という最悪のシナリオです。

 なんでこんな10連休なんか設定するのか分かりません。これのおかげで世の中には深刻な状況に陥る人達がごまんといるのです。10連休の恩恵に預かれるのは全体の3分の1、ほとんどの人達は関係ない状況で10連休だけが独り歩きしています。働き方改革がコレに当たるというなら、僕らの事を考えてくれていないんだなと思います。

 そして懸念されるのは5月病です。10連休に該当する新入社員は大丈夫でしょうか?新入社員に限らず全社員に当てはまってきそうですね。過去日本人は長期休暇には慣れていないのです。僕などは休み過ぎたら逆に廃人化してしまいます。皆でさぁ休みましょう、などとは絶対いかないのですから、10連休など作らない方がマシだったのでは?とも思います。この連休は何か胡散臭いものを感じます。問題なく無事に終わってくれればいいのですが。とにかく一番の恐怖は嫁の暴走モード突入ですな。

 

金太郎飴を与えること

なるがです。

 

 4月とは思えない寒さがまだ続いておりますが、季節は春、フレッシュな空気感が伝わってきますね。そして相変わらず「光陰矢の如し」と毎回言ってます。一年とは本当にあっという間です。

  街にはスーツの似合っていない新社会人がたくさん見受けられ、皆とても楽しそうです。これからどんどん似合うようになって行くのですから不思議です。その中でも女性は本当に初々しくて可愛いですね。見てて飽きません(ヤバいおっさんか)

初々しいと言えばウチの息子も負けておりません。身体に不釣り合いなランドセルがまた可愛いではないですか。応援しまくりです。

 入学式もパートさんの計らいで休みを頂き参加することが出来ました。一生に一度のイベントですので本当に感謝です。職場は相変わらず人員不足に悩まされてはおりますが、こうして調整して頂けたことが何よりうれしい事ですし、もっとパートさん達を大事にしなければと思う訳です。

  僕がシフトを組んでいるのですが、パートさんの休み希望はすべて聞いてあげています。これは下手をすると僕一人だけ、ワンオペになる可能性もあるという事です。。業務上必要最低人員は確保する、という事はマネジャーの義務です。しかし人手が足らないからと無理やり出させていい訳はなく、彼らには彼らの事情もある訳です。かと言って営業できないとあっては本末転倒です。

  以前の僕は営業第一、休み希望は2日まで、みたいな事をやってきたので、上長譲りの全ての希望を聞くこの考え方は最初受け入れる事が出来ませんでした。否、正直今でも受け入れられない時もあります。今のやり方は一部のパートが被弾しまくる、という危険性もあります。またパワーバランスも取り辛い、スタッフの負担が大きくなるという事もありました。一部のパートが希望休を取り過ぎるからです。すんなりシフトが決まった事などありません。

 とは言えパートさん達がいなければお店は回らないので調整して頂くのですが、ひたすら腰は低く、優しい物言いで、意見はすべて聞き入れ、不満も聞いてあげ、たまに差し入れなどもし、嫌いな者同士が被らないように組み、働きやすい環境を整える事が必要となります。え?甘やかせ過ぎ?確かに(笑)。

最初の頃僕はパワハラまがいの言動をしていたらしいです(僕自身はそんな気は無かったのですが、これまでの男社会の感覚で接していました)これにはカルチャーショックと言うか、パート=免疫が全くない相手、なのだと痛感しました。

 こうして飴をひたすら与え続けているのですが、たまにぴしゃっと入れる事も当然必要になってきます。こんな時でも絶対にその日のうちにフォロー、声掛けは忘れてはだめです。忘れたらどえらい事になりますので。

飴、飴、飴、飴、飴、鞭、飴、飴、飴、飴ぐらいのバランスになる危険性は少し高めだけど、我慢なのです。

 この種まきがようやく実を結び、僕も皆さんに任せて休む事が可能になってくる訳です。ここでもマネジャー不在のストレスを与えないように注意が必要です。

なに?ぜんぜん休めてないではないかって?確かに(笑) しょっちゅう電話はかかってきますし、逆に心配なのは僕の方で、あまり休んだ気がしません。それが宿命なので仕方ないです。でも任せて休む事が出来るようにしなければ自分が倒れてしまいます。昔みたいに命令形式でやっていたら休めなくて、たぶん今でもヒーヒー言ってるんじゃないかな。

 

 ここからは正社員の話になりますが、マネジャーの中にも体育会系社員は相当数存在しています。この前とあるマネジャーがまた社員を辞めさせたという話が入ってきました。パートも相当数離職に追い込んだりしてたそうですが、そのマネジャー曰く、「辞めるのはそこまでの人材だった」と一蹴したそうです。そしてなんと驚いたことにこの春さらに昇進したのですから驚きです。

今回辞めた社員も下で働きたくないという事でした。現場と人事のこの意識の乖離はなんなのでしょう。今どき昭和の考え方でやっていること自体ナンセンスで、それが通用しなくなっているのが分からないとしか言いようがありません。これだけ離職者が出ていてもです。

これは退職理由に上長への不信を挙げていない事もあると思われます。まぁ、辞める本人はこんな人物などどうでもいいのですから言っても関係ないですよね。

人事部のハラスメント研修など定期的にありますが形だけで、浸透しているとは言い難い現状が垣間見れます。

 しかし正直に言うとこのマネジャーの言う事も分からなくはないのですよ。僕も根性努力論大好きですから。「やる気無いなら帰って」(本当に帰られたら困るんですが)なんて昔は言ってました! もしかしたらその社員が舐めた仕事の態度であったり、バカッター的な事をやらかしてたら? 言われても仕方ない部分もあるのだと考えます。

ふざけていた場合僕なら当然ボコります……と言いたいところですが、これは今の時代完全にNGですね。私的制裁はダメです。穏やかに解決するように、手に負えない事は会社に任せるのがベストです。昔と比べて指導がやりにくく感じますが、この時代錯誤昭和人間(自分も)の意識改革が必要でしょう。僕らが時代に合わせて考えを改めることです。

 でも、あぁ~正直メンドクセー! 1から10まで教えて、失敗の原因が5だったら「そこをちゃんと教えて下さいよ」と突っ込んでくるのはやめて。1から9までしか教えてないのに勝手に10と解釈して失敗して「それならそうと言って下さい」と責めないで。物おじせずズバズバと言ってくるので本当にすごいなぁと感心してしまいますw

でも、辞められてしんどい目を見るよりかは数百倍マシなので今は全然苦じゃないです。しかしパートと正社員は同じ扱いでも分けて考えなければなりません。締める所はしっかりと締めつつ、入社間もないこの時期と、これからやって来るGW明けを乗り越えられるかがキモになってくるのです。定着させる事は非常に難しいです。ですので今は迷わず金太郎飴を1本あげましょう。否、1本と言わず2本3本あげても構いません。

昭和社員の意識改革は自分のための大事な大事な仕事なのです。

それでもダメな時もあるのですがね。

 

 

 

飛燕

なるがです。

  

  もう少しで新元号の発表がありますね。本当にもう平成は終わりなのか?いまいち実感は無くいつもと変わらない日常です。あっという間に過ぎて行ったような平成でした。

  昭和・平成と来れば、次は和平?平和か?いや成和だなどと単純過ぎる思考しか出来ない僕ですが、どうでしょう?当たったら凄いですね。その新元号、どうやら菅官房長官が発表すると言う事です。

平成に変わる時は小渕官房長官でしたよね。ちょうどテレビであのシーンをリアルタイムで見ていたのを思い出します。小渕さんはあのシーンの印象が強過ぎて、「平成おじさん」と呼ばれて国民に親しまれて来ました…。

  と言うのは今日の今日まで全く知りませんでした!そうなん?平成も終わりだと言うのに。というか知ってました?(どうでもいい?)

 

  確かに小渕さんのあのキョトンとした顔と見た目は、「おじさん」という言葉がドはまりしていますね。不思議とキモイおじさんな感じは受けません。(人の事とやかく言ってますが僕も相当なおじさんです)

 当時の故竹下元総理は「俺は名前が残るが、小渕は顔が残る」と言っていたそうです。確かに当たってますよね。あのシーンはめちゃインパクトありましたもんね。あの画像を切り取って横に向けたり、逆さまにしたり、ひょっこりさせたらめちゃハマると思いません?(小渕さんに失礼だろ!)

  そんな事はどうでもいいから早く本文を書けよ!はい、すいません。

 

   その本文なのですが、実は書くネタが無いのであります。こうして書きながらパッと思いつくままに筆を…否、キーボードを叩いている状態です。ネタを考えるようになると頭の中がそれに囚われてしまうので良くないとは思っていますが、気が付くとあれやこれやとネタに繋げられないか考えてしまっている! 恐ろしやブログネタ中毒

 僕のブログ、この記事で101回目なのですが、100記事到達しても特に変化は……ないです。内容を見てみると、何かに特化したものではない事、悪く言えばバラバラ、良く言えばイロイロ(そんなに変わらん) 

そして長文が多い事に気づきました。それも2000文字以上がほとんどという。原稿用紙で言えば5枚から6枚書いてる事になります。

 学生時は読書感想文で400字書くのもイヤイヤ必死に書いていたのに、今はどうでしょう、2000文字を超えなければ落ち着かない、モヤモヤする、満足できない、といった『長文症』(勝手に命名)になっております。イヤイヤ、2000文字如きで長文とは片腹痛いわ、とは言わないでください。

 

こうしている間にも右下の文字数チェックをチラチラしております。

 文章が上手いとかでもないのに、只々長いだけというのはこの上なく苦痛なものです。上っ面を読んですぐ飽きられ、すっ飛ばされるのがオチです。とは言え短くまとめる事が出来なくて、上記のように逆にストレスになるのですよ。僕は。 

どうしても何か付け足したくなって書いてしまうのです。やはりいらない情報が文章の中にいっぱい入っているのでしょう。これでは読んでくれている人に対して何を伝えたいのか分かりません。まったくその通りで、ここまで書いて僕はいったい何を伝えたいのかが全く分かっておりません。迷宮入りとはこの事です。

 

 季節はもう春ですね(何だいきなり)。今朝ゴミ出しに外へ出たところ一羽のツバメが家の軒下に入って行くではないですか。まだ3月だというのにもう帰ってきてくれたのか。早くも巣の手入れを始めております。しかしこのツバメはなぜここに巣があると知っていたのでしょうか?うちの巣は軒下の入り組んだところに作られており、外からは絶対分からないのに、です。ここを巣立って行った子供たちなのでしょうか。

 どうやら戻ってきたのは去年いた親ツバメのようです。3月終わりから4月初めに南の国から日本に戻ってきて、子育てが終わったら9月ごろ東南アジア方面に向かうそうです。 

 てっきり子供たちかと思ったのですが、ここを巣立った若ツバメは生まれた巣に戻る事は少ないようです。戻ってくる確率も調査の結果から約4割が戻ってきているとの事です。ただ去年と同じ夫婦ではないこともあるとか。ツバメにもイロイロと事情があるのですね。

しかしこんなピンポイントで戻ってこれる事に驚愕です。超高精度GPS機能が備わっているのでしょう。

 

 そういえば以前ヤフオクで3式戦『飛燕』が1500万円で出品されてましたね。オーストラリアのコレクターより日本に帰還させたいとの依頼があったそうです。

 この飛燕はパプアニューギニアのジャングルに胴体着陸したものと推定されます。損傷が激しいですが落札されて日本に帰って来れたのでしょうか。

 

 これとは別に川崎重工業創立120周年記念事業で、精密に復元された戦闘機『飛燕』が存在しています。めちゃくちゃ見に行きたいんですが。過去には知覧特攻平和会館に展示してあった飛燕を見たことがあります。『飛燕』はまさに『飛燕』です(意味不明)

 

 話は戻りますが、ツバメは他にも人間の近くに住むことでその恩恵を受けるように意図して行動しています。賢い奴です。生きる、生き抜く、生き残るとはそういう事です。自分で考え、他人を巻き込みながらでも生き抜く、生き残っていかなければならないのです。

何も考えずに生きる事がいかに危険で、身を滅ぼしかねない事なのだと、ツバメを見あげながら思うのです(大げさ)

 

 

 まさかここまで読んでくれている方など想像に難いのですが、いるのでしょうか? そして結局今回は何を言いたかったのか、伝えたかったのか、分かりましたでしょうか?

そうです、2000文字を越えられて嬉しい、満足したという事です。(2358文字)

 

 

 

 

今週のお題「卒業」

今週のお題「卒業」

 卒業とはその学校の全過程を学び終えること

とあります。しかし卒業と聞いて連想するのはそんな事より懐かしい学生生活のシーンと、やはり卒業式ではないでしょうか。卒業式は独特の雰囲気がありますよね。おっさんになった今、これらの記憶も遠い昔のようにはっきりと思い出せませんが、学ランのボタンを2つ持って行かれたシーンだけは今でもしっかり思い出せます(自慢か)。若いって素晴らしいですね。学生の皆さんはたくさんの思い出を作っておいて欲しいです。

 卒業式のみならず現在色々な場面でこの『卒業』という言葉は使われております。パッとイメージするのはズバリ『別れ』でしょう。ただしそこには暗く悲しい印象は無く、明るくポジティブな『別れ』をイメージさせる事が多いのではないでしょうか。

『解放』『自由』『未来』『修了』『達成』『尾崎豊』『斉藤由貴』(おっさんか)などを連想します。

 僕は去年の10月から禁煙を始め、今では全く欲しいと思わなくなりました。禁煙達成です。これでタバコから『卒業』(卒煙)出来たと言い切る事が出来ますね。まぁ卒業までに27年かかり、5~6回留年しているんですがね。

あと『卒ナントカ』という縮めた言葉もたくさんあります。卒業論文を『卒論』、断酒を『卒アル』、おっぱい卒業を『卒乳』。『卒乳』は男なら一生卒業できないでしょう。否、もともとする気などサラサラない。さらに気になるのが2004年に杉山由美子著『卒婚のススメ』で使用された『卒婚』なるワードです。造語ですが、意味は婚姻関係にありながらも、互いに干渉することなく夫婦生活を営む新しい生活形態との事です。

離婚ではないので色々とメリットもあるという事ですが、これに関しては明るい印象は受けません。どっちかと言えば妻が夫に三下り半を突き付けた形になるんでしょうね。結婚生活も13年、卒婚へ向かっている気がするのは気のせいなのか…。何かさみしいではないですか。相手がいても干渉せずというのはやはり味気ないと思うのです。ですがこうなるにはそれなりに理由や原因があるものです。今はそれでもいいのでしょうが、人生の『卒業』時に本当にそれで良かったと思えるのだろうか?それともその時になって気付くのでしょうか。もし仮に妻が卒業したいと言ったなら、僕は潔く開放、自由になって欲しいと願うと思います。やっぱり『卒業』とは自由になるために通る道なんだな。

そんな事はどうでもよくて、本当はこの記事が100記事目という事を書きたかったのです。100記事はブログにおける登竜門で、ここから激烈に何かが起きる!と専らの噂ですが、ついに僕もその門にようやく到達したという訳です。素人からついに『卒業』です。ここから自由な空へと羽ばたくのだ!

 

しかし『素人が100記事達成してもPVや収益が増えるは嘘』との記事を見つけてがっくりしております。まぁこのブログはそういうものなので別にどうでもいいのですがね。僕は過去に『G Masters』というバスケットボールチームに所属しておりました。僕は『33』番、後輩は『072』番でした。経験者1名のみのド素人チーム、一度も試合することなく自然消滅しました。このGブログはそうならないようにしていきたいですね。