なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

野火

なるがです。

 

野火と書いて「のび」と読みます。

 

野原の枯れ草を焼く火のこと。野原で草木などが燃える火事のこと。

1951年に発表された大岡昇平氏の小説。

 

小説『野火』は、作者のフィリピンでの戦争体験を基に、戦場における極限状態の人間の様を描いています。

 1959年に市川崑、2015年に塚本晋也により映画化されています。

 今回はその2015年版、塚本晋也監督の作品を鑑賞しました。レンタルビデオ屋(死語?)で何も知らずにふと手にしたこの映画、かなり衝撃でした。

 

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舞台はフィリピンのレイテ島。太平洋戦争の後半1944年10月20日、天王山とも言えるこのレイテ決戦において帝国海軍はほぼ壊滅(レイテ沖海戦)、航空機に爆弾を搭載して艦船に体当たりする特攻隊が大体的に出現したのもこの頃からです。

そして『野火』の題材となっている当時レイテ島守備にあった陸軍第16師団1万8千の将兵。その後に投入される陸軍第1師団1万3千の将兵

その後も投入は続けられますが、火力を積んだ輸送船はことごとく撃沈され、武器のない兵隊だけが上陸するという事態になっていました。

総勢7万5千の兵隊達、彼らが目にしたものとは一体どのようなものだったのか。

 

レイテ決戦

マッカーサー率いる700隻もの艦艇がレイテに集結。物量に勝るアメリカ軍は、軍艦による艦砲射撃をレイテ島東岸に向けて一斉に行いました。

日本兵

『艦砲射撃が始まればもう手も足も出ない。砲弾が炸裂して壕の中にいても破片が飛んでくる。当たって倒れた兵隊を起こしたら死んでいました。』

 

4時間にも及ぶ激しい砲撃は海岸の地形をも変貌させます。そしてその後、日本軍守備隊の約3倍にあたる6万の兵力をもって上陸を開始します。

 

アメリカ軍の上陸からわずか10日で第16師団は兵力の8割を失い壊滅状態になります。

しかし通信手段が破壊されていたためこの状況が大本営には伝わらず、逆にレイテのアメリカ軍は敗残兵だと思っていた大本営は、とどめを刺すべく兵力の追加を行います。

 

レイテ島西岸オルモックに第1師団上陸。そこで初めて第16師団の壊滅、敗走を知り、レイテ島中央に位置するリモン峠でアメリカ軍と激突します。アメリカ軍は敗残兵などではありませんでした。圧倒的兵力と火力によって日本軍は完膚なきまでに叩かれます。第1師団の残存兵は800名ほどだったといいます。

 

日本兵

『重傷を負って泣いている兵隊や、火炎放射器で煽られ体中が火ぶくれになった兵隊が裸のまま泣きながら歩いていました。惨めでした。』

 

アメリカ兵:

『攻撃の後に焼け野原に行くと、まだ息のある日本兵には足や腕が無く、目玉が飛び出して顔から垂れ下がっていました。』

 

『ブルドーザーで日本軍が潜む壕を埋めました。全員生き埋めにされたのです。降り注ぐ土砂の下で、息絶えるまで彼らは軍歌を歌い続けていました。』

(出典:果てしなき消耗戦 証言記録 レイテ決戦)

 

 追われて敗走する日本軍に補給や援軍などは無く、ただ食糧だけを求めながら兵達はジャングルを彷徨う事になります。西海岸パロンポンへ向けての撤退が始まりました。

 

前置きが長くなりましたが、映画『野火』ではこのあたりからの出来事に焦点をあてているようです。主人公である田村一等兵の主観で描かれておりますが、戦争映画に付き物の戦闘シーンなどは皆無であり、只々人間が壊れていく様だけがそこにはあります。

 

太平洋戦争において南方と言えば、フィリピン・ニューギニアソロモン諸島等々、そして、玉砕・飢餓・マラリア等を連想します。

例えばソロモン諸島ガダルカナル島は、縮めて「ガ島」と呼ばれていましたが、「餓島」と揶揄されるほど現場は凄惨を極めました。

 

極度の飢えと疲労に加え、敵からの攻撃、常に死と隣り合わせの恐怖と緊張の中、兵達はジャングルを彷徨い続けました。あまりの空腹に弱った兵隊を殺し、その人肉まで食らう兵もいたといいます。

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 映画中においてもその食人のシーンは出てきます。そして非情なまでにボロボロになった日本兵。あまりにボロボロすぎてキャストが誰なのか分かりませんでした。

塚本監督はあえてきれいに作らなかったそうです。やり過ぎな位がちょうどよいと。

分かる気がします。

そもそも現場を実際に見てないのだから分かるはずがないのです。だけど実際に見てきた人は存在する。僕も想像の域を越えないのですが、実際の現場などはとても表現できるものじゃないんだと思います。だからこそのやり過ぎ描写なのだと理解しました。監督はこの映画の構想に20年を費やしています。

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ヒーローなどは存在せず、何の感動もありません。ただ、そこに描かれている出来事を眼で理解し頭で考えるのみなのです。

 

 

爺さんも同じ運命を辿ったのか ボルネオ死の行進(転進)

話は少し逸れます。過去の記事で祖父の事を書いているのですが、祖父も太平洋戦争末期フィリピン戦線で戦いました。

パラワン島で戦死したとのことですが、とある中隊長の日記で祖父の名前を見つけ(本人の確証は持てないのですが)その日記では隣の島、ボルネオ島にて戦死したとのことです。

 

フィリピン戦線に投入された約50万人の兵士のうち、約40万人は餓死との統計も出ています。

食糧の補給なく、栄養失調で弱っていく抵抗力、マラリアをはじめとした病気の蔓延。それに伴う病死も餓死と同じようなものでしょう。祖父もマラリア脚気により病死したと中隊長の日記にはありました。

 

ボルネオ島のタワオからブルネイまで行けという転進命令(西海岸に米軍接近の報を受けて)を後にこう綴っておられます。

 

『熱帯の道なき道の百数十里の長路悪路、悪天候の行軍、人間業で不可能を強いられた作戦であった。この転進路において多数将兵が命を落とし、健児部隊も一変して廃人部隊と化してしまったのである。』

 

ブルネイ到着までに約2か月半、その間一度も戦闘せず、ただ暑さと食糧の欠乏、マラリアの為に将兵の半数以上は病死。到着した兵も全員廃人の如くという有様でした。

 

 

『誰を恨むでもなく、すべてを自分の精神と体力とに頼り毎日歩き続ける。昼なお暗きジャングルをただ夢遊病者の様な群れが、何の目的もなき如き兵隊のウツロな瞳、追いつ追われつ、統制のない人間の群れが未開の土地を進んでいく。』

 

『野犬は何匹殺して食ったことか。名も知らない草木を食ったことか。英軍の捕虜達が骨と皮との姿で私達との行進とすれ違った時、戦争は勝ってるのか負けてるのか我が身と比べて悲しく感じられた。』

 

『生きたい、生きなければならない、頑張らなければ今死んだ戦友のように誰一人に水の一杯も貰わず死んでいくのだ。』

 ( 独歩三六七大隊第3中隊手記)

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司令部からの人間性を欠いた作戦命令によって、多くの兵隊が犠牲になりました。祖父もきっとこの地獄を見たに違いありません。

目的地のブルネイに到着することなく無念の病死となった祖父ですが、到着組にはさらに悲惨な出来事が待っていました。

 

上陸を暗示させるアメリカ軍による物凄い砲爆を前に、廃人部隊と化した寄せ集めの部隊では歯が立たず、上陸前に撤退命令が下ります。ジャングルの山中へと退却を余儀なくされ、再び死の行進が始まりました。

 

『食糧の欠乏にグッタリと倒れていく兵隊が数を増してゆく。手榴弾による自殺も出てきた。毎日五人、十人と自殺して果てる日本人の姿よ。彼らは日々の苦痛を死によって解決したのだ。』

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 『あちらに二人、こちらに一人と歩行する力も無く横たわり、また座ってウツロな目で何かを考えている姿は人間ではなく兵隊でもない。』

( 独歩三六七大隊第3中隊手記)

 

まさに映画そのままの悲惨な光景が レイテ島以外でもこうして実際に起きていたのです。

 

この映画を見て今思う事は祖父の死についてです。死の間際、残してきた妻や子を思いながら無念に死んでいったのだと思います。

何でこんな所で死ななければならないのだ。まだまだこれからなのに!

この地で亡くなった多くの兵隊達もそう思ったに違いありません。

転進の初期では火葬も行う事が出来たそうですが、後半ではほとんどが置き去り、野ざらしになって行きました。骨も拾ってもらえず朽ち果てていったのでしょう。

 

『野火』とはきっと、火葬出来なかった兵隊たちへの弔いを込めた火(題名)なのかなとも思います。

露営による火、砲撃による火、火炎で人間が焼かれる火、そして火葬による火。この戦場を一言で表す言葉なのかな?僕はそんな風に捉えました。

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そしてこの映画を手に取らせたのはきっと祖父なんだと思います。終戦5ヶ月前の無念の死、僕が知りたかった事をこのような形で教えてくれたのです。

そんな風にも思わざるを得ない、大変貴重で衝撃を受けた映画となりました。

戦争で格好良く死ぬなんてのは幻想です。こういった映画こそ見るべきだと思うし、知る必要があるのだと思います。

 

 

 

J.S.Bach BWV1006a リュート組曲 ホ長調 プレリュード

なるがです。

 

ヨハン・セバスティアン・バッハ。18世紀のドイツで活躍した作曲家・音楽家です。現在バッハの名を知らない人はほとんどいません。日本では音楽の父とも称されてますよね。音楽のジャンルに関係なく、バッハから多大な影響を受けているミュージシャンも大変多いと聞きます。それほど超絶有名な偉大な音楽家、バッハが僕は大好きです。

G線上のアリア」しか知らないエセバッハファンなんですが。

バッハの曲って独特の音階というか、メロディを持ってるんですよね。そこが心地よく感じるのですが、今回はバッハのそれを堪能できる曲を紹介したいと思います。

「BWV1006aプレリュード」です。

ん?ビーエムダブリュー…?頭文字を見ると僕は未だに車が頭に浮かびます。いえ、「B・W・V」です。『Bach Werke Verzeichnis バッハ作品目録』とwikiさんが言ってます。

バッハのおじさんはwiki先生にお任せするとして、曲の紹介を。

僕はこの動画を見て、曲と演奏者の両方にノックアウトされました。


www.youtube.com

誰だこれは?

『ジョン・ウィリアムス』

クラシックギター界においての重鎮であり、商業的に最も成功しているギタリストでもあります。残念ながら2013年に演奏活動を引退したそうですが、現在も業界では健在だということです。1978年の映画『ディア・ハンター』のテーマ曲、『カヴァティーナ』の演奏が有名です。僕もそれで知りました。

 

しかしこの曲、初めから終わりまで本当に聴き飽きない。ぐいぐいと引き込まれてしまいます。

メロディもさることながら、ジョンのテクニックに脱帽です!思わず見入ってしまいます。まるで機械の様な正確無比な運指。音の粒、キレ、緩急、どれをとっても非の打ち所がない。(ように見える)

この曲がギターと言うところがミソで、リュート(主に中世からバロック期かけてヨーロッパで用いられた古楽器群の総称、別称:洋琵琶 引用wiki)用にわざわざヴァイオリン~オルガン~と書いたものをさらに書き直したと言われています。バッハのお気に入りの曲だったようです。

 

実はこの動画を見てまたもや「弾いてみたい欲」が出てきて、練習を始めました。

3小節で挫折しましたよ。

 

えげつない難しさ!ジョンが涼しい顔で弾いているので出来るかな?と思ったら大間違い。やっぱ独学では厳しいな。でもいつか弾けるようになりたいぞ。

 

このおっさん、否おじいさん、いや、ジョンですが、息子のクラブの先生に似ているのですごく親近感が湧くのです。そんなことはどうでもいいのですが、もっと気になるのが、服装が普段着すぎひん?地味というか、なんでそれなん?

まぁそれこそ余計なお世話じゃぼけ!と言われそうです。

 

完全にコタツとみかんが似合うやろ!後ろにコタツとみかん映ってないか?初めて見る人はおじいさんが趣味で弾いているくらいにしか見えないぞ?

ちなみにココはアルハンブラ宮殿だそうです。超一流ギタリストですね。すみませんでした。


Asturias-John Williams

またそんな普段着で。しかも廊下で弾いてる。

ボーダー柄が好きなようですな。しかしトレモロ奏法と言うんですか?こんなスペイン風の楽曲も超絶に上手い。ますます好きになります。

 

あ~生演奏を聴いてみたい!もう叶わぬこととなりましたが。

 

 

最後に若かりし(といってもおっさんですが)頃の『カヴァティーナ』の演奏です。

この曲からクラシックギターの世界にはまりました。


John Williams - Cavatina (Live 1979)

 

バッハを伝えたかったのに、なんでこうなった。

 

 

敢えて言おう、カスであると

なるがです。

 

(今回はただの愚痴になりますので、特に読む必要はありません。)

 

現在、例のおっさん中途社員の事で少し悩んでいます。

早い話が、『使えない』のですが、この人物がさらに輪を掛けてヒドくなっているのです。どうひどいかと言いますと…

  • 四六時中ボーッとして目が一点を見つめたまま
  • コミュニケーションを取らない、笑わない
  • 言われた事をしない、忘れる
  • 一から十まで教えないと出来ない
  • ミスはやりっぱなしで報連相なし、いつもスタッフがケツを拭いている
  • 分からないのに分かったと言って、失敗してから謝る
  • 嘘をつく
  • 見えてないところで悪態をついている
  • 接触系のセクハラ疑惑。女性スタッフからの苦情がすでに3件上がっている。などなど…

 

まだまだ書き足りないのですがこのくらいで。女性スタッフが多い職場ですのでセクハラ疑惑だけは見過ごせない部分です。

ここ1.5ヵ月ほどですが、なんやかんやと毎日問題を起こしてくれます。

ついこの前は大寝坊したのを、実は病気だったと言って勝手に病院へ行っていたり。電話で起こした時パニックになっていたので、「慌てずに来たらいいから」と言ったにもかかわらず!

それから体調が悪いと言い1週間欠勤しました。

その穴を埋めるのにまたひと苦労です。

 

最近ではスタッフもガマンの限界で、「教えても教えてもちっとも良くならない」と嘆いて来ます。また、セクハラ疑惑にあった女性スタッフは、「気持ち悪くて一緒に働きたくない」とも言いだしました。

これでは職場が崩壊しかねない。

 

このような仕事の出来ない人物は何処にでも居ますが、僕が見てきた中で最低です。

真面目系クズかと思っていたら本当のクズでした。

 

いえ、こんな人でも、温かい心で、根気よく付き合って行こう!きっといつか良くなるのです!相手の個性を良く見て、相手に合った指導をしていけば、いつか仕事が出来る様になるのです!

 

 

 

 

ならねーわ

 

 

自分が迷惑をかけている自覚があり、出来ていない事を謙虚に受け止め、かつ自発的に改善していこうとする行動が見受けられた場合、そう思える。

 

が、このオッサンは本当のクズだ。いや、

敢えて言おう、カスであると

 

人の見てない所では手を抜きまくっているのを何度も見ている。注意はしつつ、信じて泳がせてもみたけど、仏の顔も三度までだ。

これ以上スタッフに負担はかけられない。

 

かと言って辞めさせる事も出来ないので、他部署に異動してもらおうと思っている。

そんな偉そうな事を言って、自分もそうだったではないか?と自分を責めてみたくもなるが、いや違う。それとは根本的に何かが違うのだ。新入生ならともかく、40を過ぎたオッサンがこれでは見込みはない。

優しく、時には厳しく、時間的な猶予も与え指導してきたが…。

 

 

 

だけど、あと少しだけチャンスを与えようと思ってます。もう一度危機感を持たせた上で、頑張りを見てみるつもりです。

どこまでも甘い僕なのか?バッサリ切った方がいいのか?最近ウツになりそうなくらい頭の中を支配しています。

 

なまじっか表面上はとても穏やかで、害がなさそうに見えるのが厄介なのです。

「えっ⁈この人が?」と言う犯罪者は後を絶たない。急にブチ切れたり、積もり積もったものを爆発させることもあり得なくはありません。

前職はチーフと喧嘩して辞めたと言ってましたが(これも問題)、思うに正当な喧嘩ではなく、このタイプは一方的な逆ギレで辞めたのだろうと言うのが僕の見解です。

 

あとでドエライ目に会う前に、強い気持ちを持ってしっかりと見極めなければならないと感じます。チームを、職場を守るためには、中途半端に優しいだけではダメなのです。

お試し期間は終了だ!

 

 

 

 

 

27年振りの再会

なるがです。 

 

先日、27年振りに!懐かしい友人と再会を果たしました。

連絡もせずにいきなり訪問するという、ある意味無謀な賭けとも言えたのですが、本当に運良く再会する事が出来ました。まさに奇跡です。

というか、奇跡を期待するなって話ですね。ちゃんと前もって連絡はしといた方がいいです。

 

27年も経つと、記憶もさる事ながら色々と随分と変わっている筈です。覚えてくれているだろうか?

「え、えっと…?誰…⁈」

とならないか、それだけが心配でした(笑)

長い年月を経ての『いきなり訪問』とはそんなリスクも含んでいます!気をつけましょう!僕だけかと思いますが。

家族旅行中のついでに急に会いに行こうと思い立ったのですが、当然妻からは大ブーイングです。日程変更、しかも何故そんな事をする?と言わざるを得ない連絡無しの訪問。もし会えてなかったら多分殺されてました。

 

彼は飲食店の店長をしているという情報をフェイスブックから得ていたので、お店に直行します。しれ~っとお店に入り、そこで食事を頂く予定だったのですが、なんとスケジュールが押してまさかの閉店時間オーバー。マジかよっ!しかし19時は早すぎでしょ~。

到着したのが40分後の19時40分。でも店長なので絶対居る筈!と推測しますが、すでに退勤してたりして…そもそも休みだったらどうしよう…。ころされる…。

お店に電話をかけてみます。・・・・・・プルルルル

 

出ました!!スタッフさんが出て、店長につないでもらいます。

緊張の一瞬です!

しかしどうやら同姓の別人と思ったらしく、やたら丁寧語で話してきます。なかなか思い出してくれなくて焦りましたが、やっと僕だと理解したようで急に口調が変わりました。あ~良かった!まぎらわしい存在の人の前置きとかいらんて。記憶から削除されてたかと思いました。

 

閉店後の店内に入れてもらい、少しの間でしたがひとときの会話を楽しみました。よく考えると、閉店後でなければこうしてゆっくりと話したりは出来なかったでしょう。ツーショットで写真も撮ることが出来ましたし、営業中ならまず不可能だったと思います。あぁ、これは神様が、僕らが会えるようにわざと時間をずらしてくれたのだなぁ。粋な計らいをしてくれるではないか神よ。感謝。

 

彼は今の仕事は超絶ブラックだと笑いながら言っていました。確かにやばいブラックでした。しかし、気持ちひとつで楽しくもなる。笑う事は本当に大事。と言っていたのに感銘を受けました。僕の職場も同様にブラックですが、その気持ちはありませんでした。気が付けば愚痴や出来ない事を羅列していた自分が恥ずかしくもなりました。

洗脳とは違う、社畜でもなく、彼の生き方、生き様なんだと思いました。

27年前の彼も、今と同じようにいつも笑って、まわりを明るくしていました。これは今でも少しも変わっていない。決して無理している訳ではなく、身体からにじみ出てくるものなのでしょう。

 働き方云々と言われているご時世ですが、それ以前に大事なことを教えてくれた気がします。

 

別れの時、がっちりと固い握手を交わし出発しました。彼は車が見えなくなるまで大きく両手を振ってくれていました。僕も窓からずっと手を振ってました。とてもとても短い時間の再会でしたが、こうして繋がった事でまたいつか会えると確信しました。

会えた事に興奮しすぎて、僕の近況報告をすっかり忘れてた事に気づき、後日突然の訪問のお詫びと感謝のメールを送りました。しばらくして返信があり、感謝の言葉と、あの後僕らが去ってから泣いてしまったという内容のメールが届きました。

 

会いに行って本当に良かった。僕の人生の中でこの再会の一コマはずっと記憶に残り続けるでしょう。そして最近あった出来事の中で間違いなく一番うれしい出来事となりました。

27年振りのサプライズ再会は大・大・大成功でした!

 

 

 

この道わが旅、そして伝説へ…

なるがです。

 

もうすっかり春ですね。この季節になるとバイクに乗りたい願望が毎日の様に出てきます!まだまだ運転禁止令が発令中なので、走っているバイクを見ては妄想を膨らます日々であります。

太陽の心地よい暖かさと空気感が最高の季節です。過去に色んな場所へ出かけ、楽しかった頃が思い出されます。

果てしなく続く道、風とひとつになり何処までも。そして伝説となる…。

そもそも事故さえしていなければ今でもきっと走り回っているんだろうなー…。

ゴールデンウイークの3、4、5日と家族で四国旅行へ行って来たのですが、ツーリングバイクがウジャウジャ居ました!みんな楽しそうに走ってました!いいなぁ!

バイクもクルマも公道を走る際の運転は十分気を付けましょう。

 

 

という事でドラクエです。

この道わが旅』はバイクの事ではありません。ゲームです。開放感いっぱいなイメージかと思いきや、いきなりのインドアです。この題名のようにバイクを語れたらさぞかし格好良いだろうに。

今回はこのドラクエのエンディング曲についてどうでもいい事をダラダラと綴ります。

 

ドラクエはすでに説明も必要ないほど有名なRPGですね。1987年に発売された『ドラゴンクエストⅡ悪霊の神々』。このゲームのエンディング曲がすぎやまこういち氏作曲の『この道わが旅』です。

この曲はドラクエの中でも特にお気に入りで、おっさんになった今でも急に聴きたくなる発作が起きます。

 

やっとの思いでクリアして、初めてあのエンディングを迎えたとき、あの曲を初めて聴いたとき、中学2年生だった僕は、何とも言えない感動を味わった様な気がしました。いえ、とてつもなく感動していました。

復活の呪文とやらに常に悩まされ、時には飼い猫にそっとリセットボタンを押され、またある時はあまりの難しさにムカついてカセットをむしり取ったり、放り投げたり。そんな紆余曲折を経て迎えたエンディング。そこへあの曲がかかり…まさに感動モンです。

メロディの美しさ、優しさ、切なさ、淋しさ、そしてゲームの達成感。それらが混然一体となって押し寄せ、情緒あふれる曲に心を完全に持っていかれます。ただのスタッフロールだというのに画面から目が離せず、終わってからもしばらくの間ボーっとしていました。

なんという優しく切ないメロディ。旅の終わりにふさわしい曲です。

 

ただ、ここまでアホみたいに依存症になるのにはひとつの条件があります。それは、ファミコンの音源に限る』というものです。オーケストラバージョンとは違う『味』、これが中毒・依存症の原因であり、これはおっさん世代にしか発症しない病気なんだと思います。

やたらと詰め込んだ音数、貧相な楽器音源、オーケストラには程遠いピコピコ音。なのですが、この『味』を作り出せるプログラマーのテクニックが本当に素晴らしい。少ない音源でいかに表現するか。これを見事に克服しています。


ドラゴンクエストII 悪霊の神々~エンディング(FC版)

 

城内のバッハ的な楽曲からの、突然始まるエンディングテーマのイントロ。この切り替わりと、画面上での演出の流れが最高です。なし崩し的になだれ込む所が余計に心をつかまれます。そして別に見たくもないスタッフロールにくぎ付けとなるのです。

 主旋律の優しいメロディとバックで流れている副旋律、そしてベースラインがしっかりと曲を支え、心地よく耳に残ります。う~ん、…!

 

当時のファミコンはめちゃめちゃ面白かった。あのピコピコ音と粗いドット、中にはスクロールすらしないゲームもありました。低スペックなゲームを必死に?一生懸命夢中になってた思い出があります。比べて今のゲームは実写かと見紛うばかりのグラフィック、性能も凄いものがあります。だけど何故かすぐに飽きてしまうのです…。

まぁ、おっさんになったのもありますし、思い出などは時間が経てば美化されるものだから、ただ感傷に浸ってるだけなんですけどね。

 

 

 そして、次作1988年発売『ドラゴンクエストⅢそして伝説へ…』すぎやまこういち氏作曲のこのエンディング曲『そして伝説へ…』。オーケストラバージョンがとてもハマる曲ですが、やっぱりこれもファミコンの音源がいい味を出しています。印象に残る半音階と明るく不安な響きを持ったメロディ、バックに流れる副旋律がうねうねと動きまくっています。しかもやたら音数が多く早弾き(笑)。ベースがとても存在感があり、曲調をグッと持ち上げています。


ドラゴンクエストIII そして伝説へ...~エンディング(FC版)

 

1:48イントロからの盛り上がりが壮大な物語の終焉にふさわしく、そして静かに曲が始まります。

Cメロの手前でブレイクを挟み、繋ぎのオカズが流れるのですが、2週目の3:10からはオカズ無しで、流れる様にCメロへと繋がっていきます。この部分がやたら心地よく感じます。こんな何気ない部分でも作り込みがされており、ただの繰り返しではない、楽曲の完成度の高さが伺えます。Ⅱとは違う荘厳さも感じます。

うーん、やはり何度聴いてもいい曲です。

 

…ダラダラと書いて来ましたが、ファミコン音源だからこその中毒、依存症とハッキリ分かりました。オーケストラでは出せないこの味、この感動も今後は二度と味わえないんでしょうね。そう思うとおっさんの僕らは貴重な体験をして来たんだなぁと感慨深いものがあります。エンディング中毒・依存症のおっさんはきっと僕だけではないと思います(笑)

数あるドラクエの中でも素晴らしいこの2曲『この道わが旅』『そして伝説へ…』これからも発作が起きるたびに聴いている事でしょう。

ドラクエは Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ(挫折)しか知らないんですがね。

 

真面目系クズを卒業したい

なるがです。

 

4月もすでに半分を越しましたね。月日が経つのは本当に早いものです。新社会人の皆さんもちょっとずつ職場に馴染んできた頃ではないでしょうか。

うちの中途社員も同じく3週目に入りました。少しずつ仕事の内容や流れなども分かってきて、自ら行動出来る事も増えて来たかな?…と思ったら全然ダメなんです!ダメダメ!

 

前の記事でも少し触れましたが、これは想像以上の強敵です。右も左も分からない新入生に教えているのと同じです。仕事としての会話が成り立たちません。

今までの経験があるので、基本が出来ている前提で仕事を振っているのですが、実際フタを開けてみると中身はほとんど入っていませんでした。

 

そして同じミスを繰り返します。その度に優しく教え、「次からはこうした方が絶対上手くいくよ!」と教えた次の日、またやらかしています。

 

う~我慢だ~~我慢せぇよ~~と自分に言い聞かせながら、

「あちゃ~またやってしまった?仕方ない!もう少し頑張ろ!」

 

と引きつった笑顔で優しく対応します。

 

しかしこれだけで終わりではなく、あっちでもこっちでも、やりっぱなしや、しっぱなし、ぱなしぱなしの挙句の果てに痛恨のミス。スタッフもこれには苦笑いするしかありません。

 

そしてついに僕もキレてしまい、

 

「おっさん、ええかげんにせぇよ!!!」

 

 

 

 

と言いたくなるのをグッとこらえ、その後始末に奔走するのでした。

 

もしかするとこの職場に合っていないのかもしれません。すごく真面目な人なので考えすぎているのかもしれませんが、どうも空回りしているようです。

「本当にすみません!」「ハイ!わかりました!」

と返事はいいのですが、例えば、

「今して欲しい」と言った事をすぐに取り掛からず後回しにする癖があります。しかしやがて別の用事が入り、それに夢中になり、結局言われたことを完全に忘れてしまっている…という事が繰り返されています。

 

昔ならとっくにケツを蹴り上げられてます(笑)

でも今はそれやっちゃダメ、パワハラ確定です。

 

この人は俗に言う「真面目系クズ」という部類に入るんでは?

 

そして僕が一番残念だったのは、自分のミスを隠して報告してきた、という事です。本人は見られてないと思ってるのでしょうが、僕は見てないフリをしながら見てました。どう対処するのかを。

すると、あたかも最初からこの状態であったかの如く報告してきました。僕は見てました。

ウソをつかれた事がとてもショックで、その人の人間性までも疑ってかかりそうになります。

ウソをつくなら隙のない完璧なウソをつかなければ。

相手主体の嘘なら僕はある意味良いと思うのですが、自分主体の嘘は保身でしかなく、バレた時に弁解の余地はありません。

 

嘘とは諸刃の剣です。使い方が適切であれば絶大な効果がある反面、誤れば一瞬で全ての信用を失ってしまうのですから。

これから信頼関係を築いて行く矢先でのこの嘘。完全に終わってますね。これはやっちゃダメでしょ。

 

 

ここである事に気付きました。

 

これは…

 

僕だ。

 

まさに昔の自分を見ているようです。

何をやらせても鈍臭く、毎日毎日怒られ、殴る蹴るに耐えながら(笑)やってたあの頃の自分とそっくりじゃないですか。大体の思考パターンが読めるので行動が手に取るように分かります(笑)

 

上司・先輩の指導も人によって様々でしたが、仕事の出来ない人はほぼ間違いなくイジメの対象となります。当時は僕も相当悩みました。

ここで大事なのは、イジメに愛があるのか無いのかを見極める事です。自分にとって大事な事を言ってくれてるのか、ただのストレス発散で言いたいだけなのか。

この判断は非常に難しいところです。

 

説教マニアな上司がいて、2日に1回は2時間説教されるというのもありました。僕は「ハイっ!、ハイっ!」と答えながら女の事を考えたり、バイクの事を考えたり殆ど聞いてませんでした。

「ったく、話がなげーんだよ」

これなどはただのストレス発散です。確かに良い事も言ってくれます。ここは受け入れないといけません。

しかし真面目を装ってるところがクズですね。

 

脱却する

まず自分はどうしようもない真面目系クズだと受け入れ、その上で自分はどうなりたいのかを真剣に考える事です。

そして、ミスを無くす為にはどうしたらいいのか?、どういう状態ならベストなのか?をひたすら考え続けるのです。ひたすらです。ここ大事、ひたすらです。考える行為を習慣化することが大事です。

 

こんな自分は嫌だと思えているならきっと大丈夫。要領の良い人間と比べても意味は無いのです。当然努力は必要です。しかしそれすらもしたくないのなら、いつまでも真面目系クズのままで居れば良いです。

僕はこんな自分が情けなくて本当に嫌で仕方なかった。だから死に物狂いで取り組みました。そのうちに状況は好転し始めたのですが、かといって自分自身は劇的に変わるわけではありません。変わるのは周りです。

 

出来るようになればもう言われることもなくなります。

つまり『真面目系クズ』などとは人が都合よく見たり感じたりしているだけの事。

実際はそんな人はいないのです。それに囚われて悩んでいるのは無駄なんだと気付きました。周りをよく見ていると、自分も含め意外とクズな面を持った人は多くないですか?(笑)仕事が出来ると言われている人でさえ見受けられます。

ウラではみな同類なのです、たぶん。

 

出来ない僕を根気よく面倒見てくれた上司・先輩も確かにいました。本当に手を焼いた事だと思います。今度は僕の番です。当時の先輩たちが感じてた事を今、身を以てやっている訳ですね。そうして気付きを与えてくれたように、僕も今の中途社員に対して接していこうと決心しました。

 

どちらもお互いに最後まで諦めないこと。

これが究極な答えなんだと思います。

 

 

 

Hey Jude ヘイ・ジュード

なるがです。

 

今回はビートルズの曲の中でも、特に大好きな「ヘイ・ジュード」をダラダラと綴りたいと思います。

 


The Beatles - Hey Jude

「ヘイ・ジュード」は、ザ・ビートルズが1968年8月にリリースした18枚目のシングル曲で、作詞作曲・ヴォーカルをポール・マッカートニーが行っています。これぞポールの真骨頂とも言えるポップでメロディアスなナンバーとなっており、知らない人はいないであろう超名曲でもあります。

アルバム「パスト・マスターズVol.2」の7曲目に収録されており、なんと演奏時間は7分11秒ととても長いです。そしてその曲の半分以上が、あの「なーなーな、なななな~」というリフレインの大合唱が占めており、初めて聴く人には苦痛?とさえ感じるものとなっています。

 

僕も初めの頃は飽きて、途中で早送りしていましたが、聴きこむにつれその部分こそが「へイ・ジュード」の最高の場面だと思うようになりました。

ここではポールの感情が詰まったシャウトが聴けます。とても味わい深く、何度聴いてもゾクゾクきます。

 

「ヘイ・ジュード」はジョン・レノンと妻シンシアの息子である長男ジュリアンに向けて書かれたものと言われています。

当時ジョンはオノ・ヨーコに入れ込んでおり、シンシアとの破局が決定的となっていました。ポールは傷心のジュリアン(5歳)に対して励ます為に「Hey Jules」(Julesはジュリアンの愛称)として曲を書いたのです。

5歳の子に対して曲を書くなんてポールはなんて優しいんだ。

というより、ジュリアンの深い悲しみが、自分にも同じ事の様に感じられたんだと思います。実際ポールとジュリアンはいつもよく遊んでおり、とても仲が良かったようです。

そんな事からもポールは、一人の友人として5歳のジュリアンを見ていたのでしょう。

そしてポールはジュリアンに話しかけます。

「なぁ、ジュード。」

 

イントロなしで、「Hey Jude〜」とまるで語り掛けるように優しく歌い出しが始まり、

don't make it bad 

Take a sad song and make it better

なぁ、ジュード。悪く考えるなよ。悲しい歌も気持ちひとつで明るくなるんだ。

 

このポールの優しさのこもった声が本当に素晴らしい。

この曲にはいろいろと解釈がなされており、ジョンなどは自分の事を歌っていると言い放っています。(おめーの浮気が原因だろーが。)しかしそこはポール、うまく詞を操作して誰にとっても当てはまる、万人へ向けた応援ソングの様に仕上げています。

ていうかジョンはこの曲が自分の息子ジュリアンの為に書かれたものと知っていたんですかね。呑気にコーラスなぞしてますが。どうなんでしょう。

 

僕にとってこの曲の一番の聴きどころは、後半リフレインの中でのポールのアドリブです。今まで優しい声で歌ってきたのが、そこへ来て感情が爆発したかの様にシャウトし始めます。

僕はここからが本当のジュリアンに向けての励ましを歌っているんだと感じるのです。コーラスの大合唱に支えられ、これすらも世界がジュリアンを応援している様に聴こえて来ます。

そしてそれをバックに、ポールはジュリアンへのありったけの想いをシャウトでぶちまけています。

これがすごい。

心で泣いている様な、負けるな頑張れ!と言っている様な、言葉に出来ない想いの様な。それらを吐き出すかの如く、ポールは自身を解放しきっています。

「ナーナーナー」が延々と繰り返されているのですが全く長く感じませんし、ポールのアドリブをもっともっと聴いていたくなります。

 

ポールはジョージ・ハリスンに、このリフレインの最中には絶対にギターソロを入れないでくれと断固拒否したと言います。

それくらいポールにとってこの場面は大切なものだったのでしょう。僕が思うに、ジュリアンへの想いをここでストレートに表現したかったのではないかと思うのです。

 これが聴けるのはスタジオテイクverのもので、動画配信されているMVのものでは感じられません。

 

曲の背景を知らずに聴くのと、知って聴くのとでは味わいが格段に違います。

が、初めは何も知らない状態で聴くのがいいと思います。変な先入観が入って来ますからね。

 

 ダラダラとツラツラと書いて来ましたが、あくまで僕が感じている事を書いてみました。歌なんて人によっていろんな解釈があっていいと思いますし、そんなものですよね。

一言でまとめるなら、「アバタもエクボ」と言うところでしょうが(笑)

「ヘイ・ジュード」、知らない人も、知っている人も是非、曲の背景を感じながらポールのシャウトを味わって聴いてみてはいかがでしょうか。

 

 しかしリンゴのドラムいい味だしてる。

ではまた。