なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

鶏口となるも牛後となるなかれ 

なるがです。

 

9日からの仕事始め、すでに朝から晩までフル稼働しております。朝6時半に出て帰りは午前様、ついさっき帰ってきて、風呂入ったらもうこんな時間!

子供達の顔も見れてないし、会話も出来ず淋しい限りです。今後も平日晩御飯を一緒にする事はもうないんだろうな・・・。

等と言っても始まらない。この生活が嫌なら辞めればいいだけの話だ。でも辞めないのはやっぱり今の仕事が楽しいと思えるから・・・否、楽しくはないな。

出来るだけラクしたいし、働きたくないのが本音(笑)じゃあなんでこんなに働いてるんだろうと考えてみました。

承認欲求が満たされている。少なくとも今の僕はこれで持っている、と言っても過言ではありません。

 

過去に働いた職場では僕は下の方、雑魚だったのが、転職後の現在は上の方にいる事が出来ています。規模の小さい職場でなので、井の中の蛙的な面も否めませんが、僕にはとても過ごしやすい環境なのです。

 

大きな企業での一社員より、小さな職場のトップの一員でいる事は本当に楽しい。今まで経験しえなかった事が出来ているという充足感みたいなものもあります。

 

僕は不器用なので大人数の職場では埋もれてしまう事が多々あったのですが、少人数の職場では水を得た魚の如くやれているのです。これは本当に自分でも不思議に感じる部分です。

 

鶏口となるも牛後となるなかれ。

 

現在の職場は本当にしんどいけれど、しんどさを補って余りある楽しさが発見出来ました。

 

『鶏口』の良い面と悪い面

しかし、鶏口とはいっても所詮小さな長でしかない訳で、大きな長に出くわすと途端に自分の存在が追いやられます。そうならないためには、お山の大将にならず、常に謙虚で努力していく必要があります。それを忘れてしまえば気が付いた時には牛後になっている事でしょう。俺はエライんだ!等となってしまいがちですが、そのような態度はおくびにも出してはなりません。

 

あと『鶏口』でいる事で、仕事内容がガラッと変わり、まわりの人間関係までもが変化してきます。ようは見られる目が『牛後』の時よりも格段に違います。職場の規模が小さくても長は長です。レベルは違えど、その空気の中に自分を置くことでレベルアップも可能です。

 

何よりもさっき言った承認欲求が満たされるのです。これは仕事をしていく上でかなり重要な部分です。これがないと全くやる気も起きないほどです。

人によって何に重きを置くかで変わってくると思いますが、僕自身は絶対に『鶏口』が合っていると実感できています。

 

自分に自信がなかったり、うまく人の中に溶け込めないで悩んでいるなら、まずは『鶏口』となるべく、小さなコミュニティから始めてみるのも一つの方法だと思います。

一流企業に入って、下っ端から成りあがるのもこれはこれで素晴らしい事です。が、みんながみんな出来る訳ではありません。現実はとても厳しいのです。上には上がいるのです。そこで諦めて卑屈になってしまわず、小さい職場から始めるのです。

きっと僕みたいに自信を取り戻して、生き生きと働ける環境に出会えるかもしれません。でも謙虚さと努力は忘れずに・・・。

寝ます。

 

 

インフルエンザに罹ったかも!?の続き・・・やっぱり罹ってました。回復までの日記

なるがです。

 

年末に家族が順番にやられていき、30日にはついに僕のところへ。あの後比較的症状は穏やかだったので気のせいかな?と思いつつも念のため翌日病院で検査を受ける事に。

結果は黒。インフルエンザB型でした。チーン・・・。

インフルと確認したからにはもう家族との接触も控えなければなりません。ちょうど妻の症状が治まってくれたのがせめてもの救いで、夫婦2人正月寝たきりの惨劇だけは回避出来そうです。とは言え妻も病み上がりの為あまりあてに出来そうもありません。

 

夕方、早々と隔離部屋に自ら閉じこもり、布団に潜り込みます。

でも意外と身体はラクだぞ?熱も37.5℃以上行かないし。本当にインフルなのかな?と思う位です。家族からの差し入れをありがたく頂きます。

りんご、みかん、梅干し、おかゆ、バナナ、ポカリ、水、のど飴、薬・・・ん?

31日から元旦といえば、1年でも最も楽しい時間のはずなのに・・・。僕は一人テレビもない部屋でスマホの動画を見てるだけでした。可哀想に思った家族がリビングに呼んでくれましたが、鼻水も出てきたし、ここで調子に乗って悪化させる訳にいかないと思い、敢えて行きませんでした。

実は30日、懐かしいメンバーと忘年会の予定があったんですが、インフル疑惑のため泣く泣くキャンセルしました。今となっては行かなくて正解だったんですが、高級店での忘年会だったので僕の分、当日キャンセル料を後日幹事に払う事に・・・なんて日だ!

でも行ってたとしても調子悪くてそれどころじゃなかったと思います。ウイルスを都会のド真ん中でまき散らして帰ってくるテロリストになってたはずです。

2018年元旦

夜中、鼻水とくしゃみがえげつない。くしゃみ20連発とか途中むかついて絶叫してました。ティッシュペーパーも大量に消費。熱は38.9℃。身体がやたら違和感だらけで寝苦しく、寝返りを打っては幻覚みたいなものを見てました。

そして朝になり、家族に新年の挨拶に行かねば・・・と思うも身体動かず、子供たちにお年玉も渡せず、大好きな雑煮も食べれず、食べたものと言えばお粥とリンゴ、梅干しのみ!、なんたる情けなさ!頭ボーッ。

あーあ、なんでこんな事になってんやろ・・・新年やのに!。去年めちゃめちゃ頑張って仕事してきて、やっとゆっくり出来ると思ってたのに、最後の最後にこの仕打ち。久しい仲間にも合わせてもらえず、風邪だって1回もひかず体調管理もばっちりだったのに、なぜ?!何故だあ~!・・・

 

とまぁ、神様への文句と自分の詰めの甘さを嘆いておりました。ここから3日まで熱は下がらず、38.6℃前後を行ったり来たりの状態でした。鼻水、くしゃみは2日には治まり、少しの咳と熱があるだけで、そこまでひどくはありませんでした。

 

回復と反動

毎日お粥しか食べていないと、食べ物のありがたみが本当に良くわかります。お粥の温かく素朴な味がとても滋味深く感じられて、梅干し一つだけでも十分に満足できます。お腹は満たされませんが、ゆっくりとゆっくりと良く味わう事で心が満たされます。誰だったか、ゆっくりひたすらご飯を噛み続けて、ある時その向こう側に行ける瞬間がある、と。咀嚼の向こう側とでも言いましょうか。こんな感覚なのかなと思いました。漬物など、塩分と甘みがあるものと食べると本当にほっこり出来て美味しいですね。

 

1月4日の朝、ようやく熱も下がって身体も少しばかりスッキリしています。起き上がって、「あぁ、やっぱり健康が一番だ。これに勝るものはない。」と懲りずに毎回思います。

少し元気になった途端、急に食欲が湧いて来て、手始めに食べれなかった年越しそばを食べます。『むちゃくちゃうまいやん!うんま~』賞味期限はとっくに過ぎてましたがそんなのお構いなしに汁までぐびぐびと完食。

この食欲にさらに火が付き、回りを物色し冷蔵庫を漁り、腹が満たせれば何でもいいとばかりに、目に入ったものすべて口の中へ放り込んでいました。とにかく腹が減っていたのです。人間とは卑しい生き物です。少し前までは質素な食事こそ素晴らしい、心が満たされる等と言っておきながら、環境が変われば途端に欲の塊と化す。自分の欲求を満たすためだけにひたすら暴飲暴食をして、ぷは~満足満足~!となっていたのであります。まさに本能だけで生きている畜生とそう変わらん。餓鬼道行きの切符も切られかねないほどの有様でした。自分で振り返っても相当酷かったです。

 

まぁでも31日から3日までの、まさに超ゴールデンなデイズがまるまる潰された訳ですから、反動もひときわ大きかったんでしょう。

そして年末から今まで、まだお酒を一滴も飲んでいません。なんと妻もです。二人ともまだ完全ではないので自制してますが、治った時が恐ろしい・・特に酒が大大大好きな妻は!かなりストレス溜まっているはずです、ああ恐ろしや。反動がエグイ事にならなければいいのだけど・・・。

 

さいごに

インフルエンザは現在爆発的に感染を拡大中とのことです。マスクはもちろんのこと、うがい、手洗いをしっかり行い、家族にも徹底させて下さいノロウイルスも今が一番ピーク時期です。油断は出来ませんよ。

菌を付けない事、感染経路を断つ事が第一段階での重要な対策です。

そしてしっかり食べ、良く寝て、程よい運動で抵抗力をつける事。

 

 

今回僕が罹ったのも、単に抵抗力がなかったんだな~と思うところがたくさんありました。身体が疲れていたんだな、やっぱり。

本当の寝正月を地でやった訳ですが、前向きにとらえて、今年はもっと身体を労わってあげようと新年の決意と致しました。

しかし腹減った・・・。

 

インフルエンザにかかったかもです。現在37.5℃来るなら来いや!

なるがです。

 

2017年もあと1日となりました。良い年を迎えられたらいいなと思いつつ、どうやらそれは叶わぬ願いとなりそうです。

インフルエンザに感染したっぽい。

4人家族で最初にかかったのが娘。そして次に看病していた妻が。妻は現在も39.8℃の高熱です。そして今日、僕にもその洗礼が下ったようです。寒気がやって来ました。頭もポーっとしています。

現在まだ37.5℃なので今のうちに家族の明日のごはんと、洗い物、洗濯と済ませ、妻にお粥とリンゴを持って行き、子供たちを寝かせ付け、最後は自分の寝込み準備(笑)

枕元にスポドリ、リンゴ、ミカン、タオル、着替えなどを用意しました!ていうかブログなんか書いてる場合じゃないんですけど。もう諦めたのでついでです。ヤケだ。

 

娘は回復しましたが、まだかかっていない息子にうつらないかが気がかりです。両親が倒れて、残された子供たち大丈夫かな・・・。しっかりマスクとうがい手洗いはやってきたんですが、見えざる敵はやはり脅威です。そして今からやってくるであろうインフル(かもしれない)の恐怖!

先日、病院に妻と娘を連れて行ったとき、看護師さんから「旦那さんもマスクは絶対しといてくださいね」と言われ、その後に「もう手遅れかもしれないけどね!(笑)」とご愁傷様的に言われてしまいました。予防注射はしとかなあきませんな。

 

とにかく、病は気からと云う様に、強い気持ちを持って迎え撃つ覚悟でございます。

来るならかかってきやがれインフル野郎!

 

今日はこの辺で。

 

無条件に人を愛する事なんか考えてみた

なるがです。

 

最近あった4歳児虐待死のニュース、まだまだ子供への虐待が後を絶ちません。今回は大人3人が暴行を加えたという事でショックが大き過ぎました。僕にも4歳の息子がいますが、目の前に居るこの子を殴れるか?と考えたらやっぱり無理です。大人3人に殴られる恐怖と痛みと、悲しみを思うととてもやりきれなくなります。イブの夜に亡くなったことから、「サンタが苦しみから解放してくれた」との書き込みを見た時は思わず泣きそうになってしまいました。今度生まれてくるときは絶対に優しい両親のもとに産まれて来て欲しいと願わずにはいられません。

子供に対する暴力や罵倒は何があってもしてはなりません。どんな事があってもです。一番信頼する親からの暴力は子供にとって悲しみでしかなく、一生消える事はありません。親はひたすら無条件に愛をもって接するべきなのです。

子供を育てていく事は本当に大変な事です。特に生まれて間もない乳児から3歳くらいまでは特にしんどい時期だと思います。故に母親のストレスは相当のものだと理解しているつもりです。そしてそのストレスのはけ口が子供に向かっていく所に虐待の原因があるのです。

全国の警察が摘発した今年1~6月の虐待事件で、死亡した18歳未満の子供は27人に上り、このうち半数以上の15人が0歳児だったことが30日、警察庁のまとめで分かった。死亡事件で摘発された保護者らは27人。母親がわが子を手にかけたケースが多く、育児ノイローゼや思いがけない妊娠で精神的に追い詰められた姿がうかがえる。

 警察庁によると、子供を殴ったり、蹴ったりする「身体的虐待」の摘発者数は、死亡に至った事件も含め全体で計423人。これを子供との関係で見た場合、実父や養継父、母親の内縁の男らが305人で、実母や養継母、父親の内縁の女らの118人を大きく上回った。

 しかし、死亡事件の摘発者27人については、実母が18人で、3人に2人を占めた。ほかは実父が5人、内縁の男が4人で、身体的虐待における摘発者全体とは異なる傾向が浮かんだ。(産経ニュース 2017.9.30より引用)

そして問題はそれだけでは終わらないところにもあります。僕自身ここまで考えが及びませんでした。虐待が止んでも、まだ戦っていかなければならない現実もあることを知らされました。

www.b4s.jp

父親としての役割

上の子が生まれた当時、僕は仕事仕事ですれ違いが多く、育児のほとんどを妻にまかせっきりにしてきました。至極当然にケンカも起きました。お互いに山ほど言い分があるのですが、どちらかが歩み寄らない限り平行線をたどります。僕は僕で出来るだけ関わりたいと思って協力していたつもりでしたが、それらは全くと言っていいほど伝わっていませんでした。

男が考えている協力なぞ、スズメの涙程だと理解しなくてはダメです。やり過ぎな位やって初めて協力出来ていると。そして、歩み寄る(折れる?)のは絶対男からです。

 

オイシイ部分だけ持って行ってイクメン面するなと妻に何度言われた事か(笑)そんな嫌味を言われてもひたすら耐えて奥さんをフォローしてあげるのです。

実際何がフォローになるのかよく分かりませんが、分かったことは『奥さんの機嫌がいい』と家の中も、子供も(僕にも)気持ちよく過ごせるという事です。顔色を伺うという意味ではありません。父親としての威厳は備えつつ、自分で考えて出来る事をするだけです。

イクメンになるということは実は相当ハードルが高いことなのです。(うちだけ?)

子供に関わることがイクメンだと思ってましたが、ご飯を作ったり、掃除したりといった身の回りの事をすることでもフォローになると気付きました。(実際は出来てませんでしたが)子供の成長と共に臨機応変に変える必要も出てきます。

 

今は4歳の息子と遊ぶのが本当に楽しいです。そして今が一番可愛い時期だと思います。たまに反抗的態度を取るので本気でムカつく事もありますが、

『お前はいったいどこからきたんだ?目の前にいる、こ奴は誰?』

などと考えると無条件に許すしかなくなります。やっぱり子供にはひたすら愛情を与え続けなくてはならないなと思うのです。これは父親も母親も同じです。

甘やかす事との線引きが難しい部分ではありますが。

 

 与え続けよう

躾という言葉が暴力を連想してしまうこの頃ですが、躾と暴力は決してイコールではありません。この勘違いも虐待を助長させている免罪符となっています。その躾も現実は母親ばかりに負担が行き過ぎているんだと思います。人をしつける事など並大抵のことでは出来ません。大人でさえ言う事を聞かないのに、訳も分からない宇宙人をしつけるなんて出来るはずありません。当然力で服従させようと思いますよね。僕でもそうしたくなります。

でもやっぱりそこで踏みとどまれるかは、日々の生活やコミュニケーションをいかに大事にしてきたかにかかって来るんだと思います。それにはやはり奥さんを助ける事。これしかない。ひいては子供への愛情に繋がっていくのです。僕自身も本当に難しい事だと実感しています。現在はいかに妻を助け力になる事で、介護してくれる率が高くなるかを考えながらしています(笑)

子供たちが大人になったとき、『親からたくさんの愛情をもらった』と、口にしなくても、心の中で思ってくれたらそれでいいです。きっと将来彼らもそのように自分の子供たちに接するはずです。親はひたすら無条件に愛情を与え続けるのみです。そして一人でも多くの子供たちがそう感じ、思ってくれることを願ってやみません。

 

 

 

 

 

 

働き方改革はしっかり機能している?いえ、してません。

なるがです。

 

最近思うようになって来た事があります。

もう少し休まなければいけないな、と。最近の働き方を振り返ると身体を壊すレベルなんではないかと思うようになってきました。

朝7時に家を出て、帰宅は0時過ぎ、その間の休憩時間は昼ご飯を食べる15分程。その昼ご飯も大体16時頃で、ひどい時には17時を回ることもあります。もはや昼ご飯ではなくなってますが。

昨日は休憩なしでぶっ通しで働いてたのでさすがに堪えました。

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働き方改革の副作用

政府が『働き方改革』に乗り出し、いろいろ政策を打ち出していますが、最下層の現場では毎日ひーひー言ってます。長時間労働問題による自殺などが多く取り上げられるようになり、会社や僕らの意識も少しずつ変わってきているのは実感できます。しかし実態は、きれいごとだけ述べてフォローがほとんどないという事です。

 

残業を減らして自分の為の時間をつくり出し、有意義な時間を過ごそう!

有休は必ずとって下さい!有休は働く者の大切な権利です!

 

等ときれいごとばかりで、じゃあその為にどうすれば出来るようになるのか具体的な方策を何も考えてないようにも思えます。

無理やり実行させられるのですが、そんな事で今までの仕事が劇的に改善などする訳がなく、そのしわ寄せがどんどん蓄積されていき、結局は元の木阿弥という何してるか分からない状態になっていきます。

管理職であれば部下を優先して休ませたりすると思いますが、まさに僕も社畜精神丸出しで今月は休みまだ2回という有様です。僕がいなければ回らないという強制的ともとれる労働環境、す〇家のワンオペか!とも言いたくなります。

 

急におかしくなるかもしれない

これについてはずっと警告を発信し続けていますが、上からの返答はいつもあいまいです。利益と数字でしか物事を判断しません。これが経営陣の仕事だと言われたときは本当に頭沸いてるなと。利益が安定しているその裏で、どれだけ疲弊した人間が存在しているのかを知らず、考えようともしていないのです。

このような感じで働いている人はたくさん存在しているはずです。正直僕はブラック畑で育ってきたのでこんなのは苦ではありません。そして自分のやりたいように出来るのがせめてもの救いです。しかしこれが『やらされてる』となると全く違うものになってきます。

 

ですが、その考えは間違ってました。

マジメすぎる人ほど、頑張りすぎる人ほど、ある時プツッといってしまうのです。

僕もいい歳なのに、こんな生活していればいつか限界がやって来るんだろうと考えるようになりました。まだいける、まだ大丈夫、と思っている時が一番危ないのです。

過去に所謂『モーレツ社員』なる先輩がいたのですが、いつもやたらテンションが高くタフ過ぎてついて行けない事が多々ありました。しかしそのテンションは、なんと「覚せい剤」で維持していたのでした。その後はどうなったか知りませんが、あの先輩の事だからかなりのストレスをため込んでいたに違いないと思うのです。

そんな自分も一歩手前まで実は来ているのかもしれない、そう思うようになってきたのです。つい最近のギックリ腰の前兆も身体が警告を発しているサインだったんだろうな~。

とりあえず人を入れてくれ、話はそれからだ

とは言っても、今の職場では頑張ってしまうんだろうな。人を投入すれば解決するごく簡単な対策なんだけど、この職場に掛けられる経費はないそうです。ほんまかいな。

人材を投入する事の人件費で確かに利益は出にくくなると思いますが、その分出来る事が増え、新しいアイデアやチャレンジに取り組めるという側面もあると思います。

長期的に見れば投資とも取れるのです。もしかしたら出来ないかもしれませんが、やってみなければ分かりません。上司はそんなリスクすら取ろうとしません。

あーあ、言うだけ無駄だ。自分が権限を持てるようになるしかないのかな。猫でいいから雇ってくれ。

 

まずは自分のストレスとしっかり向き合い、あまり頑張り過ぎないように心がけていく事にします。『karoushi』の文字がふっと浮かぶこの頃です。

 

 

 

 

マニュアルは使い方で良くも悪くもなる 脱マニュアル人間のすすめ

なるがです。

 

どの会社にも仕事をする上でのマニュアルは存在していると思います。アルバイトや新人を管理するため等必要不可欠なものです。これに沿って仕事を進めていけば、誰でも同じように一定のクオリティを保つ事が出来る優れモノです。

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右も左も分からない時、この『マニュアル』はとても頼りになります。しかし一定の期間を過ぎると、全く使い物にならないものだと分かって来るはずです。

ここで気付くか気付かないかで大きく変わってきます。

いわゆる『マニュアル人間』になってしまうという事です。

職場スタッフにもこのマニュアル人間は結構多いです。ただ、それが悪いという事ではありません。むしろマニュアルに沿って動いてくれる事はとても良い事です。ルールを順守するという点においては全くもって優等生なのです。会社にとっては大変貴重な人材とも言えます。

では、なんで『マニュアル人間』が悪い意味でとらえられるのかと言えば、やはり自分の頭で考えない、応用が利かないと思われるからです。そういう僕もマニュアル人間なんですがw

最近になってようやく自分で考えるようになりました。考えはするのですが、行動を起こす寸前で思いとどまり、「いや、やっぱりこれにしとくべきだ」とマニュアルに侵された心が判断を下すのです。

これに従っておけば絶対安心安全なのだ、という何の根拠もないものに委ねるのです。裏を返せば考えるのがめんどくさい、何かあったときも免罪符として機能する、と言った完全な守りの態勢に入っている訳です。これではこの先何の進歩も望めません。

 

マニュアルが生み出す弊害

今日社内で財布を拾ったので、インフォメーションに届けに行きました。見た目から若い女性もののようです。ちょっと下心が浮かびます。受付の男性が対応してくれ、中身を確認します。どうやらうちの社員のようです。いろいろ入っていましたが、気になるお金は・・・¥4000。

僕より多いwいやしかしこれで本人も喜ぶだろうなと安堵していましたら、その男性職員、

「3か月以内に持ち主が来た場合、報労金として1割請求できる権利が発生しますが、どうしますか?」と。

「はい??」(する訳ねーだろ!)

同じ社内の人間で、1割と言えば¥400、しかも若い女性。どう考えても一瞬で判断できる案件だろうに。

いい歳こいたおっさんが若い女性社員に「1割として¥400頂きますね。」などと言うとでも思ったんだろうか。穏やかに「い、いえ、結構です」とやんわり答えておきましたが、その男性の、俺仕事した~的なドヤ顔がムカついて張り倒したくなりました。

こういう時は笑って「請求無しでいいですよね」と言うだけで良いのだ。

 

あと2例ほど言わせてください。

某銀行にて現金引き出しの為ATMでの出来事です。

僕の順番が来て、何事も無くお金を引き出し、立ち去ろうとしたその時です。次に入った人から呼び止められ、「千円忘れていますよ」と。封筒に入れない分をとりあえず置いたのを忘れていたのでした。「すみません、ありがとうございます。」と恐縮しながら受け取ろうとしたその時、それを見ていた案内係のオバサンから「待った!」が。

「本当にあなたの物か確認が取れませんので、いったんこちらへ」

「はい??」

(つーかおばはん、見てたんなら分かるやろ?ATMから離れて5歩も行ってないで!?俺以外に誰の物やって言うねん!)それからはいろいろ調べられ、厄介なことにその時のカードが他人の(会社用です)ものだったので余計ややこしくなり、銀行の偉いさんまで出てきて大事に。

お金に関する事ですからシビアにならざるを得ないのは分かります。だけど、あの状況で引き止めないといけなかったのか?時間にして10秒以内の出来事です!ほんまに理解できません。その後の時間を返せ~と言いたい。千円なぞくれてやったら良かったわ。

 

その2

通勤電車での車内アナウンスについて手短に。

『お客様にお願い申し上げます。車内は全車両禁煙となっております。お客様におかれましてはおタバコはご遠慮して頂きますようお願い申し上げます』(確かこんな感じ)

ここ10年以上そんなヤツ見た事も聞いたこともないわ!

この朝のクソ満員電車でタバコ吸うヤツは相当度胸あるか、相当アホかだ。

田舎の電車のガラガラな車内なら分からなくも無いが、都会の超満員の電車でそのアナウンス、なかなかシュールですやん!

 

愚痴ばっかりになってしまいました。

これもマニュアルの弊害なんでしょうかね。自分のアタマで考える。状況をよくみる。

マニュアルがいかに役に立たないかが分かると思います。僕もそうならないように頭を使っていこうと思った次第であります。

 

 なるがです。

 

今日は12月11日だけど、昭和16年12月8日の真珠湾攻撃について簡単に書いてみる 2023追記あり

なるがです。

 

今から76年前の昭和16年12月8日(ハワイ時間12月7日)、日本海軍機動部隊によるハワイ真珠湾の米太平洋艦隊及び基地施設への奇襲攻撃がありました。

太平洋戦争の勃発です。

「真珠湾攻撃」の画像検索結果

 

終戦日の昭和20年8月15日は良く知られていても、開戦日の12月8日はあまり知られてないのではないかと思います。泥沼の戦争に足を踏み入れる事になった、日本人なら忘れてはならない記憶すべき日でもあります。

戦争が終わってみれば、何も残っていませんでした。都市という都市は焼き尽くされ焦土と化し、軍民合わせて310万人もの人が亡くなったのです。

310万人というと日本の人口第11位、茨城県の約290万人に匹敵します。富山・石川・福井の北陸3県合わせてもまだ足りない数字です。それ位とんでもなく人が亡くなったのです。そして僕の祖父もその中の一人です。フィリピンにおいて34歳で戦死しています。

今回はその戦争の始まりとなった真珠湾攻撃について簡単に書いてみようと思います。

 

なぜ真珠湾を攻撃したのか

 当時の日本は中国と戦争をしていました。日中戦争です。満州国の建設など中国大陸への勢力拡大を行っていた日本に対し、アメリカは強く警戒していました。

日本にとって満州は日清、日露戦争によって獲得した生命線でもあります。気に入らないアメリカは日本側に意見します。

 

米:「中国から手を引きなはれ」

日:「無理だね」

 

日本の近衛文麿内閣と、アメリカのルーズベルト大統領は昭和16年4月から戦争回避のための日米交渉をずっと行っていましたが、このようにお互い意見が対立していました。

こんな時にやばい行動を取る人物が出てきます。東条英機陸軍大臣です。

6月ヨーロッパでのドイツ・ソ連の戦争開始を見て、交渉ではなく武力での行動を起こすべきと主張し、7月にはベトナム南部に軍を進駐します。

この交渉中の軍事行動に当然アメリカは怒ります。

8月 米:「石油止めたるからな」

 

10月 東条英機が首相・陸軍大臣内大臣を兼ね、政治・戦争・軍務等すべての実権を握るという独裁体制を築きます。そして、

11月末までに日米交渉がまとまらなければ、アメリカとの戦争もやむなしと決定します。

 

この時点でもうかなりヤバくなっています。

 

11月26日アメリ国務長官ハルは、日米交渉の最終提案をまとめたハル・ノートを提示します。

この内容に納得いかなかった日本政府は、

「じゃあアメリカと戦争してしまえ」

こうして日本はアメリカと戦争することになって行ったのです。中国とも戦争中でしたので、当時の指導者層の無茶振りが伺えます。

 

 

ニイタカヤマノボレ一二〇八

昭和16年12月2日、大本営より『ニイタカヤマノボレヒトフタマルハチ』の暗号電文。

12月8日午前0時をもって戦闘行動を開始せよとの意味です。

この時まだ交渉中の為、戦争回避、攻撃中止の場合は『トネガワクダレ』だったそうです。

これ以前に攻撃は決まっていたため、『ハル・ノート』が提示されたその日には、機動部隊は密かにハワイ北方400kmの海域へ向けて出港していたのです。

国力に劣る日本が優勢に立つには、奇襲による攻撃により相手を壊滅させ、早期講和に持ち込みたいと考えていました。

なので攻撃開始は「宣戦布告と同時」という予定となりました。例えるならヒットエンドランみたいなものです。バッターが打った時にはすでに走者は二塁到達間近という具合ですね。

 

 

奇襲とは言えなかなかなやり方です。しかし、予定はやはり予定であって、作戦自体は成功しますが、そううまく事が運ぶとも限らないのが運命というものです。

日本大使館の職務怠慢により開戦通告が遅れ、アメリカ側に届いたのが攻撃から1時間後となってしまったのです。

これがかの有名な『リメンバー・パールハーバーとなるわけです。

 

ハーグ第三条約に定められている「戦争開始には、明らかな事前通告が必要」を無視したと、アメリカは大激怒。

事あるごとに『卑怯者』『だまし討ち』などと言われています。つい最近もトランプ大統領がこのことについて『邪悪な急襲』と言ってましたね。

それほどアメリカ国民はこの奇襲攻撃の事を根深く持っているのです。

 

日本側も決して条約を無視した訳ではなく、ギリギリのラインでやりくりしていた事が致命傷に繋がってしまったのです。

初戦で戦意をくじくどころか、逆に戦意を高揚させてしまったとは皮肉なものです。

 

ルーズベルトの勝利に貢献?真珠湾攻撃

ヨーロッパで世界大戦が始まり、ルーズベルトはイギリスを支援すると決意していましたが、国内ではヨーロッパの戦争に関わりたくないとの意見が大半でした。

戦争に引きずり込むルーズベルトとして、共和党からは非難の嵐でした。仕方なく『アメリカが攻撃されない限り若者を戦場へは送らない』と公約せざるを得ませんでした。

しかし、この真珠湾攻撃によってアメリカ全国民に『真珠湾を忘れるな!』の名のもと正義の戦いを訴え、支持を確固のものとし3選を果たします。

これで大義名分を得たルーズベルトは心置きなくイギリスを支援、ヨーロッパ戦線にも軍を送り出して行く事になります。

イギリス首相チャーチルは、『これで勝てる!』と確信し、その夜はぐっすり眠れたと『第二次大戦回顧録』に書いています。

 ルーズベルトにとっても、チャーチルにとっても真珠湾攻撃は都合が良かったのです。

 

日本陸海軍による侵攻

日米開戦が真珠湾攻撃によってだと言われてますが、実は陸軍が先にマレー半島のコタバルに奇襲上陸、目標のシンガポールへ向けて攻撃を開始しています。

この進攻が海軍より早かったため、こちらに注目されがちとなり、ハワイ真珠湾の米基地にまさか攻撃があるなど思いも寄らなかったとも言われています。

真珠湾奇襲!これは演習にあらず!!』

こう電報を受けたノックス海軍長官は「こんなことはありえない!これはフィリピンのことだ!」と言ったそうです。

 

真珠湾攻撃最後通牒の遅れにより不意打ちという形となりましたが、作戦に参加している兵士達は知るはずもありません。日本時間午前3時20分(ハワイ時間午前7時50分)第一次攻撃隊が真珠湾上空に到達します。360機の航空機をもって予定通り第1次、第2次と攻撃を加えました。そしてこれも有名な『トラトラトラ:我奇襲ニ成功セリ』を打電します。

奇襲は陸軍・海軍共に大戦果を挙げ、日本は歓喜に沸きます。

 この攻撃によるアメリカ側の犠牲者は2000人以上とされています。

 

しかしこの華々しい進撃も、当初の想定通り半年後に局面は劣勢となり、次第に国力の差を見せつけられて行くことになります。

 

この真珠湾の出来事ひとつとっても、深く深くたくさんの出来事が絡んでいます。まったく多すぎて伝えられません!そして戦争に至った過程を知ることで、点がつながり全体像が見えてきました。いろんな違う視点からこの真珠湾攻撃を見てみるのも面白いと思います。

 しかし全然簡単にまとまってないし、出遅れ感丸出しな記事になってしまいました(笑)

 

ではでは。

 

 

……時は過ぎ、2023年に追記することになろうとは思いもしませんでした。

この記事の中で真珠湾攻撃について、開戦へと向かっていった事について書いてましたが、大まかなところでは合っているものの、実際に教えられている事実はとんでもなく違う事だと知りました。いえ、僕が得ていた情報を只々鵜吞みにして来たというだけで、知っている人は知っていたのです。これには驚きを隠せません。一体今までの僕の認識は何だったんだろう⁈ いえ、上にも書いてますが自分で調べたつもりだった事が実は全然調べられていなくて鵜呑みにして来たこと、言われた事をそのまま理解して満足していたという事です。しかも気付くのが遅すぎです。

 

 太平洋戦争、まずここから訂正しなければなりません。これは「大東亜戦争」です。GHQによりこの名称は使うな、という事で禁止されました。

昭和16年12月12日に東條内閣がこう呼ぶと決めた大東亜戦争は、

『欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す』

という理念と構想を持っていました。これは欧米の植民地搾取支配ではなく、これらを独立させ一緒に経済圏を作っていく『八紘一宇』という目的を持っていました。簡単に言えば地球に住む色んな民族が家族のように仲良く暮らす事、つまり世界平和です。当時のアジア情勢を知っていると思いますが、タイを除くすべての国が欧米によって支配されていました。この戦争の目的は日本の自存自衛の戦争でありながらアジア諸国の独立と解放も担っていたのです。戦後GHQがこう呼ばせたくないのも分かります。

 そして今ではほとんどの国民がそう思っているであろう、『真珠湾奇襲は日本の不意打ち』これも間違いでした。

これを理解するには満州事変まで遡り事実を調べる必要があります。正確にはアヘン戦争までですがめんどくさいし、だれも興味ないと思うので割愛します。要はアヘンの利益にはイギリスと共にルーズベルトも絡んでいました。細かいところまで突き詰めるとこういう事も関係していたのです。

また、中国国民党軍の義勇兵としてフライングタイガースという航空部隊がすでに日本軍と戦闘していた事、イギリス・アメリカからの多額の支援金、武器供与が行われていた事。これだけでも立派な戦争行為です。

日本が不意打ちで始めた太平洋戦争などというのは大嘘もいいところ、4か月前にはフライングタイガースによる日本爆撃の計画もされていました。しかし真珠湾が始まってしまったためこの計画は頓挫しました。元々イギリス・アメリカは日本を仮想敵国と見ており、海軍軍縮条約やらで締め付けを行ってきました。

アメリカは昭和15年夏の時点で暗号を解読しており日本軍の情報はすべて筒抜けになっていました。この事実はアメリカ自身が公開しています。

そして第一撃は何としても日本に加えさせるというものでした。ヨーロッパへの参戦を後押しさせたいルーズベルトは暗号解読していながらこれを黙認。そして不意打ちした日本は許すまじ!となったのです。そうなるとアメリカ国民の団結は一気に加速します。チャーチルとの目論見はこれで達成されました。日本はまんまと策にかかったのです。

 

 日清・日露戦争により獲得した朝鮮・満州も、関東軍の侵略・暴走として伝えられていますが、当時朝鮮は清国の属国、下関条約では朝鮮の独立を認めるとありますし、満州国に至っては戦乱・混乱状態に置かれていた住民を安心できる土地として日本が建国したのです。要職は関東軍が独占掌握していた、とありますが実際は日本からインフラ整備、教育等のための人材を送り込み満州人に教えていただけに過ぎません。

だいぶ端折って説明していますが、要は満州国建国は日本の自衛だったという事です。これも絶対に表には出てきません。

 

 盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が始まり、その後教科書にも出てくるABCD包囲網で日本は資産凍結、石油の輸出を止められます。これが続けば資源の無い日本はじきに国力が衰えていきます。衰えたところを欧米列強が日本を獲る。容易いことです。そうして東アジアの国々を植民地化してきた欧米に敢然と立ち向かったのが日本なのです。

いえ、日本だけ、なのです。

自国を侵略から守るため、やむなく日米開戦に踏み切らざるを得なかったのです。外交による回避も試みられましたが、米側は却下、代わりに提示してきたのがハル・ノートでした。もうこれは日本を戦争に引きずり込むための嫌がらせでしかありません。何せこれまで日本が行ってきた事のほとんどを放棄・拒否しているものだったからです。

 当初日本の戦略は『南進して西へ行く』だったのですが、そうはならなかったと東条英機は言っています。彼もまた最後まで戦争回避しようとした一人でした。これも極悪人として伝わっていますが実際は違いました。

 ハワイにおいて諜報活動を行っていた吉川猛夫の存在もすでにバレており、真珠湾停泊中の艦船の位置等の連絡もかぎつけていました。攻撃当日、何故か空母だけがいなかった、旧式艦船ばかりだった事などは、まさに攻撃があると分かっていてあらかじめ避難していたのです。

アメリカは東京から米大使館に送られた最後通告の電文も解読し、それを読み終えたルーズベルトはひと安心したといいます。遅れた最後通牒を渡されたハルの憤慨もこれを知った後なら『クソ茶番ファッ〇ン猿芝居』です。

これは味方を騙し裏切り、見殺しにしたのです。これでアメリカ参戦の口実は出来た。リメンバーパールハーバー、参戦の口実が実は出来レースだった!啞然です。そして日本に突き付けたハル・ノートは、なんと自国民には開示していないというではないですか。これが何を意味するかは言わずもがな。卑怯な手です。

 

 これらは『ルーズベルト陰謀論』『真珠湾陰謀論』として以前から取り上げられていました。しかし私達日本人の認識はどうでしょう?不意打ち日本軍最低、軍首脳は低能、無謀な戦争をしたバカ……。でも事実は違いました。日本を植民地にさせないため、アジアで唯一独立国だった日本が、有色人種の誇りをかけて欧米列強に敢然と立ち向かった。

戦争には負けたけど、植民地だったアジアを解放し、たくさんの犠牲は出ましたがすべての国をこの戦争によって独立へと導いたのは事実です。

 

これを、陰謀論にやられたアタオカ必死乙とお思いでしょう。でも違います。

1990年代後半の米機密文書の一部公開により、ルーズベルトは日本の行動を全て知っていた事が判明しています。

真珠湾攻撃に関しては65年、JFK暗殺については現在100年の機密保持だそう。それくらい経てば事実を話す人間もこの世にはいないだろうという事なのでしょう。

 

リメンバーパールハーバーは今では日本人の言葉ですよ。

ではまた。