なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

ポール・マッカートニーのベースプレイ

なるがです。

 

  ザ・ビートルズのベーシストと言えば、皆さんご存知のようにポール・マッカートニーですね。

  今回はポールのベースプレイについて、まぁ出尽くした感はあるのですが、それでも僕の思うところを挙げてみたいと思います!

 

いつもの事ですが、突然このような記事をぶち込んだりしてすみません……恐ろしくまとまりのないブログですよね。

 

  さて、気を取り直して行きます。

  まずはこのポールという男、何をやらせても凄いオールラウンドプレイヤーなのです。

ベースはもちろん、ギター、ピアノ、ドラム、その他いろいろ、演奏テクもピカイチ。

女性ウケする甘いマスクとすらっとスマートな体型、ボーカルは甘い声から野太い声、シャウトまでいろんなタイプの声を使い分け、

そしてズバ抜けた作曲能力と、これまたズバ抜けたメロディセンス。

そしてそれらを歌いながら演奏までこなしてしまう。

頭の中はいったいどんな風に処理されているんだろうかと思ってしまいます。

ポール・マッカートニーとはどこにも弱点が見当たらない完璧超人なのであります。

 

  ソロになってからもこれらの才能は遺憾無く発揮されており、名曲を何発も生み出しております。おじいちゃんになった今はもはや神の領域に達してますよね。

 

  そんなポールのベースプレイですが、シンプルながら味が濃い目です。かと思えば薄味なものからガツンとスパイスの効いたものまで多彩なプレイを聴かせてくれます。

僕的には昆布と鰹、またはコンソメのような旨み成分プレイが多いように感じます。

基本的にルート音ドドドドではなく、派手ではないけどよく動いています。

 

  良く言われるのが、ジョージ・ハリスン作曲の時はアホほど動きまくっている、というものですよね。確かにこれは当たっています。有名どころでは、

 

サムシング(鉄板)

タックスマン

オールドブラウンシュー

サボイトラッフルなどなど…

 

 

サムシング

  ジョージ渾身のバラード超名曲です。ベースは動きまくっているのに全く嫌味がなく、むしろ曲を引き立てている(僕の所感)

印象に残るテンテテテテテンがこの曲におけるベースの最大の聴きどころですね。(分かる人は分かってくれるはず)しかも存在感が半端ない。ジョージのボーカルの一瞬のスキを突いてそのフレーズをねじ込むセンス!たかだか6個の音が、その場所において半端ない存在感を醸し出しており、曲全体のイメージまでも支配してしまいそうです。作曲者のジョージがムキーッ!となっていたんじゃないかと思われます。

もし僕ならせいぜい3音で済ましていると思います。

  その6個の音ですが、テテテじゃなく、テンテテなのが旨み成分なのです。実際弾いてみるとポールのような旨みが出せないのです。ビミョーにハネてるというか、だけどボリュームも感じながら流れるように下降していく。

なんて事ないフレーズですが、僕が弾くと昆布を入れないで鰹節だけでとった出汁のようになるんですよ。

何言ってるか良く分からないですよね。分かってくれる人いるかな。

 

あと、ポールのライブでジョージを思って歌うウクレレ弾き語りサムシングも中々にアツイもんがありますね。その場で聴いたら絶対感動するだろなぁ。

あのウクレレはジョージの形見だそうです。アツイですね。

 

タックスマン

ワン〜ツー〜スリー〜フォー〜オッホン!ワン〜ツー…

と、イントロにオッサン(誰?)の咳をそのまま残して使うという斬新さ。あの絶妙な咳払いは神がかっている。もし、ゴホンゴホン!とかハクショーン!とかだったら採用されなかったでしょう。

その後すぐベースとドラムの重たいズシンとくる、バスドラとリエするベース音がめちゃくちゃ格好いい。

ギターD7のカッティングに♯9の響きが入って来るのはジョージ天性のセンス。これはポールには感じられないもので、タックスマンの格好良さはこの音にあり!と思います。

ところがです、ベースでまたやらかしてくれるのですよポールは。なんなんだあのフレーズは!オクターブと5度がメインなだけのフレーズなのに、やってみると超ムズイ!できない!しかも速い!まるで旨み成分のカタマリのようなフレーズである!しかもあの場面であのフレーズ。ヘンタイ的な動きなのに、実に曲にハマっている、否、曲を食ってる!

度肝を抜かれるとはこの事を言うのですね。でもこれは録音して早送り編集したものらしいとの事です。

  コーラスのハモリもキレイで斬新で格好いい。そして続くギターソロはジョージではなくポールが弾いています。これもヘンタイフレーズなのに曲にびしィとハマっているという。ポール恐るべし。ジョージ、ムキ〜ッ!

でも曲の後半めちゃくちゃ飽きるのは何故なんだろう。とにかく飽きるんですよ。

 

オールドブラウンシュー

  この曲もポール、動きまくりです。僕が思うに、ポールが動きまくるのはジョージの曲が凄く良いからなのではないかと。良すぎてアイデアが溢れてくる、そんな感じ?確かにジョージの曲ってビートルの中でも音使いが違うと言うか独特なものを感じません?

  しかしこの曲の功労者は間違いなくリンゴでしょう(リンゴかい)ビートルズの曲では珍しい裏を強調したリズムのシャッフルを延々と刻んでいます。これは結構大変です。確実にフテ猫の表情をしてますね。

  しかしリンゴのドラミングはめちゃくちゃ味があって、曲ごとに本当に寄り添うようにハマっているものが多い。

  そんな土台があって、またポールはやらかしてくれます。なんなんあのフレーズ。弾けねぇ!

で、またその場所でそのフレーズ使う?アピールしまくり、インパクトありすぎに思えるんですが。もう発想がさすがとしか言いようが無いです。

 

ここまで書いてまだジョンが出て来てないですね。

 

ワンアフター909

  コレはジョージの曲ではなくて、個人的に好きな曲なんですが、全員がとても良い演奏をしているのです。あのルーフトップコンサートの映像のやつです。

ハモンドオルガンも曲にめちゃくちゃハマってるし、ジョンとポールのボーカル、リンゴのシンプルだけど小技を感じるドラム、そして何と言ってもジョージのギターでしょう!まずイントロのリフが、たったあれだけなのによくあんなの思い付くな!と。そしてギターソロ。まるで水を得た魚みたいにイキイキしてます!まじでよくあんなフレーズ思い付くな! 子供の頃ポンキッキで聞いたフレーズはコレだったのか!と思ったもんです。

ポールのベースがブイブイ言ってます。聴きどころはジョージのソロ中。あのドライブ感を手癖で出しているところに驚愕です。

 

そうです、ポールのベースは手癖による味が良い感じを出しているのです。レフティというのもあるかもしれませんが、音を切ったり伸ばしたり、押したり、離したり、横に動いたり、滑らしたりなどを多用し、曲のその時の雰囲気でほぼ感覚的にプレイしているように思えるのです。あとはピック弾き。その左手の動きにも指弾きにはないフレーズを生み出すものがあるのだと思います。

ポールのベースは簡単そうでも、あのノリやうねりを出すのは超難しいです。

 

 

イッツオールトゥーマッチ

  出ました。ジョージのポールに対する反撃です。何とこの曲ではポールはほぼ同じ音しか弾いていません!ジョージの曲なのにです。否、弾かせてもらえないと言った方がいい。

 

この曲のコードはGとCの2つしかなく、尚且つCはon Gなのでベースは延々と G音を弾くしかない、ということなのです。これにはさすがのポールもムキーッ!キキーッ!となるでしょう。

曲中のベースを聴いているとポールの悪あがきプレイを所々で聴くことが出来ます。しかしこの曲にはベースが入り込むスキがまったくありません!なので致命傷には至ってません。ジョージ、うまくハメたな〜さすが!

 

  リンゴもいいドラム叩いてます。ジョージもリンゴも実にイキイキとしたハジけたプレイをしてます。ただポールを除いては。 

リンゴはホワイトアルバムでポールにいじめられ、ジョージは自分の曲中でポールに美味しいところを持っていかれ、2人ともストレスが溜まっていたのでしょう。

リンゴ「ザマねぇな、ポール」

ジョージ「ホントにダセェ。なんなんあれ」

(完全な妄想)

 

 それはそれでいいとして、ジョージはセンスあるわ〜サイケな感じが爆発してます。これはLSDの体験をもとにしてるそうです。

 

 まだまだたくさん良いプレイはあるのですが、疲れて来たのでここらでやめることにします。

あー疲れた。

 

そういえば、結局最後までジョンが出て来なかったな……。

 

 

何事もほどほどが一番なのです

なるがです。

 

  ジメジメとした梅雨と共にベタベタするカラダとジワジワくる暑さがウザったく、イライラしながらブツブツ言いたくなるムキムキとした、言わばドムドムな季節ですね。

  3月の終わりに、ここ我が家にやって来たツバメさん達も先月、無事に南方へと巣立って行かれました。厳しい訓練も乗り越えて、皆さん立派なツバメに成長されました。ちゅんちゅんと賑やかだった巣も今はがらんとして静まり帰っており、巣を見上げるたびに何となく淋しい気持ちになります。

まるで特攻に出撃していった隊員達を思うかのごとくですね。見送った訳ではないのですが。ただ違う所は、フッ…またここに帰って来いよ…と言えるところですか。

 

と思ったら、どうやらまだその辺をウロウロしてるみたいです。何でそのツバメと分かるのかと言いますと、カンです、カン(意味不明)

 

  最近は本当にやる事考える事がが多くて嫌になります。あー嫌だ、もー嫌んなる。もちろんプライベートではなく仕事です。ぷれいんぐまねじゃーとやら横文字は言い方がカッコいいだけで早い話がワンオペです。権限がめちゃくちゃ増えたけど、要らないものまで付けて来るなと言いたい。それはおたくらの仕事でしょうが。

権限なぞ言い方が立派なだけで早い話丸投げという事です。ハイ、丸投げ一丁上がり!

 

  ウチでは今年の4月から働き方改革とやらがスクっと立ち上がり、何を思ったか急に何処かへ歩き出しました。おーい!どこ行くねん!誰も捕まえられません。てか捕まえる人もいないんですが。ワンオペ中ですから。

  現場でない部署ではキッチリ定時で上がり、毎日のように飲みに行ってると噂で聞きました。羨ましい限りですキーッ!定時が待ちきれなくて時間前にソワソワしてると言うのですから全く呑気にも程があります。

 

  しっかし仕事が終わらねー。ほぼ毎日終電近くになるのは何故なんだ! 答えろ!神崎!

時間管理マトリックス、タスク管理、優先するべき仕事などは当然理解してやっているのですが、まだツメが甘いんでしょうねー。どうしたら早く帰れるんだろうか。全くこれからの先が見えない。ピーターの法則で言えば、無能で埋め尽くされた状態なのでしょう。

 

 次から次へとやって来る仕事。現場の仕事をやりながらマネジメント業務を定時で終わらせろと?今まで2人でやって何とか回っていたのに、昇格おめでとう!権限あげるから今度から1人でやってねとは無茶振りがひどい。そしてまるで追い討ちをかけるかの様な働き方改革。無理だー。サビ残がめちゃくちゃ増えてる…内緒なんだけど。何たって罰則が加えられるんだから会社に迷惑はかけられないし。僕も報告書なんぞ書きたくもないし。

 

  この改革が始まって僕と同じ様に悩んでる人はいっぱいいるんじゃないですかね?これもやがて問題になって来るんではないかと心配にもなります。

となると、必殺の手抜き仕事を極めなければ確実に、死ぬ!(笑)

  僕は仕事の出来る実力ある人間ではないから、こうして底辺で働くしかないんですよね。若い時から努力してこなかったツケなんです、きっと。

 

だから若い人達は今しっかり努力して、歳だけ食ったおっさんにならない様にいっぱい経験を積んで実力を付けておく事です。

好きな事だけしていれば……それもいいかも知れません。その結果どうなるのか統計を取って見てみたいですね。

 

  今の生活は家族と会って会話出来るのは朝の40分くらい。子供らの寝顔しか見てない時もあります。たまに来るおじさん状態です。確か転勤は断ったハズなんですがね。

家族との時間を作りたくて転職したはずなのに、また元の生活に戻ってしまった。なんだこれ(笑)

  

 でも、辞めようとは思いません。この歳で辞めたら僕みたいなのはどこもアテが無く間違いなく落ちぶれてしまいます。20代、30代ならともかく、この年代はマジでキツイですなー。お金もたくさんかかるし、まさにマジキチかと。

そうなればもう覚悟を決めてやるしかないので、そのぷれいんぐまねじゃーとやらをやってやろうじゃないの、となる訳ですな。

  この先我々底辺のおっさん達はいずれリストラ対象にも入って来るんだろうけど、ネックの某社員みたいにはやりたくない。あれは仕事が出来ない無能と自ら晒してる様なものだ。与えられたことに対して文句や言い訳を並べて、こういう理由で出来ませんと言う。

僕でもそんな社員は要らないと思います。会社の判断は間違ってないと思うのですが。出来ない人間に会社は冷徹です。そりゃそうだ。

 

  話は戻りますが、実際未経験の事が多く、ドンドンすきるが付いて行くのが感じられるのでこれはこれで楽しい部分もあります。

  今日バイトの面接をしたのですが、久々に大当たりないい人に巡り会えました。こんな時はとても嬉しいし、いい流れがキテるぞ!と思えます。こんな気持ちは今まで感じた事がありません。営業も未経験だったので勉強する事が山ほどあります。営業は奥が深い。

そしてこう思うのです。

この歳になってこれだけたくさんの事を新しく学べるなんてない!マジでラッキーじゃね⁈

と思うのです。ヘンかな?

  マジキチな毎日で過労死するかもしれないけど、前向きにいられる内は大丈夫かなと何となく思っています。ウダウダと文句ばかり並べ立てマイナスに考えるよりずっと健康的になれます。

 

  嫌な事から逃げるのは簡単ですが、その嫌な事もとりあえずやってみて、少し良くなった、少しだけ上手くいったと思えるとき、そんな経験をするだけでも確実に強くなれます。

 

 少しくらいしんどい思いはしても、身体は五体満足だし、家族がいる。熱いシャワーも浴びれるし、固くない布団で寝れる。家計はギリギリだけど、美味しい物も美味しいと言える。毎日生活するのに何ひとつとして不自由な事はない。美味しい水が飲める、トイレは臭くない、車があってスマホがある。

何でも出来る。不満が割り込むスキマは無いほどです。

 

  いやいや、それとこれとは関係ないでしょうが、と多くの人は思うでしょう。だけど僕はそんな事が何より幸せな事であり、ただただ感謝しているだけなのです。その中で与えられた仕事も自分にとってはありがたい事と思えるのです。

 

何ごとも感謝に始まり、それが全てなのです。

 

 

こ、これはッ…し、社畜そのもの…じゃねーか…!

 

でも僕はこうして不器用に生きる事しか出来ないので、これからも割に合わない事だとしても、やって行くのでしょう。

 

だけど!

やっぱしんどいモンはしんどい!のです。

ということでテキトーが一番!

やっぱテキトーだよ。適当。

 

適当とは、

1.
ある性質・状態・要求などに、ちょうどよく合うこと。ふさわしいこと。

 

先生とタイマンを張った話

なるがです。

 

 ランニングをする人としない人ではする人の方が寿命が長いという記事を見ました。

僕は長生きしたいんだ~と前の記事で触れましたが、ペースや距離に関係なく、たまに走るだけ、飲酒喫煙の習慣がある人、高血圧や肥満の問題を抱えていたとしても効果は同じだそうです。1時間のランニングで7時間寿命が延びる、1日にわずか5分のランニングが長生きと関係があると言う事です。

……ほんまに⁈

この出所は米ダラス・クーパー研究所のチームが実施した調査で明らかにしているという事です。何だか立派な肩書もあるし信憑性はあるのでしょう。

面倒なのでこれ以上は割愛しますが、興味ある方は調べて下さいね。

 ちょうど最近ランニングを始めたところです。父の日のプレゼントにシューズも買ってもらいました!これからバンバン走るで~。

 

 話は変わって、今日はちょっと皮膚科へ受診してきたのですが、実は1年以上原因不明の肌のトラブルに悩まされているのです。まぁ何もせず放置していたのが悪いんですが……。

そこの院長はじいさんでしたが、経歴は大変立派です。こりゃ期待出来そうだぞ、なんて大船に乗った気でいました。人気なのか1時間ほど待って、やっと自分の番が来ました。午前の診察は受付終了しており僕が最後のようでした。

 先生は患部を見るなり「あぁこれニッケルアレルギーね」と即答。いやいや待てよ。

放置していたとはいえ1年以上悩んでいた訳で、もっと詳しい、納得いく説明が欲しかったのですが…。素人でもこれは何か違うぞ?と思う症状なのです。

ほんまかいな??

 先生は、「じゃぁ塗り薬と飲み薬出しとくね」と早くも診察を終わらせにかかりましたが(オイオイこれで終わりにはさせねー!)納得いかず、詳しい症状を伝えたくて先生に話し出すとそれを右から左へ受け流す。結局、半分追い出されるように診察室を後にする他なかったのでした。

 診察時間は約1分。先生と1対1の問答バトルで約2分。3分で診察室を出ましたよ。。何とも煮え切らない内容の診療でした。しかも「薬塗って効き目なかったらもう一回来て」……ってそりゃバクチみたいなもんかいな! この薬が当たりだったらラッキー、はずれなら再診って事でしょ?

 この薬で確実に治る!と言い切れないのは百も承知ですが、せめて話だけでも聞いてもらいたかったです。

モヤモヤしながら時計を見れば、すでにお昼ご飯どきか……。

はっ、……まさか、『たい……ま……ん⁉』

そうだ!これは怠慢だッ! 早く終わらせてお昼休憩に入りたいが為に僕は流されたのだッ! あのジジィめ~ッ!

と被害妄想が爆発するくらいモヤモヤがひどかったです。

 

 怠慢と言えばまたやってました。児相の怠慢。前回の事件であれだけ児相の対応について国民の非難が集中していたのにも関わらず、です。これはやってはいけなかった。

どんな事があろうとまだ気を抜くべきではなかったと。例えば飲食店が食中毒を出したら、徹底の徹底に輪をかけて衛生管理に取り組むだろうし、二度と同じ轍は踏まない様に改善するのが当たり前です。しかしまた踏んでしまった。まだ前回の事件の記憶が新しいというのに。これはもう怠慢と言わざるを得ないでしょう。

 人員が不足して回せないならその対応をまず行っておくべきだったし、子供の命がかかっているのです。これでは責められても何も文句は言えないです。

 ただ、児相ばっかり責めても何も解決しません。児相内部ではどんな構造になっているのか、どんなシステムなのか、どこに欠陥があるのか。これらをもっと精査して欲しいと思います。子供たちを守るために良くして欲しいと心から願います。

 虐待する親がいなくなる事が理想なのですが、どうしてなんですかね。こんなに悲しい事はないですよ。虐待の内容は絶句してしまうほどです。なんの罪もないこれからを生きるはずだった命が、このような形で終わらされる事があっては絶対にダメです。

 このいたいけな子供たちの命、生きられなかった分まで私たちは生きなければなりません。虐待のない世の中、子供たちが安心して元気よく生きられる暮らしをつくっていく、それが課せられた努めでしょう。

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そのためには少しでも長生きしなければいけません。

僕と一緒にランニングしてみませんか?

最近は全然走っていなかったので今日は走りましたとも。

1km。

膝が痛くなるんですよ。

 

 

Choo高年TRAINで行こう

なるがです。

 

  小学生の頃、友達とのやりとりの中で頻繁に出ていた「オレ、命かけれるし!」というフレーズを久々に耳にしました。いったい何を根拠にそう言えるのか良く分からないのですが、今考えてみると深みのある言葉だな〜と思うのです。

 

  この文言はキメの一手、相手に譲歩を促す事が出来る最強ワードとして、当時は誰もが使いまくっていた記憶があります。間違いなく命をかける気などサラサラないのですが、それだけ「俺は本気だ!」と伝えるのに非常に役に立っていました。

皆があまりに多用するので、「お前、命かけるか?ヒヒヒ……」と逆に突っ込まれるなど、もはや命が軽く弄ばれているだけで、ただのハッタリ合戦と化していたのでした。

 

  50歳を目前とした今の自分に「オレ、命かけれるし」と言い切れるモノはあるか?と問うと、真っ先に思い付くのが『家族』になるのだと思います。だけど家族の何に対して命をかけれるのか? そう考える時、それはそれで素晴らしいのですが、命をかけても死んでしまっては元も子もないな、とも思うわけです。ギリギリのラインを攻める訳です、命をかけるという事は。

間違っても命をかけるのは『仕事』でない事は確かです。

 

  家族を養うために朝から晩まで必死に働き、子どもたちの為に少しでも多く蓄えを残し、命をかけて守って行く……アレレ? どうも命をかけているのが『仕事』のようで何だか腑に落ちない感じもありますが、それでも万が一死んだらどうなる? 残された家族はどうなる?人はいつ死ぬかは分かりません。明日死ぬかもしれませんし。

 

   今思うのは、如何にして長く生きるかに命をかける、即ち「死なない生き方」をする事です。僕は生きて未来を、出来るだけこの目で見てみたいのです。まぁいずれにせよ死ぬんですが。

 

  また、残される子供が必ずしも幼いとは限りません。今深刻化している8050問題、ちょうど僕と同世代です。親が死んだあと引きこもっている中高年の彼らが取り残される問題です。現在引きこもっている中高年は推定61万3000人と言われています。しかし実際にはもっと多いとの報告もあります。僕の両親は有難い事にまだ健在ですが、80になろうかという年齢、まさに8050どストライクな時代にいます。

 

 過去に「5080喜んで」と保険のキャッチフレーズがありましたが、この数字ももはや違う意味と化し、全然喜べない非常に重い数字となりました。

  同級生にも数人いると風の便りに耳にしたことがあります。40を過ぎてから引きこもる事も多く、その原因はとても複雑です。社会生活での挫折や鬱がきっかけで退職、復帰できずに引きこもるパターンが多いと言います。

 

  これは本当に良く分かります。僕も42歳で転職した時、次の職場が中々決まらず無職に王手がかかる恐怖を味わいました。20代での無職などとは比べものにならないくらい焦りと不安は桁外れでした。これは体験しなければ分からないでしょう。

  もうダメだ…と諦める寸前で仕事が見つかり現在に至るのですが、そこで諦めていたらどうなっていたか分かりません。復帰のタイミングを逃し、引きこもっていたかもしれません。

 

  また、18歳から21歳の頃は視線恐怖症?のようになり、とにかく人の多い場所では注目されていると錯覚し、街へ出る事が恐怖だった時がありました。

  今思えば充分引きこもる要因になる出来事だったと思います。気持ちを落ち着かせるサプリを飲んだり(全く効かなかった笑)、負けそうになる自分にムチ打って外へ出るようにはしていました。引きこもれば安心出来ましたがとにかく認めたくはありませんでした。認めたら負けだと。

 

  話は少し逸れますが、その頃バイクに乗っていたのでいつも一人で走っていました。

  バイクに乗っている時は孤独だけど孤独じゃない。こいつのおかげで外にも出れたし、知らない世界を知る事も出来た。引きこもらずに済んだのも、こいつのおかげだったのかもしれません。

 

  かと言って今引きこもっている中高年に今すぐ社会へ出ろと言っているわけではありません。最終的には出ろになるんですが、やはり出た方が良いと思います。働くと言う意味で。働く意思はあるのだからきっとまた出来ると思います。

  彼らが復帰するにあたり、僕が思う一番重要な事、それは受け入れ側の人間次第だという事です。

  働くという事は、色んな人の中へ、色んな価値観の中へ入らなければなりません。しかし悲しいかな、いつの時代も何処にでも人をイビる人間は存在するのです。そのような職場や人間に当たるとめっぽう弱いので、すぐに逃げたくなります。

 

  そして僕と同じ中途採用組。彼らはいつもプレッシャーに晒されています。入って比較的直ぐに辞めて行くのも、そのプレッシャーに耐えられず馴染めないからです。

  特に中高年に対してはアタリがきつい様に感じます。歳の離れた年下からアゴで使われたり、暴言を吐かれたり、毎日の様に噂されていたり。要は「品定め」されている状態なのです。それに耐えられずに辞めていった人間をたくさん見てきました。

  そして常に悪いところを探し、それを話のネタにしているタチの悪い人間もいます。良い所を客観的に見てくれる人間は本当に少ないです。

 

  辞めていった人たちはその後どうしているか分かりません。

  政府は非正規雇用の正社員化を図っているそうですが、今引きこもっている彼らを雇えるように出来ないものでしょうか。

  上記のように「非正規の中高年はクズ」「無職は犯罪者予備軍」みたいな見方をする人間は確実に存在します。これが引きこもりを増長させている元凶のひとつとも言えます。言わせてもらえばクズのような正社員こそクソ程います。

 

  この8050問題は彼ら本人の努力も当然必要です。否、自分以外に解決できる方法はないでしょう。覚悟を決める事も必要です。それこそ『命をかけてでも』です。

 その努力を後押し、フォローできる体制、受け入れ側の人間の意識、働きやすい環境を提供する事、それが私たちの出来る事です。即効性はありませんが、じっくりと時間をかけて丁寧に行えば彼らが自立できる可能性も見えてくるのではないかと思うのです。しかしどちらが折れても上手くいかない。

 

  弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く世の中、必要なのは私達が受け入れ、手を差し伸べてあげる事です。

 この問題を放置すればどうなるかは火を見るより明らかです。見えない自由が欲しくて、見えない銃を撃ちまくっている彼らを、この先どう導いてあげられるのか。50と言ってもまだあと30年は生きられる時代なのです。

 道のりは辛く険しいものになりますが、土砂降りの痛みの中を傘もささず、やらしさも汚らしさもむき出しにして走り、栄光へ向かって走るあの列車に乗って行こう。

まだ間に合う。人生はまだまだ終わっていない。終わらせてはいけない。

 

  と、綺麗ごとばかり述べて、考える事は理想が高く、実際は何も動かないのが僕という人間です。

今は自分たち家族が生きるのに精一杯だけど、同世代としてこの61万もの人たちをどうにかしてあげたいと。その思いだけです。

 

 ただ最後のほう、あざとく、暑苦しい、くどい文章になってしまったのはご容赦くださいませ。。。

 

 

  

家で飲む

今週のお題「家で飲む」

 

なるがです。

 

そもそも僕は家で飲みません。

 

「家で飲む」というお題を完全無視した開き直りの様な言い出しです。飲まないと言ってしまうとこれで話は終わりとなってしまうのですが、さすがにこれではいけないという事で少し考えてみます。

というかこれはアルコールの事を意味するんですよね普通は。まさか味噌汁とか、ジュースなどを連想する人はいないと思います。

「俺はジュースは家で飲む」これは一体何をしたい人なんでしょうか。すごいこだわりを感じるのですが、よく考えるとわざわざ「家で飲む」事を別に報告するまでもないですね。でも、味噌汁ならどうでしょう。「味噌汁は妻の作った物しか飲まない」と言うなら「家で飲む」のもアリかも知れませんが、最近はどうなんですかね、旦那さんの為に味噌汁を作ってくれる素敵な奥さんはいるんでしょうか。なんて言ってると時代錯誤と言いますか、は?私はあなたの家政婦と違うし!と言われそうです。

悲しいかなめっきりそんな風景もイメージしにくい時代になりました。なんかほっとするイメージがあるんですよね味噌汁には。そんなイメージは古臭くてダサいだけなんでしょうけど。憧れではあります。

  あと、家で飲むものには「カレー」もありますね。「カレーは飲み物」と上手いこと言う人もいましたね。実際にタイカレーなどはシャバシャバでまさにカレーは飲み物です。え?そんな意味ではない?

いえいえ、あまりにも速くカレーライスを食べる事から、「カレーライスは飲み物」との名言が生まれたそうです。

また、同名のお店も存在しており、当時は斬新すぎるネーミングに唸りました。

「カツカレー専門店 カレーは飲み物。」の他に、「とんかつ専門店  とんかつは飲み物。」というお店もあります……いや、流石にとんかつは飲み物ではないと思うのですが。

今期間限定で「カ令和飲み物。」とやっていました。

 

「俺はとんかつは家で飲む」…意外に使えるかも知れません。

 

あと家で飲むものと言えば……水?

はたまたお茶? コーヒー、紅茶もありますね。

自分だけの時間に(そんなものありませんが)とっておきの飲み物と共にリラックスタイム。最高ですね。

スープなどもたまには家で飲むのもいいんじゃないでしょうか。(イライラ…)

 

あと家で飲むものは薬くらいじゃないでしょうか。加齢が進行中ですが、幸いまだ薬の世話にはなっておりません。しかしこれも時間の問題でしょう。

健康が一番大事ですよ。本当にこれに尽きます。身体は大事にしなくてはいけません。

僕はタバコもやめましたし、ジョギングも始めてようやく健康について考えるようになりました。ジュースなどの糖分摂取も控えなくてはいけませんね。

 

最近は走った後、風呂あがりにフレッシュレモンを放り込んだハイボールをグビッとやるのが好きです。(飲むんかい)

あれは何杯でも飲めますね。

僕は1杯で充分なんですが、奥さんがそう言ってました。

 

迷いと決断

 

 迷いとは常に付きまとうものです。一体何が正しくて何が誤りかなぞ分かりません。

これでいいのかな?といつも思っていますし、これだ!と思ってもやはり迷い続けてたりします。当然欲も絡み、楽な方、自分が得をする方を選んでしまうのは仕方のない事。人間とはそんなものです。

 『迷った時は自分にとってしんどい方を選べ』とよく聞きます。これはあながち間違いではないと思います。ドMの思考法……もとい、自分が鍛えられる、経験値を上げるなど、普通にしていては得られない何かを得る事が出来るからです。楽な事からは何も得られません。得られるとすれば、これでいいんだろうか?という『気付き』くらいなもんでしょう。さらにそこから行動に移すかどうかで意味合いが全く違ってきます。

 

しんどい中には真理が埋もれています。ん?真理とは何か?……分かりません(笑) 

でも言わんとしてる事は分かりますよね。そう言う事です(逃げた)

なんやかんやとみんなそのような経験は積んでいるんです。自ら選んだ人、選ばざるを得なかった人、問答無用で選ばされた人。いろいろだと思いますが、その経験の中にハッとするものがあったんじゃないでしょうか。あとになってやっぱりいい経験だったと思えるような事があったはずだと思います。

 人はいつも選択の場面で迷います。僕もしんどいのは嫌いなので出来れば楽したい。なるべく多くを得たい。究極を言えば楽して多くを得たいに尽きます。

だけど、いい経験を得られると知ってしまった以上、ぬるま湯から出たいと思う人はたくさんいると思います。間違いなく茨の道になると分かりながらその道を選択する人達。

その道を選択する事は、出会う事のない人達との出会い、出来なかった経験、新しい発見、いろんなものが自分にもたらされます(たぶん)

 ただ、人間だからその道を選ぶ『決断』に躊躇します(ここでようやく決断出現、ふぅ)

 

 迷いと決断はセットです。定食みたいなもんです。安くて量が多いもの、質重視、デザート付き、どれを選ぶのも自由です。そして思うのです。

あぁ、あっちにしていれば良かった!と。結局、迷い→選択→決断→行動→迷いw に落ち着くのです。言い換えれば初めから迷う必要などない。

この際迷うのはもうやめよう!(無理あるな)

 

 だけど選んでしまった以上それを戻す事は出来ません。その選んだ天津飯定食の中に光るものがあるかもしれないのです。おや?この餡のとろみ具合は最高じゃないか。など。

たとえ話がイマイチ的を得てなくてすみません。

 

 「迷い=悩み」とも言えます。人間は大いに考え悩むべきです。この『悩む』作業は欠かせません。これが無ければ選ぶことすら、決断する事すら出来ないのです!

大げさに書いてますが当たり前のことを言ってるだけですね。しかも迷うのはやめようと言ったばかりですが…。

 

 僕は42歳で転職をしました。42歳で今の地位と収入(どちらも高くない)を捨て、新たな環境に身を置く決断は並みのメンタルでは出来ません。かなり迷いましたがその時は決断するなら今しかないと行動に移しました。今からつらつらと書くと話が長くなるので割愛しますが、茨の道だった事は確かです。ですが今思う事は、やって正解だったという事。この決断は正解だった。

しかし正解を突き詰める事は不可能です。最初に述べたように何が正解かなぞ分からないからです。決断したことを迷うより、その中で良い事にフォーカスし、経験を積む中でようやく正解らしきものが見えてくるのです。

正直なところ、転職しなければもっと良くなっていたかもしれません。しかし何度も言うようにそれは分からないのです。

迷いと決断とは何を選び取るかの作業でしかない訳です。

 毎日安定の「ラーメン定食」を頼むか、冒険して「日替わりミステリー定食」を頼むのか。それによって得られるものは言わずもがな、ですよね。

ラーメン定食を選択していれば絶対に間違わない。だけどそれ以上の事は絶対に知る事は出来ない。自分自身のために、たまにはミステリー定食を頼んでみてもいんじゃね?くらいなもんです。

 

まぁたいていは後悔するんですが。

 

 

 

なつかしい歌謡曲は名曲ぞろい

なるがです。

 

 突然ですが、急に聴きたくなる歌謡曲ってありますよね。何かの拍子にふとメロディがよぎり、どうしても聴きたくなる、というやつです。

僕もたまにそんな時がある訳で、とある曲を検索してみたのですが、それ以上に懐かしい名曲の数々がずらり!本来の検索そっちのけでYouTubeの動画が止まらなくなりました。

 僕のようなおっさんになると知っている曲数も必然的に多くなります。今までサビしか知らなかった曲も、一曲通して聴くとめちゃくちゃイイやん!と新たな発見もありました。

 30年前は動画サイトなぞ無く、動画と言えば洋物のエロビデオを友人達と目を細めながら見るくらいでした。無料でこんな貴重な映像が見られるなんて本当にありがたいですよね。名曲を簡単に知る事ができ、聴けてしまうのですから。無料で。

 やっぱり、と言うか、昭和の歌謡曲はいい。凄くいい。歌というものの姿を見ているようです。 最近の楽曲も良いものはたくさんあると思いますが、おっさんはそれらに付いて行けず過去の懐かしい思い出を求めてつい振り返ってしまうんですね。ノスタルジー全開です。

 

 10代はリアルタイムで聴き、20代ではカラオケで歌うために曲を聴き、30代で何が好きか分からなくなり、40代で過去に遡り始める。

 そして気づいたのです。聴きたかったのはこういう歌なんだ!と(大げさ)

ここに挙げればキリがないでしょうけど、僕的に心にグッときた曲をちょっとだけ挙げてみますね。(いらない?)

 リストがむちゃくちゃですが名曲ぞろいだと思いません? 特に「悲しい色やね」と「もうひとつの土曜日」これがめちゃめちゃ渋い。渋すぎ。

歳を重ねてきた今だから、何かジーンと来るものがありますね。


上田正樹 悲しい色やね ~OSAKA BAY BLUES.MP4

そしてこの曲。

 これはマジでやばい名曲。サビしか知らなかったのですが、今回初めて通して聴いて唸りました。歌詞、メロディ、世界観、歌声。もっと早くに聴いておくべきでした……。


薬師丸ひろ子 Woman ~Wの悲劇より~

 

 

 

 ……そんな大変有意義な時間を過ごしていたかと思えば、話はガラッと変わります。

 15日、カーナビのワンセグ受信がNHKとの契約義務有と認めた判決のニュースがありました。これはないんちゃいますか?ナンボ何でも押し売りが過ぎるでしょう。

 カーナビを設置する目的は道案内であり、テレビの視聴ではない事は誰が考えても明白。しかし判決は、「設置することは受信設備を使用できる状態に置くこと」を指し、「自宅周辺では電波が届く環境にある」からアンタは設置者とみなす、との事。

カーナビ使用の目的を完全無視、むしろ論点をすり替えているとしか思えません。自分の都合の良い様に解釈し、持って行く、無理やり捻じ曲げるやり方はお得意のご飯論法と言わざるを得ません。

 

 もっとも受信料に関するトラブルは今に始まった事ではありません。そもそも法律で定められているから義務なのだ、と言われても契約した覚えもないし、何もかもが非常にあいまいです。ハッキリしない訳の分からないモノにお金を払う訳がありません。

法律が……と言えば免罪符になると思っている所もいけ好かない。勝手に契約されるなど「ワンクリック詐欺」と同じではないか。違うかね?

 

 そういう僕は今でもシコシコとほとんど見ないNHKに受信料を払い続けています。滞納などしたことありません。強硬に反論する妻も説得して、それでも良い所があると。でも心の中では何か腑に落ちないと思いつつ、それでも払い続けているのです。

 ずっと前から問題になっているのにいつまで同じことを繰り返すのだろう?

カネを取るのか取らないのかはっきりして、取るならしっかりと国民が納得できる説明は必須です。情報があふれまくっている現代に、ココにお金を落としたいと思える何かが必要なんではないですか?法律が……ていつまで言っているつもりです?

強引に徴収するやり方もいろいろ聞きます。北風と太陽にたとえるなら間違いなく北風です。このゴタゴタもそろそろ着地点を見出さなければならないと思います。

 

「有料放送のように見たい人だけ見れるようにする」

 

それが一番手っ取り早い、納得してもらえる方法だと思うのですが早計ですかね。しかし災害発生時等は開放する。それこそ国民のためになるんではないかと思います。そんな時でも有料で~すとか言うなら完全に終わってますが。

 僕は払わないとは言ってません。現に今も払っています。NHKの作るドキュメンタリーなどは大好きですし、いい番組がたくさんあります。災害時などは一番頼りにしています。そういういい面がたくさんあるのに、今回の判決でイッキに冷め(覚め)ました。必死感がすごい。

あまりメリットが感じられない今、この払っているお金にいったいどんな価値があるのだろうと思います。ちりも積もれば山となる。利益7000億円?すごいですね~。徴収しすぎちゃいます?

 

 実際あまりテレビも見ませんし、僕はYouTubeの無料動画だけで充分ですわ。

 

ところで、ふいにどーしても聴きたくなる歌謡曲は何だったのか答えてませんでしたね。

検索してまでど~~しても聴きたくなる歌謡曲とはいったい⁈

 

 

 

 

ル・クプル

 

 

 

 

『ひだまりの詩』

 

 

 

最強。

 


ひだまりの詩/Le Couple (OFFICIAL MUSIC VIDEO)