なるがです。
この旅もついに5日目を迎え、最終日となります。この5日目朝の時点ではまだ熊本にもたどり着けていません。これから長崎へ向けて走るのですが、このままだと時間オーバーの可能性が。少し焦りが出てきました。
長崎観光もそこそこに、一刻も早く帰途に就かねば・・という思いしか無かったように思います。
こんな時はやはり計画の大事さを痛感させられます。行き当たりばったりの結果が招いたこの事態は自業自得とも言えます。気が付いた時にはもうアップアップになっていました。
それでも目的だけは何としても達成させようと思います。
8月29日 最終日
現在午前4:00を回ったところ。
野宿しているここ宮原SAでは、超浅い眠りを繰り返してなかなか寝付けないでいる。
深い眠りに入ろうとすると、車の音で意識が戻されるといった具合だ。
これはたまらん。
結局明るくなるとともに車の量も増えてきて、起きざるを得ない状況になった。5:30頃だったか。とてもじゃないが寝ていられる環境ではない。
トイレへ行き顔を洗い、歯を磨く。シャキッとするはずなのに全くしない。頭がぼーっとしてなかなか起きてくれないのだ。睡眠不足は大・大・大問題だ。
コーヒーを飲みながら今日一日の流れをイメージしてみる。
答え…時間なさすぎやろ!
今日は長崎の原爆資料館と平和公園に行き、せっかくなので長崎観光もと思っていたが、どうやらその時間は取れそうもない。
とにかく時短!という事で、長崎へのショートカットとしてフェリーを使用することにした。有明フェリー・長州港~多比良港というラインがあったのでそれに乗ることに決定。
宮原SAを出発、少し走って菊水ICで降りる。
8:30 多比良港行きの船がやってきた。
フェリー料金¥840なり。やっぱフェリーはいいね。
雲仙瑞穂町のローソンで朝飯。Hさんが好んで飲んでいた『まろ茶』を買った。
国道251号~57号長崎バイパスで市内へと向かう。
長崎原爆資料館
1945年8月9日午前11時2分、長崎の空に噴き上がる巨大なきのこ雲。
なにが起きたのか、その時人々はどうなってしまったのかをここでは知ることができます。
平和祈念像の前で。
高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を意味し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っているそうです。
一瞬のうちに大勢の命を奪ってしまった原子爆弾の脅威は計り知れない。戦争とはこういう事も正当化してしまう恐ろしさがある。
戦争によるむごたらしい場面も目をそらさず、僕たちは直視しなければいけないと思う。
帰途に就く
帰途に就く前のワンショット。13:15頃。今から、ここから大阪まで走るのだ!ひ~!
地図を見て現在地と大阪までの距離を見ると吐き気がする。
今日中には帰らなければ明日の仕事に間に合わない。
この時点で九州ツーリングは終わったも同然。
完璧に仕事モードに入ってしまっている。
景色を楽しむ余裕もなく、ひたすら大阪へ向けて走るのみ!
唯一、関門海峡大橋を通った時だけは楽しかった。
スピードを出すととんでもなく疲れるので100km/hが限界。休み休み行くので時間もかかる。他の人達なら苦にならない距離なんだろうけど、のんびり派にはまるで、ひたすら耐えるマラソンのようにも感じられた。
日付も変わり30日午前2:39。無事大阪に到着。しんどーい!!時間かかり過ぎだろ!一体何をしてたらこんな時間になるんだろうか。全く分からない。
しかもあと5時間ほどで仕事へ向かわねばならないという・・・オエッ!吐きそう。
最後はバタバタの状態で余韻に浸る間もなく、波乱万丈だった5日間の九州一周ツーリングは幕を閉じた。
あとがき
Hさんとの出会いが今回のツーリングの大きな収穫でした。旅は邂逅(思いがけなく会うこと・めぐりあい)と何かで読みましたが、まさにそんな旅だったように思います。
そして念願だった知覧特攻平和会館に行けたこと、長崎原爆資料館、平和公園に行けたこと。目的を達成できて本当に満足のいく旅だったと思います。
九州の自然とスケールの大きさも体感できましたし、まだまだ見たい、知りたい事はたくさんあります。
・・それをこじらせて翌2002年、同じ時期に再度九州一周を敢行します。期間は9日間!
(また書くんかい)
自分の為に書いてるからいいのだ~忘れたくないからこうして残るように書いておる訳です。これが消えたら元も子もないんだけど。
九州一周ツーリング記
おわり
九州一周ツーリング記 2 に続く笑