なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

恐怖の3月が始まった

なるがです。

 

3月と言えば、寒かった日々も終わりへと向かい、春の息吹も感じられる季節です。そして4月からは新社会人が街にあふれ、何とも新鮮な光景が広がります。この春の訪れの空気感が僕はとても好きです。穏やかで温かい日差しと、くたびれたおっさん達の隙間に光るスーツの似合わない新社会人たちや新一年生たち。この季節が来る度に少し先輩風をふかしながら温かく見守っている僕ではありますが、今は絶望感しかありません。あら、急にどん底感が・・・。

 

相変わらずの人材不足、募集はあれど採用までにこぎつけられないでいます。前も書きましたが、一極集中型のワンオペ状態は未だ改善されず、僕の負担は崩壊寸前です。この3月、僕の休みは2回(笑)そして勤務はほとんど朝から晩まで予定みっちり。自分でシフト作成しながら吐き気がします。会社的には儲かってウハウハなのですが、この状況は自分にとって最悪としか言いようがありません。もし自分の店だとしたら全く逆の感情なんでしょうけどね。完全に労働基準法に違反してます。

ですがこの状況で逃げ出すわけにはいかない。もちろんこのままで行くつもりも毛頭ありません。仕事は完遂しつつもどうやったら自分が休みを獲得できるか?を考えながら行動を練っています。しかし僕もお人好しが過ぎるのですかね。こうなる事は予測出来てたはずなのに、何も手を打って来なかった。人が入れば何とかなる、と淡い期待を抱いてただけで・・・。明日の休みが終われば、空前絶後の超絶ブラック怒涛の連勤スタート!です。さーて、おっさんの体力持つかな~恐怖の3月!そして4月の景色は拝めるのか?まぁ絶望感はあっても手を抜くところは抜きまくる予定ですので。

もちろんお客様に分かってしまうような手の抜き方はしません。

 

最後の晩餐?として大好きな「横綱ラーメン」を仕事帰りに食べてきました。ここのラーメンは最高にうまくて何度食べても飽きません。夜の遅い時間に食べるのは良くない、今日は並みをと思いつつ、大盛りを注文。まずスープを一口・・・うん、これこれ!この味。メターボが加速します。

ラーメンと言えば、20数年前に住んでた街にぼろいラーメン屋があったのですが、しわしわの年老いたばあちゃんが作ってました。もうずいぶん前に亡くなられてお店は無くなったのですが、シンプルな何度食べても飽きない本当に美味しいラーメンでした。看板も無く、知ってる人しか知らない超マニアックな店でもありました。あのダシはきっとばあちゃんが寸胴に浸かって取っていたんだと思います。最後の晩餐にはあのラーメンが食べたい。ダシが取れなくなった今はもう叶わぬ夢となってしまいましたが。

 

兎にも角にも、どうあがいてもやるしかないのです。グダグダ文句たれる暇があるならどうやって乗り切るかを考えた方が余程健康的にも精神的にもいいと言えます。どM発動です。だけど健康管理だけは注意しないと本当に危険。若い時と違うのだよ。

程よく手を抜きながら頑張ります(笑)

人手対策として明日猫を数匹拉致していくか。

 

 

日本が誇る武道 剣道KENDO

なるがです。

 

日本人なら知らない人はいないであろう「剣道」ですが、ほとんどメディアに取り上げられることがありません。日本人にとって馴染み深いはずなのに、表舞台に出てくることが少ないのです。オリンピック競技にもなっている「柔道」とは全く正反対だと言えます。しかし競技人口では剣道の方がダントツに多いのです。

2014年末のデータでは、日本の剣道人口は177万人。対して柔道は16万人と、10倍もの差があるのです。(2015/06/02 https://r.nikkei.com 「剣道からKENDOへ 世界大会で見せた日本の心」:日本経済新聞より)

これには僕も正直驚きでした。しかし世界の柔道人口を見ると数百万人と言われているので、極端に日本が少ないだけなのです。そしてサッカーは480万人、野球は690万人とメジャーなスポーツは大変人気があります。

 

僕は高校生の時剣道をやっていたのですが、この歳になってまたやりたいなと思うようになってきました。(たぶんしないと思いますが)そして、あの頃もっとマジメに真剣に剣道を取り組むんだったと後悔しています。当時は練習が嫌で嫌で仕方なく、何かと理由を付けてはよく部活をさぼっていました。じゃあ何故今頃後悔なぞするのか?!

当時は見えていなかった剣道のすばらしさや、カッコよさが今になって感じられるのです。では今からでも再び道場に踏み入れるか、と言えばしません(笑)だってしんどいですから!観戦だけで十分です。あわよくば息子に剣道をやらせようと企んでおります。

おもちゃの刀セットを買い与えて、一緒にチャンバラごっこを良くしているのでそろそろ剣道の話をぶっこもうかな・・・とぶっこんだところ、帰ってきた答えは「ベイブレーダーになる!」まぁ今はベイブレードに夢中だから仕方ない。だめだこりゃ。

 

剣道は「礼に始まり礼に終わる」を心得としています。スポーツというよりも精神を重視している「武道」といえます。ですのでほかのスポーツとは一線を画す部分が多々あります。

試合では「気・剣・体」が揃って初めて「一本」となりますし、その際に「残心」がなければいけない・・・お堅い競技なのであります。当然ガッツポーズなど論外です。ええっ?勝って喜んではいけないとはどゆこと?!と突っ込みたくなりますが、剣道においてのそれははっきり言って恥ずかしく見えます。

「一本」を取った本人はもちろん嬉しいのですが、「残心」をする事でびしっと気持ちが落ち着くのです。見ている観客もそれを感じ取っているはずです。それを「ヤッター!!ウィーー!!」みたいにやったとすれば、それは幻滅にほかならないのです。

勝戦などはシーンと静まり返り、選手の気合と、たまに入る応援の拍手と掛け声ぐらいしか聞こえてきません。他のスポーツでもこのようなシーンはあると思いますが、神聖な雰囲気はやはり他とは違います。

 

youtu.be

剣道はやっぱりカッコいいわ。

でも練習はえげつないほど辛い。たかだか4分ほどの試合時間の為にゲロ吐くほどの稽古をみんなしています。

20数年前僕らの時代は体罰当たり前の頃でした。今でもそうだと思いますが・・・。かかり稽古で体力が切れて足がもたつき、竹刀でぶっ飛ばされて壁に激突、倒れこんだところに渾身の突きをお見舞いされる。さらに追い込まれ面と突きの応酬。至る所でこのシゴキは行われていました。もう剣道じゃない、虐待です(笑)こいつは絶対ころすと思ったものです。

剣道の稽古は見かけによらず相当ハードです。当時は練習中に水を飲むことを禁止する指導者もおりました。ある時中学生と合同稽古していた時のことです。

5分休憩時に僕ら高校生は水を求めて水道へ一目散!それにつられるように中学生も水道へ駆け込んだその時、中学の顧問が走ってきて僕らの目の前でその中学生達をばちーんとビンタ!吹っ飛びました。「誰が飲んでいいと言った!」と大激怒。そのすぐ横でがぶがぶと一心不乱に水を飲みまくっていた僕らも、いたたまれなくなり蛇口に添えていた手を戻す・・・。あの時の中学生のうらめしそうな表情がいまだに脳裏に焼き付いています(笑)

練習はキツかったですが、終わったあとの充実感は半端なかったです。そしてやはり少しずつ鍛えられて行ったんだと思います。どんなスポーツでも自分の精神、体力の限界と思う部分には到達しておかなければならないと思います。そしてその経験は社会に出てからも役に立ちます。

剣道はそれに加え礼節を重んじるため人間的にも鍛えられます。クソ真面目な陰気な武道ではあるけど、やったものにしか分からない、心を捉えて離さない何かが剣道にはあります。剣道をやって心から良かったと思っています。日本が誇る素晴らしいマイナーな剣道をこれからも応援していきたいです。もうしませんが(笑)

 

 

癒されるクラシックギターのメロディ「カヴァティーナ」

なるがです。

 


Stanley Myers "Cavatina" performed by Per-Olov Kindgren

 

癒しの音楽は人それぞれだと思いますが、僕にとってこの「カヴァティーナ」がそれに当たります。何といってもシンプルで切なく哀愁を帯びた優しいメロディと、クラシックギターの音色がぴったりとはまったとても美しい曲です。

カヴァティーCavatina)は楽式の一つ。元来はイタリア語で、「楽器が奏でる音色」を意味するカヴァータ(cavata )の縮小形であり、複数形はカヴァティーネ( cavatine )。カヴァティーナとは、元々は第2部や反復部のない、素朴な性格の短い歌曲という意味であったが、現在ではアリアレチタティーヴォ等々と区別して、素朴な旋律をもつ歌謡的な声楽曲という意味に使われる。また、ロマンスと同じく、抒情的な旋律を表現の主体とする小品という意味で、さまざまな作曲家によって器楽曲のカヴァティーナが作曲されてきた。

カヴァティーナの代表は、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第13番の第5楽章である。また、スタンリー・マイヤーズ作曲による映画『ディア・ハンター』のテーマ曲も「カヴァティーナ」のタイトルを持つ楽曲として有名である。

引用:Wikipedia

 

いつ聴いても癒されます。

ロバート・デ・ニーロ主演の映画「ディア・ハンター」のテーマ曲であり、そこでこの曲の存在を知ったのですが、この曲に負けないとてもいい映画でした。ビデオのパッケージ表面にはライフルを持ったおっさん(デ・ニーロ)がただ写っているだけなので、熊でも撃つ映画かな?と思ったら大間違い。ベトナム戦争を題材にしたスケールの大きなヒューマンドラマでした。かなり古い作品ですがこれは何回でも見れます。

そこへこのテーマ曲の「カヴァティーナ」です。まるでドはまりな曲です。この曲をもっと味わうなら映画とセットで聴くことを是非おすすめします。ていうか映画を見ればセットになってます(笑)

 

この曲が好きすぎて自分でも弾きたくなり、クラシックギターを購入しました。ヤマハのG-350という古ーい中古ギターです。TAB譜を見ながらひたすら練習を重ねる日々が続きます。ムズイ!ですが諦めず練習です!

途中結婚式もありつつ、奥さんが読む親への手紙の場面ではこの「カヴァティーナ」を流させて貰いました(笑)完全に自己満足です。しかし我ながらしっぽりと良い選曲だったと自負しております。

その後もひたすらマスター目指して練習の日々。ん?いつまで練習してるのかって?

練習始めてはや10年、ちっとも上達しません・・・。きっとご近所さんもまた弾いてるわとしか思ってないでしょう。いつまでやってるねんと。

それでも途切れ途切れにはなりますが、これだけ練習していればなんとか形にはなってくれてます。

最後まで弾き切ったときの達成感たるや言葉では言い表せません。(てか遅すぎ)

今でも懲りずに暇を見つけてはちまちまと弾いております。いいですよーほんとに(笑)

 

仕事から疲れて帰ってきて、ふと聴きたくなったときに聴くととても癒されます。

音楽っていいですね。

 

 

警察官の拳銃発砲について思う事

なるがです。

 

18日、大阪市都島区にて、刃物を持って暴れている男に警察官が拳銃を発砲しました。弾丸は犯人の右足太ももを貫通。犯人は拳銃を構えた警察官に「撃つんなら撃て」などと言っていたそうです。

 

ニュースでやっているこの事件、場所は大阪の京橋というところなのですが、過去に住んでいた場所だっただけに見覚えのある景色がやけに身近に感じられました。20数年前になりますが、夜中などはあぶない方たちがいっぱい居てました。今はずいぶんと変わりましたが、とても楽しい街だったのを覚えています。

 

その京橋での発砲事件、人通りの多い中での発砲は本当に神経をすり減らした事だと思います。発砲自体がタブー視されてる様な世の中で、この警察官は冷静沈着に判断を下したと思います。まず、ナイフを突き出されて冷静でいられる事が一般人とは違います。そのために訓練はしているのでしょうが、それでも命の危険を目の前にして動揺しないわけがありません。同時に、しかも瞬時にたくさんの情報を取り込みながら最善の判断と行動。とても僕らがとやかく言える事ではない世界だと思いました。

そしてこの警察官が、しっかりと命中させている事が何よりも凄い。手が震えたりしていればまず当たらないでしょう。そこからも落ち着いている事が見て取れます。

 

もし僕がこのような暴漢を前にしたらたぶん絶対無理です。そんな訓練など受けてないし、びびって小便もらすかもしれません。剣道をやっていましたが屁のつっぱりにもならないでしょう。下手に相手を挑発せず、ひたすら殺されないのを祈るだけです。

 

ナイフを持った相手に対し、たとえこちらが拳銃を持っていたとしてもやられる事があると聞きます。死に物狂いで向かってくる相手ほど怖いものはありません。今回のそれは「撃ってみろや」とハッタリかまして向かって行ったところ、「ほんまに撃ったんかーい」てなところでしょうが、この警察官に全く落ち度は無いと言えます。

ナイフを携帯しているようなサイコ野郎がいつどこで重大な事件を起こすかもしれないのです。それを食い止めた功績は大きいです。2日前にもウチのごく近所で背中を刺されての通り魔事件があったところです。さらに少し前にも電車内のトラブルで人を刺して重傷を負わせた事件もありました。これも大阪です。ほんまにどうなってんねん?

 

そんなサイコ野郎を野放しにしないためにも、警察の方々には目を光らせていて欲しいと願います。平和ボケをこじらせた自己中サイコパスはまだうようよしていると思われます。僕は拳銃が犯罪抑止につながるならその強みを十分に生かすべきだと考えます。もちろん行き過ぎた行使は言語道断ですが、もう「飾り」にしておく時代は終わった。少々激しい表現ですが、今回の事件の「撃てるもんなら~」がそれを如実に表していると思われます。

いつどこで被害に会うか分かりません。明日は我が身。日本という治安の非常に良い国でも事件は毎日起こっています。自身で暴漢から身を守る術も意識しなくてはならない世の中です。

こんなの見つけました。

youtu.beこれすごいですよね。1対1なら無敵だわ。

しかし格闘家でもナイフ持った相手に素手で立ち向かう事はしないと聞いたことあります。危険すぎるんだそうです。

でもこれ見たら自分も出来そうに思えてくるから危ないですね(笑)錯覚ですから!

妄想が爆発します。危ない危ない。

 

拳銃発砲から気が付けばナイフ護身に話がすり替わってしまった・・・。

妄想イメトレは大事ですね。

 失礼致しました。

 

 

異状と異常の違い 同音異義語について

なるがです。

 

明日は休み!なので、夜更かししてブログを書いておりますです!・・・と報告したところで誰かが読んでくれてるわけでもなく、只々独り言を垂れ流すブログになってますwどなたかが仰ってましたが、これはひたすら電柱に話しかける不審者と大して変わらない行為?ですね。ひっそりとやっていきます。

 

タイトルの「異状と異常の違い」ですが、一体何がどう違うねん?という疑問から来ています。日本語あるあるです。

この、発音が同じで意味の異なる2つ以上の単語を同音異義語といいます。日本語は音の数が少ないので同音異義語が多くなってしまうのです。外国語の音の数は知りませんが。

では、「タイセイ」を例に単語を展開してみます。

  • 大勢・・・全体的な形成、世の中の成り行き
  • 体制・・・協力体制、組織、仕組み
  • 体勢・・・体全体の構え
  • 態勢・・・身構え、状態

などの他、

  • 耐性
  • 胎生
  • 大成
  • タイ製
  • 退勢
  • 大政

上げればキリがないほど出てきます。

また、「タイセイ」と音だけを聞いても全く理解不能です。同音異義語は文の前後、文章・話の内容を理解しながらその都度適正に使い分ける事が重要となります。ほとんどの人は無意識のうちに変換しています。

 

タイトルの「イジョウ」同音異義語に、以上・移譲・移乗などもあります。これも文章の前後や内容を見て変換します。

例えば僕の年齢、40歳『イジョウ』だと、「年齢」という単語があるので、誰でも『以上』とピンときます。しかし『40歳イジョウだけを見て、『異常』にすると、とたんに変態になってしまいます。

 

そろそろ異状と異常の話を・・・。

 

職場での点検項目のチェック欄に『異状なし』と書かれていたのを、パートスタッフが「いやこれ異常やで!?」とドヤったのがそもそもの始まりでして・・・。みんなを巻き込んであーでもないこーでもないと論戦が繰り広げられたのでした。

しかし!その論戦に集結はなく、チェック表に目を通してみるとなんと、『なし』のみの記入になってましたwやめたんかい!

結局誰も調べようとしないので、勉強も兼ねて僕が調べる事にしました。

 

異状と異常の違い

まずは単語を分解して、意味を見てみます。

異状・・・異なる状態。いつもと違った、何か変わった状態

異常・・・常と異なる。「正常でない・通常でない」事の総称

 

 

で?

いろいろ調べますがいまいちパッとしません。考えれば考える程ワケが分からなくなります。パートさん達が『なし』に行きついたのも頷けます。

もっと分かりやすく説明しているものはないか調べますと、僕的にはこれが一番分かりやすかったです。(手抜きかい)

http:///chigai-allguide.com/異常と異状/

 

なるほど。

うちの場合は数値のチェック項目もあるので、最終的にそれを拠り所として判断すれば良いワケですな。見た感じは「ん?何か変だぞ?(異状?)」と思っても、数値として正常であれば「異常なし」という事だ。逆に数値がおかしければ「異常あり」だ。

 

 

という事でこの問題は『異常』に軍配が上がりました。

ただ、「あなたは正しくて、あなたは間違ってます」という構図が職場で出来上がるのはよろしくない。ややこしくなるのは勘弁w

なので、朝礼時に「実はちょっと勉強したんだけど~」とさり気なく発表を行いました。ドヤ顔でしたが。これで一件落着!

 

しかし人間関係も日本語も本当にややこしいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生の節目か?転勤を断ったった~ 人生は選択の連続だ

なるがです。

 

ついに僕にも「転勤」なるフレーズが聞こえてきました。社会人になって数十年、初めての「転勤」。辞令が出た訳ではないのですが、少し前に上長から「もし転勤になったら行く?家族は連れてく?それとも単身赴任?」と聞かれていました。

 

転勤の目的

転勤を行うのはおおむね次の理由により、会社にとって業務上の必要性があるとされる。

  • 本人の能力開発や後進の育成など人事面での活性化のため
  • あるいは一つの業務に長期間携わることによって発生する慢心の防止、あるいは取引先との不正防止のため
  • 「人気のある都市部」や「不人気な僻地」に長期間勤務させず、定期的に交代させるため

また、問題を起こした人物に対する懲戒としたり、会社に不都合な人物を僻地(山村、離島など)に転勤させることもあり、この種の転勤は特に「左遷」と呼ぶ。(後述の人事権の濫用の節も参照) 他にも、活躍が認められ、異動となることがある。これを「栄転」とも呼ぶ。

(引用:wikipedia

まさか左遷じゃないよなw

 

そして後日、やはりその選択を迫られる日はやってきたのです。

僕は悩みました。これを断れば間違いなく出世コースからは外れる。給料も大して上がらなくなるだろう。いや、そんな心配よりも実はリストラ対象になっているのでは?

いろんな考えが浮かびます。

 

だけど、僕は家族と居たい。そのために土日休みのこの仕事に就いたのに、これでは本末転倒だ。そして家族を連れて行くつもりはない。

単身赴任もいざ割り切ってしまえば、新しい環境で気分転換にもなるだろうし、自分の成長や経験に大いにプラスとして働くと思う。独身なら迷わず行くんだが・・・。

 

考えた挙句、下した答えは「転勤を希望しません」でした。

あ~あ、言ってしまった。

迷った時は苦しい方を選んできた僕ですが、今回のそれは独身の頃とは状況が違います。なぜここに就職したのか?もう一度初心に帰り思う事は、「子供たちの成長をそばで見守っていきたい」でした。

あと10年もすれば娘は巣立っていき(たぶん)、息子も親から離れていきます。決して親バカではなく、ただただこの成長していく時期に一緒に居たいだけなのです。

一緒に遊んだり、宿題を一緒に考えたり、分からないことを教えてあげたり、特別何かをする訳ではありません。「パパの枕くさい」と二人の子供に言われても傷付かないし、おやじギャグで娘に「ウザい」と言われ続けても言い続ける。

子供とは実に正直でおもしろい生き物です。そしてこんな楽しい事はない。

 

転勤を選択すれば、きっと違った世界が広がり、いろんなことを経験できるんだと思います。でもやっぱり、一生後悔すると思ったので、僕は行かない選択をしました。

人生の節目には選択がつきものです。今回の事も重要な節目だったんだろうな~。

と考えたところで何も産まないのでスパっと切り替えます。

 

正に人間は選択の連続で生きているのだなと実感します。しかもものすごい速さで。1秒という短い間にも選択を行っています。今ここでコレを書くのを止めて寝る選択も出来る。否、出来ていたになるな・・・頭こんがらがるわ。

 

選択に正解はない。ただ、より良い選択をする事は可能だ。自分にとってそれが良いと思うならば、それは良い選択、であ~る。(←なんとなく書きたくなった)

 

大事な事は、選択した事に対して後悔しない事だと思います。いつまでもくよくよ悩んでいても何も変わりません。選択した瞬間から気持ちはそこへ向かわせてあげましょう。

どうしてもダメなときは、またいつか合流しに行く選択をすればいい。

 

転勤を断った事については後悔していません。

自分の本心に従ったまでです。

(と願いたい)

 

 

 

 

 

 

ただの日記

なるがです。

 

最近うなじから後頭部にかけて鈍痛がひどいです。今まで頭痛というものを経験したことない僕にとって、この頭痛は恐怖でしかありません。しかも後頭部ときたもんだ。何か危ない病気か何かか?加えて手の甲に蕁麻疹が出ました。おっさんの身体もついにガタが来始めたようです。

世間のアラフォーおっさんより見た目が若いと言われますが、中身はおっさんそのまんまです。健康診断でメタボ判定されましたw

そんなことより頭痛です。恐くなったのでちょっと調べてみたのですが、どうやら「緊張型頭痛」らしい?です。素人判断なので実はやばいやつかもしれませんが・・・。

とにかく、頭痛の約7割が「緊張型頭痛」という事らしいです。

  • あまり運動していない
  • こんつめ仕事が多い
  • 頭を締め付けられるような痛み
  • 後頭部から首筋にかけて痛む
  • 軽い運動、入浴などで楽になる
  • 指圧で楽になる

他にもありますが、該当してるのはこのくらいかと。あまりネガティブに捉えるのはやめとこうと思うので、「な~んだ、よくある頭痛なんだ。」程度の認識でいることにします。

そして手の甲の蕁麻疹。ストレスでした。まじか。

僕は肩こりもしたことないですし、ストレスも右から左へ受け流すのであまり気にしてこなかったのですが、身体は正直なんですね。

しかし僕は、ストレス?ハァ?といった感じで認めません。こんなもんに犯されてたまるかっつの。ニベアでも塗っとけば治るだろ。

 

でもやっぱり働き方が異常すぎるからどこか不安なのも否めない。朝から晩まで働いて、毎日1時か2時に寝て6時に起きて会社行く。のサイクルが多い。睡眠を削ってでも自分の時間を確保したいのでどうしても2時位になってしまいます。それでも日中は特に眠気もないし、だるさも特にありません。立仕事なので10時間立ちっぱとかザラにあります。動き回ってるので気になりませんが。どこにこんな体力があるのか自分でも不思議に思う時が多々あります。その辺の若い奴らより体力あるんちゃうか?

と、強がりを言ってみたりするわけですが、疲れすぎて電車寝過ごしてタクシーで帰って妻にどやされたり、ご飯食べながら寝落ちして箸を落とした音で目を覚ましたり、ハッと気づいたら座って朝を迎えてたり、してます。たまに。

 

これで体壊したら元も子もないんだけど、なかなか自制が効かなくてついやってしまうんですよね。14連勤したときは途中からランナーズハイ状態になって全く疲れなかったこともありました。ただ頭がおかしかっただけなんだと思いますが。

僕もすでに40代。というかまだ40代。最低80歳までは生きたいのであと半分もある。そう考えると人生とはまだまだ長いなぁと。かと言って途中で死ぬかもしれないし、その時が来たなら寿命なんだと思うしかない。人の生死は表裏一体。ならば生きている今を存分に楽しんだほうがいい。

だけど誤解を恐れずに言うなら、『自分の好きな事をして生きよう、嫌なことはやらないでいい、ありのままでいい』、といった最近の世間の流れがこんな感じですが、その言葉の意味をはき違えてるのではないかと思うのです。

義務を果たさず権利だけを主張するのと似ています。

 

時代はずいぶんと変わりました。

「可愛い子には旅をさせよ」、「若いうちの苦労は買ってでもせよ」

こういった諺も現代にはそぐわないのですかね。古臭い老害の戯言となるんでしょうな。しかし諺には心理が隠されていると僕は確信しています。自分がひとつ突き抜けたい、壁を越えたいと思っているなら経験してみるべきです。絶対に何かを見つけられるはずです。

でもこうして未だに底辺で這いつくばって働いているおっさんもいますので、あんまりアテには出来ませんな。

おっさんになった今も苦労買い続けています。