なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

消費税10%統一でいいから軽減税率制度なんか廃止して欲しい

なるがです。

 

 10月1日から消費税10%に加え、8%据え置きの軽減税率制度が導入されますね。この軽減税率がとにかく厄介な代物でして、飲食店で働く僕は…否、飲食に関わる全ての人達は頭を悩ませているに違いありません。すでに私たちもそうですが消費者側も混乱して訳が分からなくなっています。まとめサイトなどに分かりやすく説明してあるのでここでは軽減税率とは何ぞ?という説明はしません。僕自身理解してませんから。もうめんどくさ過ぎてテイクアウトやめる!と言いそうになりました。そっちの方が楽ですもん。この制度を知れば知るほど何がしたいのか良く分かりません。

 酒類と外食を除く飲食料品と、新聞が対象品目になっています。だけど新聞?なんで新聞だけ?意味分からんのですが。『定期購読が締結されており週2回以上発行される新聞』がそうらしいのですが、コンビニなどで買う新聞は10%です。そうなんだ……。

 このようにですね、用途によって税率が変化していますので購入の際には注意が必要になります。ですが僕の場合きっと実際の場面でそんな事いちいち考えてられないので提示された金額を払うだけになると思います。じゃまくさい。

 制度を導入するにあたり、考えた人達は一つ一つ丁寧に検証しながら、この場合は?あの場合は?じゃあこの場合は?などと消費者が混乱しないように、気の遠くなるような作業をしてきた事でしょう。

たとえば水。ミネラルウォーターは8%でも水道水は10%です。これは飲料として考えた場合に8%が適用となるからです。でも水道水だって飲みますやんか? でも水道水はお風呂やトイレ、洗い物、洗濯などに使いますよね?なので飲料ではないですよね?

飲料として「飲む」ことより、生活するために「使用」する事の方が圧倒的に多いのです。なので10%なのです。なるほど!そう言う事なんですね。すごく分かりやすくてこういう事なら理解できますね。暇か

 他の例としまして、おもちゃ付きのお菓子はお菓子の部分の価格が3分の2以上を占めていれば食料品とみなされるので8%、しかしおもちゃの部分が……どうでもいい。

混乱しないために定義を作ったりルールなどを考えているのでしょうが、よけい混乱するしどうでもいい事が多すぎる。制度を導入した人たちはそればっか考えてたんですかね?そんな事はないと思いますが提供する側、すなわち事業者側の混乱はその比ではないです。店内表示やレジの変更、税率の区分け作業、従業員への教育、お客様への案内、考えればまだまだあれもこれも出てきます。余計な仕事増やすな。ウチの様な小さい店ならいざ知らず、大きい店や企業ではデスクの書類の山をザザーッ!と全部ぶちまけたくなるんじゃないですかね。

働き方改革と言ってるのに仕事増やしてどうすんねん。しかも超ややこしい仕事を。

 こんな事なら10%統一の方がシンプルでここまで考えなくても済んだのでは?と今さらですが思います(笑) 絶対そっちの方が消費者も混乱しないし、もっとスムーズに導入できたと思うのですが。システムの変更これらにかかるコストの方が大きいとなればもはや何をしているのかあきれて物が言えません。しかし確実に新しく仕事は増える訳ですから、軽減税率でも仕事の負担と考えれば明らかに軽減にはなっていません。

 と思いきや海外ではこの軽減税率制度を採用している国々があります。アメリカ、カナダはじめ欧州の各国、フランス、ドイツ、イギリスなど先進国と言われる国々などではこれが採用されているのです。まさか日本も、先進国がやっているのならこれにならって採り入れようではないか!となったんですかね? でも結構複雑すぎて今でも問題が絶えない、失敗策という話も聞きます。日本も同じ道を辿らなければいいのですが。失敗策と分かっていてあえてこれをやる必要があったのでしょうか。

 緩和策で軽減税率制度を採用しても末端の消費者すべてに何か明確に恩恵が分からないのならやる意味がないと思います。使うお金がなければそんな制度はへのツッパリにもならんのです。本当にそうです。消費に使うお金がないんですから。

消費税廃止、または減税してくれた方がよほど有難い。表面上では飲食料品はみなさん生活が大変でしょうから増税しませんよ、にっこり。としておきながらフタを開けてみれば混乱必至な条件付きの訳わからんものばっかり。本みりんとみりん風調味料は税率が違うとかしょーもない事に時間とカネと頭使うぐらいなら、もっと他に考える事たくさんあるでしょうが。と、一般国民は思っているんじゃないですかね。僕には偉いさんの考える事がよう分かりません。とにかくただでさえ忙しいのに仕事増やすなと言いたい。

とりあえず引っ越ししたい

なるがです。

 

   僕は毎日片道2時間弱かけて通勤しています。というのも最近職場が異動になり受け入れざるを得なかった訳なのですが、何とかようやく一月半が経ちました。仕事も大体の流れは掴みましたが、やはりこの通勤時間はヘビーです。朝は始発なので4時起きです。職場に着くのが7時前。そこからは14時の休憩までノンストップです。30分休憩の後は仕事再開です。朝7時 勤務開始なので、定時は16時なのですが、毎日17時完了の仕事があるのでその時点で残業確定です。その後事務作業やクライアントとの打ち合わせなどをこなしているとすでに気付けば19時を回る事もザラです。

 

 この時間感覚もおかしくなっており、「まだ19時か」という感覚になってしまうのです。この時点で12時間労働です。翌日が忙しい日だと、始発でも間に合わないので職場周辺で泊まります。これもすでに4回目です。

仮に20時に職場を出ても自宅に着くのは22時半です。翌日4時起床なので睡眠を確保する為に23時半までには寝ます。これで4時間半は寝れます。しかしです、始発のプレッシャーから夜中3回は目が覚めるのです。ハッ!と目が覚めた時は安堵感と緊張で心臓がバクバク言ってます。

そんな質の悪い睡眠を取り、4時には起きて家を出ます。もちろん黙って出て行きます。まだ暗い駅までの道中を自転車で走っていると、本当にため息しか出てきません。

 

家族と顔も合わせず、話もせず、ただ帰って寝て、起きて仕事に行く毎日。一体何の為に生きてるんだろうか。

 

 これではさすがに身体が持たないので……いや、しんどいのは慣れているんですが、精神衛生上良くないと身体が訴え始めているのです。それで近くに引っ越したいと上司に申し出たのですが敢え無く却下されました。そんな人いくらでもいるよ?と。分かってる。そんな事は言われずとも分かっている。

話にならないので勝手に引っ越そうかと考えましたが、さすがに自腹は切れん。何とかして会社から出させる方法が無いものかと考える毎日です(笑) 

上司の言う通り、通勤4時間超は結構いるみたいですが、やはりまともじゃない。こんなの続けてればメンタルやられますよ。

 今の仕事では残業を回避する事は出来ません。それなのに45時間という罰則付き制限を設けられてはたまったもんじゃありません。無理なもんは無理。それを上は知ってて45時間という数字だけをやたらと振りかざす。

45時間以内に残業を収める。それが出来ないのは、『私は仕事が出来ません、私は無能です、と言っている様なものだよ?』といやらしい言い方で勝ち誇った様に言ってきます。まったく、これを言われるとぐぬぬ…と言わざるを得ない。クソみたいな制度だ。

 

 あとは期間内に有給を取れなければ評価を下げると。そんなバカな話がありますか?そこは評価ポイントではないだろ、どう考えても。罰則が怖いから上辺だけ整えておけばいいという風になってしまっている。何が働き方改革だ。引っ越しさせてもらえるだけで充分働き方改革になるのに、こういう意見は全く考慮することなく、ともあれ人のことはどうでもいいのが理解出来た。

 では引っ越しがダメならどうしたらこれらを回避できるのか。人を入れるしかない。これは前々から言っているのですが、どうしても上の連中は数字でしかモノを見てくれない。これだけの数字だからこれで充分、ハイおしまい。その中身はどうでもいい。いや、知りたくもないのでしょう。数字さえ挙げてくれればそれでいい。そんな感じがします。

人を入れずにどうすれば残業を減らして数字を出して、有休を消化できるというのか。ワンオペ業務では限界がある。にもかかわらず上層部はきれいごとしか言わない。

 

 武器も食糧もなく補給も無く、すべて現地調達、何とかせよ。とはあんまりだ。それに加え長距離2時間行軍の往復で毎日へとへとなのに、他の部隊も頑張っている!そんな事では勝てんぞ。て、インパール作戦か。

前の職場もそうでしたが、ここもかよ!(笑)

 

 実を言えばここだけではなく、どこも一緒なんです。みんな必死になってやってます。この体制は上層部が変わらない限り無くならんのでしょうな。最近一人つぶれまして、精神を病んでしまった人もいました。

働き方改革とは一体何ぞや? 一部の人達だけが乗っかれる政策なんでしょうか。相変わらず司令官は「早く帰れ!帰れ!」「有休取れ!取れ!」と連呼するだけで具体的にどこに部隊を配置して、どこに攻撃をかけるのか、この場合補給はどうするのか。何も言わない。

 参謀達は定時上がり、すでに5日有休取得済です。あと言う事といえば、何月何日までに何処そこへ到達せよ、出来なかった時は分かっているな?と。

思えば駒の様に使われるのは昔も今も変わっていない。兵隊は疲弊しきっていても結果だけを求められた。その結果どうなったかは言わずもがな。現代社会でも同じです。上層部の命令だけを聞き、上層部にいい思いをさせてあげているのが我々労働者、兵隊なのです。頭のいい出来る若者も愛想を尽かし死んでいった。残ったのは老兵と無能な参謀達です。戦争末期みたいなもんです。

だけど、生き残った者たちで日本は高度成長期を迎え、世界第二位の経済大国にまでなりました。不満はたくさんあるのですが、やるしかないんですよね。焼け野原から立ち上がった先輩たちの事を思うと、こんな不満なぞカスみたいなもんです。なんだかんだ言ってもここで弱音を吐いて負ける訳にはいかんのです。このクソみたいな体制は駆逐しなければ治らないのです。

 

と、一応前向きに終わってみる。

 

 

 

 

101回目のプロ……高校野球

なるがです。

 

  連日猛暑の中、甲子園では夏の高校野球が盛り上がってます。僕は甲子園、夏の高校野球が大好きです。野球自体はそれほどなんですが、プロ野球とは違う一回きりのゲーム、これが夏の高校野球の魅力なんだと思います。

  野球だけではない、その他のスポーツもたくさんありますよね。サッカーにバスケ、卓球、ラグビー、柔道、水泳、その他たくさん。

  ですがこの『夏の高校野球』だけは何故か特別感があるのですよ。まずメディアの取り上げ方が一線を画しています。テレビでは甲子園の試合中継に始まり、特集を組んでの番組まで作られます。

  それだけ大変人気のあるこの高校野球ですが、その裏では様々な問題も抱えています。

  開催が真夏という事もあり、炎天下での長時間プレイ、投手の投球過多、トーナメントを勝ち上がるチームの疲労の蓄積など…過去には延長戦突入で4時間超の試合もあった程です。そこまでして選手を酷使し、短い日程で試合を消化しなければならない問題もありました。

そこで取り入れられたのが2018年春のセンバツからのタイブレーク制の導入です。延長13回からはノーアウト1塁、2塁からの試合スタート、決着が付くまで繰り返されます。これまでは延長15回引き分けで再試合でしたが、このタイブレーク採用でより早く試合が決着、選手の負担も減るという事で導入されました。

選手にとってはこれが本当に良い対策だったかは分かりません。仮に僕が選手なら、そんなハンデ付きなんかいらんわ!となります。負けてもいいから実力でやりたい!と。

今夏、星稜と智弁和歌山の試合でありましたね。勝った方はそりゃ嬉しいでしょう。ルールとはいえ、負けた智弁和歌山の選手達の本音はどうなんだろう…と思ってしまいます。意外と「早く終わりてぇ〜」と思ってるかもしれません。延長の末選手がぶっ倒れでもすれば大問題ですしね。言い方は不謹慎ですが高校野球大改革のキッカケにもなるでしょう。

  その他にも問題はたくさんあります。丸坊主に始まるブラック管理社会そのもの、であったり、練習のし過ぎによる選手の故障、監督の行き過ぎた指導、メンバーが全員地元以外で構成、甲子園の過ぎた神格化…これまで何となく流されて来た様な事が、いやいやコレっておかしいだろう、という事で現在でもじゃんじゃん声が上がっています。

  僕は前述の通り高校野球が大好きです。球児たちの感情むき出しの熱いプレイ、笑顔、泣顔、そのどれもが輝いている!感動をありがとう! …と、モロに甲子園病に掛かっている僕ですが、ダメっすかね…。僕はまさに時代遅れのおっさんなので、スクールウォーズばりのスポ根モノが大好物なのであります!

なんて言ってると時代錯誤のおっさんどっか行けやという事になってしまうので、大きな声では言えません(笑)夏だけかかる甲子園病を理解してもらうのはとても難しいですね。もちろん選手達が一番大事です。でも、死ぬ気で(NGワード)、歯を食いしばって(NGワード)頑張れー!と応援してしまいます。

  一塁ヘッドスライディングOK!素晴らしい!フェンス体当たりキャッチ!良くやった! とは声に出して言えません。実際ヘッスラは効率の悪い、意味のないプレイなのです。一塁を走り抜けて良いものをわざわざスピードダウンさせてまでやる行為、それはフェンス直撃と同じく危険なプレイでもあり、とても褒められたものではないのです。あのイチローもカッコ悪いと言ってます(プロに対して)

  しかしです(きたよ)、プロの試合はともかく、高校野球においてそのプレイは、決して諦めない、気持ちの入った素晴らしいプレイだと思うのです。それが褒められたものではなくてもです。甲子園に来た球児たちは皆その様な気持ちでやっている、すなわち自然に出てくるものだと思っています。

じゃあ選手がそれで怪我をしてもいいのか?野球が出来なくなるかもしれないんだぞ!そんな事も考えないのか?!お前はその責任が取れるのか?!え!おい!?聞いてるのか!?と言われると、それは…その…つまり…あのですね…出来ません、ハイ…、しょぼ〜ん…となるんですがね。間違いなく正論で論破されます。

しかし球児たちは間違いなく、この甲子園での試合に強い気持ちが入っています。それが見ている僕にも伝わるので、つい熱くなってしまうんです。

  夏の高校野球って結局何なんですかね。毎年やって来る夏の風物詩の様に思っていましたが、それはメディアの操りによって洗脳されていただけだったかもしれない。甲子園が球児たちの聖地というのも実はまやかしで、これも大人たちによって巧妙に植え付けられた洗脳なのかもしれない。これは観客である僕らも含んでいます。しかも、高校野球はまるで軍隊ではないですか。監督には絶対服従、選手は一兵隊扱い、上下関係、厳しい規律、まるで戦時中かと。

  でも、何とも淋しいではないですか。あれはダメ、これはダメ、時代にそぐわない…いろいろ言われていますが僕はこれこそが高校野球だと思っているので…いえ、何というかそういう意味ではなくですね、これが無ければ感動も生まれないと思うのです。いやいやお前の感動のために球児たちはやってんじゃねぇよ…ですよね。

  僕は過去記事で高校野球について少し述べているのですが、球児たちと少年兵が被って見えると書きました。軍隊の様だと書いたのもそれがあるからです。実際に高校野球は軍隊からの悪しき習慣が受け継がれているとも言われています。だけど軍隊ではない。

甲子園という儚い夏と、戦争で散った儚くも若い命。

奇しくも終戦日の15日を跨いでの夏の高校野球。まだ幼い笑顔の彼らは今も昔も変わらない。彼ら球児を通して、忘れないで欲しいと訴える何かが、夏の甲子園にはあるのです。

 

と書きましたが、やっぱり今の時代にその様な感傷は必要ないのでしょう。精神論が淘汰されつつある(された?)現在のドライにも思える世の中が僕には何故か味気なく思えてしまいます。夏の高校野球が神事化されていると言われて久しくありませんが、本当にその通りですね。どうして夏の高校野球だけがこんなに注目されるのだ!特番まで組んで!日本全国を上げて盛り上げるのは贔屓だ!剣道ももっと放送しろ!(剣道部でしたので)剣道ほど扱いの悪いスポーツはないぞ!剣道はッ…!

脱線したので戻ります。

  夏の甲子園はいろいろと問題も抱えていますが、純粋に選手も観客もみんな一体になれる、オリンピックの様なものだと思います。あーだこーだ言いながら、思いながら見るのは疲れます。もっとシンプルに感じるまま楽しめばいいと思うのですが、ダメですかね。

  もっと問題意識を持たないと。おかしいと思うところから改革は始まるのです。そもそも高校野球はオリンピックではない。ただの部活動なのですよ。目を覚まさないと。

そうですよね。いっそのこと甲子園球場を吹き飛ばしてくれたら、こんなに考えなくていいのに。

 

 

8月15日終戦記念日に考える『死の現場』について

なるがです。

 

  今から74年前、昭和20年8月15日太平洋戦争が終結、日本の敗戦。これにより第二次世界大戦における全ての戦闘自体が終わった。この第二次世界大戦ではアジアが舞台の太平洋戦線、ヨーロッパ戦線も含めると未曾有の大戦争であり、とてつもない多くの人間が死んだ。この8月15日という日は日本が敗戦した日でもあり、世界戦争の完全な終戦日とも言える。

しかし15日以降にも戦闘の記録はある。沖縄や最期の特攻、少し特殊だが前回でも触れた南方での作戦を展開していた小野田少尉などである。彼らはただ命令に忠実なだけで、落とさなくても良い命を落としたのだ。

 

  今日の平和な時代、否、紛争は今でも世界各地で起きているが、戦後74年、日本は間違いなく平和な時代を送っていると言えよう。終戦直後の焦土と化したあの日本を見れば、現在の復興はまさに奇跡だ。しかし主要都市を全て焼き払われたあの惨状を、何十万という人が死んだ事実を、僕たちは本当に理解しているのであろうか。軍民合わせて310万人もの人がこの戦争で死んだのだが、9割が戦争末期に集中して亡くなっているのだ。死ななくても良い命がそれまでにたくさんあったのだ。

『あの戦争はいったい何だったのか?』この問いは未だに問われ続け終わりを迎えていない。

  そもそも何だったのかと問う事は意味のある事なのかと思ってしまう。この戦争は複雑過ぎて答えなぞ出てこない。この問い自体があまりにも綺麗事に聞こえるのだ。そもそも戦争を実際に体験していない自分たちは、戦争とはどんなものか、どれだけ悲惨なものなのかを絶対に知る事は出来ない。絶対にだ。これが決定的な違いだろう。戦争を直接味わった彼らはどれだけ痛みに苦しみながら、恐怖の中で無念に死んでいったのか。それこそ『この戦争はいったい何だったのか』と考えたに違いない。

 

  では、この戦争はいったい何だったのか?

8月15日前後には関連する番組や催しなどが増える。これはとても良い事だと思う。過去の出来事を知り、自分の目で見て平和の大切さを改めて知る。自分から興味を持つ、知る、考えるという事は大変有意義なことであり、戦争を知る上で欠かせない作業である。僕は歴史評論家でもないし、大学教授や研究員でもない。ただ興味があるというだけの人間である。

  その時何があったのか。今の時代、調べればそれを知る事は容易い。求めずとも情報は色んなところから入ってくる。しかしそれ以上の事を僕は知って貰いたいのだ。それ以上の事、つまり、テレビなどでは知る事が出来ない本当の話、実際に体験してきた人達の証言を、もっと聴いて貰いたい、知って貰いたい。

  大まかな局面のみを知るだけでは、この戦争の本質は理解出来ないし、知っているとは到底言えない。僕自身今でも貪欲に色んな事を調べている。

 

  話は逸れるが、祖父についてまた新たな情報を得た。

千葉連隊時代から牡丹江とずっと一緒だった戦友が居たとの事。

  昭和20年3月パラワン島へ米軍の上陸開始が始まった時(記録ではパラワン島上陸は2月28日)撤退するにあたり、「もし生き延びられたらここで落ち合おう」と言い合い砲爆の中を散り散りに逃げたという。

しかし祖父はその合流地点には結局現れなかった。

戦後、戦友は生きて帰還。その戦友から、もしかしたら内地の人になってるかもしれないと手紙が祖母の元に届いた。そして祖母がその戦友に会いに行き直接話を聞いてきたという事だ。すごく残念がっていたそうだ。

しかしその後すぐその戦友は亡くなり、連絡も取らなくなり名前すら分からなくなったとの事。戦後にあった大火により、祖父の写真や手紙やらいろんなものが焼失してしまったのだ。何という不幸に見舞われたのだろうか。これがなければ祖父に関する情報はもっとあったと思うと残念で仕方がない。

  しかしその状況を想像してみる事が出来た。まるでドラマのワンシーンのようだ。きっと必死にジャングルの中を走っていたに違いない。生きて日本に帰りたい、生きて戦友と会いたい、ただそれだけを考えていたと思う。

という事は死ぬまでは元気で行動する事が出来ていたという事も考えられる。

  僕の調べた内容(行軍中にマラリア脚気により病死)とは全く違う情報だが、今回聞いたこれもまたかなり真実味を帯びている内容だ。何と言っても祖父本人と直接接点のある人物からの情報である。

 

  だいぶ話が逸れてしまったが、どこまで話したっけ……。

 

つまり、戦争の本当の話を聴いて欲しいということだ。

  戦争とは一言で言うと『死の現場』である。一言にまとめるにはだいぶ横暴だと思うが、多種多様な『死の現場』を知る事は戦争を理解する重要な事項であるのは間違いない。

  戦争の時代を、過去を振り返るのと同時に『死の現場』も知らなければ、平和の願いも誓いも薄っぺらいものになってはいないだろうか。

 人がどうやって死んでいったか。

銃で撃たれて死んだ者、爆撃で内臓や脳味噌をぶちまけて死んだ者、火炎放射器で焼き殺された者、ジャングルでただ何も出来ず餓死していった者、発狂して死んだ者、空襲による火災に巻き込まれ苦しみながら死んだ者、原爆という殺戮兵器により一瞬で蒸発、ドロドロに流れる皮膚、地獄のような光景…。

少し視点は違えども、自決、自殺、特攻、玉砕これらもまた死の現場である。自らが進んで死に行く心境、彼らは死ぬ瞬間に何を思ったのであろうか。平和な、戦争のない時代になって欲しいと願ったのであろうか。バンザイと叫びながら突撃していった彼らは、死ぬと覚悟して走り出した瞬間は、どんな気持ちだったのだろうか。生き残りの証言者に当時の現場を聞くと、殆どの方が涙を流される。本当にひどい、辛い記憶がよみがえるのだろう。それらは絶対に僕らには分からない事なのである。

すなわち、ここに全ての答えが詰まっているのである。戦争は絶対にしてはいけないと皆さん仰られる。人が死ぬ事、そして理不尽に死んで行ったこと。人間が人間でなくなる、数え切れない死の現場を見てきた彼らがただ一つ思うこと、それは『もう人が死ぬのを見たくない』事なのではないか。彼らの証言を見たり聞いたりしているとそう思うのである。すごくシンプルである。

だから僕は『死の現場』についてもっと考え、知る必要があるし、そこから学べることも沢山あるのだ。人によって戦争への理解の仕方、平和を願う気持ちは違う。それはそれで良いのだ。

  ただ僕は、死んでいった全ての人たちの本当の声を聞いてみたい。彼らが何を思って、伝えたかったのか、『死の現場』から分かるような気がするのだ。

  これは日本だけではない。ヨーロッパでも沢山の『死の現場』があった。ガス室の代名詞とも言えるアウシュビッツスターリングラード攻防戦など。この第二次世界大戦では5000万から8000万の人が死んだという。その中でもソビエトがダントツで多く、2600万人というとんでもない数である。多過ぎてピンとこない数値だ。

  戦争があったのは日本だけではない。8月15日は世界の全ての戦闘が終わった日でもあるのだ。しかし戦争の舞台となり、被害を受けた国や民間人たちの犠牲も忘れてはならない。

  平和を知るために戦争を知る。戦争の死の現場に目を向けて、初めて戦争を知り、平和を知るのである。

 

 

  

  

 

  

  

ハイウェイスター 高速道路の星

なるがです。

 

  毎日毎日やばい暑さですね。外に出て1時間以上はいられません。外で働く現場の人たちには本当に頭が下がります。この暑さで作業とか無理です。管理職の人はしっかりと熱中症対策をお願い致します。

 

  さて、今日からお盆休みに入り、明日から車で帰省する予定だったのですが、思わぬトラブルが発覚したところなのであります。

なんとラジエーターのパイプ割れから冷却水漏れでこのまま高速、長距離を走れば間違いなくオーバーヒートする! との事。ここから高速道路で5時間の距離なんですが、車屋さんはやめた方がいいとバッサリ。

  ウチの車は2007年セレナ君 ハイウェイスターです。このC25系はラジエーターが弱点で故障が頻発、リコール対象のクルマだったとです!

しかし時すでに遅し、9年の保証期間があったのですがとうの昔に終わってしまってます。修理代の見積もり8万3千円でした…。

 

  でも走り出す寸前で気づいたのはまさに奇跡かもしれません。オーバーヒートしてエンジンブローともなれば修理代はウン十万だろうし、高速走行中にモクモク〜!なんて事もある訳で事故を起こす可能性だって大いにあるのです。そんなことになったらお盆の帰省渋滞のスター間違い無しなのであります。

 

  高速道路の星。モクモクと煙を吐いて走る様はまさしくハイウェイスター、高速道路の流れ星になる所でした。夜中に出発する予定だったので、まぁ火は吹かないと思いますが、吹いていたら赤い火が灯り、これまた高速道路の星になってたかもしれません。さしずめ、あの星はアンタレスか? と言ったところでしょうか。

 

  高速での故障車有りの表示の殆どはこのオーバーヒートらしいです。クルマ屋さんが言うにはですよ。

道路の真ん中で立ち往生なんかしたら、ただでさえこの時期ドライバーは渋滞でイライラしてるのに、怖くてもう目が合わせられません。考えただけでもゾッとする。スンマヘン!スンマヘン!スンマヘン!と永遠に通り過ぎる車に頭を下げている事でしょう。

 

  車のメンテナンス、走行前点検は運転者の義務です。難しい事は分からなくても、知っておかなければならない部分はあります。オイル交換の時期やタイヤの空気圧など。こんなのはシロートでも出来ますし、気にかけておかなければならない部分です。確実に行いましょう。いやまじで。

 

  僕も結構放ったらかしなんですが、このタイミングで欠陥が判明したのは奇跡的です。きっと誰かが守ってくれたのかもしれません。お盆も近い事だし帰って来てるのでしょうか。

 

  ともかくこれでクルマは使えなくなったので、電車で帰省する事に。この時期にも関わらず運良く特急列車の指定席をゲット!です。嫁さんがクルマ無理!と分かった瞬間にスマホで鬼の様な検索を開始していました。子供らは普段電車に乗らないので嬉しすぎて発狂気味です。これはこれで良かったのかもしれません。

 

  僕に限らず、同じ様な例は枚挙に暇がありません。もうオシャカになってから運び込まれてくるそうです。トラブルになる前にクルマの点検をしっかりとして、安全に確実に目的地まで辿り着けるようにしたいものです。

  お盆渋滞で故障、立ち往生は最悪です。道路の電光掲示板にテカテカと存在を表示され、SAやPAで拡散されまくって、ライブ会場では通り過ぎる車から散々応援を受けて、注目されまくりとなるでしょう。

それでも万が一運悪くそうなってしまったら、道の真ん中でディープパープルのあの曲を流しておけば大丈夫です。その際アイムアハイウェイスター!を連呼していてください。

 

選挙に見る日本人の生き方と二人の帰還兵

なるがです。 

 

  先日行われた(もう先日でもないか)参議院選挙の投票率は48.8%、過去2番目の低さでした。雨や台風などでの災害も重なり投票出来なかった事も関係していますが、半分以上が棄権しているという事実は結構やばくないですかね。今回も投票に行きましたが、結局身内、関係者だけの選挙という事ですか。

  行かなかった人たちは何も期待してないか、考えるのが面倒なんですかね。盛り上がっているのは身内と関係者だけ。僕の一票はカスみたいなものだったという事です。何となくそんな風に感じます。

  でも棄権した人たち全員が投票に行っていたらもっと面白くなってたと思うのです。

 

  2016年から18歳選挙権が導入されましたが、今回10代は約3割しか投票に行っていません。まぁ、殆どの10代は政治なぞ関心はないでしょう!  今が一番楽しい、遊びたい、ヤリたい盛り(野球とか)の年代です。

遊ぶ事に忙しいので頭の中は政治のセの字もないはずです。僕も若い頃は平和ボケの塊の様でしたから、なーんも考えず毎日遊び呆けていました。

どこか別の世界の事の様に感じてたくらいですから呑気にも程がある(笑)

 

  しかしテレビでは政治家の不正や不倫、パワハラ、不用意な発言と居眠りしかやっていません。そんな政治家は辞めてまえ!となるのですが、結局僕らが考えることはそこまでで、あの人最低いらんわーで終わりです。

お父さんもお母さんもみんな忙しい。毎日を生きるのに精一杯です。だから議員がいて代わりに私達の声を聞いてくれるのですよね。

その議員が、例えばおっぱい揉みたいとか、お前死ねよとか、1500円ですとか、2千万作れなかったらやばいとか言ってるならもう何も期待しません。ちーがーうーだーろーー!毎日を必死で生きている人たちにとってのそれは侮辱です。本当に国民の事を思って真剣にやってくれてるの?

 

  テレビの報道はいつもそんなものばかり、毎日の様にそんなもの見せられて、選挙に行ってもどうせロクなもんにならないと思ってしまうのも無理はありません。正直なところ、用紙を投票箱に入れる瞬間は驚くほど無心です。僕はいったい何をしているんだろう?投票所を出てからは自分の冷たさに気が付いて次の感情を求める。。。

 

  だけど、なんやかんやと言ってる割りには普通に生活しているし、消費税が上がっても、物価が値上がりしても、国民は最初だけ文句を言いますが、その後は飼い慣らされたように大人しくなってます。僕がそうなんですが。

 とんでもない不正が発覚しても、巨額の税金無駄遣いによる国民の怒りも、喉元過ぎれば熱さを忘れる様に、気づけばいつもの生活に戻ってしまう。国民の半分は考える事を止めてしまっているのです。対岸の火事、どこか遠い国の出来事の様に。

そんな気がしてなりません。

まぁ、僕がそうなんですが。

 

 

話は変わりますが、

1974年(昭和49年)フィリピン・ルバング島より一人の日本兵が帰還しました。実に終戦から29年後の事です。

 

『恥ずかしながら帰って参りました…』の横井庄一伍長ではありません。彼は一足先の1972年にグァム島で発見され帰国しました。

立て続けに起きたこの帰還劇は、平和に慣れてきていた当時の日本人たちに戦争ということの記憶を蘇らせ、気を引き締める考えさせられる出来事でもありました。

 

小野田寛郎 少尉(当時52歳)

  横井さんと違うのは、彼は司令部命令によってひたすら任務の遂行、ゲリラとして抗戦を続けていたという事です。その後(いろいろ中略:これが中々面白い)日本の敗戦を知りつつも、任務解除の命令が無ければ帰らないという事で、当時の上官である谷口義美少佐からの任務解除通達によってようやく降伏、終戦、帰国となったのです。

何という軍人精神。

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  彼のことは大人になり随分経ってから知ったのですが、報道陣の前に表れた映像を見た時かなりの衝撃を受けました。これは現在でもYouTubeで見る事が出来ます。

ビシッと伸びた背すじ、キレッキレの敬礼と隙のない鋭い眼光。周りのわいわい空気感とは明らかに違うものを出しており、これが本物の軍人なのか!と思いました。

さぞかし疲労困憊かと思えばそんなものは微塵も無く、痩せてはいますがその凛とした佇まいからは現役の将校そのものと言える風格と威厳が感じられました。

 

しかし小野田さんは帰国して半年でブラジルへ移住します。浦島太郎よろしく、何もかも変わってしまった現代の日本の中では生き辛かったのです。

 逆に横井さんは生活に馴染み、帰国の2年後には参議院選に出馬する程活動的でした。

他にはジャングルでの経験を元に執筆、サバイバルのノウハウを教える等、精力的に取り組んでおられました。

  一方、小野田さんはブラジルに渡り牧場を立ち上げ、10年で軌道に乗り成功します。日本を離れてからは顔が本当に楽しそうで、表情が実にいきいきとしているのです。

 

 彼はそれ以前の自分の顔を、「あれは人間の顔じゃない、ケダモノだ」と言い放っています。30年もの間、ルバング島民たちにプレッシャーをかけ続け人命をも奪っていた事実は、その後を生きてきた彼の中で自戒をこめて言った言葉なんだろうと思います。

 

『私は戦場での30年、生きる意味を真剣に考えた。  戦前、人々は命を惜しむなと教えられ、死を覚悟して生きた。  戦後、日本人は何かを命がけでやることを否定してしまった。覚悟をしないで生きられる時代はいい時代である。だが、死を意識しない事で、日本人は生きることをおろそかにしてしまってはいないだろうか。』

 横井さんも亡くなられる前にこんな事を言っています。

『帰って来るんじゃ無かった。贅沢に慣れ過ぎた日本人、どこか間違っとりゃせんか』

 

現代の価値観と比較しても仕方ないのですが、人間として大切なことを教えてくれているように思えるのです。極限の生活を長い間続けてきた彼らだからこそ、否、彼らしか体験でき得なかった真実の様なものを伝えたかったのでは、と思います。

 

 小野田さんは1984年、過去の経験から「小野田自然塾」を立ち上げ、子供達に生きることの意味を伝えている。

『子供たちに願うのは、人間がたった一人で生きる辛さ、怖さ、弱さ、友達と一緒にいる喜び、生きる意志の大切さを知ってもらうことだ。人間は一人では生きていけないのだから。』

 

  横井さんは82歳で、小野田さんは91歳でこの世を去りました。

この二人が、30年というとてつもない時間と青春を費やし自分と向き合ってきた事実、そこから紡ぎ出される言葉には大変貴重なものが隠されていると捉えます。

 

すなわち『自分で考える事』が大切だ、という事なのではないかと思うのです。

 

 生きるスキルをつけろ、サバイバルしろと言っているのではなく、この平和な時代においても考える事を止めてはいけない、何でも任せっきりにしてはいけない、と言っているのです。そういうことですよねお二人さん?

 

 選挙における投票という行為が、私達が全体として考えることが出来る、行動することが出来るひとつの手段であり、『自分で考えた』集合体として現れるものならば、これはやはりおろそかにしてはいけない事だと思うのです。

 昔の僕のようにやってもやらなくても一緒、などと思う事は考える事を放棄している、人任せの無責任な行動なのだと自覚しなければいけません。

 

 今の若い人達や僕ら世代でも、この二人の帰還兵の存在を知っている人は少ないでしょう。ただ帰ってきただけの人ですが極限を生き抜いてきた二人です。この二人から学べない事などあるのでしょうか。僕はそう思います。

自分で考える。考える事を止めない。行動する。

Pナントカサイクルをまわすことに似ていますね。

 

まとめ

だから、選挙いこう。

 

 

 

およげたいやきくんは現代のおっさんそのものか

なるがです。

 

  まいにちまいにちぼくらは鉄板のぉ〜〜上で焼かれて嫌になっちゃうよ〜🎵

 

  おっさん世代なら誰もが知っているこの記憶に残る子門真人の歌声とメロディと歌詞。泣く子も黙る「およげたいやきくん」ですね。

  この歌は当時4歳か5歳頃でしたか、めちゃくちゃ切ねえ歌だなと子供心に思ったものです。

 

  そして40年後、僕を含むおっさん達は正にたいやきくんだ。大半の中高年サラリーマンはこの歌に共感する、もしくは自分と重ね合わせる事があるのではないでしょうか。

 

これは今に始まった事ではなく、発売当初からサラリーマンの気持ちを代弁している歌との評価もありました。

しかし! まさかたいやきくんの気持ちを身を以て知る事になろうとは思いもよりませんでした。

 

  上司とケンカして、会社を辞め、今まで知らなかった自由を知り、世界を知り、脱サラ起業だ!社畜から卒業だ!と思うのもつかの間、次第に歯車が噛み合わなくなり、お金も底をつき、エビすら食べれなくなり、ついにサラ金に手を出し、最後は自滅してしまう……。

 

  僕は幸い?まだ歌い出しの部分にいます(笑)

まいにちまいにち18時間もの時間を仕事に費やしてマジで嫌になる。帰って寝るだけの日々。最近本当に疲れている。睡眠も4時間くらいで、目玉もクルクル回っちゃう〜とはこの事かいな!と笑っていました。昨日は部長からの無茶な要求に本気で会社辞めようかと思いました。←今ここ

 

  それに加えて職場のいざこざの処理、仕事を覚える気のないやる気のない部下、次から次へと増え続ける終わりが見えない仕事、休憩は8時間後、昼飯は夕方、帰りは深夜、一人晩飯チーンからの、即寝、メタボまっしぐら。

  こんなところで愚痴っても仕方ないけど、現代の中間管理職はこんな感じでみんな病んでいるのでは? そして追い打ちをかけるように45歳以上のおっさんはリストラ対象が進んでいるという。

なんか頑張っても報われないんだなと思うと、飛び抜けて有能でもない限り企業からは見放されるということか〜。なんだ無能かと思われたら終わりだ!

  だからと言ってヤケを起こしたりはしませんよ。安心してください、生きますよ。

  だけど自分もいつか死刑宣告される時が来るのでしょう。そうなる前に備えは今からでもしておかねばいけませんね。

 

  嗚呼、おっさんて生き物はなんかもう切ねえなー。家族の事しかり、会社の事、親の事、考える事が山ほどある。パタパタママも「アンタにはかなわんわ」と言いそう。

この年代の良いところも確かにあるんだけど、今の生活からは正気は生まれて来そうもない。良い様に使われて食べられるたいやきくんみたいにはなりたくない。

 

  働き方改革は最低だ。管理職はサービス残業が増えただけじゃねーか。有給も取れないから半休を10回取って5回休んだ事にすると言う管理職もいる。正気か。

 だけどこれが今の現実です。この流れに乗るにはこうでもしないとついていけないのです。見せかけの働き方改革。残業代泥棒のしわ寄せを食らっている感じもします。大体罰則を設けたくらいで改善なぞするわけがない。罰則を避ける様になるだけです。上司達はこの状況を知ってるくせに本気で出来ていると思っているのですかね。聞いてみたい。暗黙の了解なら相当のクズです。

  昇進をエサに、やる気を見てみたいだと?現場に入る訳でもなく、メールのやり取りだけで一体この僕の何が分かるというのだろう⁈ムキーッ!

声だけで騙すオレオレ詐欺より悪質だ。

やり甲斐詐欺。

まんまと引っかかっているのですがね。