なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

恐怖の10連休がやってくる

なるがです。

 

 あと少しで10連休がやってきますね。4月27日~5月6日まで!子供たちは大喜びです。が! 嫁さんはブーブー言ってます! パートの仕事が休みとなり、給料が半分になってしまうからです。10日と言えば月の半分に該当します。当然給料も半分!これはきつい。(ダンナの稼ぎが悪いと言わないでください)

僕はサービス業ですので、10連休?なにそれ?と言った感じですが、一応休みはあります。これだけ休みがあってもサービス業は休めません。家族サービスなどまともに出来ない事がほとんどです。僕はそれが嫌で、休めるサービス業を探し現在に至る訳ですが、それでも10連休はあり得ません。これによってどんな弊害があるかというと、

嫁さんの給料が出ない、僕は仕事で居ない、子供たちは暇を持て余す、お金は出ていくばかり、嫁ストレスマックス、嫁暴走、嫁僕に当たる、僕が言い返す、僕負ける、僕家に帰らない……という最悪のシナリオです。

 なんでこんな10連休なんか設定するのか分かりません。これのおかげで世の中には深刻な状況に陥る人達がごまんといるのです。10連休の恩恵に預かれるのは全体の3分の1、ほとんどの人達は関係ない状況で10連休だけが独り歩きしています。働き方改革がコレに当たるというなら、僕らの事を考えてくれていないんだなと思います。

 そして懸念されるのは5月病です。10連休に該当する新入社員は大丈夫でしょうか?新入社員に限らず全社員に当てはまってきそうですね。過去日本人は長期休暇には慣れていないのです。僕などは休み過ぎたら逆に廃人化してしまいます。皆でさぁ休みましょう、などとは絶対いかないのですから、10連休など作らない方がマシだったのでは?とも思います。この連休は何か胡散臭いものを感じます。問題なく無事に終わってくれればいいのですが。とにかく一番の恐怖は嫁の暴走モード突入ですな。

 

金太郎飴を与えること

なるがです。

 

 4月とは思えない寒さがまだ続いておりますが、季節は春、フレッシュな空気感が伝わってきますね。そして相変わらず「光陰矢の如し」と毎回言ってます。一年とは本当にあっという間です。

  街にはスーツの似合っていない新社会人がたくさん見受けられ、皆とても楽しそうです。これからどんどん似合うようになって行くのですから不思議です。その中でも女性は本当に初々しくて可愛いですね。見てて飽きません(ヤバいおっさんか)

初々しいと言えばウチの息子も負けておりません。身体に不釣り合いなランドセルがまた可愛いではないですか。応援しまくりです。

 入学式もパートさんの計らいで休みを頂き参加することが出来ました。一生に一度のイベントですので本当に感謝です。職場は相変わらず人員不足に悩まされてはおりますが、こうして調整して頂けたことが何よりうれしい事ですし、もっとパートさん達を大事にしなければと思う訳です。

  僕がシフトを組んでいるのですが、パートさんの休み希望はすべて聞いてあげています。これは下手をすると僕一人だけ、ワンオペになる可能性もあるという事です。。業務上必要最低人員は確保する、という事はマネジャーの義務です。しかし人手が足らないからと無理やり出させていい訳はなく、彼らには彼らの事情もある訳です。かと言って営業できないとあっては本末転倒です。

  以前の僕は営業第一、休み希望は2日まで、みたいな事をやってきたので、上長譲りの全ての希望を聞くこの考え方は最初受け入れる事が出来ませんでした。否、正直今でも受け入れられない時もあります。今のやり方は一部のパートが被弾しまくる、という危険性もあります。またパワーバランスも取り辛い、スタッフの負担が大きくなるという事もありました。一部のパートが希望休を取り過ぎるからです。すんなりシフトが決まった事などありません。

 とは言えパートさん達がいなければお店は回らないので調整して頂くのですが、ひたすら腰は低く、優しい物言いで、意見はすべて聞き入れ、不満も聞いてあげ、たまに差し入れなどもし、嫌いな者同士が被らないように組み、働きやすい環境を整える事が必要となります。え?甘やかせ過ぎ?確かに(笑)。

最初の頃僕はパワハラまがいの言動をしていたらしいです(僕自身はそんな気は無かったのですが、これまでの男社会の感覚で接していました)これにはカルチャーショックと言うか、パート=免疫が全くない相手、なのだと痛感しました。

 こうして飴をひたすら与え続けているのですが、たまにぴしゃっと入れる事も当然必要になってきます。こんな時でも絶対にその日のうちにフォロー、声掛けは忘れてはだめです。忘れたらどえらい事になりますので。

飴、飴、飴、飴、飴、鞭、飴、飴、飴、飴ぐらいのバランスになる危険性は少し高めだけど、我慢なのです。

 この種まきがようやく実を結び、僕も皆さんに任せて休む事が可能になってくる訳です。ここでもマネジャー不在のストレスを与えないように注意が必要です。

なに?ぜんぜん休めてないではないかって?確かに(笑) しょっちゅう電話はかかってきますし、逆に心配なのは僕の方で、あまり休んだ気がしません。それが宿命なので仕方ないです。でも任せて休む事が出来るようにしなければ自分が倒れてしまいます。昔みたいに命令形式でやっていたら休めなくて、たぶん今でもヒーヒー言ってるんじゃないかな。

 

 ここからは正社員の話になりますが、マネジャーの中にも体育会系社員は相当数存在しています。この前とあるマネジャーがまた社員を辞めさせたという話が入ってきました。パートも相当数離職に追い込んだりしてたそうですが、そのマネジャー曰く、「辞めるのはそこまでの人材だった」と一蹴したそうです。そしてなんと驚いたことにこの春さらに昇進したのですから驚きです。

今回辞めた社員も下で働きたくないという事でした。現場と人事のこの意識の乖離はなんなのでしょう。今どき昭和の考え方でやっていること自体ナンセンスで、それが通用しなくなっているのが分からないとしか言いようがありません。これだけ離職者が出ていてもです。

これは退職理由に上長への不信を挙げていない事もあると思われます。まぁ、辞める本人はこんな人物などどうでもいいのですから言っても関係ないですよね。

人事部のハラスメント研修など定期的にありますが形だけで、浸透しているとは言い難い現状が垣間見れます。

 しかし正直に言うとこのマネジャーの言う事も分からなくはないのですよ。僕も根性努力論大好きですから。「やる気無いなら帰って」(本当に帰られたら困るんですが)なんて昔は言ってました! もしかしたらその社員が舐めた仕事の態度であったり、バカッター的な事をやらかしてたら? 言われても仕方ない部分もあるのだと考えます。

ふざけていた場合僕なら当然ボコります……と言いたいところですが、これは今の時代完全にNGですね。私的制裁はダメです。穏やかに解決するように、手に負えない事は会社に任せるのがベストです。昔と比べて指導がやりにくく感じますが、この時代錯誤昭和人間(自分も)の意識改革が必要でしょう。僕らが時代に合わせて考えを改めることです。

 でも、あぁ~正直メンドクセー! 1から10まで教えて、失敗の原因が5だったら「そこをちゃんと教えて下さいよ」と突っ込んでくるのはやめて。1から9までしか教えてないのに勝手に10と解釈して失敗して「それならそうと言って下さい」と責めないで。物おじせずズバズバと言ってくるので本当にすごいなぁと感心してしまいますw

でも、辞められてしんどい目を見るよりかは数百倍マシなので今は全然苦じゃないです。しかしパートと正社員は同じ扱いでも分けて考えなければなりません。締める所はしっかりと締めつつ、入社間もないこの時期と、これからやって来るGW明けを乗り越えられるかがキモになってくるのです。定着させる事は非常に難しいです。ですので今は迷わず金太郎飴を1本あげましょう。否、1本と言わず2本3本あげても構いません。

昭和社員の意識改革は自分のための大事な大事な仕事なのです。

それでもダメな時もあるのですがね。

 

 

 

飛燕

なるがです。

  

  もう少しで新元号の発表がありますね。本当にもう平成は終わりなのか?いまいち実感は無くいつもと変わらない日常です。あっという間に過ぎて行ったような平成でした。

  昭和・平成と来れば、次は和平?平和か?いや成和だなどと単純過ぎる思考しか出来ない僕ですが、どうでしょう?当たったら凄いですね。その新元号、どうやら菅官房長官が発表すると言う事です。

平成に変わる時は小渕官房長官でしたよね。ちょうどテレビであのシーンをリアルタイムで見ていたのを思い出します。小渕さんはあのシーンの印象が強過ぎて、「平成おじさん」と呼ばれて国民に親しまれて来ました…。

  と言うのは今日の今日まで全く知りませんでした!そうなん?平成も終わりだと言うのに。というか知ってました?(どうでもいい?)

 

  確かに小渕さんのあのキョトンとした顔と見た目は、「おじさん」という言葉がドはまりしていますね。不思議とキモイおじさんな感じは受けません。(人の事とやかく言ってますが僕も相当なおじさんです)

 当時の故竹下元総理は「俺は名前が残るが、小渕は顔が残る」と言っていたそうです。確かに当たってますよね。あのシーンはめちゃインパクトありましたもんね。あの画像を切り取って横に向けたり、逆さまにしたり、ひょっこりさせたらめちゃハマると思いません?(小渕さんに失礼だろ!)

  そんな事はどうでもいいから早く本文を書けよ!はい、すいません。

 

   その本文なのですが、実は書くネタが無いのであります。こうして書きながらパッと思いつくままに筆を…否、キーボードを叩いている状態です。ネタを考えるようになると頭の中がそれに囚われてしまうので良くないとは思っていますが、気が付くとあれやこれやとネタに繋げられないか考えてしまっている! 恐ろしやブログネタ中毒

 僕のブログ、この記事で101回目なのですが、100記事到達しても特に変化は……ないです。内容を見てみると、何かに特化したものではない事、悪く言えばバラバラ、良く言えばイロイロ(そんなに変わらん) 

そして長文が多い事に気づきました。それも2000文字以上がほとんどという。原稿用紙で言えば5枚から6枚書いてる事になります。

 学生時は読書感想文で400字書くのもイヤイヤ必死に書いていたのに、今はどうでしょう、2000文字を超えなければ落ち着かない、モヤモヤする、満足できない、といった『長文症』(勝手に命名)になっております。イヤイヤ、2000文字如きで長文とは片腹痛いわ、とは言わないでください。

 

こうしている間にも右下の文字数チェックをチラチラしております。

 文章が上手いとかでもないのに、只々長いだけというのはこの上なく苦痛なものです。上っ面を読んですぐ飽きられ、すっ飛ばされるのがオチです。とは言え短くまとめる事が出来なくて、上記のように逆にストレスになるのですよ。僕は。 

どうしても何か付け足したくなって書いてしまうのです。やはりいらない情報が文章の中にいっぱい入っているのでしょう。これでは読んでくれている人に対して何を伝えたいのか分かりません。まったくその通りで、ここまで書いて僕はいったい何を伝えたいのかが全く分かっておりません。迷宮入りとはこの事です。

 

 季節はもう春ですね(何だいきなり)。今朝ゴミ出しに外へ出たところ一羽のツバメが家の軒下に入って行くではないですか。まだ3月だというのにもう帰ってきてくれたのか。早くも巣の手入れを始めております。しかしこのツバメはなぜここに巣があると知っていたのでしょうか?うちの巣は軒下の入り組んだところに作られており、外からは絶対分からないのに、です。ここを巣立って行った子供たちなのでしょうか。

 どうやら戻ってきたのは去年いた親ツバメのようです。3月終わりから4月初めに南の国から日本に戻ってきて、子育てが終わったら9月ごろ東南アジア方面に向かうそうです。 

 てっきり子供たちかと思ったのですが、ここを巣立った若ツバメは生まれた巣に戻る事は少ないようです。戻ってくる確率も調査の結果から約4割が戻ってきているとの事です。ただ去年と同じ夫婦ではないこともあるとか。ツバメにもイロイロと事情があるのですね。

しかしこんなピンポイントで戻ってこれる事に驚愕です。超高精度GPS機能が備わっているのでしょう。

 

 そういえば以前ヤフオクで3式戦『飛燕』が1500万円で出品されてましたね。オーストラリアのコレクターより日本に帰還させたいとの依頼があったそうです。

 この飛燕はパプアニューギニアのジャングルに胴体着陸したものと推定されます。損傷が激しいですが落札されて日本に帰って来れたのでしょうか。

 

 これとは別に川崎重工業創立120周年記念事業で、精密に復元された戦闘機『飛燕』が存在しています。めちゃくちゃ見に行きたいんですが。過去には知覧特攻平和会館に展示してあった飛燕を見たことがあります。『飛燕』はまさに『飛燕』です(意味不明)

 

 話は戻りますが、ツバメは他にも人間の近くに住むことでその恩恵を受けるように意図して行動しています。賢い奴です。生きる、生き抜く、生き残るとはそういう事です。自分で考え、他人を巻き込みながらでも生き抜く、生き残っていかなければならないのです。

何も考えずに生きる事がいかに危険で、身を滅ぼしかねない事なのだと、ツバメを見あげながら思うのです(大げさ)

 

 

 まさかここまで読んでくれている方など想像に難いのですが、いるのでしょうか? そして結局今回は何を言いたかったのか、伝えたかったのか、分かりましたでしょうか?

そうです、2000文字を越えられて嬉しい、満足したという事です。(2358文字)

 

 

 

 

今週のお題「卒業」

今週のお題「卒業」

 卒業とはその学校の全過程を学び終えること

とあります。しかし卒業と聞いて連想するのはそんな事より懐かしい学生生活のシーンと、やはり卒業式ではないでしょうか。卒業式は独特の雰囲気がありますよね。おっさんになった今、これらの記憶も遠い昔のようにはっきりと思い出せませんが、学ランのボタンを2つ持って行かれたシーンだけは今でもしっかり思い出せます(自慢か)。若いって素晴らしいですね。学生の皆さんはたくさんの思い出を作っておいて欲しいです。

 卒業式のみならず現在色々な場面でこの『卒業』という言葉は使われております。パッとイメージするのはズバリ『別れ』でしょう。ただしそこには暗く悲しい印象は無く、明るくポジティブな『別れ』をイメージさせる事が多いのではないでしょうか。

『解放』『自由』『未来』『修了』『達成』『尾崎豊』『斉藤由貴』(おっさんか)などを連想します。

 僕は去年の10月から禁煙を始め、今では全く欲しいと思わなくなりました。禁煙達成です。これでタバコから『卒業』(卒煙)出来たと言い切る事が出来ますね。まぁ卒業までに27年かかり、5~6回留年しているんですがね。

あと『卒ナントカ』という縮めた言葉もたくさんあります。卒業論文を『卒論』、断酒を『卒アル』、おっぱい卒業を『卒乳』。『卒乳』は男なら一生卒業できないでしょう。否、もともとする気などサラサラない。さらに気になるのが2004年に杉山由美子著『卒婚のススメ』で使用された『卒婚』なるワードです。造語ですが、意味は婚姻関係にありながらも、互いに干渉することなく夫婦生活を営む新しい生活形態との事です。

離婚ではないので色々とメリットもあるという事ですが、これに関しては明るい印象は受けません。どっちかと言えば妻が夫に三下り半を突き付けた形になるんでしょうね。結婚生活も13年、卒婚へ向かっている気がするのは気のせいなのか…。何かさみしいではないですか。相手がいても干渉せずというのはやはり味気ないと思うのです。ですがこうなるにはそれなりに理由や原因があるものです。今はそれでもいいのでしょうが、人生の『卒業』時に本当にそれで良かったと思えるのだろうか?それともその時になって気付くのでしょうか。もし仮に妻が卒業したいと言ったなら、僕は潔く開放、自由になって欲しいと願うと思います。やっぱり『卒業』とは自由になるために通る道なんだな。

そんな事はどうでもよくて、本当はこの記事が100記事目という事を書きたかったのです。100記事はブログにおける登竜門で、ここから激烈に何かが起きる!と専らの噂ですが、ついに僕もその門にようやく到達したという訳です。素人からついに『卒業』です。ここから自由な空へと羽ばたくのだ!

 

しかし『素人が100記事達成してもPVや収益が増えるは嘘』との記事を見つけてがっくりしております。まぁこのブログはそういうものなので別にどうでもいいのですがね。僕は過去に『G Masters』というバスケットボールチームに所属しておりました。僕は『33』番、後輩は『072』番でした。経験者1名のみのド素人チーム、一度も試合することなく自然消滅しました。このGブログはそうならないようにしていきたいですね。

 

 

 

卒園式の園児たちから改めて国家のことを考えてみた

なるがです。

 

  パッツンパッツンのスーツで終始腹を凹ましながら息子の卒園式に参加してきました。仕事が急遽休みとなったのも、神が逝ってこいと仰っているに違いないと解釈。この神がかり的なタイミングによって息子の晴れ姿を拝む事が出来たのであります。超ラッキー。超感謝。

ハイハイの時期から入園し、たった5年程の間にベンチャー企業ばりに見違えるほどの進化を遂げていた我が子の成長ぶりは言葉に言い表せないものがあります。先生は勿論、保護者特に母親達は皆涙を流しておりました。オムツの頃から世話をして、共に喜怒哀楽を分かち合ってきた一番の存在でもあるのです。その子たちが今、いっぱい大きな声で歌い、感謝の言葉を述べ、ぴしっと座っている。立派になった我が子を見て感激もひとしおです。母親の皆さんには頭が上がりません。子供たちが私達に向かって「まいにちおくりむかえしてくれて、ありがとうございました」と言ってくれた時は僕も思わず泣きそうになりました。

 

  卒園式への参加は初めてだったのですが、式の進行は学校と同じで保育園でも殆ど変わらないものでした。入場に始まり、開式の辞、卒業証書の授与、お祝いの言葉、その他もろもろを経て、閉式の辞〜退場となります。  

そしてこの中に必ずと言っていい程入ってくるのが校歌斉唱であり、そして国歌斉唱です。この式中における国歌斉唱については色々と物議を醸しているのですが、僕個人としては何が問題なのか分かりません。

今日の式でも国歌斉唱がありましたが、チラッと周囲を見渡すと大人は殆ど歌ってませんでした。そう言いながら僕も口パクなのですが、その理由は、歌ってはいけない様な、自分だけが歌って恥ずかしくなる様な、その場の雰囲気に流される、そんな気持ちになってしまうのです。しかしそんな大人達を横目に子供達は大きな声でしっかりと君が代を歌っているではないですか。大人の私達はこれで良いのか?と健気に歌う子供達を見て思うのです。

 

  1999年8月13日に、国旗国歌法として法律が定められ、国旗は日の丸、国歌は君が代として法制化が進みました。

その背景には様々な問題があります。入学式や卒業式などでの国旗掲揚君が代斉唱に異を唱える反対派と賛成派の対立です。それによる板挟みに苦しみ、卒業式当日に自殺してしまった校長の例もあります。

いったい何故自分の国の国旗や国歌に対して反対なのか。勿論自由にして結構だと思います。実際にサッカーの国際試合やオリンピックでは選手始めサポーター、応援団皆喜んで日の丸に向かい君が代を歌っています。ところが場所が変わると途端に拒絶反応が起きるというのはどうなっているのだろうかと。今に始まった事ではありませんが。

 

学校におきまして、学習指導要領に基づき、国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負っており、学校におけるこのような国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるものでありまして、子供たちの良心の自由を制約しようというものでないと考えております。国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。

 — 内閣総理大臣 小渕恵三、平成11年6月29日(wikipedia)

 

 

  今では君が代を歌わない人が多くなり、国旗の掲揚も見なくなりました。僕はシンプルな日本の国旗『日の丸』が好きだし、『君が代』の荘厳なメロディも好きです。(詞は何言ってるか未だに理解していませんが汗)

しかしこういう事を言うと、「アナタは軍国主義だ!」とか言う人も居ます。実に馬鹿馬鹿しい。国歌を歌う事こそが、将来子供らが世界へと飛び立った時に日本という国を体で感じられるのではないでしょうか。

 

  世界の国々を見ていると、彼らは自国に対して制度などへの批判はあっても、国旗と国歌に対しては皆誇りを持っている様に見えます。イキイキして見えるのです。対して日本は、無意識に何となくやらされている感がある様に見えます。胸に手を当てていても何か日本らしくないというか、違和感を感じます。

  ロシアでは2001年に新国歌が誕生しました。ソビエト時代のメロディで歌詞だけ書き換えたそうですが、この新国歌を一日2回流す事が法律で定められているそうです。洗脳ですね(笑)。 NHKでも番組終了後には国旗と共に君が代が流れてました。僕はあの後の静寂が何とも言えず好きだったのですが、そんな事はどうでもいいとして、諸外国の国歌の歌詞を知って驚きました。殆どの国々が、

  • 自由を我らに!
  • 素晴らしき我が祖国!
  • 起て!進め!
  • 敵の砲火に立ち向かえ!

とか、めちゃくちゃイケイケドンドンなのですよ。あのラ・マルセイエーズでお馴染み「おフランス」でさえ、『武器を取れ!我が市民よ!』と歌ってます。ヨーロッパは結構激しいです。南米もラテンの血だからか激し目です。一方アジアを見てみるとベトナムなどはこうです。

 

ベトナムの戦士たちよ進め
団結し国を守るのだ
長く険しい道のりに響く軍靴の音
勝利の血に赤く染まった旗は
国家の精神を象徴する

 

現在の日本でコレをやったとしたら一発アウトでしょうね。この後にまだまだ激しい詞が続いていきます。1945年に作られたこの国歌は当時のベトナムがどんな状況下に置かれていたのかを反映しています。

  この様にどの国も、オラの国が最強なのだ!入ってくんじゃねえ!と言わんばかりの超武闘派揃いに思えてきます。

そして日本を見てみると、

きーみーがーあーよーおーはー………

こーけーのーむーうーすーうーまーあぁーでー………。。。。

 

何という優雅で美しい調べ。これを知ってからは君が代に高貴さを感じる様になりました。野蛮な(失礼)国歌なぞ置いてけぼりにするくらい気高く気品が備わっていると僕は思います。

 

   結局歌いたければ歌ったらいいし、歌いたくなければ歌わなければいいだけの事だ。ただ、僕は日本人だし、国旗も国歌も大事にしたいという、至極シンプルな思いがあり、ここに行き過ぎた感情や議論しようなどという気はサラサラありません。

それでも「日の丸』『君が代』がデェ嫌いだ!というなら、法律なんだしいっそのこと国旗も国歌も変えたらいいのだ。それが一番手っ取り早い。元はと言えばこれが元凶なのだから。

そうだな……あえて言うなら国歌は「イマジン」だ。しかも忌野清志郎が歌う「てんごくわぁ~なぁい~…」のやつだ。このご時世に、満を持して世界に発信するのだ。

そして国旗は息子の保育園の園旗でも当てがっておけば良い。何でもええわ。

それにしても子供達の歌声はとても美しかった。

 

春はあけぼのと言うがおっさんにダウンジャケットは必要だ

なるがです。

 

 冬でもなく春でもないこの時期はダウンジャケットを着るべきか否か、毎朝嫁さんに問うて後悔、やはり着て行くんだったという日々を送っております。春はすぐそこまで来ていますがまだまだ寒いですね。そんな事はどうでもいいのですが(すでにタイトル終了)、この時期は何かが始まりゆっくりと動き出しているうねりの様なパワーみたいなものを感じませんか? 僕はあまり感じませんが、春とはまた桜舞い散る別れの季節でもあり出会いの季節でもあります。さすがにこの歳になると「オラわくわくすっぞ」などと浮かれたピュアな気持ちにはなれないのですが、これから街にあふれてくるであろう新社会人を始め、4月からピッカピカの一年生(古い)になる我が息子を思う時、悟空のように「オラわくわくすっぞ」と思う事もまた楽しいものです。

 

  春はいつの時代も鮮明に僕の記憶に残っています。陽だまりの暖かい風景と共に。学生時であれば教室での一コマ、上京した時の風景、新社会人であれば研修期間や配属初日。何かの変わり目の場面が今でも強く記憶に残っています。なぜなのかとふと考えてみると、やはりこの季節特有の心地よい緊張感や不安がすごくあったんだと思います。

 

 幸い僕は呑気でしたので緊張していた割にはのほほんと過ごしてきました。楽天的でいる事、良い様に言えばそうなのかもしれません。これは人生におけるひとつのスキルであると言えます(そうか?)。どんなことが起きてもうろたえない(例えば1年以上ブログをやっていても読者は推定2人とか)何とかなるさ~で今までやって来れたのですからこの楽天的思考は僕の強みでもあります。ただし楽天的も度が過ぎればしっぺ返しを食らいます。例えば勉強をしなかったり、自分磨きを怠ったり、反省しなかったり、甘えてばかりだったり、人に優しくなかったり。要はボケっとすんな、ちゃんとやれという事です、きっと(それは僕です)

 僕は新社会人勤務初日に遅刻をかますという大大失態を犯してしまったのですが、今でもその場面は強く、強く、とても強く記憶に刻まれております(というかトラウマ)出だしをしくじったのでその後は自分の努力で挽回するしかありませんでした。これはマジで並大抵でなく大変難しかったです(笑)いきなりのこの試練。この世界に神は存在しないと思ったものです。僕が悪いのですがね。

 

  これから新しくスタートを切る人たち、特に就職して社会に出る人たち。僕のようなサイアクな場面でなくとも、似たような場面(試練?)はこれから幾度となく出てきます。

ひとつ言える事は、自身も含め人に対しては謙虚になる事です。嘘を付いたり言い訳したり、反省の態度が無かったりする事は、自分の居場所を狭める事に直結します。自分の主張もあると思いますが、グッと堪える事です。主張する事は全員平等に与えられる権利だとして何か爪痕を残そうとします。それも確かに間違いではないのですが、今はその時ではありません。

次に、争いは避けること。何か強く言われたとしても、今は言い返したい気持ちは抑えて我慢する事です。絶対に「あぁ言い返さなくて良かったー」と思う事があるはずです。それによって自分の置かれている環境が少しずつ良くなって行くはずです。少なくとも現状より悪くなる事は無いでしょう。ただし責任は果たさなければなりません。責務を果たさず言う事だけ立派なのは無能というものです。最初はそうやって信頼を積み重ねていく事の繰り返しです。これに耐えて初めて自分の主張というものが通って来るのです。そうなれば自分の環境がどうなるかは言わずもがなです。

  仕事も俄然楽しくなっているはずです。楽しく仕事をする為にしんどい目を見る。この道のりは決して楽ではありません。あまり役に立つかは分かりませんが、これは僕の処世術とも言えます。とにかくキレたら負けです。

 

  仕事も最初は面白くないと思いますが、そこで早まったり、勝手に決めつけたり、この上司使えねーなどと思わない事です。仕事とはすぐに上手くいくものでもないし、楽しい事ばかりでもありません。本質はすぐには顔を出してくれないものです。同時に、働くという事はどういう事なのかも考えてみて下さい。自分を育ててくれた両親や支えてくれている人たち。彼らのお陰で今がある。働きながら感謝の気持ちを忘れないとき、自ずと頑張れる気がしてきます。スピリチュアルなものは掴み所が難しいですが、シンプルに感謝の心を持つことです。

 

  とまぁ、ここまで書いて来たのですが、これからも謙虚に腰は低くしながら結果を出していかなければおマンマの食い上げです。格好いい事ばかり抜かしてきましたが底辺のおっさんは気が抜けない! がんばるぞぉ〜などと呑気にもしていられないのです。結果がすべて! おっさんは先が保証されているわけでもない、自分で掴み取りにいかなくては生き残れない。シビアだ……おっさんとは実にシビアな時期である、だ。ネバ〜ギブアップ!オオーーー!

 これは中途採用組のおっさん達に向けたものです。デキるエリート幹部候補は置いといて、底辺の僕らは後がないのです。背水の陣で挑まなくてはなりません。新人の下積みを再度クリアしたらその次はもうダッシュしかない! 追い付かれないぐらい引き離すのです。出来ない奴は即座に隅に追いやられます。やる事は新卒と同じようで同じではないのです。辛うじて正社員になった僕もうかうかしていられません。この春から新しい職場を迎える人、転職事情も色々あったと思いますがどうか負けずに自分と闘って、もがいて、もがいて、もがきまくって下さい。中途の風当たりはまだきついです。

「オラわくわくしてきたぞ。」

感謝の心とこの気持ちがあればどんな時も前向きになれるフレーズです。きっとおっさんでもピュアになれるはず!まだ諦めてはいけません。

検討を祈ります。

 

 

アラフォー以上の中途採用おっさんに捧ぐ

 

 

日本軍兵士ー アジア・太平洋戦争の現実 を読んでの感想を書いたのだが感想になっていない件について

なるがです。

 

 『日本軍兵士』という題名にびびびっと来て思わず手にした書籍です。題名からある程度の内容は予想できたのですが、中身は僕の予想をはるかに超える内容の濃いものでした。あまりに面白すぎて普段最後までたどり着けない(笑)のですが、これに関しては最後まで一気に読んでしまいました。僕にとって新鮮で大変興味深く、のめり込む内容となっておりました。

 過去の記事でも書いておりますが、僕のじいさん、祖父は太平洋戦争で戦死しております。そのためこの『日本軍兵士』という言葉にはすごく身近な感情を抱いております。この書籍では題名の通り兵士に焦点を当てているのですが、その後に続く単語「現実」。これが僕の興味をそそられる原因となり購入に至ったのでした。

 

310万人に及ぶ日本人犠牲者を出した先の大戦。実はその9割が1944年以降と推算される。本書は「兵士の目線・立ち位置」から、特に敗色濃厚になった時期以降のアジア・太平洋戦争の実態を追う。異常に高い餓死率、30万人を超えた海没死、戦場での自殺と「処置」、特攻、体力が劣悪化した補充兵、靴に鮫皮まで使用した物資欠乏……。勇猛と語られる日本兵たちが、特異な軍事思想の下、凄惨な体験を強いられた現実を描く。

(吉田 裕著 日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実)

 この扉文を読むだけでお腹いっぱいになりそうです。推算とはいえ犠牲者の9割が1944年以降という事実。そして体力が劣化した補充兵。異常に高い餓死率。

じいさんはまさにそれに当てはまります。34歳で招集された老兵とも言える年齢、マラリアによる体力低下、ジャングルにて1945年戦死。というより病死(推定ですが)でした。

 

 読み進めるにつれ日本兵がどれだけ劣悪な環境に置かれていたのか知ることが出来ます。ここでひとつひとつ挙げ出せばキリがないですが、全部ここに書き出して伝えたいほど(それは単なるパクリというものです)酷い現実が網羅されております。僕の様なちょっと戦争の知識はあるぞ、という人はかなり衝撃を受けます。自分のこの様な知ったかなぞクソだと思い知らされます。

 「戦争はしてはいけません」これは紛れもない正論です。だけどその戦争の奥の奥深くについて、兵士の感情におけるレベルまで考えてみる事など無いと思います。到底考えられないいろんな出来事が起きていたのです。

1944年8月から1945年8月の時期はすでに敗戦必至の状況にも関わらず、日本軍があくまで徹底抗戦を続けたため戦争は長期化し、多くの犠牲者を出す結果となりました。「絶望的抗戦期」とも呼ばれます。

制空権、制海権もなく、補給も、物資も、武器も、食糧も無く、内に目を向ければ死亡者・自殺者が出る程古参兵・下士官からの私的制裁に苦しめられ、病気になっても薬もなく、動けなくなれば自決(自殺)を強要され、事もあろうに仲間に「処置」(殺害)され、疲労は問題として扱われず、休暇もなく、「覚せい剤ヒロポン」によって無理やりこき使われ、精神論だけで機械化された米軍に立ち向かわされ、敵わないと分かると肉弾となり体当たりをしろと言われ、上官からは「死んで来い」「いつまで生きとるつもりか」と皮肉や嫌味を言われ……。そうして無能な指導者たちによって兵たちは苦しみながら死んでいったのです。

 

 この時期には徴兵の採用基準を満たしていなくてもどんどん兵隊にとられていきました。祖父のような若くない者から、これからの日本を担う元気な若者、挙句の果てには少年、知的障碍者までもが徴兵されました。一億総玉砕などという極端な精神主義でもって、まるで虫けらのように人の命が使われていました。

 

 本書では「死の現場」について膨大な資料をもって記されております。陸上における死の現場と共に、海上における死の現場「海没死」についても細かく取り上げております。船内の過酷な状況、潜水艦等によって攻撃を受けた時のパニック状況に加え、

圧抵傷と水中爆傷と共に、爆破による爆創、挫傷、挫創、骨折、熱傷、鼓膜損傷及び内蔵損傷などの複数の損傷が一時に合併するのが常であった。

(比島派遣一軍医の奮戦記)

と言うように一旦攻撃を受ければ、殆ど助かる見込みのない絶望的状況にさらされていたのです。おぼれ死んでいく者も多数、浮遊物の奪い合い、それにより両者ともに失命多数あり。他に漂流している兵が助けを求め上陸用舟艇にすがりつくのを将校が刀でその腕を切り落とす。との証言もあります。

海没死ひとつとっても多様な死の現場があったのです。また船に乗る前から発狂者が多数出たともあります。確実に死ぬと分かる不安からくるものでした。

陸軍においても、

一九四四年四月ごろから急に栄養失調症が増えてき、栄養失調による死者、すなわち餓死者が出始めた。マラリアにかかると四〇度の高熱が出てそれが一週間ぐらい続く。それで体力が弱まったところへ食糧が無く、極度の栄養失調に陥って、その後は、薬も食事も、ぜんぜん受け付けない状態になって死んでゆく--それが典型的な餓死のコースだった。諸病の根源は、食糧不足だった。

『ソロモンの陸戦隊 佐世保鎮守府第六特別陸戦隊戦記』

 

これ以上書くと本当にキリがなくなるので、やめときます(笑)しかしまとめ方がヘタですね〜。感想と言うより引用文の羅列。しかしまだまだ書き足りないです!(これ以上やると本当にただのパクリだっつの)

 とにかくこの凄惨で悲惨な現実は是非知って欲しいものです。教科書や映画では知る事は出来ない、教えてくれることもない。美化された過去の軍人や出来事がスポットを浴び、そして悲しみや感動ばかりがクローズアップされ、正にお涙頂戴と言わんばかりの現代の流れ。それらも否定しませんが、無残に死んで行った名も無き兵隊達を、この悲惨な現実を、色んなかたちで誰か表舞台に取り上げてくれ!(人任せ)

 

  とあるドラマにおいて受動喫煙シーンをカットせよとどこぞやの団体がNHKに抗議しておりますが、これがダメならこの日本軍兵士達は記憶からも消し去られ、陽の目を見る事は永遠にないでしょう。歴史をも無かった事にしろなど、やってる事は大本営と何ら変わらんです。

NHKさんはそれよりもドキュメンタリーでこの日本軍兵士達を取り上げて、証言と共にこの悲惨な現実を映像として広く伝えて欲しいです。

 

本書の感想と言うより、何を伝えたくてお前は一体何がしたいのだ?という結論に至ったのであります。

別の視点から戦争を知るという意味でも、是非一度読んでいただきたい書籍です。