なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

ついに40代も今年で最後となってしまった

なるがです。久しぶりの投稿です。

 

 気が付けば今年も残り一月を切りました。本当にあっという間です。来年は遂に50歳という人生の折り返し地点……否、折り返しでは無く通過点と言うべきか? その通過点を迎える訳です。日々過ぎるのは早く感じても、トータルで見ると、おっそ!やっと半分に到達⁈ まだまだ先は長い!長すぎる! となります。 僕は100歳まで生きたいので、これまでの人生をあと同じくらいこなさなければいけないのです。そう考えるとめちゃくちゃ長く感じます。

 

 さて、これからどうやって生きて行こうか、そんな事を深く考える段階に入ったとも言えます。今から大挙してやって来る色んな困難や出来事も経験していかなければならないのか、と思うと少し憂鬱にも思えますが、これらをクリアしていかなければ100歳には到達できないでしょう。

人の生死、健康、お金、家族、仕事、友人(いないわ汗)等……今まで特に考えて来なくとも何とかなった事が、嫌でも考えざるを得ない状態に置かれるという事でもあります。少なくとも上記に挙げた事柄は絶対に避けては通れません。

深く考えすぎなのかなぁというか、まだ大変さやピンチを乗り越える経験をしていないからだと思うのですが、果たして大丈夫なのでしょうか。

子供たちが成人するまでは死ねませんし、お金も稼がなければなりません。健康面でも体のメンテナンスは必須、体を壊したなら仕事も出来ずに無職、離婚、挙句寝たきり、極貧生活……とか考えると、あり得る!!と思ってしまいます。

 

 こんなネガティブな事を考えていても仕方ないのは分かっています。今までだって十分あり得る事だったのですから。いえ、50歳という自分でも良くわからない年齢に戸惑っているのかもしれません。50歳ですよ⁈意味不明だと思いません?

特に何かを成し遂げたでもなく、成功したとも言えず、精神は20代のままなのに、これからついていけるのだろうか?と。歳だけ食ったオッサンですよ僕は。

50歳という年齢は、いったんこの時点で自分がどう思っているか、自分の精神状態はどんなものなのかを測る目安なんじゃないだろうか。少なくとも自分は不安要素の方が大きい。攻めより守り重視に入っている感じですが、どうなんだろう。

いや、しかしこれは視点を変えて攻めを捉えていくべきか。仕事でも健康でも収入でも、奇抜な事をやれという意味ではなく、自分から動く事が大切という意味で。

 

攻撃は最大の防御なり、と孫子が言ってますが正に言い得て妙です、この50歳においては。すべてにおいてまず防御しなければならないが、勝てるときは迷わず攻め続ける、こういう事なんかな? サッカー日本代表も攻め続けた事で勝てた訳だし、防戦一方ではやがて疲れてくるだろうしそもそも勝てませんよね。

決して諦めることなく、守りに徹しながら隙を見て攻め続ける、といっても守りを強化するための攻めを行うのであって、ここでいきなり「よし!起業だ!」とはならないのですね。

 

 ふぅ~、なんとかネガティブで終わりにせず、最後にできるだけ回避できるように持ってきたつもりですが、こうして文字に起こしてみるとぼんやりと見えてくるものもありました。僕自身は基本ネガティブ人間なんですが、絶対に最下層のライン以下には行きません。落ち込んでも最終的に楽観的でいる事がそれを防いでくれます。このあいまいなフワフワした感覚はポジティブでもありネガティブでもあります。ある意味自分自身が無いんじゃないかとさえ感じます。

 悩むことはやはり人間にとって必要不可欠です。それをする事によってのみ新たな視野が広がって来るのだと思います。深く悩んだり考え込んだときはかなり落ち込みますし、精神的にも疲れます。でも、そうして悩むことが正しい事なんだと、当たり前の事なんだと、今の僕はそう思います。

そして悩むだけ悩んだら、考えるだけ考えたら、もう次の瞬間には「まっ、いいか」と言っている事です。ただ、何も思い悩まずにそれをしてもあまり意味が無いかなと思います。悩み抜いた後にこそ、解放された境地に至るのです。そしてその状態まで行ったなら後はもうこうするだけです。

 

なるがままにされよう……。

(たぶん落とせていると思いますがどうでしょう)