なるがです。
この夏、僕は某拘置所にぶちこまれました。
嘘です。
前回の続きです。
実際に収容者と同じものを食べるという、なかなか無い経験、いや、これから先も無くていい貴重な経験でした。
主食も麦飯で、米飯は出てきません。白米が3割ほどブレンドされていると聞いていましたが、本当に入っているのかと思うくらい食べた感じは10割麦です(笑)
米飯をゆっくりと咀嚼して行く先に訪れる奥深い甘みなどは微塵も感じられませんでした。
そうしているうちにお昼休憩も終わり、そろそろ収容者の食器類が下がってくる頃です。さて、いよいよここからが本番です。
前述した通り収容者とは顔を合わせる事がありません。2枚のシャッターを使い、片方どちらかが閉まっている状態にする事により、顔を合わす事なく作業が出来るのです。
シャッターの向こう側では食べ終えた食器を積んだ台車がじゃんじゃん運ばれて来ているようです。
施設の天井には赤色灯が設置されており、点灯している間は収容者が作業中という意味で誰も入れません。消灯すると作業終了、入っていいよ〜のサインです。
ロックが解除され、6名の洗い場の方たちが待ってましたとばかりになだれ込んで行きます。僕も置いて行かれないよう後に続きます。
洗い場は戦場だ
なんと言っても数の多さ!次から次へと台車が運ばれてきます。まずは食器類や残飯、ゴミなどの仕分けです。まだあるんかい‼︎と言ってしまうほどの量です。700名超の食器は初めての体験でした。
しかし食べ残しの多い事!食べ方も汚い!殆どは完食に近いですが、700名近くの残飯はエゲツない量になります。チリも積もれば残飯の山です。
洗い場の平均年齢は見た感じ60歳代くらいのおっちゃん&おばちゃんです。この人たち、めちゃめちゃ働きます!しかもキレッキレの動き。脱帽ですわ。それとは対照的に、研修生と思しき若手も一人いましたが、まるで覇気が無くブスッとして目が死んでます。
『何でこんな事しないといけないんだ?』と思っているように見えました。
僕は追われる仕事は慣れているのでテンション上がりまくりです。忙しければ忙しい程動きにキレが出て楽しくさえ感じます。
嫌だと思いながらやるとそれに囚われてしまいます。開き直って目の前の仕事に集中すべし。と、その若手に言ってやりたい。
しかしすごい量です。休む間もなく洗浄機はフル稼働。湯気がもんもんと立ち込め、まるでサウナ状態。まさにカオス! 汗もダラダラ。この人たち半端ないって…!
もっと半端ないと思ったのは、連携がしっかり取れており、各自の動きに全く無駄が無いのです。やるべき事を把握して、人の仕事を見て、考えながら仕事をしているという事です。
洗い場は一見すればただ洗うだけの単純作業と思いがちですが、実際効率良くフル稼働させる為には頭を使わないと到底出来ません。故に大変奥が深い作業なのです。これは勉強になりました。一つ一つの作業には、後のことを考えた意味が付加されているのです。
ようやく先が見えてきました。この頃僕はすでにヘトヘトです。体力なくなってきてるなぁとおっさんを自覚しました…。でもまだまだ元気!
約一時間半の集中した作業を終えて、やっと休憩に入ります。その頃隣の厨房では夕食の盛り付けが始まっております。
なるほど、一日の流れが見えてきました。
という事はだな、この後収容者が夕食を取りに来てその間に僕らは休憩、食べ終わる頃にまた戻って片付けに入る。このルーチンを一日朝昼晩3回繰り返すという事になる。
…あの蒸し風呂を3回もこなすだと?
体力が持ちませ~ん(笑)
若手の目が死んでたのも頷ける(笑)いやはや、おっちゃんおばちゃんは毎日こんなハードな作業をこなしてるのか。スゲーわ。参りました。
5日間働きましたがもうお腹いっぱいです。飯の量は少ないですが。
拘置所での体験を振り返って
こういう特殊な現場を見る事が出来たのは大変良い経験となりました。前回の記事で、作り手のモチベーションはどこにある…等、失礼な事も書きましたが、皆さん一生懸命働いておられます。この現場が特殊な為であり仕方のない事なんだと思います。
まぁ、こんな事マジメに考えてたらまずここでは務まらないでしょう。奉仕の精神の領域を超えてます。
逆に収容者の存在がオープンになっていたら、働く人は精神的にまいってしまうかもしれません。顔を見ないからこそ出来る事でもあり、ある意味何も考えず粛々とこなす事が最も重要なのでしょう。
全国に拘置所は8施設、拘置支所は111施設あります。それに加え留置所、刑務所などをあわせるととんでもない数の収容者がいることになります。世界を見れば日本など全然少ない方だと思いますが、だからと言って良い訳がありません。
大事な税金で運営されていますが、本当に困っている人達の為にこそ使うべきだと思うし、施設はもっと厳しくあってもいいのでは?と思います。絶対に行きたくない場所であるべきだと思うのです。
いろいろ事情はあるのでしょうが、真っ当に生きていればまず世話になる事は無いはずです。目先の欲に絡んで罪を犯し、ここに入ってしまうのは自業自得というものです。
自由も無く、景色も見れず、不味い飯(そういう意味ではない)を食わされ、冷暖房も無い狭くむさ苦しい部屋で過ごすなぞ、人生の無駄遣いとしか思えません。一時の誘惑や欲望、自分を省みなかった代償はとんでもなく大きくなると知るべきです。
今回僕は身近にこの現場を感じ、少し働いただけですが絶対世話になりたくないと思わせる場所でした。
偉そうに言ってますが僕も今まで悪いことはいっぱいして来ました。けれど、人間としてやってはいけない事は分かります。それによって短い人生を棒に振る事は無いのです。
辛い事の方が多い人生ですが、自由がない辛さほど堪えるものは無いでしょう。
それでも毎日収容者はやってきます。忙しくしてるうちは喜べない状態にあるという事なのです。
悪い事はするもんじゃありません。
お天道様とモサドが見ていますよ。
いろいろと考えさせられる、大変貴重な経験をさせてもらいました。