5日前、伯父が亡くなった。
教えてくれたのが2日後だったので通夜には間に合わないが、葬式には参列出来る。
しかし遠く離れているので、両親からは無理して来なくてもいいと言う。だけど何かモヤモヤする。
正直、交通費も馬鹿にならないし、家族での予定も入っている…。うーむ、どうしたものか。
こんな時は心の声に従うのが一番だと、自分で納得させるように聴いてみる。
…よし、行こう!
しかし、子供たちが楽しみにしていたUSJに行く予定を蹴ってまで行かなあかんのか?
それに大人になってからは殆ど会っていない。
だが子供の頃から良く気に掛けてくれて世話になった方だ。
僕にとっては究極の選択にも思えた。
恐る恐る(笑)妻に聞いてみる…。
「悪いけどやっぱり行く事にしたんやけど…」
すると、
「ええよ。自分が行きたいと思ったのならそうしたらいいし、別に悪い事なんかないで」
なんとも意外な返答に拍子抜けしそうだった。
てっきりブーイングの嵐かと思いきや、子供らもスンナリ受け入れてくれた。
このひと言は本当に有り難かった。
まさに背中を押されるとはこう言う事なんだな。
これで心置きなく向かう事が出来る。
きっとこの借りは返すからと約束する。
ここで新たな情報が入った。
お寺さんの都合で1日延期となったのだ。
つまり、通夜から参列する事が出来る。なんという幸運。
これはきっと伯父が『待ってるぞ』と言ってるんだと思った。
伯父は83歳で亡くなったのだが、自分もこの歳になると死というものに関わる事が多くなってくる。これからもっと増えてくる事は決まっている事なのだ。
死は人間である以上避けて通れない道なのだが、せめて歳の順番に死を迎えられたら、と思わずにいられない。
なので両親より先に逝ってはならない。というのが僕の持論でもある。
そうは言っても、いつ死ぬかなど分かる訳がないのだが、こうして順番に送り出していくことがきっと自然な流れなんだろうな。
みんなでお別れをして、さよならする。ただこれだけの事なのに、もう二度と会えないと思うといろんな感情が湧き上がってくる。
ここに眠っているだけなのに、動かないのが信じられない。
みんな「ありがとう、ありがとう」と言って泣いている。
こうして泣いてくれる事は伯父もきっと嬉しいだろうな。
僕がいつか死んだときもこうして見送られたいものだ。
僕が生まれた時、僕は泣いて、まわりは笑っていた。
僕が死んだ時、まわりは泣いて、僕は笑っていた。そんな一生を送りたいと思う。
行くかどうか迷っていたけど、行って良かったと心底思う。
最後に顔を見てお別れ出来たことで、この場面が一生心の中に残るからだ。
そして、通夜から葬儀までの流れ、久しく会っていない親戚との交流もできた。今後やって来る親の死との向き合い方、兄弟姉妹との連携など、離れていれば分からない事だらけの事も改めて考えさせられた。
いろいろ考えながら帰途に就いた。そういえば妻と子供ら3人でのUSJは楽しめたんだろうか。ずっと楽しみにしてたから、やっぱり悪い事したな~という気持ちが拭えない。
しかし家に帰ってから聞いてみると、行ったのは行ったのだが、台風で雨風がひどすぎて結局入らずに帰ってきたと言う。
チケットも使わず仕舞い。ということで今度ちゃんと4人で行けることになった。
伯父の所に行かなかったらたぶん後悔しか無かったと思う。
心の声を聴いて、パッと浮かんだ事はたぶん信用に値するものだと強く思う。
今はそれが正解か判らずとも、最終的には正解に導いてくれる。そんな風に思う。
ヒラメキは信用していい。
最後になかなか粋な計らいしてくれたな、伯父さん。