なるがです。
コロ中(ころちゅー:コロナ継続中)も新たな局面を迎えました。21日、我が関西地区の緊急事態宣言がついに解除されました。
だからといって週末はハメを外してデパートへ行って爆買いしても良いんだ!(奥さん言)という事ではありません。爆買いはダメです。
直近一週間の累積感染者数が10万人あたり0.5人を切っている状態という事ですが、実際は、本当はどうなんでしょうねぇ。これ以上休業要請を出し続ければ社会が保たないから仕方なく、と言う事なのでしょう。あちらを立てればこちらが立たず、バランス良く両立していかなくてはならない状況です。
子ども達の授業の遅れも、これから取り戻さなければいけませんし、何よりも学校生活という経験を早く送らせてあげたい。通常再開もまもなく始まりそうですが、それでも沢山の制約の中で暫くはやっていかなくてはならない。そんな中でも学校が楽しい場所になって欲しいと切に願います。
そして子供たちにとっての制約の極みが、先日報道のあった甲子園夏の大会の中止です。インターハイ然り、全国でたくさんの競技の大会が中止となっていますが、この甲子園の中止はショックでした。何がショックかと言えば、球児たちの心境以外にありません。
プロ野球の選手はじめ、たくさんの方々が球児たちにメッセージを送っておられます。ですが彼らに声をかけてあげられるのは野球界のスター選手くらいです。僕なんてかける言葉が思い浮かびません。
泣いている選手たちを見ていると本当に悔しくて仕方ないのが伝わります。それだけ真剣に野球に取り組んできたからです。
僕も高校時代まじめに剣道やってきましたが、悔しくて泣いた経験はありません。部活が休みになった日は飛び上がって喜んでいたくらいです。試合に負けてものほほんとしていましたね。でも今から思うと、もっと真剣に取り組むべきだったと後悔しています。
彼らに甲子園の土を踏ませてあげ、グラウンドめいいっぱい使って練習させてあげる事くらいは出来ないのでしょうかね。
あの大観衆の中でプレイする事にはどうしても叶わないのですが、このままだと彼らのモヤモヤは一生晴れないのではないか? 言い方は不謹慎ですが、彼らは死に場所を求めているのだと思うのです。言いたい事分かりますかね。
つまり、区切りとしての何か。
その何かを考えた時に、甲子園の思い出としてグラウンドを解放する、という事なのです。
まぁ、こんな事を思っても自ら発信せずこんな所で呟いてるだけの人間なので、心の中で思うのと大差ないですねw
高校球児に限った事ではありませんが、アクシデントに見舞われた彼ら子供たちに死に場所…もとい、集大成としての場所を与え給わんことを。