なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

わたしとインターネットなるもの

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

 インターネット文学なる言葉は恥ずかしい話ここで初めて耳にしました。何やらめちゃくちゃ敷居の高いものの様にも感じられるのですが、今この時代に文学と言う言葉はある意味新鮮な響きを感じます。活字離れと言われて久しい現代ですが、ネット時代でもやはり書き物読み物はいつでも人の心に訴えるものであって欲しいと思います。

 

 僕がインターネットなる響きを聞いたのは遥か昔、今から21年前の、確か2000年頃だったと記憶しています。は?インターネット?なにそれ?位の知識しか持ち合わせていなかったのでまったく興味がなかったのですが、何を思ったか流行りに乗っかろうという薄っぺらいノリでパソコンを購入したのでした。当時の価格で¥15万程だったと思います。バカでかいモニターのデスクトップパソコンでした。

しかし、パソコンを買ったのはいいのですが、使い勝手が全く分からず、まさに宝の持ち腐れ状態…否、豚に真珠、猫に小判状態でした。

 

正直なところ今でもインターネットの何たるかを理解していませんし、使いこなせていません。今コレを書いている事が町内の回覧板レベルでなく、世界中に発信している事が未だ信じられません(笑)本当にすごい技術を実に簡単に使わせてもらっています。

 

 さて、当時パソコンを購入して何をするかと言えば、ゲームか、ネットサーフィンしかありませんでした(今もそう)。インターネットにはたくさんのホームページが存在しており、サイトを訪れる事で今まで知らなかった情報などが実にたやすく得られる事に驚いたものです。

 その中でも僕が一番興味を持っていたものは『過去の戦争』についてです。

このブログの中でも戦争について少し取り上げていますが、僕は過去の戦争について知りたい事が今でもたくさんあります。インターネットには膨大な量の情報が載っていますが、インターネットを知る前、何か知りたい事があれば辞書を引くか紀伊国屋書店へ行くしか方法がありませんでした。しかしネットの登場によって部屋に居ながらにして欲しい情報がすぐに手に入れられる様になりました。それが正しい情報かどうかは置いといて。

探せば本屋にも欲しい内容のものは当然あります。しかしそれに出会う為にはそれ相応の時間と、さらに『運』が必要です。

この世に存在しているごまんとある文献の中から、自分にとって本当に価値のあるものに出会う事というのは本当にまれです。そして比較するためにそれなりの量の文献を読み、ある程度知識を吸収する必要もあります。本屋通いでは時間もお金にも限界があります。(特にお金)

ですがこのインターネットの中には大量の文献があり、無名の著者が書いた面白いものも驚くほどたくさんあります。

そして僕にとって本当に価値のあるもの、それはノンフィクションであり、紛れもない生きた証でもある『日記』です。ただの日記は本屋には売っていません。買えるものもありますが、それは色付けされたものが多いのではないでしょうか。

とはいっても僕の求めている日記とは従軍中に兵士が書いた日記や、戦時を生き抜いた人たちの文章です。特殊と言えば特殊なんですが、これがインターネット上には結構たくさんあるのです。僕が求めるものは、ひっそりと存在する名もなき人が書いた日記なり証言なのです。

 

 祖父が太平洋戦争で戦死しているのですが、いったいどうやって死んだのか、どんな最期だったのか。そして34歳だった当時、どんな思いだったのか。知ることは不可能なんですが、たくさんの兵士の証言や日記を読むことによって祖父の気持ちが少しは分かるのではないか、とそう思った訳です。

フィリピンのパラワン島に於て1945年3月14日戦死。終戦の5か月前です。あと少し生き延びていれば…と思わずにいられません。

僕はある時ふと、他人の日記の中に祖父がいるんではないか?と思いつきました。今は亡き祖母からの証言や時系列をもとに辿りながらインターネットの中を検索しておりました。そしてとある中隊長の日記を読む中でそれは僕の目に入ってきました。

『〇月〇日誰それが死亡』と日ごとに綴ってあるのですが、なんとあろうことか、そこに書いてあったものは祖父と同姓同名、そして戦死日、階級まで同じなのです。

まさかそんなことはあり得ない、偶然にも程がある!と思ったのですが、その日記で亡くなった場所はインドネシアボルネオ島で、祖父が亡くなったと言われているパラワン島の隣の島ではないですか。

「これは、間違いなくじいちゃんだ…」

ただ確信は持てません。じいちゃんかもしれないし、全くの赤の他人かもしれないのです。

これを見つけた時の不思議な感じは今でも忘れられません。会ったこともない人なのに、やっと会えたという矛盾した感覚? 

この後もっと詳しく調べる為に軍歴証明書を発行してもらう!とか言いながら4年放置しています(汗)たぶんもう発行することはないでしょう(笑)

 

 わたしとインターネットと言うならば、間違いなくじいちゃんと巡り合わせてくれた恩人と言えるかもしれません(人?)。 いや、全くの他人かもしれないんですがね、でも僕はこれを祖父だと思いたいのです。探し回ったおかげで必然と沢山の兵士たちの声も知ることが出来ましたし、ある意味祖父がそう導いたのかもしれません。

 

 インターネットには多種多様な情報があり、そしてそれを自分自身で選び取る事が出来ます。テレビの様に与えられるものを受け取るのではなく、自らの意志で探し、受け取りに行く事です。ただ便利さの裏に潜むリスクも十分理解する必要があります。これからもっと高度に発達したネット世界が出てくるでしょうし、情弱の僕なんかは特に気を付けなければいけないと思っています。

人生で得られる知識には限界があります。本を読む事、活字に親しむ事はこれからも時間がある限り続けていきたいなと思いつつ、コロナ禍の今、インターネットで検索しまくって引きこもりまっしぐらに向かいつつある今日この頃でもあります。