なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

わたしとインターネットなるもの Ver.2

なるがです。

 今日、わたしとインターネットについて文章を書いたのですが、1発目の記事は人の目を気にして格好つけた、優しいきれいごとばかりの文章を書きすぎました。お詫びします。これが本当のわたしとインターネットです。 

 

「わたしとインターネット」

 インターネットなる言葉は恥ずかしい話僕にとってエ〇スの代名詞でもあります。何やらめちゃくちゃあやしい様に感じられるのですが、今この時代にエ〇スと言う言葉はある意味新鮮な響きを感じます。若者の恋愛離れが加速中と言われて久しい現代、SNS、出会い系、リアル指向のネット時代でも、実は書き物読み物の中にも人のアレに訴えるエ〇スがあることを知って欲しいと思います。

 

 僕がインターネットなる響きを聞いたのは遥か昔、今から21年前の、確か2000年頃だったと記憶しています。何を思ったか、思う存分エ〇画像を見たい!ただそれだけの理由でパソコンを購入したのですが、使い勝手が全く分からず、まさに宝の持ち腐れ状態…否、豚に真珠でした。

正直なところ今でもインターネットを使いこなせていませんが、本当にすごい技術を実に簡単に使わせてもらってます。ネットすごい。

 

 さて、当時パソコンを購入して何をするかと言えば、エ〇ゲームか、エ〇サイトのネットサーフィンしかありませんでした(今もそう)。インターネットにはたくさんのホームページが存在しており、サイトを訪れる事で今まで知らなかった情報などが実にたやすく得られる事に驚いたものです。

 その中でも僕が一番興味を持っていたものはやはり『エ〇ス』についてです。

このブログの中では流石に大っぴらに取り上げられませんが、僕はエ〇スについて知りたい事が今でもたくさんあります。インターネットには膨大な量の情報が載っていますが、インターネットを知る前、何か知りたい事があれば辞書を引くか、年老いたじいちゃんが番頭をしている書店へ行くしか方法がありませんでした。しかしネットの登場によって部屋に居ながらにして欲しい情報がすぐに手に入れられる様になりました。それがヒットした情報かどうかは置いといて。

探せば本屋にも欲しい内容のものは当然あります。しかしそれに出会う為には『相当の覚悟』と、さらに『強運』が必要になります。

この世に存在しているごまんとあるサイトの中から、自分にとって本当に価値のあるものに出会う事というのは本当にマレです。そして比較するためにそれなりの量のサイトを訪れ、ある程度知識を吸収する必要もあります。本屋通いでは時間もお金にも限界があります。(特にお金)

ですがこのインターネットの中には大量のサイトがあり、プロでない素人による面白いサイトも驚くほどたくさんあります。

そして僕にとって本当に価値のあるもの、それはノンフィクションであり、紛れもない生きた証でもある『掲示板』です。ただの掲示板は本屋には売っていません。買えるものもありますが、それは色付けされたものが多いのではないでしょうか。

とはいっても僕の求めている掲示板とは、生々しい本音が書かれている掲示板のことで、修羅場をくぐり抜けてきた人たちの本気の文章です。特殊と言えば特殊なんですが、これがインターネット上には結構たくさんあるのです。僕が求めるものは、ひっそりと存在する名もなき人が書いたエ〇スを含む文章なのです。

 

 何故人間はエ〇スに魅了されるのか、いったいどう○○するのか、どんな○○だったのか。そして28歳だった当時、僕はそれを知りどんな思いだったのか。知ることは限りなく無駄でどうでもよい事なんですが、たくさんの勇気ある本気の文章を読むことによって彼ら戦士たちの気持ちが少しは分かるのではないか、とそう思った訳です。

 

僕はある時ふと、他人の文章の中に知り合いがいるんではないか?と思いつきました。キーワードと時系列をもとに辿りながらインターネットの中を検索しておりました。

ですがそう簡単には出て来ないものですね(笑)

そんな事よりも当初の目的である最強のエ〇画像を見つけるために、当時の僕はADSLの激遅い通信環境で必死に戦っておりました。1枚の画像表示に数十秒を費やし、表示されたそれがBBaだった時の悔しさも経験しました。

そして欲しいものをやっと見つけた時の不思議な感じは今でも忘れられません。会ったこともない人なのに、やっと会えたという矛盾した感覚? 

この後欲を出し、もっと詳しく調べる為にあやしいサイトを転進していたらダイヤルQ〇という、知らないうちに激課金されてた事もありました(汗)。もう絶対に訪れることはないでしょう(笑)

 

 わたしとインターネットと言うならば、間違いなくエ〇スと気軽に思う存分巡り合わせてくれた恩人と言えるかもしれません(人?)。 いや、インターネットに関わる動機がそもそもおかしいのですがね。全く。でも僕はこれを恥ずかしげもなく言うならば、これこそが本音なのです。そして日々眠い目をこすりながらサイトを探し回ったおかげで必然と沢山の戦士たちの声も知ることが出来ましたし、ある意味僕に宿るエ〇スの執念がそう言わしめるのかもしれません。

 インターネットには多種多様な情報があり、そしてそれを自分自身で選び取る事が出来ます。テレビではとてもじゃないが放送できない事でも、自らの意志で探し、受け取りに行く事が出来ます。ただ便利さの裏に潜むリスクも十分理解する必要があります。これからもっと高度に発達したネット世界が出てくるでしょうし、情弱の僕なんかは特に気を付けなければいけないと思っています。エ〇サイトに潜むウイルスによって幾度となく苦しめられ、挙句の果てにリカバリ不能となった初代パソコンのように、多少の犠牲を伴う痛みを経験することもあるでしょう(普通はない)。

人生で得られる知識には限界があります。映像しか勝たんこの時代に、今はすたれ気味のエ〇本を読む事、活字の中にもエ〇スは宿っています。辞書の中にあるセ○○スという単語からとめどなく妄想があふれ出た中二病のあの日も、人生における素晴らしい時間なのは間違いありません。エ〇スある限り知識の吸収は続けていきたいなと思いつつ、コロナ禍の今、インターネットで検索しまくって、さらに引きこもりまっしぐらに向かいつつある今日この頃でもあります。

最後にお詫び申し上げます。

僕の場合エロスなどという文学的なものは微塵もなく、ただのインターネットを徘徊するエロおやじだった事に今気づきました。すいません。