なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

コロナ禍の1年を振り返って思う事

お題「#この1年の変化」

 

 僕には友達と呼べる人がいません。いませんというか、僕は自分から連絡を取らないズボラ人間なので自然と人が居なくなるのです。困ったことにひとりが大好きで、友達がいなくても全然大丈夫なのです。世間ではコロナ禍で友人・知人と久しく会っていないと良く耳にしますが、僕の場合は何年も前からある意味コロナ禍の様なものです。変化はまったく見受けられません。

 あと、電車通勤を車通勤にしてから歩かなくなりました。運動不足で脂肪が蓄積されております。当然人と会わないので格好にも気を使わなくなります。また、常にマスクをするので髭を剃らなかったり、「あっ、歯を磨き忘れた!」と思っても、ま、いっか(笑) と流す事も平気で出来るようになりました。

 

まとめると、この1年で変化があったと言えば、また体重が増えた!という事でしょうか。コロナ太りとも言いますし。

 

 世間ではコロナ禍の勝ち組と負け組がはっきりと露呈した様に思います。当然その一言で片付けられる問題ではありませんが、勝ち組の一例としては、巣ごもり需要によるインターネット関連事業やゲーム事業・小売業などが大当たりしました。一方、負け組と言うのは気が引けるのですが、飲食・宿泊などのサービス関連業がモロに大打撃を受けています。

飲食業の僕にとっては負け組を意識せざるを得ず、コロナ禍がもたらした問題はとてつもなく大きいものとなりました。

 

「飲食に関わっていれば、そうそう食いっぱぐれる事は無い」

人間の3大欲求と言われている、食欲・睡眠欲・性欲 のうちの「食欲」を生業としているので、絶対に一生仕事にあぶれる事は無い!との短絡的思考で今までやって来た訳ですが……。

 

あぶれる寸前です。

飲食でも食いっぱぐれる事があるんだとショックを受けております。

 

 食欲は人間が生きるための自然な欲求であり、これを回避する事はどんな聖人君子でも不可能でしょう。人間は腹が減ったら何でも食べてしまう生き物なのですから。

睡眠欲をとっても徹夜はもう出来ませんし、性欲も中学生並みにあります。しかし皮肉にも食欲が原因なのか回避され続けています。でもそこはやはり我慢して、聖人君子(賢者)として振舞っております。

そんな話はどうでもいいとして、

 

 今まで飲食店が潰れるのは、クソマズイか、経営が下手くそか、パワハラで人がいなくなるかしか考えられなかったのですが、いやいやまさかのウイルスによる人々の外出自粛、行動制限が原因だと、一体誰が予想だに出来たでしょうか。

人々が行動しなくなる、出歩かないという事はつまりお金を落とす場所が無いという事に繋がります。人が来なければ売り上げも立ちません。これは飲食業のみならず、すべてのサービス業が直面している苦難なのです。

幸いにも僕はまだ働ける場所がありますし、収入も何とか維持できています。それはコロナが流行する数か月前に現職場に異動になったからで、元いた店舗は大赤字で閉店となりました。

後任の人を思うと申し訳ないやら複雑な気持ちですが、僕も自分を守るために必死です。これも「運」なのでしょうか。幸いにも雇用は切られずに済んだのですが、行く場所がないのであっちこっちと現場を振り回されています。本来なら僕がそうなっていたのです。こんな面でも勝ち組・負け組と意識してしまう自分がいてサイテーだな、と自己嫌悪になったりもしました。

 

 ところが同じ飲食業でも、テイクアウト・デリバリー等のサービスは絶好調です。やはり人間の食欲は不滅です。外食が出来なくても食を求めて人々は動くのです。そしてその需要をいち早く察知し、臨機応変に動いた事業主が生き残っています。

 

 飲食業はこれからどうなっていくのか。生き残るにはどうすればいいのか。

店を構えてお客さんを待つスタイルは当分苦戦を強いられるのかな。今は会社に雇われていますが、来客が無く売り上げが無ければ当然自分も必要なくなるかもしれません。対岸の火事では済まないでしょう。もう飛び火が来てます。

 

手に職があるから失職する事は無い、鉄壁と思われた飲食業が根本から覆った一年となりました。

それでもやはり、いつかは人は戻ってきます。

そう信じて今は一生懸命自分の出来る事をやるしかない。

ただ今までと同じ事をやっていたのでは生き残れないんだと痛感しています。