なるがです。
最近はコロナ鍋の事ばかり書いてますな。テレビを点ければコロナ鍋。チャンネル回せばコロナ鍋。どこもかしこもコロナ鍋。コロナ鍋を見かけない日はありません。そうそう、昨日は狭いベランダで「すき焼き鍋」をしました。屋外で食べるご飯はやっぱりひと味違いますね。家族の会話も「しりとり」メインでしたがいつもより弾みました。楽しかったです。
食事後はここにテントを張って寝ようという事になり、2人用のポップアップテントを展開しました。寝るだけですが小学生の息子はとてもはしゃいで喜んでおりました。ただ、はしゃいでいたのは最初だけで、後はひたすら中でSwitchに興じておりましたが。
とにかく気分転換になって良かったです。今日は奥さんと娘が寝る予定ですが、あまり乗り気じゃないみたいです…。
緊急事態宣言も5月末まで延長されました。当然といえば当然です。それと同時に「新しい生活様式」なる緩和策も提示されました。ウイルス対策を取りつつコロナと共存しながら生活するという事です。
同じく海外では経済活動の再開が始まりました。欧州ではまだ感染者が出続けている状況にもかかわらずです。日本もそれに続け!とばかりに便乗している様に思うのですが…。
安倍首相は延長を宣言したハナから状況によってはいつでも解除すると言ってます。14日を目処にと言う事ですが、多分解除になるんちゃいますかね。国民が先に意見して率先して動いて、政府がそれをあたかも自分達がやってる様に報じる。今回も延長に対する物議が大きくなり過ぎて途中で妥協する事になるのだと思います。数値などはお得意の改ざん、低く発表すれば良いのですから14日には解除されるでしょう。
上記は専門家会議によって提示された内容の一部です。計画を立案するのはいいのですが、やるのは現場です。対策が細かければ細かいほど現場の負担は増えます。
まるで海軍が零戦(ゼロ戦)に要求した能力の様に、無理だろ!と思う様な内容も見受けられます。
それでも成し遂げるのが人間のすごいところです。この新しい生活様式も、堀越二郎よろしく現場の人間がこれから頭を悩ませ、工夫を重ね、試行錯誤しながらやり遂げるのだろうと思います。
しかし要求をクリアする為には、何かを犠牲にしなければならなくなるでしょう。零戦の防弾装備を省いた様に、ある日そのしわ寄せが出てくる筈です。
飲食時は対面に座らないとか、大皿料理はやめるとか、喋らないとか、団体は避けるとか、そんな事してたら入るお客さんも入らない。当然売上も上がりません。上がらなくなったらどうなるかは言わずもがな。新しい対策のフリをした愚策です。
それにしてもこの策は戦時中の大本営案と何ら変わらないですね。余りにも非現実的な理想ばかりを並べ立て、現場に任せっきりにしてしまう。で、出来なければ対策が甘かったのでは?とでも言うのでしょうか。そんな気がします。
ぶっちゃけ無理です。知り合いの飲食店オーナー達も余りにも現場目線でないこの政策に呆れ返っています。給付金も送る送る、支援すると言いながら全然進んでません。
戦時中、大本営作戦参謀たちは、米軍の攻撃があった場合は増援部隊(=補償)を送るとしながら、実際には制空権も制海権も失い、増援部隊を送ることができませんでした。
何となく今はこんな感じですか?PCR検査にも言える事です。
検査数を大幅に増やすと言いながら、実態は人員不足、体制が整っていない、保健所の業務過多であるとか、今頃?何を言ってるの?としか思えない事だらけです。
増援部隊を送るまでは持久戦に持ち込み、全軍何とか耐えて戦い抜かれよ!とは綺麗事で、言い換えれば全員戦死せよという事です。
国民の自粛も今回の延長で忍耐の限界を迎えると思います。頑張って頑張って、耐えて耐えて頑張ってきたのにここへ来て延長です。いったい補給はいつになるのか! マスク2枚配布するのですらグダグダなのに、給付金になるとグダグダは倍増する事でしょう。持続化給付金制度の条件は複雑で判断し難いものです。これも余りアテに出来そうにありません。なんでこんなに遅いんでしょう。
真面目な国民は政府の言うことをひたすら守り、完全ではないがここまでやってきました。「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓をご存知かと思いますが、戦地における犠牲はこの戦陣訓が兵士達の足枷になり犠牲者が増大しました。
言えば言う事を聞く素直な国民で良かったと、自分達を犠牲にしてでも人を守りたいと思う国民性で良かったと、政府は思っているのでしょうか。
大本営の作戦参謀達は補給を軽視した作戦が多く、結果それがもたらしたものとは、おびただしい数の餓死者です。栄養失調からマラリアや脚気を誘発、飢餓に苦しみ、自決(自殺)を選ぶ兵達も数え切れない程いました。
餓死=倒産、と置き換えても間違いではない気がします。お金を渋って出したがらない政府が、倒産と自殺を生み出す構図にならない様に、早く、早く対策を。
大本営参謀達は終戦時、数人以外は責任をとっての切腹はしませんでした。
特攻の生みの親で知られる大西瀧治郎は終戦の翌日、特攻隊として部下達を死地へと送った責任を取り、英霊とその遺族に謝すとし、割腹自決をしました。腹を十文字に切り、首と胸を刺しても死なず、駆けつけた軍医には「生きるようにはしてくれるな」と介錯を拒み約15時間もの間苦しみながら絶命しました。
その他の参謀達は自分達が唱えた戦陣訓とやらは平気で忘れ去り、戦後、平和な日本で年額800万円以上の超高額の軍人恩給を終生貰い続けたのです。
この切腹とは国会議員の汗と置き換えて見れます。極端な例ですが、身を切る思いで国民の為に動いている議員が見られるでしょうか。
野党はいつもの様に与党批判ばかりで、これも旧帝国陸海軍の対立に見えます。
命を張っているのは前線の司令官や兵達、現代で言えば即ち現場を引っ張る知事や市長、自治体、地域で働く人々、医療従事者です。
政府が発案した今回の「新しい生活様式」も大本営が立案した多くの「痛い作戦」と同類です。共通しているのは現場を無視している内容という事です。その無茶な作戦は失敗に終わります。
自粛を緩める方向に進んでいるのはある意味バクチと思います。戦力の逐次投入とも言える小出しの政策、そしてダメなら元に戻す。いったい何をどうしたいのかよく分かりません。
段階的に解除などと言っても、一部を解除すれば米騒動の様に我も我もと各々が一気に自粛を解くでしょう。中途半端な状況で経済活動を再開するしかない案もまさに戦争末期の様です。
…ああ、今回も支離滅裂なまとまらない文章になってしまいました。自分でもいったい何をどうしたいのか、言いたいのか分からなくなりました! すみません。ここまで読んで下さった方、申し訳ありませんです。
実は本当に言いたかった事は、最近よく見かける『コロナ禍』、これはどう読むのかについてです。
「コロナワザワイ」でも「コロナナベ」でもありません。
『コロナカ』と読むんです。