なるがままにされよう

このGブログも6年目に入りました。気が向いたときに書きます汗

桜花

なるがです。

 

 気付けば日の出時間も随分早くなり、朝の6時でもすっかり明るくなりましたね。まだ少し肌寒いですが、日中はポカポカと暖かく心地よいお日様と、上着が薄くなっている事に、新しい季節の訪れを感じさせてくれます。

新しい季節と言えば、やはり『春』が私たちの中のイメージとして定着しています。そして何故か切ない日々である事も感覚として実感できます。それはこの季節の中に、『別れ』と『新たな旅立ち』が混在している所にあるからだと思うのです。

例えば『卒業』と『入学』という誰もが通る分かりやすい体験が、春というこの季節を切なくさせているのです(たぶん)。河原の道を、自転車で、走る彼女を執拗に追いかけた記憶はありませんが、その時いつも傍にあったものは、間違いなく満開の桜であり、散りゆく桜でした。

古くから桜は我々日本人に愛されてきました。僕も桜は大好きです。満開の桜や、夜桜等、思わず見とれてしまうほどの花は桜以外に知りません。(知らないだけです)

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これほどまで愛される『桜』は常に多くのアーティスト達に頻繁に取り上げられています。音楽業界では「桜ソング」なるジャンルも確立されて久しくありません。その桜ソングもやっぱり歌詞や曲調は切ないものが多いですね。だけど悲しい感じではなく、美しい思い出の様な、凛とした空気感を持っています。

その中でもやはり僕の一番のお気に入りは、森山直太朗さくら(独唱)』です。

これはメロディもさることながら、声も、そして歌詞が見事としか言いようがありません。どんな歌詞なのかは自分で勝手に調べて下さい。(言い方)

 

  この曲を初めて聴いた時から、僕はこの歌詞が、戦争で亡くなった人たちの事を歌っていると思っていました。しかもそれは『特別攻撃隊』にスポットを当てているのでは、と思うのです

 

 『特別攻撃隊』とは、特別な攻撃を行う隊の事です。いつもとは違う攻撃、すなわち、通常ではない攻撃、いわゆる特別な攻撃を行うことです。故にその特別な攻撃を行う隊員達のことを特別攻撃隊と呼び、特別な攻撃をする隊、それが『特別攻撃隊』なのです。

 

爆弾を搭載した飛行機で敵艦めがけ、飛行機もろとも体当たりする、帰還を前提としない十死零生の攻撃、今では知らない人はいないであろう、泣く子も黙る『特攻』の事です。(ここでは航空特攻についてのみ言及します) 

この特別攻撃隊の第一陣が、カミカゼで有名な『神風特別攻撃隊(しんぷうとくべつこうげきたい)』であり、『敷島隊』『大和隊』『朝日隊』『山桜隊』の4つの部隊に分かれておりました。部隊名の元になったのが、本居宣長(1730-1801)が詠んだ『敷島の歌』です。

 

「敷島の 大和心を人問わば 朝日ににおう 山桜花」

(大和心とは何かと人が尋ねるなら、朝日に照って輝く山桜の花であると答えよう。)

 

日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の花の美しさを知る、その麗しさに感動する、そのような心です。(本居宣長記念館HPより)

 

まさに日本の心そのもの。(の様な気がする)納得ですよね。納得。

桜が美しいとは日本人のDNAに刻み込まれているのかもしれません。いえ、きっと刻み込まれているのです。

『桜』という漢字も、とてもやはらかな印象を受けます。「女」という字が使われているからでしょうか、女性をイメージさせ、花の特徴とも相まって、だけど強く主張もせず、優しく見守ってくれている様な、そんな雰囲気を感じさせます。それは…「お母さん」…か? 

とか言ってると『お母さん食堂』のように『桜』も、とばっちりを受けそうなのでこれ以上の深入りはやめておきます(笑)

 

 この様に、アメリカ人は切り離しましたが(このワシントンの逸話は実はフェイクらしいです)、日本人と桜は切っても切り離せないものなのです。

戦前の1912年には、日米の友好関係を深める目的で、日本から桜の木が寄贈されています。今でも『全米桜祭り』としてワシントンD.C.で毎年春に行われています。互いに戦争した2国ですが、日本とアメリカも実は桜で繋がっていたんですね。

 

 話を少し遡り、『さくら独唱』と『特別攻撃隊』まで戻します。

前述の通り、この歌は特攻隊の事を歌っていると書きましたが、当然歌などは人によっていろんな解釈ができるものです。(直太朗氏は友人の結婚をきっかけに作ったと言ってます)

特攻隊の事を知らない人は僕の様な解釈にはならないだろうし、知っている人は同じ解釈をしているかもしれません(実際にそういう声は多い)

しかし直太朗氏のオカン…失礼、母上殿はあの森山良子氏です。沖縄戦を歌ったDNAが息子に宿っていても不思議ではありません。

 

 僕は過去に『知覧特攻平和会館』へ足を運んだ事があります。そこには若くして散った若櫻の遺書・遺品・遺影などが展示してあります。皆20歳そこそこの活きのいい青年たちでした。中には18歳という若さで特攻した隊員もいます。 

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ここで詳しく説明すると恐ろしく時間がかかってしまいますので、いつものように割愛させて頂きます。興味のある方は自分で勝手に調べて満足したらいいです。(言い方)

www.chiran-tokkou.jp

特にこの知覧の特攻隊員達のエピソードに『さくら独唱』がぴったりくるんですよ。

特攻が行われたのもちょうどこの頃、桜が満開の季節でした。

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出撃を見送る知覧女学生「なでしこ隊

 

 そして戦争も末期となった1945年3月、新たな特攻兵器が初陣を迎えていました。

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『桜花』

既存の航空機に爆弾を積んで体当たりさせるのではなく、初めから特攻を目的として新たに設計・開発された兵器です。推進はロケットエンジン、その噴射時間はわずか9秒。全体の80パーセントが火薬というものであり、有人である事を除けば現代の対艦ミサイルの先駆けともいえるものです。

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 このように母機(一式陸攻)に吊るされて、目標近くで切り離されます。

桜花部隊は『神雷特別攻撃隊』と呼ばれ出撃しましたが、初陣で18機全機が母機もろとも撃墜されました。

その後の出撃では一機が米駆逐艦に命中、艦が真っ二つに折れるという凄まじい威力を見せつけましたが、実際は本命の空母まで到達する事が難しく、期待する戦果は上げられなかったようです。

『桜花』についてもっと詳しく知りたい!という方の為に、少し解説を挟みたいと思いますが、めんどくさいのでwikiさんに聞いてみてください。

 

 しかしほんの70数年前にこんな事が普通に行われていたなんて信じられますか?否、普通ではないのは分かっていたと思うのです。

特攻隊員達もちょうど高校を卒業、また、大学生活を満喫している歳の頃です。今の同世代と比較する事はナンセンスですが、今の若者たちは彼らを、いったいどう捉えるのだろうか。

 

 

 春になり桜が満開になると僕は彼らを思い浮かべます。彼らもこの満開の桜を、ただただ見たかっただろうなと思うからです。この世を卒業して、もう二度と入学する事は出来なくとも、想像の中であふれる若い力は、桜の木の下で友と楽しく語り合い、はしゃいでいたに違いありません。

桜を見て、あぁ美しいなぁと思う事は当時の彼らにもあったでしょう。そして散りゆく桜花に自分を重ねてもいたでしょう。その心境は如何に。本当の心は分かりません。今から自分は死にゆくというのに、笑顔と感謝を遺して逝ったそうです。

彼らの心を知るためには、彼らの遺したものを読むしかありません。

 

 戦争を、特攻を美化するつもりは毛頭ありませんし、それを理論立てて言うのはこの場では野暮でしかありません。ただ僕は今、この桜の季節にこそ、彼らの事を書くべきだと思っていましたし、ようやく書けた、と思っているところでもあります。ですが特攻そのものについてはまだまだ書き足りません。

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 知覧鎮魂の賦

 

 僕が桜に抱くイメージは日本であり、若くして散った彼ら勇士達です。自分の大切なひとを守るために、短い命を惜しげもなく捧げた彼らに対しては敬服の念に堪えません。

またこの季節がやって来たんだなぁ。桜は相変わらずきれいですよ。

 

てことは、次に特攻の記事を書くとしたら来年の今頃か、再来年になるんでしょうかね。

 

 

ここ最近夫婦でしていない

なるがです。

 

 このようなブログの中で私生活について赤裸々に書く事はあまり好きではないんですが、最近ちょっと、否、結構不満が溜まって来ているのでぶちまけてみたく(笑)

他の夫婦の皆様はこんな時一体どうしているのでしょうか。世の中にはうちと同じ様な夫婦がたくさん存在しているのはSNS等を見れば分かります。ですがそうではない仲良し夫婦が存在している事もまた事実です。

 

 僕は相変わらず朝から晩まで仕事の為、平日一緒にご飯を食べる事は無いです。子供たちと話す時間も多くて30分あればマシな毎日で、言わずもがな奥さんとのコミュニケーションも少ないです。仕事も早く終わらせて帰りたいんですが、中々終わらないんですよ。

 

 ここで、ちょっと恥ずかしい話なんですが、もう恥を忍んで言ってしまいます。 

最近家に帰ったら、奥さんが大体ひとりでしているんですよ。子供たちも寝てしまっているので、まぁ問題は無いとは思うんですが、ここんとこ帰宅したらほぼ毎日してるので、おいおい大丈夫か?と心配にもなります。

この前なんか誰かと会話しながら?していたのですよ。僕が帰った事にも気づかず、余りにも夢中になってしていたので、声をかける訳にもいかず、そっとドアを閉じてそのまま続けさせました。

ここ最近本当にこんな感じなので、心配が過ぎて知人の女性に相談してしまいました。自分の奥さんがこんな感じだって告白する事は少し気が引けましたが、相談せずにはいられませんでした。

敢えて相談相手を女性にしたのはやはり同性だから、何か分かるかもしれないと思っての事です。

その女性が言うには、毎日のストレス発散を見つけたんだと思うから、そのくらいいいじゃん?大目に見てあげたら?と言います。

 

 確かに毎日フルタイムで仕事して、ご飯作って洗濯して、干して、洗い物して、風呂洗って入れて、子供達の準備やら明日の準備して、自分の時間なんて無いですよね。

僕はと言えば、長時間労働と言っても帰ってご飯食べて風呂入って寝るだけで、家の事何もしてない…!そんな僕に奥さんも何も期待なんかする訳ないですよね。

世の中の奥さん方が何もしない旦那をこき下ろすのも納得です。子育ては夫婦でするものだ、と最近のネットニュースにも取り上げてました。奥さんの自由時間くらい好きな事させてあげないとな。それでストレスが発散出来てるなら安いもんだ。

僕も仲間に入れて貰おうと思って、ごく稀に一緒にする事もあるんですが、どうも僕は持続力が無くて途中で萎えてしまうんです(笑)飽きるというか。

僕にとってはそんな事よりも夫婦なんだからもっと別の事がしたい。と言っても帰る時間が毎日遅いので、結局ははじめに書いた様にいつもひとりで夢中になっている訳です。

最近はリビングで僕が晩御飯を食べてるすぐ横でおっ始めるので困りものです。ついにここまで来たか…。

僕は一人で黙々とご飯を食べて、その横で奥さんも黙々とそれに勤しんでおられる。

何だこの空間は⁈ こんなのは夫婦じゃない。

 

たとえ帰りが遅くても、ほんの10分、15分の会話くらいできるはず。それにも関わらず僕はまるで空気の様じゃないか。

コロナ禍で子供のために購入したSwitchのゲーム、『スプラトゥーン』って、そんなに中毒性があるのか?子供以上にハマって本当にひどいです。

僕は少しやったけど、すぐに飽きてダメでした。まぁ、いつかは飽きる時が来るでしょうから、今は好きなだけさせてあげようと思います。

夫婦で会話、してますか?

インターバル・シグナルを聴いている

なるがです。

 

 『インターバル・シグナル』(Interval signal 、略称『IS』)というのをご存知でしょうか。これは、ラジオ放送局が主に放送開始前に送出する、放送局を識別するための音楽の事をいいます。

 いわゆるオープニングやクロージング音楽とは別であり、もともと周波数が直読出来ないラジオで放送開始前にチューニングの手助けとして始められたものです。

また、複数の周波数を使用することの多い世界向け放送(短波放送)の場合は、放送開始前のインターバル・シグナルの時点で、その周波数の受信状態を知ることができ、最善な周波数の選択の参考にする事も可能です。直読出来るラジオが普及した現代においても、どの放送局か識別する上で有用な情報としてインターバル・シグナルは使われています。(です・ます調にした事以外ほぼwikipediaから引用)

 

 さて、前置きはこのくらいにして本題に入りたいと思います。『インターバル・シグナル』についてもっと詳しく知りたいと思う方もいらっしゃると思いますが、いつものように割愛させていただきます。(書けよ)

 このインターバル・シグナルには実はマニアックなファンがたくさんいるという事です。世界各国の多種多様なインターバル・シグナルを聴くことは、遠い異国に思いを馳せる、自分がまだ知らない未知の世界が存在するという事を意味し、チューニングが合う事で自分と世界が繋がった感覚があったんだろうと理解できます。

これは中波、いわゆるAMラジオではなく短波ラジオの事で、AMでは聞けませんが、お隣の北朝鮮からの平壌放送などはAMでも簡単に受信できます。

 

かつての冷戦時代には乱数放送と呼ばれる、ひたすら番号だけの暗号電文を読み上げる放送もしており、現地のスパイがこれを聴き解読、行動に移していました。

そしてなんと、この現代においてもこの乱数放送は行われており、北朝鮮では2020年からYouTubeでの放送も始めているそうです。一体誰が聴いていて、どんな指令を受けているのでしょう。気になりますね。こわいですね(ワクワク)

 


East German Numbers Station (1977)

いつものように話が脱線していってますね。

 

インターバル・シグナルに話を戻しましょう。

つまり、ラジオ放送前に流れる音楽の事ですが、本当につい最近になってこれを知る事になったのです。

僕は今現在、車通勤をしていて、朝の5時に家を出て、車の中でAMラジオを聴いていると、このブログでも書いてきました。この時点ですでに材料は揃っているはずなのに、今の今まで何故出会わなかったんだろうと不思議な思いです。

いつものようにラジオを聴いていて、信号待ちの際、何か面白い番組はないかなーとチャンネルを変えた時です。

 

何とも切なく優しいメロディが流れてきました……。

これは遠い昔、子供の頃に聞いた事のあるメロディ、かすかな記憶ではあるけど忘れられないメロディ、もう一度聴きたかったメロディ、それが今ここで、この瞬間に再会を果たしたのです。ああ、これは……!この時の衝撃は筆舌に尽くしがたいです。(笑)

 

NHKラジオ第2放送5:53~6:00の間に流れるインターバル・シグナル。

これが僕が記憶の奥底で出会いたかったものです。30数年越し?の出会いです。


NHKラジオ第2放送 放送開始時の音楽(高音質)

 これを聴いていると不思議な感覚になります。タイムスリップすると言いますか、ノスタルジックな感覚になるんですよ。まだ静かで暗い時間なのもそうさせるのに一役買っています。

脳裏に浮かんでくるのは実家で過ごした風景や両親です。

しっかり聴いた訳でもなく、記憶の片隅に残っていただけなのに、今こうしてパッと蘇る事も不思議です。ああ、癒されるなぁ………煽り運転なんかしようと思いません(もともとしません!)運転に集中しないといけないから逆に癒されてはダメか(笑)

 

 この曲は、1968年6月15日から現在に至るまでずっと同じものが使われているとの事です。僕が生まれる前からです!母のお腹の中で聴いていたのかもしれませんね。

 

曲名:『開始音楽』(少しひねっても良かったと思うが(笑))

作曲:熊田 為広

演奏:三石 精一

楽器:チェレスタ

 

 そして始まりの曲があれば当然終わりの曲もあります。曲名は察しの良い皆さんであればもうピンと来てますよね。

そうです『終了音楽』です(もう少しひねっても良かったと思うが(笑)) 

これは聴いた事が無かったんですが、この曲もとても良いです。マジで癒される。くどいですが、もの哀しく切なく優しいんですよ。これも同じ方によって作曲及び演奏がされております。


NHKラジオ第2放送 放送終了時の音楽(高音質)

 

 しかしあのタイミングでチャンネルを変えなければ、たぶんまだ出会ってはいないでしょう。5:53~6:00の、わずか7分という短い時間に僕が「チャンネルを変えよう」と思い、NHK第2放送を選択しない限り、絶対に出会う事は無かったのです。そう考えるとすごくないですか?

きっと潜在意識ではこの曲を求めていたんだろうと思うのです。日常生活の中で無意識にいつもチューニングしていて、あの時初めて僕と周波数が合ったんだと。

『願いは叶う』というのは間違いではありません。願いはきっと叶います。だけど周波数を合わせなければいけない。そのためにはいつも『心のチューニング』(よくそんな寒いワードが出て来たな)を忘れてはいけません。

 

 今では通勤時に毎朝このインターバル・シグナル『開始音楽』を聴いています。

驚いたのが僕と同じ気持ちを受けている人の多いこと! みんなが口を揃えたように感傷に浸ってしまうというのですから。この曲の持つ不思議なパワー?はすごいです。

だけど!聴き過ぎはいけません!

最近は飽きてきて感動も薄れてきています(笑)

 

 

月曜日の朝

なるがです。

 

 『月曜日の朝』というフレーズは何故かネガティブなイメージを抱いてしまうのはどうしてなんでしょうか。

「あ~また今日から一週間が始まる~いやや~いきたくねぇ~…。」

と思う人が大半なのではないでしょうか。これは大人だけでなく子供も同じ感覚を持っているようですね。

日曜日の夜に息子と風呂に入りながら息子がこうつぶやきました。

「明日からまた学校か~行きたくないな」と。

まさかいじめにあっているのか?と勘ぐってしまいそうになりますが、どうやらそうではない様です。単に面倒くさいだけだそうです。

しかしそうではない場合もありますから、ここは親ならしっかり見ておかなければなりませんね。

 

 月曜日の朝を迎えるとは、常に元気な子供までもが恐怖する(大げさ)悪魔の時間のようです。この症状はよく耳にする『サザエさん症候群』ですね。

今さら説明するまでもないですが、この長寿番組『サザエさん』が日曜の終わりの代名詞なのは既に大人から子供までが知っている事実です。これはいったい誰が名付けたんですかね、ネーミングが秀逸すぎる。子供に説明したら笑いながら納得してました(笑)

 

 楽しい時間はいつかは終わります。休日というのは言わば自由な時間!(そうでもないが) 連休ともなると子供たちは平気で夜更かしします。息子などは「金曜のよるがいちばん楽しい時間や~!」とおっさんのような事を言います。めっちゃ分かる(笑)

この楽しい時間がピークに達したあとは徐々に下降、日曜日の午後に太陽が傾き出す頃にはもう明日の事を考え始めています。そしてサザエさんを見ながらもう逃げられない時間になった事を家族全員が悟るのです。

 

月曜の朝が憂鬱なのは月曜の朝が悪いのではなくて、それ以前の行動によるところが大きいと言えます。楽しければ楽しいほどその反動は大きくなるようです。

仕事や学校のストレスから離れ、好きな事を思いっきり出来る時間は出来るだけ長く続いて欲しいですもんね。

 

 話は少し逸れますが、『月曜日の朝』というと未だにふと思い出す事があります。(私事ですがしばらくお付き合いください笑)

もうかれこれ20数年も昔の事です。その日は当時付き合っていた彼女と特別なデート日でした。何が特別なのかと言いますと、付き合い納め、即ち最後のデートってやつです(笑)

電話口で少し言い合いになった際に、彼女に対して最低な事を言ってしまい、後日それが原因で振られたのですが、あの時どうしてあんな事を言ってしまったんだろうと未だに思い出して後悔しています。そしてもっと最低な事に彼女に謝れていません。

何でちゃんと謝らなかったんだろう。胸にもやもやとしたわだかまりを抱いたまま、気付けばこんな歳になってしまった。謝る機会はあんなにいっぱいあったのに。

 

 あれはまだ夏前、6月の月曜日の朝、いつものようにバイクで彼女を迎えに行く事になったのですが、その日の朝ほど憂鬱な朝はなかった。乗せた後も背中にくっついてくれなくて妙な距離感があり、やっぱり今日が最後なのかと悲しくなったのを思い出します。

 

しかし意外にもその最後のデートがまためちゃくちゃ盛り上がって楽しかったのです。本当にこれで最後とは思えないくらい楽しかったのですよ。

 そして太陽も傾き始めた頃、サザエさんが始まる時間よりずっと早くから、僕はサザエさん症候群にかかっていた。

あと残り少ないわずかな時間を、広い公園のベンチに腰掛けずっと話して、今ではもう何を話したか思い出せないけど、あの6月の爽やかな風がまだ記憶に残っている。

その後さらに盛り上がり、まだ時間は大丈夫という事で居酒屋へ行き更に盛り上がった(飲酒運転ダメ、絶対)帰り際の締めの王将はひとまずやめておいた。

 

 結局その日は何かうやむやに楽しく笑って別れたので、明日からまた徐々に戻れるかも!と淡い期待を抱いていたんですが、そうは問屋が卸しませんでした(笑)

あれは完全なるフリ⁈ 女優が宿っていたとしか思えない、一晩でのこの変わり様。あれは彼女の最後の優しさだったんだろうか~。月曜日の朝よりも火曜日の朝のほうがショックがでかかった~。

まぁあんなひどい事言っておきながら謝りもせず、元サヤに納まろうなんて虫が良すぎる話だわな。

 

 その後しばらくして新しいカレシと付き合っているのを知った。

結局タイミングを逃し彼女には謝ってないけど、新しい彼氏もいる事だしわざわざ蒸し返す事もない。きっとこれで良かったんだ。なんて都合良すぎるかな。

当時の俺は彼女の気持ちをどれぐらい分かっていたんだろう。

 

 

 楽しかった連休のあとには、仕事も待ってるし、学校行かなきゃだし、気持ちを切り替えないといけないのはしんどい作業です。でも月曜日の朝が億劫なのはそれだけ楽しい時間を過ごしたという事なんでしょう。逆に考えるとしっかりストレス発散出来てるんだと思えなくもないですね。

 

 月曜日の朝、と言っても僕の場合まだ真っ暗な朝5時に家を出て仕事に向かいます。眠たくて頭もなかなか起きてくれません。せめてあと5分寝たい。

いつもより遅めの出だしと、少しの憂鬱を携えながら、今日もハンドルを握る。

そんな時には決まってあの月曜日の朝が頭を過る。

そしてまだ寝静まっている街の中を走りながら、今日からまた頑張って行くかーと気持ちを奮い立たせ、新たな日常へと歩み始めるのです。

コロナ禍の1年を振り返って思う事

お題「#この1年の変化」

 

 僕には友達と呼べる人がいません。いませんというか、僕は自分から連絡を取らないズボラ人間なので自然と人が居なくなるのです。困ったことにひとりが大好きで、友達がいなくても全然大丈夫なのです。世間ではコロナ禍で友人・知人と久しく会っていないと良く耳にしますが、僕の場合は何年も前からある意味コロナ禍の様なものです。変化はまったく見受けられません。

 あと、電車通勤を車通勤にしてから歩かなくなりました。運動不足で脂肪が蓄積されております。当然人と会わないので格好にも気を使わなくなります。また、常にマスクをするので髭を剃らなかったり、「あっ、歯を磨き忘れた!」と思っても、ま、いっか(笑) と流す事も平気で出来るようになりました。

 

まとめると、この1年で変化があったと言えば、また体重が増えた!という事でしょうか。コロナ太りとも言いますし。

 

 世間ではコロナ禍の勝ち組と負け組がはっきりと露呈した様に思います。当然その一言で片付けられる問題ではありませんが、勝ち組の一例としては、巣ごもり需要によるインターネット関連事業やゲーム事業・小売業などが大当たりしました。一方、負け組と言うのは気が引けるのですが、飲食・宿泊などのサービス関連業がモロに大打撃を受けています。

飲食業の僕にとっては負け組を意識せざるを得ず、コロナ禍がもたらした問題はとてつもなく大きいものとなりました。

 

「飲食に関わっていれば、そうそう食いっぱぐれる事は無い」

人間の3大欲求と言われている、食欲・睡眠欲・性欲 のうちの「食欲」を生業としているので、絶対に一生仕事にあぶれる事は無い!との短絡的思考で今までやって来た訳ですが……。

 

あぶれる寸前です。

飲食でも食いっぱぐれる事があるんだとショックを受けております。

 

 食欲は人間が生きるための自然な欲求であり、これを回避する事はどんな聖人君子でも不可能でしょう。人間は腹が減ったら何でも食べてしまう生き物なのですから。

睡眠欲をとっても徹夜はもう出来ませんし、性欲も中学生並みにあります。しかし皮肉にも食欲が原因なのか回避され続けています。でもそこはやはり我慢して、聖人君子(賢者)として振舞っております。

そんな話はどうでもいいとして、

 

 今まで飲食店が潰れるのは、クソマズイか、経営が下手くそか、パワハラで人がいなくなるかしか考えられなかったのですが、いやいやまさかのウイルスによる人々の外出自粛、行動制限が原因だと、一体誰が予想だに出来たでしょうか。

人々が行動しなくなる、出歩かないという事はつまりお金を落とす場所が無いという事に繋がります。人が来なければ売り上げも立ちません。これは飲食業のみならず、すべてのサービス業が直面している苦難なのです。

幸いにも僕はまだ働ける場所がありますし、収入も何とか維持できています。それはコロナが流行する数か月前に現職場に異動になったからで、元いた店舗は大赤字で閉店となりました。

後任の人を思うと申し訳ないやら複雑な気持ちですが、僕も自分を守るために必死です。これも「運」なのでしょうか。幸いにも雇用は切られずに済んだのですが、行く場所がないのであっちこっちと現場を振り回されています。本来なら僕がそうなっていたのです。こんな面でも勝ち組・負け組と意識してしまう自分がいてサイテーだな、と自己嫌悪になったりもしました。

 

 ところが同じ飲食業でも、テイクアウト・デリバリー等のサービスは絶好調です。やはり人間の食欲は不滅です。外食が出来なくても食を求めて人々は動くのです。そしてその需要をいち早く察知し、臨機応変に動いた事業主が生き残っています。

 

 飲食業はこれからどうなっていくのか。生き残るにはどうすればいいのか。

店を構えてお客さんを待つスタイルは当分苦戦を強いられるのかな。今は会社に雇われていますが、来客が無く売り上げが無ければ当然自分も必要なくなるかもしれません。対岸の火事では済まないでしょう。もう飛び火が来てます。

 

手に職があるから失職する事は無い、鉄壁と思われた飲食業が根本から覆った一年となりました。

それでもやはり、いつかは人は戻ってきます。

そう信じて今は一生懸命自分の出来る事をやるしかない。

ただ今までと同じ事をやっていたのでは生き残れないんだと痛感しています。

 

生活習慣病予防健診を受けに行きました

なるがです。

 

 現在ひと月に1記事というやる気の無い状態のこのブログですが、これじゃいかんという事で筆を執ってみることにしました。そもそも普通なら新しい年を迎えた瞬間にブログを立ち上げるものですが、僕ときたら2月に入っても放置しているではないですか。何たる体たらく。いや、書きたいときに書くからここまで続いている訳で、強制的な何かに囚われるくらいなら書かない方がいいのだ。(囚われているから書いている)

 

 さて、話は変わって先日、生活習慣病予防健診に行ってまいりました。

僕と同じおっさんなら既になじみのある響きですよね。あぁ、アレね。そう、アレですよ。主に生活習慣病の事前予防と早期発見を主旨とする健康診断のことです。

35歳以上のおっさんとおばはん、・・・は?35歳はおばさんちゃうわ!!と全ての女性から怒られそうなので、ここではおっさんと35歳以上の女性という事にしておきましょう。

35歳~74歳の被保険者であることが条件であり、協会けんぽの一般健診料として¥7,160(全国均一ではない)が必要です。これは『労働安全衛生法の定期健康診断』の代わり、とする場合は会社側が全額負担します。

詳しい事はいつものように割愛させていただきます。(書けよ)

 

 年に一回必ず受診しなければいけないのですが、誰しもが真っ先に頭に浮かぶのは『バリウム検査』ですよね。まぁ現在ではバリウムの代わりに「胃カメラ」を選択する人が多い様ですので、もしかするとバリウムを飲んだことが無いという方も存在するのでしょう。ただ、胃カメラは別料金のところがほとんどです。

 

看護師さんに「バリウム胃カメラ、どっちにします?」と聞かれ、「ん~、どっちがいいですか?」と聞き返すと、

「検査に引っかかった場合、結局は胃カメラで検査することになるから、胃カメラの方がいいと思いますよ」

「じゃあ胃カメラで!」

「はい、じゃ別料金になりますね」

「分かりました」

「では、受診日時ですが、胃カメラの使える日は〇日と〇日です」

「え?・・・どの日も無理っす……。」

「じゃあバリウムですね」

 

こうして結局はバリウムになります。

 そうなのです、この健診はこちらの都合は通用しないのです。毎年やってるから分かってるはずなのにいつもこうして「え?…」とか言ってるんですよ。初めてのおっさんかっての。早めに予定を組んで予約しましょう。

 

 この『バリウム』なる、聞いた事あるけど一体何なん?という方のために簡単に説明します。

原子番号56の元素。元素記号はBBA・・・もとい、Ba。アルカリ土類金属のひとつ。密度が大きく重いため、ギリシャ語で「重い」を意味する単語(書けねぇ)にちなんで命名された。

なんとこれ、軽金属に分類されるんだそうです。

 

単体では銀白色の軟らかい金属。……今から説明するとあと2000文字以上必要なので残念ですがここでは割愛しますね。興味のある方は自分で調べて下さい。

分かりやすく説明すると『白いペンキ』を飲むんです。(説明ではない)

 

胃を膨らますために、まず顆粒の炭酸を流し込みます。

「検査が終わるまでゲップは我慢してくださいね。」

と言われてるそばから「げふぅ…」と少し出てしまいました。そしておもむろに白いペンキの入ったボトルを渡されます。

いや~見慣れてるとは言えあのペンキの量を見ると正直萎えます。

全部飲み干してからは看護師さんの言われるままに、あんな体勢やこんな体勢、ええ?こんな体勢まで⁈と、ありとあらゆる体勢を取る事を強要されます。年下の女性に言われるのも悪くないな。

とまぁ、こんな感じでバリウム検査は進んでいきます。(一応念の為に言いますが本当に白ペンキを飲むのではありません)

 

 次の検査項目は血液検査でした。血圧を測定し、腕を縛られ注射針をスッと血管に刺されます。この看護師さんめちゃくちゃ手際よい。

見る見るうちに僕の赤い血が試験管の中に吸い込まれて行きます。3本も取ってるので、どれくらいなのか聞くと「10㏄くらいやで」と。10㏄でも結構多く見えるもんです。

男は普段から血を見慣れてないから結構ショッキングな光景なんですよね。漫画でよくある、エロいシーンで鼻血を出すとかありゃ嘘ですよ。出ません。

 

注射した箇所を押さえながら最後の項目の『問診』まで椅子に座って待機です。

ここである事に気付きます。バリウム検査を終えたじいちゃんばあちゃんが口のまわりにペンキをいっぱい付けてそこたら中で歩いているのです。検査自体が35歳~74歳が対象なので必然的にジジババもいるんですが、ある意味カワイイというか、この光景は吹き出しそうになります。

 程なくして「○○さーん、どうぞ~」と呼ばれ、診察室へ入ります。

 

ファーストインプレッション、

エロいっ!!!(失礼)

 

やば!女医さん、エロい!というか雰囲気が、フェロモンがやばい。歳は30代前半くらいか。

 

色々と質問されているんだが全く頭に入ってこない。ん?何か言った?

「ちょっと眼を見ますね…。」と、いきなり接近、顔ちかッ!

「じゃあ胸の音聴くんで、服を上までまくって下さい。」やば、心臓バクバク(笑)

でろーんとしたメタ腹をエロい女医さんに晒す、今まで感じた事のない羞恥心。

 

「次はそこのベッドに仰向けで寝て下さい…。」

おいおい、次はなんやねん⁈(嬉)(何を期待してんねん)

 

うっ…!腹を、優しく……揉みだした!!

 女医さんの…細くて柔らかく…温かい指が…オレのメタ腹を優しくさすっている……。

 

これを至福と言わず何と言おうか……あぁ最高の心地よさだ…。

 

 

「はい、大丈夫ですね。」

ハッと我に返り、一体オレは何を考えているんだ!と服を直しながら自分が恥ずかしくなりました。

いや~でもあれは反則です。鼻血こそ出ませんでしたが、一瞬ここは病院ではないと思いました。(病院です)

 

健診の結果はまだ送られてきていないのですが、2週間から3週間かかるようです。

 

 

 人間の身体はいつまでも丈夫ではありません。年齢を重ねるごとに確実にどこかは弱っていきます。そしてどんなにメンテナンスをしていてもいつか必ず死にます。これは生き物の宿命です。僕の身体も20代の頃のようにはいきません。なので、年に1回の健康診断はとても重要です。

車の修理をメカニックに見てもらうように、病院へ行き、身体の事を知り尽くしているプロに見てもらいましょう。

現在コロナ禍でいつも以上に仕事量が多くなっているのに、病院のスタッフさん達の優しいてきぱきとした応対には本当に頭が下がりました。感謝です。

身体のメンテナンスは本当に大事ですね。健康が何よりの宝物ですよ。これに勝るものは絶対にありません。

 

僕はと言えば、今回の結果と真摯に向き合い、まずは自己管理の甘さの象徴である、このメタボからの脱却を目指します。もうすぐ健診結果が送られてくる頃です。ちょっと不安な面もありますが、何があっても改善の努力をしていかねば。

あ、もし心臓に何か異常が出ていたなら、たぶん、アレが原因です。

 

 

 

2020年12月31日

なるがです。

 

 皆様、コロナ禍をどう過ごされておられますでしょうか。大変ご無沙汰しておりました。

明日新年を迎える訳ですが、相変わらずコロナの話題で持ちきりです。新年最初のニュースも間違いなくコロナでしょう。まさかこんな年になるとは予想だにしませんでした。それどころか現在の状況は更に深刻なものになってきています。東京ではまもなく一日の感染者数が1000人を超えそうです。僕のいる関西圏でも毎日500人程の感染者が出ています。

 仕事はすでに休みに入っており、かと言ってどこかへ行く予定もなく、帰省も諦めました。帰省先の役所では東京、大阪等からの帰省は慎重にとの通知が出る有様です。遠回しに来るなと言われてる様なものですが、まぁそれは仕方のない事だと思います。人の往来を断つ事は、侵入を防ぐためにはこれ以外に無いと思うのです。それでもやっぱり帰省する人はする訳で、そうして人の動きがあれば必ず拡散します。帰省が悪い事ではないのに、ウイルスの運び屋みたいに言われるのは本当しんどいですね。

 なので帰省はやめたのですが、夏の終わり位に親をスマホデビューさせました。今では割と普通に使えてる様ですが、親父の方は全くダメです。昭和の団塊世代で頑固なのは昔からなのですが、更に輪をかけて頑固になっているという…。普段から畑を耕したり身体を動かしているので体力はあると思うのですが、頑固過ぎるのは少し心配です。

 このスマホのおかげで顔を見ながら通話出来るという、昔からしたら信じられない様な事も出来ているのです。機種変更させといて正解だったとつくづく思いました。このコロナ禍の対策でも何でもなかったのですが、この様な形で役に立つとは、当時は思いもしませんでした。

 

 今晩は親戚らと蟹鍋パーティーです。

な訳なくて、その集まりすら僕は辞退します。会社からは、管理職はな・る・べ・く会食等の参加は控える様に言われております。しかし事業部長からはぜ・っ・た・い・に感染はするな。との通知、否、命令が出ております。

お願いが命令へと変わりました。

会社で働いている以上、上司からの命令は絶対なのですが、それは会社からの指示と違うでしょ!

と普段なら思うかもしれませんが、今は思いません。

感染するリスクを取る方が遥かに何倍ものマイナス影響があるからです。

晦日の鍋パーティー、時間を気にする事なくたらふく食って酒飲んで喋って爆睡して、いちばん気が緩む時間でもあるのですが、今回ばかりは辞退致します。

こんな時でもコロナの対応の為に休みなく働いている方々がおられるのです。その方々の負担が今やばい事になってるといいます。僕に出来る事は感染しない事、これしか出来ません。

蟹鍋パーティーヒャッハー!とはどうしてもなれません。挙句、感染してしまった〜看護師さんお世話になります〜テヘペロとは言語道断。しかしやる人はやりますし、今でもコロナは茶番、ただの風邪と言う考えの人もいます。もう何が本当で何をしたらいいのか分からなくなります。

しかしひとつだけ分かる確かな事は『感染しない事』です。これはある意味とても単純で明快な回答です。かからなければいいのです。逆を言えば感染したら終わり。

 

 自然の中のサバイバルでどう生き残るか自分の頭で考えながら行動する様に(そんな状況になった事は一度もないです)、私達も今は好き勝手に赴くまま動いてはいけないと思うのです。目先の欲に負けて感染する人は正月明けこれからもっと増えると思います。僕自身いつ感染するか分かりませんが、過剰な恐怖心などはありません。

ただ、このサバイバルには絶対生き残らなければならないのです。これは僕自身に課した命令なのです。